January Story4
"母"と"息子"の間で、すれ違う思い───。
睦月の家は、和達高校から、自転車で10分ほどのところにある。
築20年の、賃貸マンション。
2階の右端にある部屋。間取りは、2LDK。
その部屋に、睦月は、"母"とともに、暮らしている。
玄関のドアを開けようと、鞄の中を探る。
鍵を取り出し、鍵穴に回すと───僅かに、指先に違和感を感じた。
「ん……?」と思いながら、ドアノブを捻る。
ドアは───開かない。
「……何だよ」
睦月は、息を吐き出した。
再び鍵を回している間も、物凄く無駄なことをしてしまった気がして、心の中に苛立ちが募った。
家の中に入ると、リビングの方から、包丁がまな板にあたる音が聴こえてきた。
本当は、真っ直ぐに自分の部屋に行きたいのだが、鞄の中に、空の弁当箱が入っている。これを台所に持っていかなくてはならない。
息を吐き出しながら居間に入る。
「ああ、睦月。おかえり」
すぐに、台所にいた"母"が振り返った。
睦月は、「……ただいま」と、わざとに不機嫌な声を作って答えた。
「今日、仕事なんじゃなかったの」
鞄の中から弁当箱を取り出しながら尋ねると、"母"───佳織は、「それがねー」と、笑顔を浮かべた。
「行ってみたら、"今日出勤じゃないですよ"って言われちゃったの。どうやら、お母さん、シフト見間違えちゃってたみたい。今日が休みで、明日が仕事だった」
佳織は、商店街にある、小さな弁当屋で働いている。
自分から聞いたことだが、対して興味のわかない答えが返ってきたので、睦月は「ふーん」と、気のない返事をした。
「今日のお弁当、どうだった?」
「どうだったって、別に、普通だったよ」
睦月は佳織の顔を見ずに、シンクに弁当箱を置く。
「それって、"普通に美味しかった"っていう意味?」
佳織が、笑顔で見つめてくる。
どうしてこの人は、いつもいつも、こうして、ニコニコとしていられるのだろう。
美容室で染めた茶髪をポニーテールに結び、赤いチェック柄のエプロンを付けている。
この人は、いつもこうだ。
いつも明るい格好で、明るい笑顔を浮かべて、明るい態度を崩さない。
睦月は、微かな苛立ちを感じた。
「普通は普通だよ。それ以上も、以下もない」
吐き捨てるように言って、背を向けた。
怒られて当然のことを言っている───その自覚は、あった。
「だったら自分で作りなさい」───そう言われるかもしれないと思ったし、言われてもいいと思った。
だが、佳織は、怒らない。
「どうしてそうなこと言うの」と、笑うのだ。
それが余計に、睦月を苛立たせる。
睦月は、振り返らずに、部屋を出た。
※
夜10時。
睦月は、ジャージの上から、コートを羽織った。
部屋でテレビゲームをしていたのだが、夕飯をあまり食べなかったせいか、小腹が空いてきた。家の目の前にあるコンビニエンスストアに行って、夜食になるようなものを買いに行こうと思ったのだ。
リビングのドアの前を通り過ぎる時、まだ部屋に明かりが点いているのに気付き、何か声を掛けられる前に家を出ようと、足早に通り過ぎた。
玄関の鍵を開けて外に出ると、肌に冷たい風があたった。
ポケットの中に、財布が入っていることを確認しながら、階段を下る。
目的地であるコンビニは、横断歩道の向こう側にある。信号機は、赤色を示している。
目の前を通り過ぎる車のヘッドライトを見つめながら、睦月は、ぼんやりと、こんなことを思った。
(車が欲しいな……)
自分の車を持てたら、それはどんなに、素晴らしいことだろう。
いつでも、自分の意思で、どこにでも行くことができる。
誰にも邪魔をされず、好きな場所で、生きることができる───。
思い描く未来は、いつ、手に入るのだろう。
睦月は、深く、息を吐きだした。
車を買うには、お金が必用だ。
睦月は、自分のお金というのを、持ったことがない。
高校を卒業したら、就職するつもりだが、車が買えるくらいの貯金ができるまでには、相当な年月がかかるだろう。
(結局、世の中、金なんだよな……)
信号が、青に変わる。
(お金があれば……僕は今すぐにでも、自由に、なれるのに……)
重い足を、踏み出そうとしたその時───。
信号の、向こう側。
コンビニエンスストアの入り口に、女性が一人、立っているのが見えた。
黒い帽子。黒いコート。黒いブーツ。
そして───赤いキャリーケース。
───息が、止まった。
(……あの人だ……)
───校門の前から、じっと校舎を見つめていた……。
女性は、小さなハンドバックを持っていた。
その中に、何かをしまうために立ち止まっているようだったが、すぐに、キャリーケースを引いて、歩き出した。
睦月は、そこで、自分が横断歩道の目の前で立ち尽くしていることに、気が付く。
女性は、コンビニの裏側へと、歩いて行く。
追え───。
心の中でした声に、睦月は、はっと目を見開いた。
追え、あの女を───。
どうしてか、わからない。
それは、ただの、直感だった。
だが、気付けば、睦月は、点滅し始めた信号機に向かって、駆け出していた。
あの人は、きっと───。
教室の窓から見た、校舎を睨みつけるような、真っ直ぐな視線を思い出す。
───あの人はきっと、僕と同じ”種類”の人間だ。
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