November Story4
勇人の様子に違和感を感じ、直接話を聞こうかと悩む優樹菜のもとに、あの殺し屋が現れ───。
優樹菜はベッドに腰を下ろした。
時刻は夜10時。眠るには少し早い時間だ。
それでも、時間は確実に、刻一刻と過ぎていく。
スマートフォンの画面を見つめて、優樹菜は悩んでいた。
リビングにいた母に「おやすみ」を告げて2階に上がって来てから、もう30分が経過しており、その30分の間中、優樹菜はずっと悩んでいた。
「どうしよう……」───そう思ったところで、誰かが答を出してくれるわけはない。
自分が出した答を自分で実行するしかないのだ。
(連絡……した方がいいかな……?)
もう何度目だろうと自分でも思う問いかけを、優樹菜はまた繰り返してしまった。
思えば、今日一日家にいながら、ふと気が付けば、このことを考えていたような気がする。
優樹菜は今、勇人のことを気にしていた。
祝日で、学校も活動も休みだった今日、優樹菜は勇人の姿を見ることができなかった。
そのことが、優樹菜を不安にさせた。
昨日、勇人は本拠地に来なかった。
ここ最近は、学校が終わると、それぞれに言葉を交わすことなく同じ時間に本拠地に向かうということが定着しつつあったが、時に勇人が気まぐれな行動を取ることも稀にあり、放課後に会うことができず、優樹菜が先に着いた後で勇人が来るということも珍しいことではなかった。
だから、優樹菜は昨日、放課後に勇人の姿が見当たらなかった時にも、"そういうことだろう"と思っていた。
しかし、勇人は本拠地に姿を現すことはなかった。
どうして?───そう思った時、優樹菜は、一つだけ、心当たるものがあった。
それは、ふとした瞬間に目にして、「何なんだろう?」と首を傾げたものだった。
一昨日、オフィスで勇人が見せた様子───窓の外に、何かを探すような、あの視線。
勇人はあの時、何を見ようとしていたのだろうか。そして、何を思っていたのだろうか───。
優樹菜は、その延長線にあるのが、勇人が本拠地に姿を現さなかったことのような気がしてならなかった。
それを確かめる連絡をすべきかどうか───優樹菜は今、迷っていた。
(正直……直接聞いてみたところで、答えてくれる気、しないし……)
そう思うも、そのまま諦めを付けてしまうのも、また、違う気がした。
(遠回しに探ってみる……?いや……でも、私が何か感づいてるって気付かれるか……)
勇人に隠し事は通用しない───優樹菜は、そのことを知っていた。
「どうしよ……」
優樹菜は、呟いた。
その時───。
その声に応えるかのように、「コンッ……」という音が、した。
優樹菜は、音がした方───カーテンの掛かった窓に、目を向けた。
すると、「コンコン……」と、確かに、音が聴こえた。
(えっ……?)
コンコン、コンコン……。
(……何……?)
気味が悪いと感じる以前に、優樹菜は、疑わしい気持ちを感じた。
(この時間に鳥が飛んでくるとは思えないし、だとしたら、虫……?)
優樹菜は立ち上がった。
何かは分からないが、何なのか確かめてみよう。
カーテンの隙間から、外を覗く。
───何も見えない。ただ、そこには夜が広がっているだけだ。
優樹菜はカーテンを開けた。
窓に顔を寄せて見つめてみても、やはり、そこには何の姿もなかった。
だとしたら、さっきの音は何だ───?
優樹菜は迷うことなく、窓を開けた。
冷たい風が、室内に吹き込んだ。
そして、その風は、優樹菜に、その声を運んだ。
「───やあ」
聞き覚えのある声だった。
「久しぶりだね」
見つめた先に───少年の姿があった。
優樹菜は、窓を開けるという自分の判断が間違っていたということに、その瞬間に気付かされた。
心臓が、ドクン、と鳴る。
木の枝の上に、その少年は、立っていた。
「元気だった?」
殺し屋・五十四奏多は、にこりと笑って首を傾けた。
※
五十四奏多の姿を見た優樹菜が突発的に取った行動は、机の上に置いていた教科書を手に取り、投げつけようとするというものだった。
「落ち着いて」
窓の高さに腕を振り上げた時、奏多が動じない様子で片手を上げた。
「そんなものを投げたところで何にもならないよ。僕にあたったとしても、木から振り落とせる程の力は発揮できないはずだし。君は後から、何の意味もなさなかった教科書を外に拾いに行くことになっちゃうよ」
優樹菜は、自分の手が震えているのが分かった。───恐怖ではない。怒りで。
バサッと音を立てて、教科書が床に落ちる。
「あんた……」
優樹菜は、声を振り絞った。
「嫌だなぁ、会って早々、そんなに怖い顔しないでよ」
五十四奏多は、楽しげにそう言った。
パーカーにジーンズ───あの時と何も変わらない服装を、五十四奏多はしていた。
あの時───6月のあの日々。勇人の命を狙う奏多との、忌々しい競争。
あの日々は、終わったはずじゃなかったのか───。
(いや……)
それは違う───と、心の中の自分が言った。
