October Story34
2週間の約束の、その後───。
10月31日。
私の計画は、終わった───彼は、無機質な天井を見上げた。
そうして、これまでの2週間を思い返した。
最初、彼の頭の中にあったのは、"復讐"───ただそれだけだった。
息子に絵を渡す───その願いは、諦めかけていた。
殺人計画を実行しながら、絵描きを探し、絵を描いてもらう交渉をして、それがうまく行くとは限らない。
それだけに、あの子との出会いは、彼にとって奇跡のようなものだった。
ベンチに座り、1人、黙々と絵を描いているあの子の姿をひと目見て、彼は、"あの子しかいない"───そう思った。
直感だった。
自分で、何故そう思ったのか分からなかった。
あの子に描いてもらいたい。
あの子と話をしたい。
復讐を実行し、その後に死を望んだ自分が、
そんなことを考えるのは、おかしいと思った。
でも、それでも───彼は、声を掛けようと、一歩を踏み出した。
そうして、話してみて、彼は、あることに気が付いた。
あの子の話しぶり、仕草に、息子の面影を感じることに。
そうか───そうだったのか。
この子は、息子の息子───私にとっての、孫なのだ。
11年前、彼は、息子の現在について、偶然により知った。
それが彼に復讐心を抱かせるきっかけにもなり、そして、息子が結婚して子どもがいることを知るきっかけにもなった。
このことに───私たち2人の関係に、あの子は気付いているだろうか。
私が知っていながら黙っていたことを知ったら、あの子は、どんな顔をするだろうか。
傷付けてしまうだろうか。悲しませてしまうだろうか。怒らせてしまうだろうか。
そのどれも───見たくない。
あの子には、笑っていてほしい。
あの子には、幸せになってほしい。
それが今の、彼の願いだった。
そうして、この思いは、私が死ぬまで、ずっと残り続けるのだろう───あの子と過ごした、あの時間と共に。
「───751番」
声に、彼は顔を上げた。
鉄格子の向こうに、看守が立っていた。
「届け物だ」
格子の間から、看守は、丸まった画用紙を、彼に向けて差し出した。
彼は、目を見開いた。
看守の足音が遠ざかっていくのを聴きながら、彼は、画用紙を広げた。
そうして、中に見えた景色に、彼ははっとした。
紅葉の木を左右に、ベンチに座った、2人の後ろ姿。
1人は、白い髪の男の子。
もう1人は、シルクハットを被った老人。
2人は、顔を合わせて、何かを話している。
絵の中心には───"ありがとう"。文字が、書かれていた。
彼の目に、熱いものが込み上げた。
生きていてよかった───生きていたから、君に出会えんだ。
彼は、涙を流した。
その涙は、あたたかった。
※
今日から、11月だ───蒼太は、海岸沿いの道を歩いていた。
冷たい風が、頬に触れていく。
もうすぐ、冬がやってくる。
本拠地へと向かう道を、こうして1人で歩いているのは、放課後に、担任の浜田に呼ばれたからだった。
「最近、元気がないんじゃないのかい?」
葵が出た後の、2人きりの教室で、浜田にそう尋ねられた。その顔には、心配の色が浮かんでいた。
蒼太は「あっ───」と思った。
そうだ。最近は、思い悩む日々が続いていたのだ。
蒼太くは少し考えて、首を横に振った。
「もう、大丈夫です」
そして、浜田に、笑顔を向けた。
ふと、後ろに人の気配を感じて、蒼太は振り返った。
「あっ……」
蒼太は、立ち止まった。
「兄ちゃん」
目が合っても、勇人は特に反応を見せることはなかったが、蒼太と同じ位置にやってきたところで、「お前」と蒼太のことを見た。
「あいつらに、話すのか」
「えっ?」
一瞬、なんのことか分からず、蒼太は目を見開いた。
しかし、直後に、自分がメンバーに話していないことはあれしかないということに気が付いた。
「えっと……」
蒼太は考えた。どうしようか、考えてきていなかった。
そうして、頭に浮かんだ答は───。
「今はまだ……いい、かな」
蒼太はそう答えて、「あっ……」と声を上げた。
「みんなといると……色んなことが起こるから……"絶対今"ってわけじゃなくて、話せるタイミングが来たら、話そうかなって……」
結局、曖昧な答になってしまった───でも、それでも、これが自分の答なのだ。
勇人は、何も言わなかった。
何も言わずに、視線を前に向けて、歩き出した。
蒼太は、心がじんわりと暖かくなるような気持ちを感じながら、その後に続いた。
10月───蒼太は、あの2週間を振り返った。
きっと、あの時間は、あの言葉は、あの気持ちは、自分の人生の中で、決して忘れることのできない思い出になる。
Jは、捕まった。警察の手によって、捕らえられた。
そしていずれ、法で裁かれる。
その運命は、変えることができない。
蒼太は、決めた。
Jさんは、いついなくなるか分からない。ただ、それまでの間、また、いつでも会いに行こう。会って、話をしよう。互いに、言葉を交して、同じ時間を過ごそう。
それが、Jにとっても、自分にとっても"幸せ"だと、蒼太は思う。
(後……それから……)
蒼太は、そっと隣を歩く勇人を見上げた。
(兄ちゃんとも……ちょっとずつ、何でも話せるようになりたい)
Jの言葉の通り───あの言葉が、叶うように。
そう、思った直後。
蒼太は、「えっ……?」と驚くことになった。
勇人が、不意に、足を止めたのだ。
「どうしたの……?」と問う前に、蒼太は、前方を向いていた。
そうして、はっと息を呑んだ。
───少女が立っていた。
ビル群へと続く、立入禁止の看板を背に、こちらを向いている少女に、蒼太は見覚えがあった。
(あの……人……)
"植物、好きなの?"
9月のある日───蒼太が並木道で出会った、あの、幻想的な髪と瞳の少女だ。
少女は、ふっと、蒼太の記憶に張り付いて離れない、謎めいた笑みを浮かべた。
そして、少女は、口を開いた。
「久しぶりだね、勇人」
(第7章 完)
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