January Story12
蒼太と接触してしまった睦月───後悔とともに思い出すのは、かつて、勇人が弟の存在を語っていた時の出来事だった。
勇人に弟がいること───睦月は、それを、小学5年生のある日に、知った。ある日、教室で、勇人が、そう教えてくれたのだ。
それは、その日の授業が全て終わり、教室の中で、みんなが帰り支度をしている時の事だった。
隣の席の勇人が、机の中からノートを取り出した時───その間から、何かが、床に向かって落ちた。
その光景を目の端で捉えていた睦月は、「あっ」と声を上げて、自分の足元に落ちたそれを拾い上げた。
それは、ノートのページを切り取ったような、小さな紙で、表面に、何か、動物のイラストのようなものが描かれていた。
「ああ、ごめん。ありがとう」
声を上げた勇人に、それを手渡す時───イラストの上に、文字が書いてあるのが、チラリと見えた。
”にいちゃんへ”
一目見て、小さい子が書いた字だと分かった。
睦月は、紙を受け取った勇人を見て、「妹?」と、首を傾けた。
勇人は、睦月が何を問いかけているのか、瞬時に悟ったようで、「ううん」と首を振って、微笑を浮かべた。
「弟」
睦月は、「ああ」と、頷いた。
イラストを描いて、それを兄弟にプレゼントしているのだとしたら、女の子がやりそうだと思ったが、そういうことでもないらしい。
「それ、何の動物?」
問いかけた後で、睦月は「あっ」と気が付いた。
「ていうか、見せてもらっても、大丈夫?」
いくら小さい子が描いたとはいえ、本人の許可を取らずに”作品”を見るというのは、図々しいことをしてしまっているような気がした。
勇人は、少し考えるような間を置いた後、「うん」と、深く、頷いた。
「ありがとう」と返事をして、睦月は、そっと、紙を受け取った。
そうして、開いて見て、睦月は思わず、「わっ」と、声を上げた。
そこに描かれていたのは、犬のイラストだった。
耳がピンと立った、鼻の黒い犬の顔。口元はバランスが良く立体的で、髭や首元に付いた首輪までも、綺麗に描かれている。
「えっ……勇人の弟って、今、何歳……?」
睦月は、顔を上げて尋ねた。
「今年で、6歳」
何気ない口調で、勇人が答える。
「すごいね……。幼稚園生くらいの子で、こんなに上手に描けるんだ……」
睦月は、犬のイラストを見て、改めて感嘆した。
正直、小学5年生の自分でも、こんなにうまく描ける自信がない。
「絵を描くのが好きで、いつも、イラスト描いて、プレゼントしてくれるんだ」
勇人の言葉に、睦月は、「へぇ……」と声を上げた。
「そうなんだ。可愛いね」
勇人を見つめると、
「───うん」
勇人は、そう、笑顔をみせた。
「ありがとう」
それは、まるで、自分のことを褒められた時のような、心から、嬉しそうな顔だった。
※
やってしまった───睦月は、自分の髪の毛を掻きまわしたくなった。
あの子が勇人の弟だって気付いたからって、突然あんなこと───完全に変人じゃないか。
(いや……”清水”ってたしかに、勇人の旧姓だけど……でも、まさか、弟だとは気付けなくて当然だよ……)
不意に、そんな弁明が心の中に浮かんできた。
ついさっきまで、勇人に弟がいるという認識を忘れていたくらいだ。
中野葵が、優樹菜の妹だということにすぐに気付けなかったことは、自分は間抜けだったと反省してしまったが、”清水”という名字を見て、勇人との繋がりを見抜けなかったことは、仕方がないような気がした。
中野葵と清水蒼太から逃げるように走りだして、無意識ながらに睦月は、家の方に向かう道を歩いていた。
そうしながら、心に繰り返し浮かぶのは、自分の行動に対する後悔と、清水蒼太が見せ───あの、笑顔だった。
(……めちゃくちゃ似てたな……あの、笑い方……)
自分の記憶の中にある、小学5年生の勇人と、その弟である、現在小学5年生である清水蒼太。
兄弟なのだから、当然と言えばそうなのかもしれないが、一目見ただけでそうと気付けるほどに、2人の笑い方は、そっくりだった。
睦月は、ポケットの中から、名前のリストを取り出した。
(矢橋勇人と、清水蒼太……)
名字の違う、2人の兄弟───。
(勇人は……お母さんが亡くなった後、実のお父さんのところに戻ったっていう話だったけど……蒼太くんは、そうじゃなかったのか……?)
