January Story31
睦月を止めるべく、彼の自宅を訪れた蒼太と優樹菜。しかし、現れたのは、睦月ではなく、彼の母親で───?
蒼太は、優樹菜がインターホンを押す姿を見つめた。
ドアが開くのが待つ間───心臓が、ドクドクと脈打った。
崎坂睦月───灰色の髪と瞳を持つ、あの少年。
彼と対面した時、自分は、どんな言葉を掛ければいいのだろうか───。
カチャリ───という微かな音。
蒼太は、はっとした。
静かに、ドアが開く。
現れたのは───崎坂睦月ではなかった。
薄い茶髪を後ろで一本で束ねた40代くらいの女性───女性は、蒼太と優樹菜の姿に、驚いたように、目を見開いた。
「あっ……あの、突然ごめんなさい……」
優樹菜も、この女性の登場を予感していなかったようだ。頭を下げた後、「睦月くんの……お母さまですか?」と、女性の目を見つめた。
「そう、ですけど……」
女性は、優樹菜と蒼太を交互に見つめ、
「あなたたちは……?」
そう尋ねる口調には、2人に対する警戒の色は伺えなかった。
「睦月の、小学生時代の同級生だった者です。中野優樹菜といいます」
優樹菜は、「この子は……」と蒼太を見下ろした。
「同じく睦月の同級生だった、私の幼馴染の弟です」
紹介を受けた蒼太は、ぺこりと、頭を下げた。
「睦月の、友達の……」
女性は、そう呟くように口にした後、
「ああ……ごめんなさい。まだ、睦月、帰って来てなくて……」
どこか、慌てたような様子で、室内を振り返る。
蒼太は、その姿に───僅かに、動揺の色のようなものを感じた。
「そう……ですか……」
隣で、優樹菜が、肩を下ろす。
せめて、睦月に会うことができたら───彼の心を変えることが、できたかもしれないのに。
そのもどかしさに、隣に立つ蒼太も、手のひらを握りしめずにはいられなかった。
「あっ……」
その時───女性が、何かを思い付いたように、目を見開いた。
「よければ……睦月が帰ってくるまで───どうぞ」
崎坂睦月の母は、そう微笑を浮かべて、2人に、室内を示した。
※
崎坂睦月の母───崎坂佳織は、2人をリビングに案内してくれた。
テーブルを挟んだ2人掛けソファの片側を「どうぞ、座って」と示すと、佳織は、2人の向かい側に腰を下ろした。
蒼太は、室内に漂う、淡い香水のような香りを嗅ぎながら、そっと、周りの景色を見回した。
崎坂家のリビングは、綺麗に片付けられていいた。
ソファとテーブルの他にある家具は、テレビと木でできた背の高い棚が一つくらいだ。
その棚を見上げた蒼太は、ガラス戸の中に、写真立てが飾られているのを見つけた。
額縁の中で、灰色の髪をした、小学生くらいの男の子が、笑顔で、ピースを向けている───。
「でも……嬉しいな。睦月のこと、心配してくれるお友達がいてくれて」
その声に、蒼太は、はっと、前を向いた。
目の前で、崎坂佳織が、柔らかい微笑を浮かべていた。
「睦月は……何かで、悩んでいたんですか?」
優樹菜が、ふと、何かに思い当たったように、尋ねた。
佳織の目に、「えっ……」というような、驚きと戸惑いが混じった色が浮かぶ。
「あっ……ごっ、ごめんなさい、いきなり……」
優樹菜が、慌てたように謝る。崎坂佳織は、睦月が実行している計画のことを、知らないのだ。
「ああ、いや……謝らないで」
佳織が、両手を振りながら、そう答えた。
そうして、佳織は、僅かに、視線を伏せ、「そう……だね……」と、呟いた。
「悩んで……いたのかな……」
佳織は、ぽつりと、言葉を落とすように言った。
「実は……私は、睦月と、血の繋がりがないの」
優樹菜が、「え……?」と声を上げるのを、蒼太は聞いた。
「睦月は……私の親友の息子なの。……その子は、16年前……睦月が生まれてすぐの時、旦那さんが運転した車に乗っている時、事故に遭って……旦那さんとともに、亡くなった……。睦月だけを、遺して……」
佳織は、そう、語りだした。
「睦月には、母方も父方も、おじいさんおばあさんが他界してしまっていて、親戚の人の中にも、引き取ってくれる人のあてがなかった。私は、それを知って、睦月を、自分が育てることに決めた」
佳織の口調は、静かで、そして、柔らかかった。
