October Story30
Jの最後の告白に隠された真実とは───?
10月27日。午前10時。
「舞香」
亮助は特別組織対策室のドアを開けた。
「おはよう。遅かったね」
パソコンの画面を見つめていた舞香が顔を上げた。
「ああ、悪い。探しものをしていたんだ」
「探しもの?」
首を傾けた舞香に、亮助は「これだ」と手に持っていた封筒を差し出した。
「俺の父親の名前が、中に入っている」
亮助は言った。
「俺は記憶もろとも消してしまったし、殺し屋になった人間だ、戸籍からも消されていた。ただ、一つだけ、あったんだ。母の遺品の中に」
舞香が目を上げて、「見てもいい?」と問いかけてきた。
亮助が頷くと、舞香は封を開けた。
「これ……」
舞香は中身を取り出して、声を上げた。
「指輪……?」
舞香の掌に光る銀色の指輪を見て、亮助は「婚約指輪だろうと思う」と答えた。
「内側に、名前が掘られてるんだ。古い時代のものだからかもわからないが、漢字で書かれている」
舞香が天井に向けて指輪をかざす。
「本当だ……」
舞香は頷いた。
「───純一、美雪って書いてある」
「俺の今の名字は、母の旧姓から取ったものだから、結婚時の母の名前───藤岡姓を当てはめると、藤岡純一になる」
亮助は「舞香」と呼びかけた。
「見てみてくれないか?藤岡純一───俺の父親の、行く末を」
舞香は「分かった」と、すぐに頷いた。
藤岡純一───舞香が紙に書いた名前を、亮助は見つめた。
舞香の能力によって見える未来───1日後、父は、どんな未来を歩んでいるのだろうか。
舞香が紙を手に持つ。そして、茶褐色の目が、同色の光を放つ。その様子を、亮助はただじっと見つめていた。
「……亮ちゃん」
しばらくして、舞香が、亮助を呼んだ。
「どうした?」と問おうとした亮助は、舞香の目に、大きな驚愕と動揺が浮かんでいるのを見た。
※
10月28日。
学校を終えた蒼太は、真っ直ぐに、橘公園へと向かった。
日が暮れるまで、後どのくらいの時間があるのだろう───空を見上げて、蒼太は考えた。
日に日に秋が深まっているこの頃は、外が暗くなりだすのが早い。今はまだ青いこの空も、後2時間もしたら見えなくなってしまうのではないだろうか。
遊歩道───木々の間を通りながら、蒼太は強く、決意を固めた。
日没まで───今日は、その約束はなしにしよう。帰りが遅くなって父に怒られたっていい。何時間掛かったっていい。Jと全てを話しきるまで───今日は、帰らない。
木々の間を抜けると、あの池が見えてくる。
蒼太はあの日───Jを初めて見かけた日、Jが立っていた場所を見つめた。
そして、立ち止まった。
そこに、Jがいた。
あの日と同じ服装で、あの日と同じ方を向いて立っている。
今日は、ベンチじゃなかった───蒼太は、その姿に近付いた。
「───Jさん」
呼びかけると、Jは、ゆっくりとした動作で、蒼太に顔を向けた。
そして、じっと蒼太を見つめ、悲しそうな目をした。
「……来て、くれたんだな」
いつしかと同じことを、Jは言った。
そこからは、互いに切り出すタイミングを探るような沈黙が訪れた。
蒼太が話しだそうと息を吸った時、
「……あの日」
と、Jが口を開いた。
「私は……見てしまったんだ。……君が持っていた、手帳の中身を」
手帳───?考えて、蒼太は、直後に、はっとした。
「"ASSASSIN"の、メンバーなんだな……君は」
Jは、分かっていながら確かめるような口調で、そう言った。
蒼太は「……はい」と、頷いた。
「だから……なんですね」
蒼太は、Jの目を見つめた。
「ぼくが、"ASSASSIN"のメンバーだって知って、"一緒にいられない"って思ったから……あの日、Jさんは……」
Jが、目を開いた。
「もう……知って……るのか?」
Jが呟くような声を漏らした。
「私の、正体を……」
蒼太は、目でJに答えた。
Jは、蒼太の視線から逃げるように、目を逸らした。
「……それを知って、どうして……会いに来てくれたんだ……?」
問われて、蒼太は、深く、息を吸い込んだ。
「……Jさんと、話したいと思ったからです」
Jの目が動き、蒼太の目を捉えた。
「聞かせてください……Jさんの話の続き」
※
2人は、あのベンチへに座った。
