April Story16
待ち望んでいたはずの、兄との対面───蒼太の期待は、叶うのか……。
翼から「ちょっと良い?」と呼ばれた時、蒼太は葵の愚痴を聞いているところだった。
月曜日───蒼太が“ASSASSIN”に入ることを決めた次の日の放課後、オフィスに入るなり、葵は「ほんと、優樹菜って」と、口を尖らした。
「ああいうところ、勘鋭いんだよね」
蒼太はその言葉で、昨日、葵と優樹菜が喧嘩をしていたことを思い出した。
聞くところによると、葵はあの時、優樹菜の鞄の中から、“ある物”を盗み持っていたらしい。
「電子辞書」
葵はそう言った。
「勝手にだけど、借りて遊んでたの、キーボード、ポチポチしたりして。そしたら、手から滑り落ちちゃって」
葵は、その時のことを思い返すように、顔をしかめた。
「その時、あたし立ってたんだけど、そのまま床に落ちちゃって、壊れたの」
その口調は至って深刻だった。
「“優樹菜に怒られる!”って思って、焦って隠したんだけど」
あの時、翼と共に部屋を訪ねてきたのは、優樹菜の作業が後どれくらい掛かりそうかを確認したかった為だと言う。
「まだ全然終わりそうになかったから、今すぐにはバレないと思って、怒られない方法考えようと思った瞬間、気づかれて」
蒼太はそこで、葵があの時に、そわそわとして、挙動不審であった理由を知った。
「優樹菜、透視の能力持ってるんだよね」
「透視……?」
「あたしが昨日みたいに、物を隠してても、優樹菜に能力使われたら、バレちゃうの」
葵はそこで蒼太に顔を寄せると、
「蒼太くんも分かったと思うけど、怒った時の優樹菜、ほんとに鬼みたいになるから、どうやったって勝てないんだよ。だから、ああやって逃げるしかなかったの」
蒼太はチラリとドアを見た。
優樹菜はまだ、来ていない。が、いつ来てもおかしくはない。
この会話が、優樹菜の耳に届いたら……と、蒼太が葵の身を案じ始めた時、部屋に、翼がやっ来た。
※
倉庫室と呼ばれるその部屋は、1階の一番端にあった。
「これなんだけど」
翼がそういって棚の上にある白いプラスチックケースから取り出したのは小さな機械だった。
イヤーチップが先端に付いている、細長く弧を描いた形をした黒色の棒───そんな印象を蒼太は持った。
「僕らが連絡を取り合うのに使う、通信機。耳に付けて使うんだよね」
翼は自らの右耳を見せながら蒼太に説明する。よく見ると翼の耳には同じ物が付いていた。
「ここにダイヤルが付いてて、電話の番号みたいにいくつかの数字を回すと、その番号の通信機に繋がって会話ができるっていう仕組み」
通信機が蒼太の手に渡された。
見てみると、上の方に、小さなダイヤルが付いていた。
そこには1から5までの番号が書かれている。
「それで、これがメンバーの番号」
翼は続いて、一枚のメモ用紙を蒼太に渡した。
そこにはこう文字が並んでいた。
優樹菜149
葵 537
翼 308
勇人 215
蒼太 426
蒼太は、その紙の、一番下に書かれた自分の名前と番号を見つめて、「ああ、そうか……」と思った。
(ぼく……本当に、"ASSASSIN"のメンバーになったんだ……)
そう気付く気持ちは、温かいのと同時に、ほんの少しだけ、気恥ずかしくもあった。
着信音が響いたのは直後だった。
「あっ、僕だ」
翼が声を上げ、ズボンのポケットから、スマートフォンを取り出した。
「もしもし?……はい、そうです。どうしましたか?」
蒼太は四方を棚に囲まれた狭い部屋を改めて見回した。
(これ全部、˝ASSASSIN˝が使う道具が入ってるんだ……)
棚の上には大きさが様々なプラスチックケースが並んでいる。
(揃えるのに、どれだけお金かかるんだろう……?)
葵が言うには˝ASSASSIN˝は依頼料を貰わずに活動しているそうだ。
(だとしたらお金払うのは、あの、社長さんってこと……?)
もしかしたら、新一はとてつもなくお金持ちなのかもしれないと、蒼太は漠然と思った。
翼が携帯を持つ手を下した。
そして、蒼太を見ると、抑えた声でこう言った。
「……近藤さんが亡くなったって」
「えっ───」
蒼太は目を見開いた。
翼の言葉が、すぐに信じられなかった。
(なんで……?昨日、会ったばっかりなのに……)
「今日の朝、遺体が牢屋の中で発見されたらしくて、急死だと思うって。……まだ、分からないことが多いらしいんだけど」
蒼太は言葉を返すことができなかった。
あの男は罪を犯した。
だから、憎むべき相手であるし、蒼太は近藤のしたことを、許す気にはなれなかった。
しかし、昨日、自分はたしかに近藤に会っていたのだ。言葉を交わし、自分の言葉に涙をしていた。
その人間の命がもう無いなんて───。
「最近、多いんだよね」
翼が息を吐く。
「捕まえて専用署に送ってから急死する殺し屋」
「え……?それって……」
蒼太はドクンと鼓動が脈打つのを感じた。
「事件性があるのかもって警察の方で動いてるらしいんだけど、どれだけ調べても事件性が見つからなくて、困ってるって。だけど、˝偶然˝だとも思えないんだよね」
そう、静かな声で言った後、翼は、スマートフォンをポケットの中に戻した。
「───蒼太くん、先に戻っててもらってもいい?僕、他に探しものしなきゃいけないから」
「あっ……はい。……わかりました」
蒼太は頷いた。
一人で部屋を出て、蒼太は長く、息を吐いた。改めて近藤の死が、重く肩に圧し掛かった。
(殺し屋が、急死……)
どうしてなのだろう───そう考えてみるものの、何も知らない自分に答が出る筈は無かった。
(これから考えなきゃならない時と、答えが分かる日が、来るのかな……?)