「睦月は、素直で、優しい子で……私が、"睦月の本当のお母さんではないの"って、打ち明けた時でさえ、暗い顔一つしなかった。……ただ私の手を握って、"お母さん、僕のお母さんになってくれてありがとう"……って、言ってくれた……」
佳織が、僅かに、目を伏せる。
暖かな思い出を語っているはずなのに───その目は、何処か、寂しげだった。
「……睦月は、私に負担をかけさせたくないからって家事を手伝ってくれたり、私に喜んでほしいからって誕生日にプレゼントをくれたり……私が、本当の親じゃないのに、自分を育ててくれてるんだから、恩返ししなきゃって、思ってくれてたんだと思う……」
佳織は、そこで、言葉を止め、
「……それが、睦月の負担に、なっていたのかな……」
ぽつりと、囁くような声で、そう言った。
「睦月が小学6年生の夏……私たちがそれまで住んでいたアパートが、老朽化によって、立ち退きになって、新しい住まいを探したんだけど、ちょうどいい物件が、中々見つからなくて……ようやく見つけたこの家も、睦月が通っていた緑ヶ丘小学校の学区とは離れた場所だったの」
優樹菜が、はっと息を呑む。
崎坂睦月が、優樹菜と勇人が通っていた北山小学校から、転校した理由───それを、優樹菜はこの瞬間、初めて知ったのだろう。
「もし……そうなったら、睦月は、今までとは全く違った環境で、残りの小学校生活と、これから始まる中学生活を送ることになってしまう。仲のいい友達と離れ離れになって、たった一人だけ、みんなと違う学校に行くことを、睦月は望んでいないと思った……。……だけど……私がそうやって悩んでるのを見ていた睦月が、"僕は、それでもいいよ"って……そう、言ってくれて……」
「……でも」と、佳織が、言った。
「……でも、睦月は、新しい学校に、馴染めなかった……」
溢れ出てくる感情を必死に抑えるように───佳織が、声を滲ませる。
「睦月が転入したクラスの子たちは、どこから知ったのか……睦月が、実の両親を事故で亡くして、今は、血の繋がらない母親と生活しているといことを知って、睦月のことを……"可哀想な子"だと思って接していた……って……当時の担任の先生が言っていた。……そして、睦月自身も、周りの子たちが抱いている印象に、気付いているみたいだ……とも」
床に向けて伏せられた佳織の瞳は、ほとんど、蒼太の目の中に写せなくなっていた。
「それまで……緑ヶ丘小学校に通っていた時の睦月は……同じクラスの子から、"特別扱い"されたことなんて、一度もなかった……。家庭の事情でだって、能力者であることでだって……睦月の周りにいた子たちは、ただ、睦月のことを、"睦月"として思ってくれてたのに……」
佳織の顎をつたって───筋の雫が、滴り落ちた。
佳織が、「……ごめんなさい……」と、声を漏らす。
「……突然変わった環境に、睦月は……苦しんだと思う……。今までは、何もおかしいと思ってこなかった自分の生い立ちを、そこで初めて、"自分は、みんなとは違うんだ"と感じて……」
指先で涙を拭いながら、佳織は、途切れ途切れに、声を発した。
「……転校をきっかけに、睦月は、少しずつ、変わり始めた。家の中では、ほとんど話さなくなって……私と、距離をおくようになった……。……小学生の時、大好きで、ずっと続けていたサッカーも、しなくなった……。……睦月は、自分が、親を亡くした"可哀想な子"だと思われないように、変わろうとしたんだと、思う……。……そして、それは……今も、きっと、そう……」
蒼太は、涙を流す佳織の姿を見つめて、胸が、苦しくなった。
崎坂睦月───勇人と優樹菜の、小学時代の同級生。
きっと、彼がこの、"ASSASSIN"に関わる事件に巻き込まれていなかったら、名前さえも知らなかったかもしれない───蒼太にとって、彼は、そんな存在だ。
でも───それでも。
今、暗闇に向かって歩き始めている彼のことを、蒼太は───救いたいと思った。
今、隣で、睦月の母が流す涙を、たまらなく悲しい目見つめている優樹菜の姿が、蒼太に、その決意を、させたのだった。
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