December Story54
俊二と別れた蒼太が向かう場所は───。
駅の外へと出ると、見慣れた町の景色が、そこにはあった。
思い返すと、ホームのベンチで話していた時は、まるで、俊二と、別の世界にいるようだったと、蒼太は思う。
「本当に……ありがとうございました」
蒼太は、深々と、頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとう」
俊二は、そう、笑顔を見せた。
「これから、君は、亮助に、会いに行くのかい?」
その問いに、蒼太は、「はい」と、頷いた。
「じゃあ、ここで、お別れだ」
そう言った俊二のことを見つめて、蒼太は、微かな、切なさを感じた。
お別れ───その言葉に、微かな寂しさを感じてしまっているのは、自分だけだろうか。
それを確かめるために、蒼太は、「あの……」と、呼び掛けた。
「また……会えますか……?」
───きっと、意外な質問だったろうに、そんなことは全く感じていない様子で、滝原俊二は、眼帯をしていない方の目を、笑わせた。
「また、いつでも、連絡しておいで」
その笑顔を見つめて、蒼太は、自分の頬が、自然に和らぐのを感じた。
滝原俊二───母の恩師。
そうして、今、時を経て。
蒼太に、大切なことを、教えてくれた人。
再会を誓って、蒼太は、歩き出した。
※
蒼太は、迷うことなく、その場所へと、向かった。
時刻は、午後0時を回ったところだ。
今から行けば、きっと間に合う。
北山警察署に到着し、蒼太はスマートフォンを取り出した。
連絡帳から番号を探し、電話をかける。
コール音が、耳に響く。
1回、2回、3回……。
5回目のコール。
出て、くれるだろうか?───そんな僅かな不安が胸に過ぎった時。
「蒼太……?」
そう、後ろから、声がした。
蒼太は、はっとして、振り返った。
そこには───見覚えのある、黒い自動車が一台、停まっていた。
蒼太のスマートフォンから流れるコール音が、途切れる。
「亮助さん……」
車から降りてすぐ、蒼太の姿に気付いたのだろう。亮助は、戸惑った様子で、「どうしたんだ……?」と、問いかけてきた。
それは、蒼太の行動を責めるような口調ではなかった。
むしろ、蒼太のことを心配して、思いやってくれている───それを、確かに、感じられるものだった。
蒼太は、深く、息を、吸い込んだ。
「どうしても、伝えたいことがあって……」
亮助の目を、見つめる。
君の言葉を、待っているはずだから───俊二が言ったその言葉の意味が、分かったような気がした。
「ぼく……滝原さん……滝原俊二さんに、会いに行ってきました」
そう、言った瞬間。
亮助の瞳の中に、何かを、瞬時に悟ったような色が、浮かんだ。
「そこで、滝原さんから、聞いたんです。……お母さんの、過去のこと」
蒼太は、「ごめんなさい……」と、頭を下げた。
「昨日……、お母さんのことを知ろうとすることは、やめたほうがいいって、ぼくのこと、止めてくれたのに……それを裏切るようなことしちゃって、ごめんなさい」
亮助が、何かを言おうとするように、口を、開きかけた。それに、蒼太は、「……ぼく」という言葉を、重ねた。
「お母さんの過去を知ることは……きっと、楽しい、嬉しいだけじゃないって、最初から、どこかで、わかってたんです。聞いてて、悲しいこと、辛いこと……あるんだろうなって。滝原さんがしてくれた話は、その通りでした。悲しいこと、辛いことの方が、多かったかもしれません」
思い返すと、まだ、胸が、痛む。
この痛みを、忘れることはないだろう。この痛みと、蒼太は、この先の人生を、歩いて行くのだ。
「でも……」
蒼太は、首を横に振る。
「ぼく、今、嬉しいんです。……今まで、知らなかったことが、知れたことが」
「……嬉しい……?」
声を漏らした亮助に、蒼太は、「はい」と、深く、頷いた。
「滝原さんは、お母さんのことを、”強い子だった”って、言っていました。ぼくも……そう、思います。お母さんは、何があっても……幸せになることを諦めていなかった……そのことを知れたこと。それから……お母さんが、ぼくや兄ちゃんのことを、何より大切に思ってくれてたって、知れたことも……」
蒼太は、自分のこの思いが、精一杯、伝わるように、強い感情を、瞳に、込めた。
「お母さんが、好きになった人が……ぼくのお父さんが、お母さんの、その気持ちと、同じ気持ちを持ってくれてた……それを知れたことが、嬉しかったんです」
胸に、熱い感情が込み上げて来る。
蒼太は、その気持ちを、その思いを、胸の中に大事に抱きしめるように、ぎゅっと、指先を、握った。
「ぼくの、お母さんとお父さんは……ぼくの、誇りだって思えたことが、嬉しいんです」
長い間、蒼太の心を縛り付けていたしがらみが、この瞬間に、解けたような気がした。
「ぼく……お母さんと、亮助さんの子どもに生まれて、本当に、よかったです」
ようやく───ようやく、言えた。
そう、思った。
本当は、心のどこかでずっと───母の過去を知る、ずっと前から、自分は、この言葉を、いつか口にしたいと願っていたのだと、蒼太は、知った。
ただ───まだ、終わっていない。
自分が伝えたい気持ちは、もう、一つ、ある。
それは、その言葉は、「あの、ぼく……」という、何とも蒼太らしい、おずおずとした切り出しになった。
「なにか、新しいことをしようとすると、それが自分に馴染むまでに、すごく時間がかかるところがあって……だから、いつになるか、はっきりとは、言えないけど……」
亮助の目は、蒼太のことを見つめ続けている。
蒼太も、その目を、見つめ返す。
「亮助さんのこと、いつか……”お父さん”って呼べるように、するので、なので……」
これは、約束だ。
人生で初めての、父との、約束。
「ぼくも……あの家で、これからも、一緒に暮らして、いいですか……?」
そう、問いかけた、直後、だった。
亮助が、蒼太の元に、歩み寄ってきた。
肩に、亮助の手が触れて、蒼太は、はっと、息を吸い込んだ。
「……ごめんな」
その声とともに、蒼太は、亮助の胸に、抱き寄せられた。
ごめんな───その言葉は、蒼太と亮助が離れ離れになってからの10年間。亮助が蒼太に対して思い続けてきた思いの表れのように、聞こえた。
蒼太は、首を、横に振った。
きっと、亮助の中に積み重なった思いは、簡単には、消えないだろう。
それでも───それがいつか、全て、幸せな思いに、変わればいい。
そのために、何度でも、伝え続けよう───。
蒼太は、亮助の背中を、ぎゅっと、抱きしめ返した。
とても、温かい───この感触を、自分は確かに、知っている気がした。
「……ありがとうな」
再び、亮助の声が、した。
蒼太は、目を閉じた。
目を閉じて、頷いた。
自分は今、とても、幸せだ───。
蒼太と亮助。
2人の頭上では、親子の、新しい物語の始まりを祝福するような青空が、広がっていた。
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