「……ある時から、私の人生は、悪夢のようなものに変わった」
そう、Jは切り出した。
「その、ある時というのは……今から40年前のことだ」
Jは、ぽつりぽつりと、言葉を地面に落とすように語り始めた。
「それまで、私は、妻……美雪と、息子との3人で、これ以上ない幸せな生活を送っていた。家族3人、このまま仲良く暮らしていくことができるなら、私は、他に何もいらない───そう、思っていた」
Jは「……だけどな」と、目を深く伏せた。
「その願いは───叶わなかった。……叶わなくなってしまったんだ……」
苦しそうに、辛そうに、Jは言った。
「当時……私は、小さな町工場で、事務の仕事をしていた。ある日……職場に忘れ物をしたことに気付いて、一度会社を出てから、取りに帰ったことがあったんだ。その時……、隣の席の同僚の、机の上に目が付いて」
そこに、一枚のメモ用紙が置かれていたんだ───。
「チラリと見えただけだった。なのに、気になってしまった。そのメモ用紙が、あまりにもビリビリで、ボロボロで……とてもじゃないが、真面目でそつなく仕事をこなす同僚が書いたものだとは、思えなかったんだ。一体、誰が何を書いたものなのか、確かめてみたくなった……」
そして、Jは、それを手に持った。そこに書かれた文字を、読んだ。
「"25時、いつもの場所で会おう。銃を、忘れるなよ"」
Jはそこで、蒼太を見つめて、
「……殺し屋だったんだ、同僚が」
また、すぐに、目を伏せた。
「最初は……分からなかった。殺し屋という存在を、当時の私は知らなかった。ただ……冗談が書かれているとは、思えなかったんだ。……どうしていいのか分からないまま、私は、メモを置いて、その場から離れた」
Jはそこで、言葉を止めた。
その肩を見つめて、蒼太ははっとした。
Jの肩は、小刻みに震えていた。
その肩に手を触れようとした時、Jが「それから……」と口を開いた。
「気付いたら……私は、知らない場所にいた。牢屋のような鉄格子の部屋で、仰向けに寝かされていた。何が起こったのか分からない私に、"お前が悪いんだ"と、声が掛かった。……同僚の声だった」
Jは、更に細くなった声で、そう言った。
「同僚は、私にこう告げた。"お前が目にしたあのメモ紙は、俺のボスからの指令なんだ。どうせ誰も戻ってこないだろうと置いていったのに。偶然とは言え、見られたからには、ただで帰すわけにはいかない。それが、俺ら殺し屋の世界のルールなんだ。お前には罰を受けてもらわなければならない」
Jは、声がそれ以上震えないように、必死に耐えているようだった。
「罰と言われて、私は……こう言ってしまった。"家族に手を出すのはやめてくれ"……と」
「……ただ、それが間違いだった」と、Jは深く、項垂れた。
「……数日して、"お前の嫁を殺した"と……そう言われた」
蒼太は、目を見開いた。
「……同僚が所属していた組織のリーダーによる指示で、同僚がやったらしい。……"家の柱にロープで首を吊らせて"……」
Jはそこで言葉を止め、ぶるぶると首を横に振った。その先を口にはできないのだと、蒼太は悟った。
「……"お前が殺したことにしてやる。凶器には、お前の指紋を付けておいた。お前が殺し屋になった証拠として、手紙を書いて送ってやる"……そう、奴───組織のリーダーは、言った。そんな中、私は、"殺し屋になんてなりたくない"と言った。……もしかしたら……美雪はまだ生きてるんじゃないか。私を脅すために、そんなことを言ったんじゃないか。……"殺すなら、私を今ここで殺してくれ"……そう、言ったんだ」
「そうしたら……」と言ったJの顔に、深く、影が落ちた。
「……"子どもに手を出すぞ"……と、そう言われた……」
「蒼太くん……」と、Jが蒼太を呼んだ。
「私が殺し屋になったのは……殺し屋として生きてきたのには……息子の存在があったからなんだ」
息子───Jが絵を遺したいと語った人。
「私が命令に背けば……上の人間は息子に何かをするかもしれない……。私が死ねば、その後……息子に何かあるのではないかと……そう思うと、死のうにも死ねなかった」
そうして、私は、人を殺しながら、ここまで生きてきてしまった───そう、Jは言った。
