December Story23
勇人の家に着いた蒼太は、勇人に対し、亮助が自分の境遇について知っていることを打ち明けようとするが───?
勇人の家のドアの前に立つと、蒼太の中に、亮助と会うのとは違う緊張が膨らんできた。
思えば、以前にこの場所に来た時も、同じような感情を味わったような気がする。
勇人が開けたドアの中に、蒼太は、足を踏み入れた。
「お……お邪魔します……」
僅かに、声が上ずった。元は自分の家であった場所に、”お邪魔します”を言うのは、何処か余所余所しいような気がした。
靴を脱ごうと見下ろした先に、蒼太は、そこに、他の誰かの靴が見当たらないことに気付いた。
(亮助さんは、まだ、帰ってないのかな……?)
意識して見るのを忘れてしまっていたが、外に亮助の車は停まっていなかったような気がする。
蒼太は、それに、安堵していいのか、それとも、緊張が長引くことを嘆くべきなのか分からなくなった。
ただ、どちらにせよ、亮助が新一と会ったということは、勇人に伝えるべきだと、蒼太は思った。
靴を脱ぎ、廊下に上がった蒼太は、「あっ……兄ちゃん……」と、前にいる勇人を呼びかけた。
その時───だった。
蒼太の胃が、唐突なタイミングで疼き、その場に、大きな音を響かせた。
※
どうして、自分はこうも間が悪いのだろうと、蒼太は頭を抱えたくなった。
思えば、最後に食べ物を口にしたのがすぐに思い出せないほどに、空腹の状態であるのは確かではあるのだが、それにしたって、"鳴るタイミング"というものがあるだろうと自分の生理現象を責め立てたくなる。
そんな蒼太に対し、勇人は何も言わないまま、廊下から居間へと入って行った。
蒼太は、とてつもない気まずさを感じながら、その後を追った。
蒼太が足を踏み入れると、暗かった室内が、ぱっと明るくなった。
電気が点いたのだと思って、天井の蛍光灯を見上げた蒼太は、視線を下ろした時、そこに勇人の姿が見当たらないことに気付き、「あれ……?」と声を上げた。
見慣れない家の中を見回すと、向かって左側の、台所の中に、勇人がいた。
蒼太は、台所へと向かった。
台所は電気が点いていないが、居間から入る明かりで、僅かに薄暗い程度だった。
蒼太は、ふと、入ってすぐの場所にあるダイニングテーブルを見下ろした。
そして、気付いた。
そこ───テーブルの右端に、一人分の料理が用意されていることに。
茶碗に入った白米と、その横にある皿に乗っているの野菜と肉の炒め物のようなものには、ラップがかけられていた。皿の前には、すぐに食べられるようにか、箸も用意されている。
それを見て、蒼太は、すぐに、こう悟った。
(亮助さんが、作り置きしたやつかな……?)
そして、それは、きっと、勇人のために───。
そう───思った時、「お前」と、勇人に呼ばれ、蒼太は、視線を上げた。
「それ、食っとけよ」
「えっ?」
一瞬、勇人の言葉の意味が理解できず、蒼太は、目を見開いた。
「えっ……いやいやいや……!そんな……」
頭が言葉に追いついてきた蒼太は、激しく首を振った。
確かに、腹から盛大な音を鳴らすほどには空腹だが、今、ここでこの料理を遠慮もなしに食べることは、蒼太にできなかった。
「に、兄ちゃんの分、なくなっちゃうし……。ぼ、ぼくは……我慢、できるから……」
全く説得力のない断りをいれながら、蒼太は、「何を大人ぶってるんだ」と呆れている自分が、自分の中に存在していることに気付いた。
何も、素直に受け取ればいいのに。こんな時くらい、甘えたっていいじゃないか。───家族に対してなんだから。
そんな、相反する蒼太の心に、答を付けるように、勇人が言った。
「いいから食えよ」
その声には、突き放すような冷たさも、押し付けるような圧もなかった。
「あっ……」
蒼太は、途端に、自分の迷いが、恥ずかしくなった。
「……ありがとう」
蒼太は、この瞬間、自分が、勇人にとって、"弟"であることを、自覚した。
そして、それを感じると、心が、じんわりと、暖かくなっていくような気がした。
「……いただきます」
テーブルの上で手を合わせる。
箸を手に持ち、おかずを口に運ぶ。
ゆっくりと口を動かし、噛み締める。
「おいしい……」
思わず、声が漏れた。
料理は冷めてしまっているが、蒼太は気にならなかった。
お腹が空いている時はご飯がより美味しく感じると、以前に何処かで聞いたことのある話だが、きっと、いつに食べてもこの料理は美味しいはずだと、蒼太は思った。
蒼太の向かいに座った勇人は、体を横に向ていた。
目が合ったわけでも、言葉を交わしたわけでもないのに、蒼太は、不意に、こんなことを思った。
兄ちゃんと一緒にいると、安心する───と。
それは、小さい頃、蒼太がずっと感じていた感情だった。
ただ、この町に戻って来て、勇人と再会したばかりの頃、蒼太は、勇人に対して、"不安"を感じていたような気がする。
嫌われるんじゃないか。そばにいたら、迷惑なんじゃないか。そんな不安を抱えながら、蒼太は、勇人に接するようになっていた。
───しかし、今の蒼太は、そんな不安が、自分の中にはないことが分かった。
あの頃に戻れたような、そんな気がした。
どんなに歳を重ねようと、互いに内面が変わろうとも、自分と勇人が、兄弟であることは、この先もずっと、変わることはないのだ。
蒼太か箸を置き、「ごちそうまでした」を言おうとした時、不意に、勇人の視線が動いた。
目が合うと、勇人は、こう言った。
「お前、何か言おうとしてたよな」
その言葉に、蒼太は、「あっ……」と思った。
そうだ───忘れていた。
「あ、あのね、兄ちゃん……」
「実は……」と切り出そうとした瞬間、後ろで、ドアの開く音がした。
蒼太は、はっとして振り返った。
その人物が部屋に入ってくるまでの時間は、とても長く感じられた。
少しずつ近づいてくる足音に合わせ、蒼太の心臓も、ドクドクと音を立てる。
廊下から居間に、亮助が、入ってきた。
蒼太と、亮助の、目が合う。
蒼太は、思わず、その場に立ち上がった。
「あっ……」
声が漏れる。
緊張で、声が震えそうになった。
「あの……」
自分から話し出そうとした蒼太に対し、亮助は───その目を、逸した。
(え……?)
