November Story1
久しぶりだね、勇人───そう言って現れた人物は、蒼太がかつて会った、"あの少女"だった───。
「久しぶりだね、勇人」
蒼太は、目を見開いた。
"立入禁止"の看板を背に向けて立っている少女は、謎めいた微笑を浮かべていた。
そしてその目は───勇人を見つめていた。
(あの……人)
蒼太は少女と出会った、あの日のことを思い出した。
"植物、好きなの?"
並木道で、そう、蒼太に声を掛けてきた少女。
"どうして、葉は青いって言うんだろうね"
その言葉を残して、立ち去っていった少女。
「4年ぶり、かな」
少女は言った。
「嬉しいな、また会えて」
にっこりと、少女は笑った。
蒼太はその笑顔に、ゾクリとした。感情が感じられない───無機質な笑顔に見えたのだ。
一体、この少女は、勇人の何なのだろうか───。
勇人に目を向けようとした時、「お前」と、勇人が口を開いた。
「───今まで、何処で何してた」
問われた相手───少女は、ふっと首を斜め下に動かして笑った。
「挨拶もなしに質問?もっと喜び合おうよ。お互い、またこうして会えたんだからさ」
蒼太は、勇人を見上げた。
勇人は、少女以上に感情のない目をしていた。
少女は、息を吐き出すように肩をおろした。
「喜んでくれないんだ」
僅かに機嫌を損ねたように、少女は言った。
「───私たち、"友達"なのに」
(とも、だち……?)
蒼太は心の中で、少女の言葉を繰り返した。
そして、少女と、勇人を見た。
2人の間に流れる空気は───友人同士のものではなかった。
「ま、話したいこと、聞きたいこと山々なのは分かるけどね~」
勇人の問いかけに答えるように、少女が言った。
「だけど、それには”タイミング”っていうものがあるんだよ、勇人。分かるでしょ?”今すぐ”にはムリ」
少女はチラリと視線を動かして―――蒼太のことを見た。
「何より、その子がいるんじゃ、無理だよ」
少女に見つめられ、蒼太は、はっと息を呑んだ。
蒼太のその反応を楽しむかのように、少女は、薄らと笑みを浮かべた。そしてその目を、再び勇人に向
けた。
「今日、私がここに来たのは、勇人に”久しぶり”の挨拶しておこうと思っただけ」
蒼太は、少女感情の読み取れない瞳から、目が離せなくなった。
「私は、勇人のこと知ってるけど、勇人は、私のこと知らないでしょ?」
「その内、教えてあげる」───そう、少女は言った。
「それまで、待ってて」
少女はくるりと、身を翻した。
そうして、数歩進んだところで振り返り、
「また会った時は、たくさんお話しようね。あの頃みたいに」
謎めいた微笑を浮かべた。
次の瞬間───少女の周りに、ぼんやりと白い霧のようなものが立ち込めた。
霧は一瞬にして少女の身体を包み込み、晴れた頃には、その姿を消していた。
蒼太は呆然と、その光景を見つめていた。
───はっと我に返ったのは、勇人が歩き出した気配を感じた時だった。
「───あっ……」
蒼太は声を上げ、
「兄ちゃん……?」
勇人を呼んだ。
しかし、勇人が振り返ることはなかった。
少女がいた場所に向かって行く勇人の後ろ姿に、蒼太は、何を思っていいのか、分からなくなった。
※
「あっ!蒼太!」
オフィスのドアを開けると、すぐに葵がぱっと顔を輝かせた。
オフィスには既に、葵、優樹菜、翼、光の4人がいた。
「あれ?勇人も一緒だったんだね!」
葵が声を上げると、優樹菜が視線を上げた。
勇人は何も言うことはなく、蒼太の横を通り抜けて行った。
いつも通りの、勇人の行動。
いつも通りの───はずだった。───はずなのに。
蒼太は、心臓がドキリとした自分に気が付いた。
メンバーに視線を向けてみても、4人とも、勇人の様子を不思議がるような素振りは見せなかった。
(……ぼく、だけ……)
自分だけ───勇人と少女が話しているところを見たのは、自分1人だけなのだ。
だから───こんなにも動揺を覚えているのは、この中で、自分1人だけなのだ。
「今日は記念日だね!」
葵がニコニコと楽しそうに言った。