「ただ……私を支配していたり人間たちは、私より、先に死んでいった。……5年前、私が殺し屋になった理由を知る者は、全て、いなくなった。……私は、その時に思った。もう、私がこの世に存在する意味はない。殺し屋として生きる意味も、もうない。ならば……死んでしまおう……と。ただ……自死を選ぼうとは思えなかった。そんな楽な道を選ぶ資格なんてない───私は……それだけの人の命を奪ってしまったんだ。……そうして、自分の人生と、死について考える内……私は、息子のことを知ったんだ」
Jは「息子は……」と、その存在を思い浮かべているかのような口調で言った。
「とある殺し屋組織によって、苦しめられていた。……人生を狂わされるほどの状況に、追い込まれていた」
Jはそこで、視線を上げた。
「私は……それを知って、決めた」
その目は、遥か遠くを見据えていた。
「私は死に際して、息子のために"殺し"を行おうと。……それが、私が、10月17日から10月31日までの2週間で計画した、殺人なんだ。私は……2人の男を殺そうと決めた。その男たちは、息子を苦しめた組織の重要人物で、あの計画に深く関わっていた者たちだった。もう……既に1人殺した。……後は、もう1人だ」
Jは、深く、憎しみの篭った声で、そう言った。
「これは……息子のための、復讐なんだ」
蒼太は、Jの膝の上の手を見つめていた。その手が、深く───Jの爪がJの掌に食い込むほどに握られるのを見た。
Jが、ゆっくりと、蒼太に視線を向けた。
「……止めないでくれ」
Jは、静かに言った。
「10月29日───明日……私は、最後の1人を殺す。……必ず、この手で、殺してみせる。……それで、全てを、終わらせる」
Jは、そっと、音を立てずに、立ち上がった。
「……ありがとうな、蒼太くん」
Jは、そう───頭を下げた。
「君に出会えて、本当によかった。……短い間だったけれど、君は……私に、"幸せ"を見せてくれた。長らく忘れていたものを、思い出させてくれた。……本当に、本当に───」
「───聞きたくないです」
Jが、はっと息を呑む音を、蒼太は聞いた。
「……聞きたくないです」
蒼太は、同じ言葉を繰り返した。
見開いた目をしたJに向かい、蒼太は、首を横に振った。
「Jさん……そんなお礼だったら、いらないです」
蒼太は、様々な感情が混ざりあった物が沸々と沸きあがって外に出そうになるのを感じながら、声を抑えて言った。
「Jさん、言ってましたよね」
蒼太は、逸らさないように、強く、真っ直ぐに、Jの目を見つめた。
「息子さんに、自分の人生を描いた絵を、見せてあげたい……って。ぼく、Jさんは、息子さんのことが、本当に……本当に大切で、だから───"絵を遺してあげたいんだな"って、そう思いました。だけど───"今の"Jさんから絵を受け取っても、息子さんは、喜ばないと思います」
蒼太は、Jの悲痛な色をした瞳を見て───とてつもなく、悲しい気持ちを感じた。
「復讐なんか……やめてください」
蒼太は、言った。
「そんなことしたって……誰も───息子さんも、Jさんも、亡くなった奥さんも……誰も、幸せになんてなりません」
辺りに、風が吹いた。サァーッ……と、音がした。
Jは、そのまま、石像になってしまったかのように、動かなかった。
蒼太はその姿から、目を、離さなかった。
どれくらい時間が経っただろう───実際には、5分にも満たない間だったが、蒼太には永遠のように、果てしなく感じられた。
「……そうか」
Jが、声を上げた。
その目は、虚ろだった。
空洞のような瞳が、蒼太に向いていた。
「だけどね、蒼太くん」
Jが言った。淡々と、ロボットのような口調で。
「殺さないと、これを───この悪夢を、終わらせることはできないんだ」
Jは、蒼太に、背を向けた。
「……さようなら。もう……会えないね」
Jは歩き出した。
蒼太の存在を、感じていないような背中で。ただ、声だけは、悲しい音をしていた。
蒼太は、その背中に向かって、息を吸い込んだ。
「殺さないでください」
そう、蒼太はJに呼びかけた。
Jは、振り返ることも、立ち止まることも、しなかった。
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