(終わったんじゃない……)
"そうそう。それを、君に教えてあげようと思って、電話したんだよ"
"僕は矢橋くんを殺すのを、失敗しちゃったからさ、そのことで、来客を怒らせることになったんだよ。もう、とっくに怒ってるかもしれないけどね"
"……矢橋くんのことは、一旦、区切ることにする"
蘇ったのは、6月のあの日、奏多とした電話の内容だった。
あれ以来───優樹菜は今日まで奏多の声を聴くことがなかった。
「大変だったよ、あれから」
優樹菜の心の声に答えるように、奏多は言った。
「目が覚めたら、知らない場所に拘束されててさ、そこで散々な目に遭わされたんだ」
奏多は、ニコニコと笑いながら、そう言った。
「君に前に話したけど、厄介な人を怒らせちゃってさ。その人を説得するのに相当な時間が掛かっちゃって。それで、昨日ようやく、解放されんだ」
「それで……?」
優樹菜は口を開いた。発せられたのは、微かに震えた声だった。
「なに?」
奏多が首を傾ける。
優樹菜は息を吸い込んだ。自分を、奮い立たせるために。
「あんた……何しに来たの……?」
問いかけると、奏多は、笑顔を浮かべた。
「君と、話したいなって思って」
無邪気な口調で、奏多は答えた。
その言葉に───優樹菜は、とてつもない嫌悪感を感じた。
「私は……」
優樹菜は手のひらに爪が食い込むほどに強く、拳を握りしめた。
「あんたと……話したくなんかない」
優樹菜は強く、奏多を睨み付けた。
「出てって、今すぐに。私の目の前に、姿を現さないで」
奏多の表情は、変化することはなかった。
「それじゃあさ」
屈託のない目をして、奏多は言った。
「今から、矢橋くんの家に行ってもいい?」
優樹菜は、目を見開いた。
声が、出なかった。
奏多はふっと、口元に微笑を浮かべた。
「冗談だよ。安心して?今の僕には、それができないから」
奏多は枝の上で膝を屈めた。
そうして、優樹菜と間近で目が合うような位置に付くと、「僕はね」と切り出した。
「自由を奪われた状態なんだ。解放されたって言ったけど、完全にってわけじゃない。条件付きなんだよ。"許可を下すまで、人を殺すな"っていうね」
奏多は、肩をすくめた。
「全く納得いかない話だよ。殺し屋である僕の存在意義を、奪わないでほしいなぁ」
「そんなの……」
優樹菜は、思わず口を挟んでしまった。
「ただの、自業自得じゃない……」
「自業自得───そうだね。あの時、矢橋くんを殺すことに成功していたら、こうなことにはならなかったんだから」
「……あんた……まだ、諦めてないの……?」
優樹菜は本当は答えが分かっているはずの質問をしてしまった。答てが分かっていても、聞かずにはいられなかったのだ。
奏多は「うん」と笑顔で頷いた。
「僕は絶対に、彼───矢橋勇人を殺すよ」
それは、優樹菜が、あの日々の中で耳にしたことのある言葉だった。
こいつは、何も変わっていなんだ───優樹菜は、この瞬間に気が付いた。
「でも、それは、今じゃない」
五十四奏多は言った。
「僕は同じ失敗を繰り返すようなことはしたくないんだ。今、殺しが禁止された中で好き勝手動いたら、何されるかわかんないからね。その内、完全に"解放"される日が来ると思うんだ。その時まで、"クラリス"のことを調べるよ」
「"クラリス"……?」
聞き覚えのない言葉に、優樹菜は声を漏らした。
「ああ、僕がいる組織の、リーダーのこと」
奏多は「そうそう」と何かを思い出したような目をした。
「こうして君に会いに来たのも、クラリスのことを話すためなんだ。今、思い出したよ」
優樹菜は、眉を潜めた。
「───嘘。あんたが用件を忘れるわけがない。私がその"クラリス"って人のことを気にするように、わざと名前を言ったんでしょ?」
奏多は「ははは」と、愉快げに笑った。
「少しは信用してよ。長く拘束されて痛めつけられてたって言ったでしょ?そのせいで頭の回転が鈍っちゃってるんだよ」
「あんたの信用なんて、死んでもしたくない」
優樹菜は吐き捨てた。
「まあ、そうだね。僕を信用するかどうかは、君の自由だからね。だから今からする話も、信じても信じなくても、どっちでもいいよ」
奏多は木の幹を右手で掴み、窓の方に顔を近づけた。
「僕たち殺しはね、依頼された殺しを失敗するという行為は、許されないんだ。依頼人が許してくれたとしても、殺し屋社会では、ルール違反になる。個人経営者は例外として、組織に所属してる、僕みたいな殺し屋は、上の人間によって、裁かれる。どんな失敗をしてしまったかによってその内容は変わるんだけど、一番重い場合は、その場で、有無も言わさず殺される」
「そして」と、奏多は人差し指を立てた。
「依頼とは関係のない、自らの意志で殺しを行った場合───僕が矢橋くんを殺そうとした時と同じ場合でも、同じくルール違反になる。だけど、この場合は、ちょっと特殊で、必ず報いを受けなくてはいけないということにはならないんだ」
