January Story27
睦月の目的に気付いた優樹菜は───。
ガシャン!───という激しい音。同時に、後頭部に、鈍い痛みを感じた。
息が詰まる。
歩み去る背中が、ぼんやりと見える。
「睦月……!」と、荒い呼吸に混じった声が出た。しかし、睦月は、振り返らない。
「睦月……待って……」
微かな声は、誰にも、届かない。
睦月が、行ってしまう。
どこかへと向かって───。
そのどこかは───。
"僕……"ASSASSIN"のメンバーを殺すように、頼まれたんだ"
"僕は、優樹菜にそれを……止めてほしかった。僕が人を殺さなくていいように、してほしかった"
"……でも、もう、どうでもいいよ。優樹菜が、僕のことを助けてくれないんなら、僕は、優樹菜の大切なものを奪うよ"
優樹菜は、ハッと激しく息を呑んで、起き上がった。
その、最初の相手───。
「……矢橋くん」
心臓が、ドクンと、跳ねる。
睦月の能力───彼ならば、勇人が今この瞬間、どこにいるのかを、すぐに把握することができる。
冷や汗に、体温が奪われていく感覚と、自身の荒い息遣いを感じながら、優樹菜は、コートのポケットの中に、手を入れる。
そこにあるはずの、携帯電話を掴もうと───。
───しかし、そこには、何も入っていなかった。
優樹菜は、思い出す。
睦月から連絡が届いた直後、コートだけを着て、荷物の一つも持たずに、ここに来たことを。
あの時、慌てるあまりに、部屋の机の上に、スマートフォンを置いたまま出て来てしまったのだ。
どうしてこんな時に───唇を噛みちぎりたくなるほどの後悔を覚えながら、優樹菜は、左耳に手を触れた。
左耳に装着した、通信機。
勇人の番号に合わせて、ダイヤルを回す。
指先が震える。
もし───勇人が出てくれなかったら……?
睦月が、勇人に会いに行っていたとしたら……。
発信ボタンを押す。
相手が受信するまでの時間を告げる機械音が鳴っている。
お願い。出て───。
祈るような思いで、携帯電話を、強く握る。
早く、早く、早く───。
しかし、耳元で鳴り響く音は、いつまでも鳴りやむことはなく───優樹菜の心が、苛立ちと、やるせなさが、ごちゃごちゃに混ざり合ったような感情で埋め尽くされていく。
優樹菜は、ガバッと、その場に立ち上がった。
まだ痛むはずの頭は、何の感覚も感じていない。
ただ、思うのは、ただ一つ。
勇人を、探さなくては───。
優樹菜は、夜の町に向かって、駆けだした。
※
冬用のブーツを履いてきてしまったことを、これほどまでに後悔した瞬間はない。
もっと早く、もっと走れ───泣きたいほどにそう思うのに、足は、それ以上早く動かない。
今が何時なのか───それすらも分からないまま、優樹菜は、走っていた。
空の色を見て、今頃は、きっと、メンバーたちが、本拠地を出て、家に帰る時間のはずだと思った。
だとしたら、勇人は今、帰路についている頃なんじゃないか───。
でも───もし、この道の先で、勇人に会えなかったら……?
恐怖が、胸の内を過る。
どうして───こんなことになったの……?
優樹菜の頭の中に、様々な光景が浮かび上がっては、遠ざかっていく。
勇人が、睦月の行動に対して不審感を抱いていると知ったあの日───睦月に会って話すことを決意したこと。
公園のベンチで、睦月が本当の事を打ち明けてくれたと思えた瞬間のこと。
一度自分の助けを断った睦月が、何かのきっかけで助けを必要とする時が来るのではないかと案じていた矢先、「助けて……」と、連絡が来たこと。
考える間もなく、家を飛び出し、睦月の元に駆けつけた先で、睦月が吐いた、"嘘"を知ったこと───。
私が、一人で睦月に会いに行こうとしたから?
「一人でできるから」と言った睦月を、追いかけなかったから?
睦月の嘘を、否定したから……?
瞼の裏を流れる光景に耐えられなくなった優樹菜は、目を強く瞑った。
私は───どこで、間違えたのだろう。私が、正しい道を選べていたら、こんなことには、ならなかったんじゃないか───。
睦月が、人殺しになってしまったら───。
その最初の相手が、勇人になってしまったら───。
優樹菜は、カッと、目を開いた。
───嫌だ。
嫌だ───そんなのは、絶対に、嫌だ。
景色が、風とともに、通りすぎていく。
住宅街に入る道に、駆け込む。
この道の先に───勇人の家がある。
左右の家々から漏れ出る暖かい光が、自分のことを無関心に見つめているように思えて、優樹菜は、どこにぶつけていいか分からない、激しい苛立ちを覚えた。
コンクリートを踏みしめるブーツの裏が、熱を帯びている。
わき腹が痛い。
心臓が、破裂しそうなほどに苦しい。
優樹菜の体力が、限界に達しそうになった時───。
───道の先に、見覚えのある、二つの、影が見えた。
優樹菜は、「ああ……」と声を漏らしそうになった。
そうだ───今、勇人の家には、蒼太が一緒に暮らしているのだ。
だとしたら、勇人と蒼太が帰宅をともにするのは当たり前のことで、例え、勇人と連絡が取れなかったとしても、蒼太に連絡をして、勇人と繋がることは、可能だったのだ。
どうして、そんな簡単なことを見落としてしまっていたのだろう───自分を憎らしく感じながら、優樹菜は、勇人と蒼太、2人に向かって、駆け出した。
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