蒼太は、一瞬にして、呆然とした。
「……いや」
亮助が、口を開いた。
「───いいんだ。説明してくれなくても」
その声は、落ち着いていた。まるで、敢えて、落ち着きを装っているのかと、思えるくらいに。
「源から、聞いた。いるのも、知ってたんだ」
蒼太は、言葉が、出なくなった。
そう、呟くように、亮助は言った。
蒼太は、勇人の視線が、自分と同じように、亮助に向いていることを感じた。
亮助が、ほんの僅かに、蒼太のことを見た、
そして、呟くように、こう言った。
「……ご飯は、食べたんだな」
※
蒼太は、いなれない部屋の中に、1人で座っていた。
暖房の効いた部屋は、暖かい。その暖かい風を送っているファンヒーターが、長らく使われていないことを思わせる臭いを漂わせていることを除けば、快適と言えた。
ただ───蒼太は、何処か晴れない思いを、心の内に抱えていた。
その原因となっているのは、亮助のことだ。
家に帰って来て、蒼太の姿を見てすぐに、いるのを知っていたと言った亮助は、その後も、蒼太が抱えた事情に、踏み込んでくるような気配を見せることはなかった。
蒼太が、今日からしばらくこの家に泊まるということを、まるで当然のことのように思っているかのように、部屋を用意してくれた。
そして、着替えを持ってくるのを忘れてしまったと蒼太が告げると、勇人が昔着ていたものがあるはずだと、服を探して持ってきてくれた。
今思い返してみると、それは、とても亮助らしい行動のように思えた。
無条件に優しくしてくれる───それは、蒼太が亮助に対して抱いている印象そのものだった。
ただ───受けたばかりの優しさを思い出して、蒼太は、悲しくなった。
あの時───部屋を用意しようと言ってくれた時も、服を持ってきてくれた時も、もう遅いから寝た方がいいんじゃないかと気遣ってくれた時も、亮助は、自分の目を、見てはくれなかった。
(どうして……なんだろう……)
蒼太は、膝の上で、両手を握りしめた。
(確かに、ぼくは、お父さんの秘密を知った……。お父さんは、殺し屋だった。……そのことを、亮助さんも知ってた……)
亮助が知った、そのタイミングは、一体、いつのことなのだろう───。
母が再婚して、少ししてのことなのか。勇人が家出をした後のことなのか。それとも、ごく最近になってからなのか。
どちらにせよ───と、蒼太は思う。
(たぶん……亮助さんは、ぼくが、それを知って、傷付かないように、隠そうとしてくれたんじゃないかな……)
勇人がかつて、そうしてくれていたように───亮助も、同じことをしてくれていたのではないか。
蒼太は、手の中に握った、あの御守りを見つめた。
そして、勇人が残してくれた、あの声を思い出す。
"蒼太は俺のこと、恨んでるかもしれないんた"───勇人の、あの言葉を、思い出す。
(兄ちゃんが、自分のことを責めてたみたいに、亮助さんも、そうしてるのかな……?)
蒼太は、胸が、きつく締め付けられるような感覚を覚えた。
(ぼくはそんなこと……望んでないのに……)
蒼太が望んでいること───それは……。
蒼太は、窓の方に、目を向けた。
僅かに開いたカーテンの隙間から、夜空が見える。
蒼太は、立ち上がって、カーテンを開いた。
目の前に見えた光景は、蒼太にとって、見慣れないものだった。
見渡す先には、幾つもの家の壁や屋根が見える。
2階がないうえ、隣家が離れている蒼太の家では、見ることのない光景だ。
(でも……もし……)
蒼太は、思った。
(ぼくが、生まれてからずっと、この家に居続けてたとしたら、この景色は、ぼくにとって、"あたりまえ"だった……)
蒼太は、窓枠に、手を乗せた。
もし、この景色が、自分にとって、"あたりまえ"になる日が来たら───。
(ぼくが望んでることは……やっぱり……)
この家で、この先も、暮らしたい───。
それは、ここ以外に、行き先がないからではない。
蒼太は、思い出す。
今日感じた、勇人と自分は、兄弟なのだという強い感覚。
あの感覚を、もう一度味わいたい。
そして、自分の視線から逃げるように背を背けた、亮助の姿。
あんなことは、もう、させたくない。
(ぼくは……兄ちゃんと、亮助さんと、ちゃんと、"家族"になりたい……)
見つめた先の夜空には、星は見えない。
ただ、蒼太は、祈った。
それが、いつか叶うことを。
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