November Story3
少女の正体は、一体───?
11月3日。
この日は文化の日───祝日だった。
学校も活動も休みになったこの日、蒼太は1人、家を出た。
向かった場所は、あの少女と出会った、あの並木道だった。
一昨日、少女に会ってから───少女と、勇人が話しているところを見てから、蒼太の頭の中では、憶測と不安がぐるぐると渦を巻いていた。
並木道の入り口に足を踏み入れながら、蒼太は「兄ちゃん……」と心の中で呼びかけた。
(大丈夫……、なのかな……?)
大丈夫?───という問いかけには、様々な意味が存在する。体調や怪我の度合いを気遣ったり、「これでいいか」という確認を目的として使われたりする。
この場合、自分が勇人に対して思った「大丈夫?」は、そのどちらもの意味がこもっているように、蒼太には感じられた。
昨日、勇人は、本拠地に来なかった。
そのことには、一昨日にあった出来事が関係しているのではないか───蒼太は、そう思えてならなかった。
そして、一度そう思うと、居ても立ってもいられなくなってしまった。
この並木道は、9月のある日、蒼太が、少女と出会った場所だ。
(あの時……、あの人、こう言ってた……)
"私、この場所好きなんだよねー"
"落ち着くから"
あの言葉を考えると、少女が、この場所に度々訪れるということになる。
いつのタイミングで、どんなきっかけで、何を思って、少女はこの場所に向かおうと思うのか───それは、蒼太には分からない。
しかし、他に、少女がいそうな場所にも、心当たりはない。
だったら───会えるかどうか分からないけど、行ってみよう。
(それで……会えたら……)
蒼太は歩き進みながら考えた。
(会えたら……)
会えたら───聞かなくてはならない。
"あなたは、誰なんですか?"───と。
ふと、前方に何かを感じて、蒼太は俯いていた視線を上げた。
「えっ……?」
蒼太は、立ち止まった。
そこに───よく見慣れた人物がいた。
「兄ちゃん……?」
勇人は、一本の木の前に立っていた。
蒼太は「どうして……?」と思いながら、勇人に近付いた。
声を掛けようとしたところで、勇人の視線が、蒼太に向いた。
目が合って、蒼太の口から漏れたのは、「あっ……」という一声だった。
勇人は赤い瞳で、蒼太の目を捉えたまま、「お前」と口を開いた。
「何やってんだ」
そう問われた瞬間───蒼太の中に、あの声が蘇ってきた。
"挨拶もなしに質問?"
自分が言われたのではない───これは、少女が、勇人に言った言葉だ。
蒼太はそれを感じて、ピクリと肩が動くのを感じた。
「あっ……、えっと……」
蒼太はそこでようやく、今、自分が勇人と向かい合っているという実感が湧いてきた。
何、やってるんだろう……?何やってたんだっけ……?───考えて、答が分かっているのに、他に理由はなかったかと探して、どうにか誤魔化せないかと焦る間。勇人は視線を動かすことなく、蒼太のことを見つめていた。
蒼太は、そのことに気が付いて、はっとした。
(嘘……付いちゃ、だめ)
心の中で、自分が自分にそう言った。
「あっ……あのね……」
蒼太は「ぼく……」と答えた。
「ま、前に……ここで、あの人に、会ったこと、あって……」
あの人───兄ちゃんの、"友達"。
そうとしか、蒼太はその人のことを知らない。
ただ、そう口にすることは、してはいけない気がした。
「あの……、一昨日、会った……あの人……」
言葉にすると、自分は、あの少女のことを何一つ知らないということが分かった。
名前も、年齢も───何も。
そう思って、蒼太はまた、声を思い出した。
しかし、今度は、少女のものではなかった。
"お前、今まで何処で何してた"
勇人の声だった。
「……兄ちゃん……」
気付くと、蒼太は、口を開いていた。
「あの人……、誰……?」
その瞬間。
辺りに、冷たい風が吹いた。
蒼太の足元で、落ち葉がバタバタと激しく動き出した。
その音がなくなった頃、勇人は、蒼太の目から、目を逸らした。
「お前は、気にすんな」
勇人は言った。
そして、ほんの一瞬だけ、蒼太のことを見た。
「───お前は、知らなくていい」
蒼太は「え……?」と声を上げようとした。
しかし、実際に出たのは、声ではなく、息だった。
(何で……?)