睦月の頭の中に、様々な思考の回路が、交錯し始めた。
※
「えっ?睦月に会ったの?」
葵が、下校中に出会った少年───崎坂睦月の話をすると、優樹菜は、目を丸くした。
この日は、3つの班すべてに仕事の予定がなく、6人はオフィスに集まっていた。
「やっぱり、優樹菜たちの友達だったの?」
葵が訊くと、優樹菜は、「うん」と頷いた。
「小学校時代の同級生。ちょうど、昨日、私たちも会ったの」
そこで、蒼太と葵の2人は、優樹菜と勇人が、逢瀬高校の校門の前で崎坂睦月と遭遇した時の話を聞いた。
「なるほど!だからか!」
葵が、大きく手を打った。
「勇人と会ったばっかりだったから、蒼太のことを見てすぐ、2人が兄弟だって気付いたんだね、きっと!」
それを聞いて、蒼太は、「そういうことか……」と納得を感じて、頷いた。
ただ───同時に、首を傾けたくなる思いも、蒼太の中に存在した。
(ぼくと兄ちゃんって、一目見ただけで分かるくらい、似てるかな……?)
自分が、勇人と同じように、髪が黒かったら、目の色が赤かったら、兄弟だと分かりやすかっただろうな───そう感じるほどに、見た目から自分たち兄弟の共通点を探すのは、難しいだろうと、蒼太は思っている。
(だけど……自分だから分からないってだけで、他の人からしたら、そんなことないのかな……?)
そう思いながら、半ば無意識に目を向けた蒼太は、視線の先で勇人と目が合って、ドキリとした。
「お前」
勇人の目は、真っ直ぐに、自分のことを捉えていた。
「あいつに、何か聞かれたか」
蒼太は、「えっ……?」と、声を上げた。
それは、思いがけない問いだった。
そして、何か深いものが含まれているような───そんな気を、蒼太は感じた。
蒼太は、「えっと……」と視線を上に向け、崎坂睦月が言っていた言葉を思い出した。
「……”君、勇人の弟だよね?”って最初に声掛けられて……その後は、特に何も聞かれなかった……」
崎坂睦月が言っていた言葉を思い返しながら、蒼太は答えた。
蒼太の答えを聞いた後、勇人は、ほんの数秒間を置いた後、すっと、その目を逸らした。
蒼太は、瞬きを繰り返した。
勇人の問いかけを、他のメンバーは、特に気にしていない様子だ。
それに気付いた蒼太は、「深い意味の質問じゃなかったか……」と思いながら、肩に入った力を抜いた。
「小学生時代の同級生っていうことは……中学校は、別だったんですか?」
光が、優樹菜に尋ねた。
「そう。小学校卒業と同時に、睦月が緑ヶ丘中学校の学区外に引っ越して。確か……家庭の事情でそうなったんだと思うんだけど、私も、詳しくは知らないの」
「ああ……そうなんですね」
光が、深く頷いた。
光もまた、緑ヶ丘小学校に通っていたが、中学入学と同時に引っ越しをして、学区が変わった経験を持っている───蒼太は、かつて光が自分にそう打ち明けてくれたことを思い出した。
「でも、優樹菜たち、久しぶりに会えてよかったね!───あっ!そうだ!翼!宿題教えて!」
葵がパッと顔を輝かせて、翼を見た。
「”そうだ!”って……今の会話の流れで思い出すことじゃないでしょ、それ」
優樹菜が、半ば呆れたように言う。
「いーじゃん!今ちょうど思い出しちゃったんだもん」
「いや、別に悪いなんて一言も言ってないわよ」
「言ってるように聞こえたんだもん!」
「うるさいわね。いちいち言い返してこなくていいのよ」
優樹菜にそっぽを向いた葵と、葵を睨んだ優樹菜を、「まあまあ」と、翼が宥めた。
「あおちゃん、いいよ。今日の教科は何?算数?」
翼が葵に話を振ったことで、中野姉妹の喧嘩は中断された。
蒼太は、ほっと息を吐きだすのと同時に、メンバーのいつも通りのやり取りに口元を緩ませた。
その時───ポケットに入れたスマートフォンが振動した。
取り出して画面を確認してみると、メールのアイコンが表示されていた。
(亮助さんからだ……)
早速、メールを開く。
内容は、今日は仕事が定時で終わるので、早く帰れそうだというものだった。
蒼太は、胸が高鳴るのを感じながら、スマートフォンを握った指先に、ぎゅっと、力を込めた。
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