December Story28
本拠地に行くことを、新一に電話を掛けて知らせると、「これから自分は出掛ける予定があるから、玄関の鍵を、郵便ポストの中に入れておく」と告げられた。
それを使って中に入っていていいとのことだったため、蒼太は道中にあったコンビニエンスストアで昼食を購入し、本拠地へと向かった。
途中、新一とすれ違うことを期待したが、その姿を見かけることはなかった。
誰もいない本拠地のオフィスで、蒼太は、翼を待った。
昼食を食べ、特に何をするわけでもなく、ただ、これからする話をした時に、翼がどんな反応をするのかを想像しながら過ごした。
窓の外が、薄暗くなりかけた頃。
階下のドアが、開く音が聞こえた。
蒼太は、時計を見上げた。
午後4時10分。
足音が、この部屋に近付いてくる。
静かな音で、ドアが開いた。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
そう言って部屋に入ってきた翼は、コートの下の肩を、僅かに揺らしていた。
急いで、来てくれたのだろうか。
蒼太が、それに対して礼をする前に、後ろ手でドアを閉めて振り返った翼が、言った。
「ちょっと、隣町に用事があって、出掛けてたんだ」
その顔には、いつもと変わらない、笑顔があった。
しかし───蒼太は、それに対し、返す言葉に、何故か、詰まってしまった。
それに関しては、これ以上、踏み込んでこないでほしい───翼の笑顔に、そんな感情を、感じたような気がしたのだ。
翼はコートを脱ぐと、蒼太の隣に腰を下ろした。
その瞳は、やはり、いつも通りの、優しいものだ。
「話が、あるんだよね」
蒼太は、翼に感じた、一瞬の違和感に、心の中で首を傾けながら、こくりと、頷いた。
※
全てを話し終えた時、翼は、今までの3人───葵、優樹菜、光とは、少しだけ、違う反応を見せた。
それは、先程、翼が部屋に入ってきた時に感じた違和感と、とても、よく似ているものだった。
僅かに、視線を下に向けて、それはまるで、蒼太に、自分の意見を求められるのを───避けているようだった。
蒼太が、答えを待っていると、翼は、ほんの一瞬、口を開きかけた後、
「いや……いいかな。……この話は」
自分自身に言い聞かせるように、そう言った。
蒼太は、その横顔を見つめて、不安になった。
「先輩……?」と、蒼太が呼び掛けようとした時。
「蒼くん」と、翼が、蒼太の瞳を見つめた。
「これから、大変なこと、たくさんあるかもしれないけど、でも、蒼くんなら、大丈夫」
翼は、一際優しい目で、蒼太を見つめて、こう言った。
「だから───頑張ろうね、一緒に」
その言葉に、蒼太は、心の中で巻き上がりかけた不安の渦が、すっと消えていくのを感じた。
蒼太は、深く、頷いた。
自分の気持ちを伝えられたこと、それを、翼が受け入れてくれたこと───それとはまた違う安心が、蒼太の中に訪れた。
その安心は、翼が、自分に本心を話してくれたという確信だった。
"いや……いいかな。この話は"
きっと───翼には、翼にしか分からない、"何か"があるのだと、蒼太は、悟った。
しかし、それを知るのは、今すぐじゃなくてもいい。
翼は、いつか、自分に、話してくれるはずだ。
そうして、実際に───。
"頑張ろうね、一緒に"───翼が発した、この言葉の意味を、蒼太が知るのは、それから、少し後のことだった。
※
車のエンジン音に、優樹菜は、顔を上げた。
「行くよ」と、声を掛けたわけではないのに、後ろから葵がついてくる気配を感じながら、玄関へと向かう。
車が停止した音がしてから、玄関のドアが開くまでには、しばらくの間があった。
ドアが開いて、母が帰ってきた。
優樹菜と葵が並んで立っているのを見ると、ほんの一瞬、はっとしたような目をして、その後、「ただいま」と、いつものように、微笑んだ。
「お母さん」
優樹菜は、母を呼んだ。
「私たち、お母さんに、聞きたいことがあるの」
そう切り出すと、葵が服の袖を、ぎゅっと掴んできた。
「……聞きたいこと?」
母の、声音が変わった。
何かを察し、何かを、隠そうとするような、そんな声だった。
「私や、葵のためじゃない。私たちの大切な仲間───蒼太くんのために、知りたいの」
そう告げると、母の瞳が、大きく、見開かれた。
「お母さん、知ってるんだよね?」
優樹菜は、そう問いかけた。
「蒼太くんのこと、亮助さんから、聞いたんだよね?」
母は、僅かな間の後で、「どうして……」と、息を吐き出すように、小さく、笑った。
「どうして、そうだって分かるの?」
優樹菜は、母を真っ直ぐに見つめて、「分かるよ」と言った。
「お母さんの、娘なんだから」
そう告げると、母は目を見開いた後、「……そっか」と、笑った。
そうして、母は、いつもよりも、明らかにゆっくりとした動作で、靴を脱いだ。
優樹菜と葵───2人と向き合った母は、何処か、悲し気な瞳で、こう言った。
「リビングで、話そっか」
※
12月の、夕方6時近くにもなれば、外は薄暗くなり、部屋の中も電気を点けなければいけないくらいにもなる。
明かりを灯したリビングで、ダイニングテーブルを挟んで、母と向かい合いながら、優樹菜は、この部屋が、決して明るいとは言えない空気に包まれているのを感じていた。
「お母さん……」
優樹菜の隣にいる葵が、母のことを呼んだ。
母は、その声に視線を上げ、一度、深く、長い息を吐き出した。
「───この話はね、私たちだけの秘密にしようって、約束してたの」
「"私たち"……?」
優樹菜は、その言葉を、繰り返した。
「私と、亮ちゃん、それと、私たちの恩師───"HCO"の創立者、滝原さん。それから───」
母は、そこで、目を伏せた。
「さくちゃん───蒼太くんの、お母さん。この4人の間だけの、秘密」
優樹菜は、じっと、母の言葉に、耳を傾けていた。隣にいる葵が、自分と、母を交互に見つめる気配があった。
「それって、一体、どんなものだったの?」
優樹菜は、尋ねた。
この話において、自分は、当事者ではない。
それでも───聞きたいと思った。
蒼太のために───仲間のために。
母は、顔を上げた。
そして、ぽつりと、言った。
「……かなり、辛い話になるけど」
そうして、母は、話し始めた。
その話の全貌は、優樹菜にとって、想像も付かないほどに、悲しいものだった。




