December Story32
母・さくらのかつての姿を、彼女の親友であった舞香が、語り始める───。
「一番最初に会ったのはね」
舞香は、その時のことを思い返すように、目細めた。
「東警察署の、会議室の中だった。そこに、"HCO"のメンバーとして選抜された5人が、集められたの。もう、20年も前の話だけど、今でも、はっきり覚えてる」
舞香は、そう言って、クスリと、笑った。
「その時のさくちゃんね、パッと見たら、男の人みたいな見た目をしてたの」
「男の人……?」
「うん」と、舞香が、笑顔で頷く。
「黒髪のショーットカット───それが、中性的で、綺麗な顔立ちに、すごく似合ってた。ボーイッシュな見た目なのに、喋り出すと、一気に柔らかい印象に変わって」
「ほんとは、蒼太くんに対して、こんなこと言っちゃダメなのかもしれないけど」と、前置きをして、舞香は、笑いまじりに、こう言った。
「同じ署の、若い男の人たちのほとんどが、さくちゃんに夢中だった。"さくらさん、さくらさん"って、どこに行っても声が掛かるくらい」
蒼太は、その話に、思わず、笑みをこぼした。
母が大勢の人に好かれていたという話は、聞いていて嬉しいものだった。
「ああ、そうだ───さくちゃんのことを知ってる人たちは、みんな、名字じゃなくて、名前とか、私みたいに、あだ名で呼んでたの。その当時、同じ署内に、"高山"っていう名字の人が、さくちゃんの他に、もう一人いて───それで、どっちを呼んでるのかややこしくなっちゃうからっていう理由で」
それを聞いて、蒼太は、「ああ……」と、気付きと納得を、同時に感じた。
(そっか……職場の人に対して、下の名前とかあだ名で呼ぶことって、あんまりないよね)
ふと、蒼太の中に、こんな考えが浮かんできた。
(亮助さんも、お母さんと結婚する前から、お母さんのこと、"さくら"って呼んでたのかな……?)
「私、人生の中で、さくちゃんと似たような人と出会ったこと、一度もないの。これから先も、出会うことないと思ってる」
そう語る舞香の瞳には、優しさと、切なさが混ざったような色が浮かんでいた。
「私にとってさくちゃんは、同じ時間を過ごした仲間で、同じ場所で闘った戦友で、いつも同じものを見ていた───親友なの」
その言葉は、舞香が、今でも───そして、この先も、母をそう感じているということが、伝わるものだった。
「私にとって、さくちゃんは、憧れの人だった。さくちゃんは、あの時の私に足りなかったものを、全部持ってた。人に対しての優しさ、思いやりの心、正義感、意志の強さ───どうしたら、あんな風になれるんだろうって、いつも思ってた。───私、今でも、さくちゃんのことを、追いかけてるような気がする」
「今でも、追いつけてないんだけどね」と、舞香は、小さく笑った。
そして、その後、舞香は、
「私が、より一層、"さくちゃんみたいになりたい"って思ったのは、さくちゃんが、"HCO"を抜けることが分かったタイミングだったかなぁ」
そう───呟くように、言った。
「亮ちゃんは結婚した後も変わらず、"HCO"の仕事を続けてたんだけど、さくちゃんは、結婚をきっかけに、警察の仕事をやめたの。だから……、さくちゃんの代わりになれるくらいに、私が頑張らなきゃって、あの時、そう、思った気がする」
舞香は、蒼太ではなく、テーブルの中心辺りを見つめながら、その当時のことを思い返すように、ゆっくりと、言葉を紡いでいた。
「さくちゃんが仕事から離れた後も、私とさくちゃんは、変わらずに連絡を取り合って、私が休みの日に、2人で会ったりしてた。さくちゃんとの思い出は、数え切れないくらい、本当にたくさんあるんだけど───私が、一番嬉しかったのはね、2人、同じ年に、赤ちゃんが生まれるっていうのが、分かった時だった」
蒼太は、はっとして、「それは……」と呟いた。
「───そう。ゆきと、勇人くんね」
舞香が、深く、頷く。
「"私たち、ほとんど同時にお母さんになれるんだね"、"奇跡みたいだね"───って、2人で笑い合った」
舞香は、そこで、蒼太の目を見つめて、にっこりと、微笑んだ。
「そして、それから、5年経って、また、同じ奇跡が起こった」
"奇跡"───その言葉に、蒼太は、自分の心臓が、ドキリと脈打つのを感じた。
5年前と、同じ───それは、優樹菜の妹である葵と、勇人の弟である蒼太が、同じ年に誕生したことを指しているのだと、すぐに分かった。
だが、自分が生まれたことを、"奇跡"という表現で捉えたことは、これが初めてで、それは、とても眩しい言葉に見えた。
「お互い、お母さんになってから、自然と、優先すべきは家族のことになって、前みたいに、毎日連絡を取り合ったり、頻繁に会うことはなくなったけど、それでも、私にとって、さくちゃんが特別な存在であるのに、変わりはなかった」
舞香は、不意に何かを思い出したかのように、視線を窓の方に向けた。
「……私は、いつも、さくちゃんのことを、頼ってばかりいた。さくちゃんは、誰からも信頼される人だったけど、でも……さくちゃん自身は、誰を信頼してるのか分からない───そんな印象が、あった気がする」
蒼太は、舞香の視線を追った。
窓の外に映っているのは、車が行き交う道路だ。
どこにでもある、日常の光景。
しかし、今、この瞬間、舞香の目に写っているのは、それ以外の何かなのだと、蒼太は悟った。