「"活動は1日交互に"っていうのが今日からなくなるんだもん!」
「何でもかんでも記念日にするのやめなさいよ」
優樹菜が口を開いた。
「そんな風にやってたら、毎日が何かしらの記念日になっちゃうじゃない」
「えー!いいじゃん!毎日お祝いしよーよ!」
葵が言うと、光が、僅かに苦笑を漏らした。
「それだど、"お祝い"が特別なものじゃなくなっちゃいそう」
翼が「たしかに」と笑顔をみせた。
「たまにあるからいいんじゃないかな」
「あー!そっか!それはそうかも!」
2人の言葉に、葵は大きな納得を感じたように頷いた。
いつもなら、楽しく聞いているメンバーの会話───しかし、今、蒼太は、それをぼんやりと聞いてし
まっていた。
頭の中で考えていることは、4人の会話とは全く関係のない内容で、蒼太は、それでも、考えることをやめることができなかった。
"久しぶりだね、勇人"
───自分に向かっての言葉じゃないのに。
蒼太は、少女のあの声が、頭に貼り付いて離れなかった。
"4年ぶり、かな"
(4年前……ぼくが、7歳の時だから……兄ちゃんは、12歳……)
そしてそれは───母が亡くなった年であり、勇人が家出をし、蒼太が勇人の記憶を失った年でもある。
その年を境に、あの少女と、勇人は別れていた───。
蒼太は、勇人の姿を見たくなった。
しかし、蒼太が座った位置の斜め後ろにいる勇人を振り返れば、勇人に気付かれてしまうだろう。
(たぶん……兄ちゃんは……、ぼくが、"あの人のことが気になる"って言ったら……)
"お前には関係ない"───そう、言うだろう。
そう言われてしまったら、蒼太は、それ以上踏み込んでいけなくなる。
もしかしたら、今、こうして勝手に踏み込んでいこうとしていること自体が、大きな間違いなのかもしれない。
(でも……、だけど……)
蒼太は、誰にも気付かれないように、テーブルの下で組み合わせた指にぎゅっと力を込めた。
"───私たち、"友達"なのに"
あの言葉が、どうしても気になる。
(兄ちゃんに、昔の友達がいることが不思議だとか、そんな風に思ってるわけじゃないけど……)
蒼太が知る、昔の勇人に、"友達が少ない"というイメージは、決してなかった。
(むしろ……逆、だったと思う……)
蒼太は、幼い時、家の外で見た兄の姿を思い出した。
その時、蒼太は、母と共に、勇人が通う小学校を訪れていた。
(何かの行事だったと思うんだけど……、何だったのか……思い出せない……)
曖昧な記憶の中で、はっきりと覚えている光景が、1つあった。
蒼太はその時、体育館の中にいた。
体育館には、多くの児童と保護者の姿があった。
大きな体育館の端に、母と手を繋いで立っていた蒼太は、人々の集団の中に、勇人の姿を見つけた。
「あっ」と思って、「兄ちゃん」とその姿を追おうとした。
しかし───直後に見えた光景に、ぴたりと、その動きを止めた。
そこでは───勇人が向かった先では、勇人と似た背格好の男の子が数人、輪を作って談笑していた。
そして、蒼太は、兄がその輪の中に入り、まるで、それまで一緒に会話をしていたように、声を発し、
誰かが言った言葉に笑顔を見せる姿を、見た。
あの人たち───兄ちゃんの、友達なんだ。
そんなことを、思ったのを、蒼太は覚えている。そして、同時に、勇人に対して、それまで感じたことのない感情を抱いたことも。
いいな───兄ちゃん、楽しそうで。
幼かった蒼太は、母のことを見上げ、「ここ、嫌」と我儘を言った。
「他の場所で、待ってようか」
そう言ってくれた母と一緒に体育館を出ていく時、蒼太は、いつもすぐ近くにいる勇人の存在が、とて
も遠くなってしまったような気がして、どうしようもなく寂しい気持ちを感じた。
家に帰ってからも、その気持ちは蒼太の中から抜け出してはくれなかった。
母と勇人がいる居間を気付かれないように抜け出して、蒼太は子供部屋に向かった。今、蒼太が自分の部屋として使っている、かつての、兄弟2人の部屋だ。
1人になったらこのもやもやがなくなるかもしれない───そう思ったのに、それは違っていた。