蒼太はそう思って、今までずっと考え続けながら、まだ何も実行できていない事を思い出して、階段を上がりながら俯いた。
(兄ちゃんのこと……、どうしよう……。まだ、一回も話せてない……。入ってからって思ってたけど、このままだと、ずっと先延ばしにしちゃいそう……。今日、兄ちゃん来てるのかな……?)
だとしてもどこにいるのか全く見当がつかないが。
そんなことを思っていたため、蒼太はふと前方を見上げた時、勇人の姿を発見して、階段から滑り落ちそうになった。
「わっ!」と声を上げながら。手すりにしがみつき、体勢を立て直す。
上部へ目を向けると、上に上がっていく影が見えた。
蒼太の心臓が激しく音を立てた。
勇人と2人きりで話せるチャンスだ───そう、直感し、蒼太は勇人の後を追った。
そして、あの日、勇人の姿を追って呼びかけた時と同じように前方の勇人のことを呼んだ。
「……兄ちゃん」
勇人は振り返らなかった。あの時と違う───と蒼太は思った。
蒼太はこの時、2階から屋上に上がる階段があることを初めて知った。
そこを進んで行った勇人に蒼太はもう一度、今度は距離も近く、聞こえるだろうと確信を持って「兄ちゃん?」と、その背に呼びかけた。
勇人が振り返った。
しかし───返ってきた返答は蒼太が期待していたものとは全く逆だった。
「しつけぇな」
その時、蒼太は勇人の˝今˝の声を初めて聴いた。
蒼太はびくりと肩を揺らした。
「付いていくんなよ」
足が止まり、同時に時も止まってしまったような気がした。
一瞬にして───目の前にいるのは兄、勇人の筈なのに、蒼太は本当にそうなのか信じられなくなった。
昨日も味わった、何かがプツリと切れる感覚。
それは昨日とは違って、液体がテーブルを伝って床に零れ落ちるような速度で蒼太の心に染み出していった。
気付いた時、蒼太は言葉で言い表せないような悲しさと不甲斐なさと理不尽さを同時に感じていた。
蒼太は息苦しさを覚え、その感情の行き場を言葉にして───勇人にぶつけた。
「……何で……?なんで……、なんで……?」
蒼太は泣きだしそうになりながら自問する。これまで我慢してきたものが一気に溢れ出しそうだった。
「……どうして、突き放すの……?」
答は返って来なかった。
勇人からも、自分からも。
身体が小刻みに震え、涙が目に溢れてきた。
「兄ちゃん……、どうしちゃったの……?」
ああ、自分は何をしているのだろう、と蒼太は自覚した。
すると余計に悲しい気持ちになって冷静に考えられなくなった。
「教えてよ……、なんで、ぼくたち離ればなれになっちゃったの……?……なんで、ぼくは…兄ちゃんのこと忘れちゃってたの……?」
勇人のことを思い出して毎日、願っていたこと───それを蒼太は口にした。
「……兄ちゃんに……会いたいよ……。……前の優しかった兄ちゃんに会いたい……」
蒼太は手で目を覆って下を向いた。
蒼太は自分が小さい子供に戻った気がした。
小さい頃、蒼太はとにかく泣き虫だった。
些細なことに怖くなって家にいる間もよく泣いていた。
そうして「なんで泣いてるの?」と聞かれれば自分が原因で怪我をした時だってそれを認めたくなくて、意地を張って言い訳をしたりした。
何だ、自分も誰かや、何かのせいにして生きてきたんじゃないか。
今だって勇人のせいにして、自分は悪くない、何も知らないと逃げようとしている。
最低だ、と蒼太は自分のことを思った。
(……けど……、兄ちゃんは……、ぼくが知ってる兄ちゃんは、そんなぼくの味方でいてくれた……)
泣いている時の言い訳は大抵、聞き入れて貰えない。大人たちは「そんなことで泣くんじゃない」と笑うのだ。
しかし、勇人は違った。
「蒼太は悪くない」と、そういってくれた。
階段の上で足が動く音がした。
それは蒼太が立てたものでは無かった。
蒼太は自分勝手にも程がある、と自分のことを思った。余計に目頭が熱くなった。
勇人に昔みたいに慰めて欲しいと期待を感じたのだ。
もう察しは付いた筈なのに。いや、最初から分かっていた筈だというのに。
勇人は変わったのだ。優樹菜が話していた通り。
それをより、明確にしたのはその後、勇人が発した言葉だった。
蒼太が今、一番聞きたくない言葉は、冷たく、感情が感じられない声で蒼太の耳に届いた。
「……もう違うんだよ。俺とお前は」
それが何を意味するのか、蒼太は、すぐに理解することはできなかった。
