December Story46
10年前にあった出来事───その全貌が、姿を現し始める。
蒼太は、俊二に向かって、「あの……」と、口を開いた。
「こういうこと……聞いていいのかなって、思うんですけど……」
躊躇う蒼太に、俊二は───「いいよ」と、頷いた。
「何でも、言ってごらん」
蒼太は、その、深緑色の瞳を見つめて、もう一度、「あの……」と、呼び掛けた。
「お母さんと……亮助さん……お父さん、は、お互いに、お互いのこと、好き……だったんですよね……?」
その問いかけに対し、俊二は、驚いたような表情は、見せなかった。
ただ、僅かな間の後で、「ああ」と、その、事実を噛み締めように、深く、頷いた。
それ以上の説明は、いらなかった。
蒼太は、俊二が再び、母───さくらの物語を語り出すのを、待った。
その話の中に、答えがあるはずだ。
愛し合っていた2人が、何故、互いに離れることを、決断したのか───。
俊二が、息を、吸い込む。
蒼太は、じっと、耳を傾けた。
※
「さくらは、東市から、北山に移った数ヶ月後に、"お母さん"になった」
俊二は、微かに、口元を笑わせた。
「母になって、さくらは、本当に、幸せそうだった」
その言葉に───蒼太の胸は、熱くなった。
同時に浮かんだのは、母の、笑顔だった。
そうだ───そうだった。
自分といる時、勇人といる時、自分と勇人といる時。
母は、いつも、幸せそうだった。
蒼太の心の中で蘇った、笑顔の母は、蒼太のことを見つめている。
そして───その母が、何かを言おうと、口を開いた。
蒼太は、はっとした。
───が、その瞬間に、母の姿は、見えなくなってしまった。
(……お母さん……?)
「どうしかしたかい?」
気付くと、俊二が、驚いたように蒼太のことを見つめていた。
「あっ……いえ……ごめんなさい」
蒼太は、あたふたと、頭を下げた。
続きを促すと、俊二は、「さくらは」と、何処か、遠くの景色に、目を馳せた。
「心の底から、子どもたちのことを、愛していた。そして、何があろうとも……例え、自分の身がどうなろうとも、子どもたちのことは、絶対に守り抜くんだという、強い思いを、持っていた」
「……それは」と、俊二は、蒼太の瞳を見つめて、言った。
「それは、君のお父さん───亮助も、同じだよ」
蒼太は、その言葉に、はっとした。
亮助が、自分のことをどう感じているのか───それを、蒼太は、聞いたことがない。
だから、この瞬間。
蒼太は、初めて、それを実感した。
亮助は───父は、昔から、今までずっと、自分のことを、思い続けていてくれたのだということを。母が、そうしてくれていたのと、同じように。
「親になった、さくらと、亮助の生活は、本当に、幸せに、溢れていたと思う」
俊二は、その言葉を、噛み締めように、口にした。
俊二の口元から、白い空気が流れ出て、空へと、昇っていった。
その行方を目で追った蒼太に、「……ただ」という、俊二の声が、掛かった。
「……ただ、その時間は、永遠に続くものでは、なかったんだ」
それは、とても、苦しそうな、声だった。
※
「……それは、ある日、突然、起きた出来事だった」
そう語る、俊二の声は、とても、静かなものだった。
ただ、蒼太の耳に、その声は、他の音が聞こえなくなるほどに、はっきりと、響いた。
「今から、10年前のことだ」
(10年前……?)
蒼太は、その年数に、反応した。
自分が1歳の時───母と亮助が、離婚した年だ。
「その日、さくらは、家のすぐ近くにあるゴミ捨て場に、ゴミを置きに行った───ただ、それだけ、だった」
蒼太は、俊二の言葉に、とてつもなく、不穏な予感を感じた。
ただ───ここで、逃げることは、できなかった。
自分は、この話の続きを、聞かなくてはならない───知らなくてはならない。
例えそれが、どんなに辛い結末を迎えようとも。
「なのに……いや……だからこそ、か。その、ほんの数分間。小さな偶然を装うように、あいつは……さくらに、接触した」
「……接触……?」
蒼太は、その響きを、繰り返さずに、いられなかった。
「あいつは……さくらが、俺にとって、どんな存在なのか───知っていたんだ」
俊二は、蒼太の言葉に答えることはせず、そう、言葉を続けた。
それまでとは違う───俊二が、一言一言を紡ぐ様子は、とても、辛そうに見えた。
俊二は、目を、深く伏せた。
どんな表情をしているのか、わからない程に、深く。
「……あの時の、俺と同じように」
沈黙の後、俊二は、言った。
「……さくらは、御神有馬と、出会ったんだ」
※
蒼太は、呆然とした。
何を言えばいいのか。
どんな表情で聞いたらいいのか。
───わからなかった。
「御神が、さくらの存在を知った……それが、どれくらい前からのことだったのか。……具体的なことは、わからない。ただ……」
俊二は、微かに、首を横に振った。
「さくらが、"HCO"のメンバーだった時……御神の組織を捜査していたことを思えば、そこから、御神がさくらのことを知り、そして、さくらが俺と繋がっているということまで辿り着くということは、十分に、あり得ることだった」
「御神は……」と、俊二は言った。
「……俺を殺せなかったことを、ずっと、悔いていたんだ。……そして、何とかして、俺に復讐する方法を、考えていたんだ」
復讐───その言葉の重みが、蒼太の胸を、強く、貫いた。
ビクリと、肩が震える。
御神有馬───史上最強として恐られた殺し屋。
その男による、復讐───。
「でも……俺には、妻も、子どももいない。……だから、俺の大切なものを奪うことは、御神に、できなかった」
「……だから」と、俊二は、言った。
蒼太は、はっとした。
俊二は、きつく、唇を、噛み締めていた。
強く───無理矢理、感情を押さえ込んでいるように、見えた。
「……だから、あいつは……」
俊二は、怒りや、悲しみや、そんな、様々な感情が溢れ出す寸前のような声で、その言葉を、口にした。
「……さくらのことを、狙ったんだ」
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