なくなるどころか、蒼太は、行き場のない寂しさを感じることになった。
自分だけが、ひとりぼっちのような気がした。
それまで、蒼太には、"友達"という存在がいなかった。
それは、幼稚園にも保育園にも通っていなかった蒼太は、年の近い子と関わりを持つ機会がほとんどな
く、人見知りな性格も相まってのことだったが、当時の蒼太はそのことをコンプレックスに感じるような
ことは、それほど多くなかった。
それは───その理由にあるのは、兄の存在だった。
家にいる間、勇人は、いつも蒼太と遊んでくれた。学校が休みの日には「外に遊びに行こう」と誘ってくれた。
だから───友達がいなくても、蒼太は、寂しくなかった。
そしてそれは、勇人にとっても同じなのだろうと、自然と、そう思っていた。
しかし、それはどうやら違うようだと、気付いてしまった。
兄ちゃんは、ぼくと同じじゃないんだ───兄ちゃんは、ぼくじゃなくても、いいんだ。
勇人がそう言ったわけでも、他の誰かにそう言われたわけでもないのに、蒼太は、その思い込みに囚わ
れた。
そうして、1人、部屋の隅で、両腕で抱えた膝に額を押し付けようとした時───
部屋のドアが開いた。
「蒼太?」
声に、蒼太は顔を向けた。
勇人が、自分を見つめて立っていた。
目が合って、蒼太は、「あっ……」と声を上げた。
しかし、答えることができなかった。何を答えたらいいのか、分からなかった。
そんな蒼太に、勇人は近寄ってきた。
そして、蒼太の隣に腰を下ろすと、何も言わずに、ただ、蒼太の頭に、手を触れた。
蒼太は、兄のことを見つめた。
勇人は、蒼太に、何も言わずに、ただ、笑いかけてくれた。
───蒼太は、その瞬間に、分かったような気がした。
そっか───兄ちゃんは、こんなにも優しいから、"友達"がいるんだ。
そう思うと、蒼太の中にあった、もやもやとした気持ちはなくなった。
あの光景が───勇人が男の子たちと話していたあの光景が、"あたりまえ"のように思えてきた。
勇人は、誰に対しても分け隔てなく───どんな人にも平等に、優しさを持っている。
そう───蒼太は思っていた。
(……だけど……)
一方で、今の蒼太は思う。
(本当に……、そうだったのかな……?)
あの頃より、少しだけ"大人になった"蒼太は、こんな考えに行き着いた。
(兄ちゃんにも……苦手な人とか、この人とは仲良くしたくないって思う人が、いたんじゃないか
な……?)
みんな平等に───そう、言葉では言いつつも、それが簡単には実現できないのが世界であり、人間だ。誰もが、自分とは違う他者をすんなりと受け入れ、良好な関係を築くことができるのなら、争いは起こらないだろう。
完全に、「自分は全人類、誰とでも仲良くなれる」と言い切れる人は、この世に存在するのだろうか。
(何ていうか……)
蒼太は、自分がそんなことを考えた理由を探ろうとした。
そうして、思い当たるものが見つかった。
(本当に……あの人は、兄ちゃんの"友達"なのかな……?)
"───私たち、"友達"なのに"
少女は、確かに、そう言った。
だが、少女が勇人に対して見せた、あの態度は、あの言動は、あの笑顔は、"友達"に向けるものではなかったような気がしてならない。
そして、昔の勇人と、あの少女が仲良くしている様子を想像しようとしても、できないのだ。
(もしかしたら……)
蒼太は、とある考えに至った。
(あの人も……昔から"変わった"人なのかもしれない……)
───勇人と、同じように。
そう、思った時。
蒼太は、視線を感じて、顔を上げた。
見ると、優樹菜が蒼太のすぐそばに目を向けていた。
その視線の先には───勇人がいた。
優樹菜は、何かを不思議がり、それでいて何かを探るような目をしていた。
蒼太は、その視線を追い───勇人のことを、振り返った。
勇人は、窓の方を見つめていた。
その目は、窓の外に写った何かを見つめるものではなく、何もない場所に何かを写しているように──
─蒼太には見えた。
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