「……さくちゃんはいつも、みんなと同じところにいるように見えて、実際は、ただ1人、みんなの先を歩いているような人だった。それは、さくちゃんが、自分1人で歩いていけるくらい、強い人だったからしもれないけど、でも、本当は───自分と同じ歩幅で、自分の隣を歩いてくれる人を、さくちゃんは探してたのかもしれない」
舞香は、静かに視線を動かして、目を伏せた。
そして───ぽつりと、こう言った。
「……さくちゃんの方から、相談されたり、悩みを打ち明けられたり、私には、一度もなかったな……」
蒼太は、舞香の瞳を見つめて、はっとした。
「……きっと、誰かに話したい"気持ち"───あったはずなのに」
そう語る、舞香の瞳は、暗かった。
「……最後の最後まで、教えてくれなかった」
その言葉を合図に、蒼太と舞香───2人の間に、沈黙が訪れることになった。
今まで聴こえていなかった───していたはずなのに気付いていなかった音が、蒼太の耳に飛び込んでくる。
食器と食器があたる音。
周りの客の話し声。
店のドアが開いて鳴るベル。
その中に、舞香の「……私が」という声が混じり合ったのは、窓の外から見える信号機が、赤から青に変わったのと、同時だった。
「……私が、亮ちゃんと、さくちゃんが、離婚したっていうのを知ったのは、さくちゃんが、私の家の近所に引っ越してくるっていう話を聞いたのと、同時だったの」
蒼太は、「え……?」と声を上げた。
「それって……お母さんが、お父さんと再婚して……ぼくの家で暮らすことになったタイミングで……?」
"お父さん"、"ぼくの家"───その家で暮らしていた数日前まで、当たり前のように使っていた言葉を、蒼太は、舞香の前で、無意識に、口にしていた。
「……うん」と、舞香が頷く。
「それは……今から、10年前のこと。その時、私は、育児休暇中で、仕事を、休んでたの。その時期は、亮ちゃんと、それから、さくちゃんと会う機会も、少なくなってて……だから、なのかな」
舞香は、目を伏せたまま、言った。
「……きっと、あったのかもしれない、さくちゃんと、亮ちゃんの異変に、気付けなかった」
蒼太は、見えていないはずのテーブルの下で、舞香が、強く、指先を握りしめる光景を、見たような気がした。
「ある日……さくちゃんから、電話が掛かってきたの。───"私、亮助と、別れることになったんだ"……って」
蒼太は、その言葉を聞いた瞬間、呼吸が止まったような気がした。
ずっと前から知っていたはずの事実なのに───それを語る舞香の声が、あまりにも辛そうで───。
「最初に聞いた時、さくちゃんが何を言ってるのか分からなかった。衝撃で、頭が真っ白になった。2人が離婚するなんて、今まで、そんなこと、一度も、考えたことがなかったから……。……でも、さくちゃんに、"お願いだから、詳しいことは、聞かないでほしい"って言われて……」
聞けなかった……───舞香は、強く、後悔の滲んだ言葉を、口にした。
「"舞香の家のそばに引っ越そうと思ってて。そうしたら、子どもたち同士、遊ばせることもできるし、いいかなって"───って、明るい声で、そう……」
舞香はそう言って、唇を噛んだ。
「電話の最後に、"舞香がそばにいてくれたら、心強いから、私は大丈夫"───って……言ってくれた……」
その言葉を口にした、舞香の顔を見て、蒼太は、はっとした。
舞香の、茶褐色の瞳は、微かに───濡れていた。
舞香は、その瞳を、目の中で揺らしてから、そっと息を吐きだすように、こう言った。
「……私が、育児休暇を終えて、"HCO"に復帰した時、そこに……亮ちゃんの姿がなかった。私……さくちゃんとの離婚のことに気を遣って、亮ちゃんと、ほとんど連絡、取ってなかったの……だから、何も知れてなかった。その時になって電話を掛けてみても、亮ちゃんは、出てくれなかった……」
蒼太は、再び、自分の耳に、舞香以外の声が聞こえなくなる感覚を、味わった。しかし、今のは、先程までとは違う───聞くのが楽しくて、周りの音が聞こえないわけじゃない。舞香が発する声を、一音も、聞き逃しては、いけない気がしているのだ。
「……4年前の、冬……学校から帰ってきたゆきが、私に、"勇人がこの前から学校に来なくて……"、"家に行っても、いないみたいなの"って、言ってきて……私、さくちゃんに、連絡を取ろうとしたの。……でも、さくちゃんからの返信が、返ってくることはなくて……私、亮ちゃんが何か知ってるんじゃないかと思って、探しに行ったの。それで……亮ちゃんと会えて、そこで、全部を聞いた。2人が離婚した原因、さくちゃんが再婚してたこと、それから……」
舞香は一瞬、声を詰まらせた。
「さくちゃんが……亡くなったこと……」
蒼太は、胸が、縄できつく縛られるような痛みを感じた。
頭に浮かんだ母の笑顔に、暗い色が、重なっていく───。
その時───蒼太の耳に、低く、重い機械音が響いた。
「あっ……」と、舞香が、ジーンズのポケットに手を入れる。
取り出したスマートフォンの画面を見つめた舞香は、「ごめん……蒼太くん」と、申し訳なさそうな瞳を上げた。
「私、今、仕事に呼ばれちゃって……、この続き……また今度でも、大丈夫?」
「あっ……」
蒼太は、「大丈夫です……」と、頷いた。
「ごめんね、ありがとう」───そう、微笑した舞香の瞳は、まだ、悲しい色のままだった。
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