October Story31
全てを終わらせる───そう決意したJは、最後の殺人へと向かう───。
彼にとって、自分が"殺し屋"だと口にするのは、何よりの苦痛だった。
自分の人生は、殺し屋によって狂わされた───奴らが存在しなければ、私の人生は、こんなものにはならなかった。彼にとって殺し屋は、恨んでも恨みきれない存在なのだ。
そんな存在を、自分自身が名乗ること───奴らと同類であると認めること。それは、死より辛いことだと、彼は感じていた。
ただ、ある時、こんなことを悟った時があった。
私は、もう、"人間"ではないのだ。
人を殺してしまった。
人の命を奪ってしまった。
ある人の人生を終わらせてしまった。
それを、もう何度も繰り返してきてしまった。
そうしている内に、人間の道を踏み外し、自分が何者なのか、分からなくなってしまった。
───そうしておけばいいのだ。
だから私は、殺し屋ではない。人間ではない生物に、"殺し屋"などという概念はない。
ただ───彼は思う。
今、この瞬間、私はどうしようもなく人間だと。
人を恨み、自分にできる確実な方法で、その恨みを晴らそうとしている。これは、人間が考えることだ。
人間というものは、"恨み"という感情を持った唯一の生命体だ───そう、彼は考えていた。
自分の不幸を、人は、何か、もしくは誰かのせいにして生きる。その道を辿り、他人を傷付け、自分自身を崩壊させてしまった人間を、彼は見たことがあった。
そして、その時に、思った。
息子には、ああなって欲しくない───と。
その時、彼は息子の現在が、"幸せ"に溢れたものではないことを知っていた。今、息子は、誰かを恨みながら、その感情をどこにぶつけたらいいのか───苦悩しているのではないか。
そう思って、彼は、こう祈った。
───恨むのなら、私を恨んでほしい。
息子の感情が黒く膨らんで、誰かを傷付けてしまう前に、私という存在を、ただひたすらに、強く恨んでしまえばいい。
そう───思ったから。
彼は、この殺人計画において、息子が自分を強く嫌悪し、蔑むように、"完全なる悪"になることにした。
最初に、復讐に無関係な人間を殺害し、警察を挑発するような言葉を投げかけた。姿を目撃された4人目を殺すでありながら"お前らがヒドゥンストリートに来ないと殺す"と偽って脅迫した。ヒドゥンストリートに誘い込んだ間に4人目を殺害し、"止められなかった"という思いを味あわせたかったように仕向けた。そうして、2人目と4人目の遺体を発見させる。
自分で吐き気がするほどに、最低最悪の計画だ。
それでも、息子のためを思うと、やめるわけにはいかないと思えた。
今も───そうだ。
(その、はずだ……)
彼は、歩いていた。
誰もいない道を、ただ1人、進んでいた。
この道を進んだ先に、奴がいつも決まった時間に車を待つ場所がある。奴の行動パターンをこの1年間、調べ通したからこそ分かる。
奴の姿が見つかったら、後ろから近付いて、ロープで首を締めて、殺す。
使ったロープはそのままに、証拠が、残るように。
確実に、警察に捕らえられるように。
彼は、コートの中を探った。
指に、麻縄の感触を感じた。
(このロープも……もう、使わなくていいんだな)
紫色のロープ───これは、彼のことを陥れた同僚が用いていた凶器だった。「俺たちのことを忘れないように、ずっと持っていろ」───そう言われて、持ち続けた。
そうして、これを見る度、妻と、息子のことを思い浮かべた。
妻は、このロープで殺されたという。
息子は、このロープで殺された妻の姿を見たという。
このロープで、人の命を奪う時、彼はいつも、涙を流さずにはいられなかった。
ごめんな───全部、私のせいだ。私は、お前たちを守ることができなかった。お前たちの幸せを、守ることができなかった。
もうすぐ訪れる、最後の殺人。
私はその時、何を感じ、何を思うのだろう───彼は、ロープを取り出した。
奴の姿が、見えてきた。
相手に一切の気配を感じさせないのは、長年で培った彼の技能だった。今回も、それが功を奏した。
「───ゔっっ!!」
男の鈍い声が響いた。
首に通したロープに、彼はありたけの力を込めた。
これで終わりなんだ。
これで、終わりにするんだ───。
手に、ドクン、と鼓動が伝わってきた。
男の詰まったような喘ぎを聞きながら、彼はロープを引いた。
その時───。
"殺さないでください"
声がした。
彼は、はっとした。
思い浮かんだのは───あの子の顔だった。
彼の手の中から、ロープがすり抜けた。