ただ、兄は自分のことを認知していながら、自分を突き放したのだと悟った。
足音が聞こえる。階段を上がっていく音が。
蒼太はその場にしゃがみ込んだ。
声にならない声が漏れだす。
悲しかった。悔しかった。その感情の行き場が涙になって溢れ出てきて、止まらなかった。
戻れないのだ。もう、あの頃には。
この場で消えてしまいたくなった。
その内、息が苦しくなってきて、蒼太は体を小刻みに震わせた。
───直後、どたどたと階段を上がる音がした。
振り返ると、葵が2階に上がって来るのが見えた。
蒼太ははっとし、涙を拭こうとした。
葵はタタっと数歩、廊下を進んだ後、視線を察知したように、屋上に続く階段を振り返った。
そして、蒼太と葵、2人の目が合う。
「蒼太くん?───どうしたの?」
葵が声を上げ、蒼太に近寄った。
階段の上で、うずくまる蒼太に驚いたようだ。
蒼太は葵から目を逸らしてしまった。
泣いているのを気付かれたくなかった
しかし、その行動が逆効果だったようで、葵は蒼太の異変に気付き、
「えっ!大丈夫?具合悪い?」
と、心配が滲み出た声で蒼太の顔を覗き込んだ。
蒼太は葵の優しさにまた、じわりと涙が込み上げてくるのを感じた。
それでも、「大丈夫」と答えようとしたが、声は出ず、唇が震え出した。
気付けば、蒼太は泣き声を上げていた。
まだ、全く消え切らない、負の感情が爆発するかのように。
膝に顔を疼くめる蒼太の肩に、手がそっと触れた。
その手は蒼太が泣き止むまで、蒼太の肩を擦ってくれた。
※
「はい、これ」
葵が目を上げた蒼太に差し出したのは白いハンカチだった。
蒼太はそれを受け取った。
「……あ……、ありがとう……」
蒼太は震えたままの声でいった。
葵は蒼太の隣に座っていた。
蒼太は顔を拭い、小刻みな呼吸を繰り返した、見つめたパーカーの袖は濡れている。
「ちょっと落ち着いた?」
「……うん……。……ごめんね……」
蒼太は葵に謝った。
「ううん。……何か、あったの?」
葵の問いに、蒼太は「あ……」と声を上げた。
そして、足を抱えた指に力を込める。
「……兄ちゃんに会ったの、さっき……」
「勇人に?」
「うん……。話したくて、声、掛けたんだけど……」
蒼太は深く、息を吸い込んだ。
「……うまくいかなくて……、もう、関わってくるなって言われちゃった……」
なるべく、泣いていた原因は自分にあるという風に聞こえるように蒼太は言った。
しばらく、沈黙があった。
その間、葵の手は蒼太の背にずっと触れていた。
「……そっか」
葵が口を開いた。
「……蒼太くんは、勇人のことが、大切なんだね」
それは蒼太のことを肯定する口調であった。
「うん……」と、蒼太は頷いた。そうだ。自分は───今も、勇人のことを大切に思っている。
「蒼太くん、また、勇人と話したいって思ってる?」
葵が首を傾げた位置が、ちょうど蒼太の目線とぶつかる。
蒼太はその問いに、少し迷った。迷う必要は無い筈だ、と確証が持てなくなっていた。
「……思うけど……、でも、それが兄ちゃんの迷惑だったらって思うとできない……」
蒼太は正直にそう答えた。
すると───葵はその答えに蒼太を安心させるように、笑った。
「あたしも、最初はそうだった。あたしね、勇人と初めて会った時、この人に絶対“ASSASSIN”入って欲しいって思ったの」
笑顔を保ったまま、葵はそう語りだした。
「だけど、勇人のためにしたいことが逆に勇人に必要ないことだったらどうしようって思うこともあって。……でもね、あたし、諦め悪いから、とにかくしつこく、勇人に話しかけに行ってたの。そしたら、勇人、˝ASSASSIN˝に入ってくれることになって。……蒼太くんの方が勇人のこと、知ってるだろうし、あたしがこんなこと言うの、おかしいかもしれないけど」
葵は蒼太の目を真っすぐに見つめた。
「蒼太くんが勇人のためになりたいって気持ちがあるんだったら、絶対、諦めない方が良いと思う」
蒼太は葵の顔を見つめた。
蒼太はさっきまであった不安が拭われるのを感じた。それぐらい、葵の言葉は真剣で、蒼太に勇気を与えてくれるものだったのだ。
蒼太はぎゅっと目を瞑って、開いた。
「……ありがとう」
蒼太は葵に言った。大きな気持ちがしっかりと伝わるように。
葵はそれに対し、「うん」と、笑顔で頷いてくれた。
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