奏多は優樹菜の目を覗き込むように見つめていた。
「依頼にない殺しをした。もしくはしようとした───その場合の処置は、"厳重注意"。しばらく、依頼を受けることを禁止されるのと、その間、行動を監視されることになる」
「ここで質問」と、奏多は、優樹菜の目をじっと見つめてきた。
「そうだとして、今までの僕の話に、大きな矛盾が生まれるんだけど、何だか分かる?」
「あなたが……拘束されて、痛めつけられたってこと……?」
優樹菜が答えると、奏多は満足げに「正解」と頷いた。
「僕は、依頼にない殺しをしようとした。それなら本来、それを知られてしまったとしても、注意だけ済むはずなのに、僕は数ヶ月に渡って死ぬ思いをさせられた。これって、どういう事なんだ?って思うよね」
奏多は、にっこりと笑みを浮かべ、そして、こう言った。
「その理由に───君たち、"ASSASSIN"が関わってるみたいなんだよ」
「えっ……?」
優樹菜は、驚愕に、目を見開く。
「私たちが……?」
奏多が何を言っているのか、まるで分からなかった。
「その、クラリスっていう人が、口癖のように言う言葉があってね」
奏多は、言った。
「───""ASSASSIN"には手を出すな"って。いつも、そう言ってる。その言葉を聞き入れた奴らは、君たちに手出しをしようとしない。その言葉に従わなかったら、酷い目に遭わされると思って、怖がってるんだ。僕は、君たちに実際に会うまでは怖いと思ってはいなかったけど、厄介な事に遭いたくないからなるべくなら君たちと関わりたくないなとは思ってたよ」
奏多は「それでさ」と言葉を続けた。
「君と、一週間、ゲームをしようって約束したその日に、僕の住処に、クラリスが訪ねてきたんだ。どうやら、僕が"ASSASSIN"のことを嗅ぎまわっているのがバレてたみたいでさ、"何かしようとしてる?"って聞かれちゃって。僕はその時、適当なこと言って誤魔化したんだけど、クラリスに、ちょっと茶々を入れてみたりもしたんだ。"どうして、あなたはそんなに"ASSASSIN"を庇うんですか?"って」
気付けば、優樹菜は奏多の言葉に聞き入ってしまっていた。
「確かな答は得られなかったけど、どうやら彼女は、"ASSASSIN"に、深い思い入れがあるみたい」
「思い入れ……?」
「"殺し屋サイドの人間がどうして?"って思うよね」
奏多が微笑んだ。
「僕も、そう思ったよ。でも、その時は確実に矢橋くんを殺せると思ってたから特に気にする必要なかったんだ。"ASSASSIN"のメンバーに手を出したっていう時点で、僕は、彼女に、殺されることが決まる───そのつもりで動いていたからね」
風が吹いて、奏多の黒い髪が揺れた。
「だけど、今は、気になるんだよ。こうして、生き残った今は、ね。クラリスが"ASSASSIN"のことを頑なに守ろうとする理由が。僕は、依頼にない殺しをしようとした。それは失敗したけど、結果に関わらず、僕は、本来なら、"厳重注意"を受ければ済むはずだったんだ。───だけど、彼女は、僕を拘束して、死ぬギリギリくらいまで痛め付けた」
奏多は、ゆっくりと立ち上がった。
「そこで、僕は考えた。刃物で体を切られながら、首を締められながら、考えてた」
その時───奏多の首筋に、微かに傷跡のようなものがあるのが見えて、優樹菜ははっとした。
「彼女の、"ASSASSIN"への執着の正体───それを探ることは、彼女の───クラリスの弱みを握ることにも繋がるんじゃないかって」
そう言った奏多の顔には、笑顔があった。
「そしてその先に───僕が彼を殺す未来があるんじゃないかって、そう思うんだ」
彼───奏多がそう語る人物は、一人しかいない。
優樹菜は、勇人のことを思った。
その瞬間───自分を縛り付けていた何かが、プツリと切れたような気がした。
「……話は、それで終わり?」
優樹菜は奏多の目を射抜くように見つめた。
「だとしたら、さっさと消えて。私は、あんたが言ったその"クラリス"っていう人に心当たりなんかないし、調べる気にもならない」
優樹菜は言葉に迷うことをしなかった。
「あんたがその人のことをどうしようかは知ったこっちゃないけど───でも、これだけは言わせて」
優樹菜は、奏多の夜より深い色をした瞳を真っ直ぐに見据えた。
「あんたの思うようには、絶対にさせないから。その前に───私たちはあんたを捕まえる」
奏多はしばらくの間、何も言わずに優樹菜の目を見つめていた。
優樹菜の後ろで、時計の針がカチリ、と音を立てた。
奏多は、ふっと口元を笑わせた。
「その言葉、覚えておくね」
奏多は言った。
「じゃあ、またね」
奏多は最後に、あの───不気味な笑顔を見せた。
「久しぶりに会えて楽しかったよ、正義の味方さん」
そして、五十四奏多は、その場から、姿を消した。
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