目の前の男が地面に向かって倒れていく。
直後───ドン!と彼の背中に、衝撃が走った。
殺そうとした男と同じように崩れ落ちた彼は、強い力で地面に身体を押し付けられた。
「動かないで」
凛とした、女性の声がした。
警察だ───そうか、見つかったのか。
首筋に、僅かな痛みを感じた。
朦朧としていく意識の中、彼は、背後に、もう一人の気配を感じた。
彼は、目を後ろに向けた。
そこに───男性のシルエットが、ぼんやりと見えた。
顔が見えたわけではない。
声を聞いたわけでもない。
それでも───彼は、彼が何者なのか、はっきりと分かった。
「亮助……?」
彼は、息子の名を呼んだ。
薄れていく意識の中では、その声が届いたのかどうか───そこまでを知ることは、できなかった。
※
「終わったみたいだねー」
窓の外を見つめて、主は言った。
主が見つめる先には、深い闇が広がっている。
「悲しい復讐劇。見応えはあったけど、見てて楽しいものではなかったね〜」
感想を述べて、主は振り返った。
「愛っていうのはさ、絶大な力を持っているよね」
主は、言った。
「愛は人を変えてしまうんだよ、寿樹」
主は寿樹の元へと歩み寄ってきた。
「愛を知ると、人間は、優しくなれる。愛されるっていうのはね、同時に、愛することを学ぶことでもあるんだよ」
寿樹は、口を開きかけて、寸前で止めた。
あなたに出会って、僕は人に愛され、人を愛することを学びました───そんな言葉は、自分のような存在が、この人に向けて発してはいけない。
「でも、私、思うの」
主は寿樹の目の前で、くるりと身を翻した。
「私に、愛する人がいたとする。私は、その人のことを愛してやまない。その人のためならなんでもできる。自分を犠牲にしたっていい───そのくらい、愛する人がいたとする。だけど───」
主の目は、僅かに下の方に向いている───背後に立った寿樹には、そう見えた。
「私が愛する人は、それで、"幸せ"なのかな」
主は、言った。
窓の外に見える、深い夜の中に投げかけるように。答がないとわかっている問いかけをするように。
寿樹は、答えることができなかった。
何と言葉を返せばいいのか───分からなかった
迷い、躊躇う内に、主が振り返った。
その顔には、何処か裏を秘めたような───本心を偽るような微笑が浮かんでいた。
「"幸せ"って、何なんだろうね」
※
「亮ちゃん」
舞香の声に、亮助は顔を上げた。
「取調、私に担当させて」
舞香は明るい声で、そう言った。
「ああ……悪い」
反射的にそう返した亮助の肩を、舞香がポンと叩いた。
「亮ちゃん、口下手なんだから私がやった方がうまく行くでしょ?」
舞香はそう、笑顔を見せた。亮助が数日ぶりに見る、舞香の笑顔だった。
「時間は、1時から、だったか?」
亮助は時計を見上げた。
「うん。その予定だよ」
午前11時───まだ、時間がある。
亮助は立ち上がった。
携帯電話を持ち上げると、舞香の視線が向いた。
「蒼太くん?」
問われて、亮助は「ああ」と頷いた。
「連絡してみる。きっと、"会いたい"と言うと思うんだ」
部屋を出て、蒼太の番号を探しながら、亮助は10月27日───あの日のことを思い出した。
「……亮ちゃん」
驚愕の目をした舞香は、自身の能力で見たものに、対し、こう口にした。
「……蒼太くんが……」
藤岡純一───10月28日の彼の行動の中に、公園のような場所で蒼太と話している姿を見たのだという。
亮助は「やっぱりか……」と答えた。
やはり、会いに行ったのだ。
「やっぱり……?どういうこと?」
舞香に問われ、亮助は「ごめんな」と答えた。
「お前に話すのは、もう少し後にしておこうと思っていたんだが───」
そこで亮助は、蒼太が藤岡純一と知り合っていたことを舞香に告げた。
「"もう一度、会って話したい"───そう、蒼太が言っていたんだ」
亮助は、そう語った時の、蒼太の真っ直ぐな瞳を思い出しながら言った。
「それを俺たちが邪魔するようなことは、してはいけない───そう、思ってしまった」
亮助は「ごめんな」と、もう一度、舞香に謝った。
「蒼太が叶えるまで───もう少しだけ、待ってくれないか?」
すると───舞香は、ふっと柔らかい目をして、言った。
「亮ちゃん、だめだよ」
舞香は首を横に振った。
「警察官として、失格」
「だけど」と舞香は優しい声で言った。
「親としては、それが正しいと思う」
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