蒼太は心の中に言葉を放った。
(どうして……、そうなるの……?)
その問いかけも、声にすることはできなかった。
何て言葉を返していいのか、分からなくなった。
どうしたら自分の気持ちが勇人に伝わるのか、分からなかった。
ただ、分かるのは───勇人が、"何か"を知っているということだ。勇人だけにしか分からない、"何か"を。
不意に、蒼太の頭の中に、あの日のことが浮かんだ。
"お前、そいつがしてきたこと知らないんだろ"
"だったら、知らないまま離れろよ"
"───知った奴のこと不幸にするんだよ、そういう奴は"
(あの時も……そうだった……)
あの時───蒼太が、Jが殺し屋であることを知った上で会いに行くことを、勇人に話しに行った時。
あの時も、勇人は、勇人だけにしか知りえないことを話していた───思い返して、蒼太はそう思うようになった。
何なのだろう───何が、勇人にあの言葉を話させたのだろう。今、この言葉を言わせたのだろう。
分からない───蒼太は、まだ何も知らない。
───「プルルル……」という機械音が流れたのは、その時だった。
「あっ……」
蒼太はその音に、ジャンパーのポケットを見下ろした。
鳴っているのは、蒼太な携帯電話だった。
取り出してみると、着信の相手は、父だった。
「もしもし……?」
呼び掛けると、僅かな間の後で、父の声がした。
「蒼太?今、どこにいる?」
「今……?えっと……ちょっと……外にいる……」
「すぐ、帰れそうか?」
「えっ……?」
蒼太は声を上げた。
この日は父も仕事が休みで、今日は一日、家にいると言っていたはずだ。
「何か、あったの……?」
「ちょっとな。できたら早めに帰ってきてほしいんだ」
父の声の直後、勇人の体が動いた。
「あっ……」
思わず、蒼太は声を上げた。
勇人が歩き出す姿に、「兄ちゃん……?」と声を掛けようとした瞬間、耳元で、プツリと音がした。
「えっ……?」
電話が、切れた。
「お父さん……?」
呼び掛けた声に返ってきたのは、無機質なビジートーンだけだった。
※
蒼太が家の前に着いたのは、午後2時のことだった。
普段なら、仕事が休みの父は、大抵この時間、家の掃除に励んでいる。
玄関の引き戸に手を掛けた時、
「蒼太」
と、声がした。
蒼太は顔を向けた。
「お父さん……?」
声がしたのは、家の裏側の方からだった。
(何やってるの……?)
蒼太は、心がザワザワするのを感じた。
どうしてだろう───父の声は、電話で聴いた時も、今聴いたものも、いつも通りの、優しい音だったのに。
蒼太は壁を辿って進み、家の裏を覗き混んだ。
そこに───父の姿はなかった。
ただ、1人の人物の姿があった。
「こんにちは」
壁によし掛かるようにして立っていた人物は、ニコリと笑った。
蒼太は、目を見張り、息を呑んだ。
幻想的な色の髪と瞳───あの少女が、そこにいた。
「騙してごめんね〜」
綺麗な声で、人を眠りに誘うようなゆったりとした口調で、少女は言った。
「さっきの電話、掛けたの私なんだー。君のお父さんになりすましてね」
蒼太は心臓がドクンと跳ね上がるのを感じた。
「安心していいよ。君のお父さんは、今、お家の中にいるから」
少女は、感情の読み取れない笑顔を浮かべていた。
蒼太が言葉を返せずにいると、少女は壁から背を離して、「大丈夫」と言った。
「そんなに怖がらなくても。私は君に、何もしないから」
少女は、蒼太と向かい合うように立った。
「ただ、また君とお話ししたくって。君が私に会いに来てくれるより、私が君に会いに行く方が確実だって思ったんだ〜」
少女は「君さ」と首を傾けた。
「さっき、私に会いに来てくれたの?あの、並木道に」
蒼太は、目を見開いた。
