December Story4
父の会社に荷物を届けに行った蒼太は、見知らぬ男性といる、父の姿を見つける。
すっかり冬を迎えた町中は、流れる空気は冷たくとも、見える景色は何処か暖かいような気が、蒼太にはした。
この日は土曜日。
駅近くのこの道の人通りは、それなりに多い。
道を行き交う人々は、それぞれコートを身に纏い、赤や青のマフラーを首に巻いていたり、女性はブーツを履いていたりしている。
そんな中、蒼太の目の前には、4歳くらいの小さな男の子と、その子の手を握って並んでいる父親の後ろ姿があった。握り合わせた手には、それぞれ手袋が嵌められている。
子供用の小さな長靴を履いて、一生懸命な様子で歩く男の子と、その歩幅に合わせて、ゆっくりと小さく足を動かす父親。
その姿を見ていると、蒼太は自分の心がポカポカと暖かくなっていくのを感じた。
信号が青に変わるのを待ちながら、蒼太は自分の手元に茶封筒が握られていることを確認した。
指先に僅かに力を込めると、クシャリ、という微かな音が響いた。
信号を渡った先に、父が働く会社が入ったビルがあった。
その会社とういうのは、この町のタウン情報誌を刊行している出版社である。その月刊誌は、出来上がったものを父が家に持ち帰ってくるため、蒼太の家の、テレビ横の床に大量に積み上げられている。
信号を渡っていくと、聞き慣れた話し声が耳に入って来た。
ビルと隣の自動販売機の間に、父と、見知らぬ男性の姿があった。
父は、蒼太がよく見慣れた紺のスーツ姿で、男性はグレーのコートを着ている。
蒼太は、予測していなかった男性の登場に、鼓動が早まり出すのを感じながら、父に近付いた。
「おお、蒼太」
目が合うと、父が呼び掛けてきた。
「悪いな、助かった」
茶封筒を手渡すと、父は言った。
居間のテーブルに、この茶封筒が置かれているのに気付いたのは、蒼太が起きてすぐのことだった。
その時、既に父は出勤していたが、蒼太は、「お父さんが仕事で使うやつかな?」と思い当たり、父に確認の連絡を入れた。すると、何分かしてから、「今日必要な書類だ」と返信が来たため、蒼太が会社に届けることを提案したのだった。
「ああ、すみません」
父が、隣にいる男性に向かって言った。男性は、蒼太のことを見つめていた。
「うちの、息子です」
父が言うと、男性は「ああ」と、驚きと納得を同時に感じたように、大きく目を見開いて頷いた。
「会社のお客さんの、蔦谷さん」
父が男性を紹介した。
蒼太が「……こんにちは」と、ぺこりと頭を下げると、蔦谷は「こんにちは」と優しげに微笑んだ。目元の笑い皺の数から察するに、年齢は、父と同年代───50歳くらいだろう。
「何年生?」
蔦谷に尋ねられて、蒼太は思わず身構えた。
「あ……、5年生です」
「5年生か。そうしたら、うちの、一番下の娘と同じだ」
「ああ、そうなんですね」
父が声を上げる。
「はい。うちは女の子ばっかり四人姉妹なんですよ」
「ははは。そうなんですね」
蔦谷の言葉に笑った父は、「うちは、この子1人なんです」と、蒼太の肩に、手を触れた。
「妻とは、死別してしまっていて……僕にとっては、この子がいてくれることが、何よりの救いで、幸せなんですよ」
そう言って微笑む父の横顔を、蒼太は見ていられない気持ちになって、足元に目を向けた。
両足の靴先は、地面を強く踏みしめていた。
※
父と別れて、蒼太は1人、帰り道を歩いた。
行きの道と同じはずなのに、見える景色は、何処か寂しげに見えるような気がした。
地面に落ちている枯れ葉や、頭上の曇り空ばかりが目に入る。
繰り返し蘇るのは、父の声だった。
"うちは、この子1人なんですよ"
聴くたびに、胸がズキリと痛くなる。
違う───と、首を振りたくたくなる。
父の言葉に、嘘はない。
父は、嘘を言ったつもりはないはずだ。
何故なら、父は、蒼太に兄弟はいないと思っているから───父にとって、勇人はいないはずの存在だからだ。
(この町に戻ってくるまで、ぼくが兄ちゃんのこと忘れちゃってたみたいに……お父さんも、兄ちゃんのこと、忘れちゃってるんだから……)
それは、前から分かっていたはずのことだった。
しかし、この瞬間、自分は今まで、そのことを深く考えることから避けていたのだと気付いた。
こうして、苦しくなることが分かっていたから、逃げていたのだと。
(兄ちゃんは……、ちゃんといるのに……)
蒼太は、背負ったリュックの紐を、両手で握りしめた。
(ぼくと兄ちゃんは、兄弟なのに……)
───不意に、何かの気配のようなものを感じて、蒼太は、視線を上げた。
「えっ……?」
見えた光景に、蒼太は、思わず声を漏らした。
そこには、北山警察署があった。
そして、出口から、よく見慣れた人物が出て来るのが見えた。
「兄ちゃん……?」
※
町中で知り合いと顔を突き合わせる度、「この町は狭いんだな」と、蒼太は実感する。
勇人と偶然に会うのも、初めてのことではなかったが、こうして声を掛けたのは、今までにないことだった。
昨日、本拠地で顔を合わせたばかりではあるが、2人きりになるのは久しぶりのことだったために、蒼太は、表向きには出さないようにしながらも、心の中では、密かな嬉しさを感じていた。
(途中まで、兄ちゃんと一緒に帰れる……)
勇人が、これから帰宅すると口にしたわけではなかったが、蒼太は自然と、それを察した。
そうして、「ぼくたちが兄弟だからかな」と、ふと感じた。
歩きながら、蒼太は、警察署から勇人の家までの距離を頭の中で計算した。
(たぶん……20分かかるか、かからないかくらいかな……?)
すぐ近所、というわけではないが、歩けない距離でもないはずだ。
そう考えて、蒼太は、ふと、こんなことを思った。
(そうだとしたら、亮助さんも、その気になれば、歩いて仕事に行けるってこと……?)
確か、亮助は、自宅と警察署の間を車で行き来していたはずだ。
(歩いて行けるからって、車を持ってるんだったら使った方が便利だし、仕事にも使うことがあるから……?)
蒼太は、自分自身にそう問いかけて、「きっとそうだ」と答を出した。
蒼太はそこで、思い当たって、勇人のことを見上げた。
「あっ……兄ちゃん」
呼び掛けて、「警察署に───」と言いかけたところで、蒼太は、「あ……」と思った。
亮助さんに、会いに行ってたの?───そう問いかけようとした。
ただ、勇人の前で、亮助のことを、"亮助さん"と呼ぶことは、違うような気がした。そして、その一方で、"お父さん"と呼ぶことも、自分には、相応しくないと思ってしまった。
「あっ……、えっと……」
蒼太は、忙しなく視線を動かした。
「……ごめん。なんでも、ない……」
これでは何の誤魔化しにもなっていない───そう、自覚できるほどの反応を蒼太は返してしまったが、勇人がそこについて触れてくることはなかった。
僅かな間があってから、勇人の視線が、蒼太に向けて動いた。
「お前は、何してんだ」
「あっ……ぼくは、今から、帰るところ」
蒼太は答えた。
「さっき、お父さんの会社に、荷物を届けに行ってきて、他に、用事ないから……」
そこまで言い掛けて、蒼太は、言葉を止めた。
勇人が、自分から視線を逸したことに、気付いたのだ。
そして、蒼太はこの瞬間、勇人の姿に、"何か"を感じ取った。
言葉では言い表せない───感覚的なものだった。
ただ、直感的に、この話を続けるべきではないと、そう思った。
自分は、何も、間違ったことは言っていないはずなのに───ただ、質問に、素直に答えようとしただけなのに。
だからこそ、蒼太は、不安になって、「兄ちゃん……?」と、呼び掛けようとした。
しかし、あと一歩のところで、声を出すことができなかった。
吸った息を、また吸い込んで、蒼太は俯く。
そのタイミングで、勇人が足を止める気配がした。
「お前、そっちだろ」
僅かに振り返った勇人の声に、蒼太は、顔を上げる。
そこは、勇人の家に向かう方の道と、蒼太の家の方に向かう道との分岐点だった。
「あっ……」
蒼太は、はっと、体を揺らした。
「ごっ、ごめ……そ、そうだね……。じゃ、じゃあ……また、明日……ね」
そうして、動揺していることが悟られないように、早口に挨拶を告げて、駆け出すように歩きだした。
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