「……なん、で……?」
漏れ出した声は、か細く震えていた。
少女は、ふっと口元に微笑を浮かべた。
「私ね、すっごく便利な能力、持ってるんだ」
少女は目を笑わせないまま言った。
「"願いを叶える能力"───私が願ったことは、全て叶う。君のお父さんになりすましたことも、君がここに来るまでの行動を知ってるのも、全部全部、願いを形に変えた結果。───ね?便利な能力でしょ?」
その問いかけに、蒼太は頷くことができなかった。
前に会った時と違う───あの時、並木道であったこの少女は、こんな冷徹な笑みを浮かべてはいなかった。
何が変わったのか───これが、彼女の本性なのだろうか。
「その様子だと、何も聞いてないんだね」
不意に、少女が笑顔を消した。
「勇人は、君に私のこと、話さなかったんだ」
じっと見つめられ、蒼太はビクリと肩を揺らした。
「───まあ、いいよ。私が教えてあげれば済むことだもんね」
一変して、少女はまた、笑顔を浮かべた。
そして、蒼太に近付いてきた。
「清水蒼太くん」
蒼太の目の前で立ち止まった少女は、蒼太の名を呼んだ。
「改めて、自己紹介させてね」
間近で見た少女の瞳は、まるで、宝石のようだった。ただ───そこに、光が宿っていないことを除けば。
「私は、君のお兄ちゃんのこと、よく知ってる人」
蒼太は少女の瞳から、目を離せなくなった。
「君のことも、ちょっとだけ知ってる」
少女は、微笑を浮かべて言った。
「君たち───"ASSASSIN"のことも、知ってる」
目を逸らすことができず、頷くことを忘れ、自分はここで何をしていたのか───そんなことを思った。
「私の名前、知りたい?」
蒼太は、はっとした。
異世界から現実に引き戻されたような───そんな気がした。
(名前……?)
───この人の、名前……?
「わかった」
少女は、蒼太の心を見透かすように、にっこりと笑った。
「教えてあげるね」
少女はそう言って、蒼太の左手に、指を触れた。
蒼太は、ビクリと、体を揺らした。
少女の指先は───驚くほどに冷たかった。
少は、蒼太の手の甲に、自身の人差し指をペンにして、文字を描き始めた。
「私の名前は」
少女は、蒼太の真っ白な手に、4つの字を書いた。
「───御神輝葉」
「……"輝葉"……?」
蒼太は、無意識の内に、呟いていた。
「そう」
少女───御神輝葉は笑顔で頷いた。
「可愛い名前でしょ?パパが付けてくれたんだ」
輝葉は、サッと右手で、蒼太の手の、自身の字を書いた場所を拭った。まるで、消しゴムをかけるように、自らの名前を───消すように。
「まだまだ気になること、たくさんあるでしょ?」
輝葉は、蒼太の手から指先を離して言った。
「でも、今は、君の質問には答えられない。私、もう行かなきゃならないの」
もう行かなきゃならないの───そう、言ったはずなのに。
輝葉は一歩、蒼太に近付き、
「約束、できるかな?」
蒼太の耳元に顔を寄せ、そう問いかけてきた。
「……え……?」
蒼太は首元に、輝葉の毛先の感触があたるのを感じた。
「明後日まで、私とこうして会ったこと、他の誰にも話したらダメ」
囁くような声量で、輝葉は言った。
「それが守れたら───良いこと、教えてあげる」
輝葉の表情は、蒼太に目に映っていなかった。
しかし───蒼太は、輝葉の声から、彼女が、微笑を浮かべていることが分かった。
輝葉はゆっくりした動作で、身を引いた。
「じゃあ、またね」
輝葉は身を翻し、向こう側へと歩いて行った。
蒼太はただ呆然と、遠ざかっていくその姿を、見つめることしかできなかった。
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