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”ASSASSIN”—異能組織暗殺者取締部—  作者: 深園青葉
第7章
168/342

October Story12

徐々に近づいて行く2人の距離と、少しずつ過ぎていく時間───。

 10月20日。午後3時30分。


 蒼太は、たちばな公園の門をくぐった。


 この日も、葵に「用事があって……」と告げて帰り道の途中で別れてしまったのだが、これがしばらく続くことを思うと、葵には詳しい事情を話すべきかもしれないと思えてきた。


(……でも……、悪いことしてるわけじゃないし……)


 このことは心の中に留めておきたいと思ってしまう自分がいることも、蒼太は知っていた。


(何だろう……。何でなんだろう……)


 葵に知られたくないわけではない。そういうことでは、決してない。


 遊歩道を歩きながら、蒼太は考えた。


(葵なら、"そうなんだ!"って笑顔で言ってくれる……分かってるのに……分かってるけど……)


 池が見えてきた。


 遊歩道を曲がると、あのベンチがある。


 そこには、今日も、あの老人がいた。


 一昨日会った時と全く同じ格好で、一人で座っている。


 その姿を見た瞬間、蒼太は思った。


 この人のことは、ぼくだけが知っていたい───と。


 そっと近付いていくと、Jは、顔を向けた。


「おかえり」


 そう、Jは言った。


 思いがけない言葉に、蒼太は「あ……」と声を上げてしまった。


 家族ではない大人の人に、「ただいま」と言葉を返すのはどうかと思い、曖昧に頷きながら、蒼太は、Jの隣に座った。


「あっ……あの……」


 蒼太はあたふたと鞄の中を探った。


「絵……描いてきた……んですけど……」


 クリアファイルから画用紙を取り出す指は、緊張から、少しだけ震えた。


 差し出すと、Jは深く皺のよった手で、受け取った。


(どうかな……?気に入って、くれるかな……?)


 蒼太は、不安と期待で、胸がドキドキするのを感じた。 


 Jはじっと、絵を見つめて、顔を上げた。


「───ありがとう」


 Jは言った。


 その目は、とても、柔らかかった。


「家族との思い出が蘇るようだ。本当に、本当にありがとう」


 ありがとう───繰り返されたその言葉には、強い思いが篭っていた。


 蒼太は、その目に向かって頷いた。


 ほっとした。嬉しかった。


 自然と、意識することなく口元が笑顔の形を作るのが分かった。


 蒼太が描いたのは、古い家の茶の間で、家族6人───父親、母親、子ども4人が鍋を囲んでいる絵だった。


 Jが12歳の誕生日に食べたというすき焼きの思い出を描いたのだ。


(喜んでもらえてよかった……)


 Jは蒼太が渡した絵を丁寧に丸め込み、コートのポケットから取り出したゴムのようなものを掛けた。


 そして、蒼太を見た。


「話の続きを、しようか」


「父が亡くなったと聞いた時、私は、すぐに信じることができなかった」


 Jはそう語りだした。


「それは、兄妹みんなも同じだった。父は、もうこの世に存在しない───そんなはずはない。だって、昨日、一緒に、美味しいすき焼きを食べたじゃないか。今日の朝だって、学校に行く自分たちに、"気を付けて行ってくるんだよ"と手を振ってくれていたじゃないか。なのに、突然いなくなるなんて、そんなこと」


 Jは、そこで言葉を止めた。


(そんなこと……)


 蒼太はJの言葉の続きを想像しようとした。


 そうすると、母のことが思い出して、胸がきゅっと苦しくなった。


 Jは、そっと口を開いた。


「そんな私たちを支えてくれたのは、母だった。母は、私たちにこう言ったんだ」


 "父さんは、人を笑顔にするのが大好きな人だった。だから、笑おう。父さんのために"


「私たちは、その言葉の通りにした」 


 Jは言った。


「暗いことは考えないようした。父が見てくれている───そう思うと、暗い顔なんてしていられなかった。どうにかしてでも、笑顔を見せたいと思ったんだ」


 Jは「……私は」と言葉を継いだ。


「母のことが何より心配だった。母は、父がいなくなったしまって、たった1人で私たち兄妹を育てることになった。……大切な人の死を、悲しむ時間など与えられぬまま」


 顔を伏せて、Jは言った。


「私は……母が大変な思いをしているのを知っていながら、"大丈夫?"と声をかけることができなかった」


 Jのその口調には、深い悲しみと後悔が滲んでいた。


「"大丈夫?"と聞けば、母は無理してでも"大丈夫"と答えるだろうと思っていたんだ。そうしたら、私たち子どもは、それ以上踏み込んでいけない。……そう、思っていたんだろうな」


 Jの横顔は、とても暗いものだった。その目が向く先には、地面に落ちた1枚の枯れ葉があった。


「今思えば……声に出しておけばよかったと、後悔している」


 風が吹いた。


「ある日の、夜だった」


 風が、枯れ葉を何処かへと運んでいく。


「母が、入浴中に気を失ったんだ」


 Jは直後に、「いや……」と頭を振った。


「気を失ったのか、眠ってしまったのか……その辺りは、はっきりとは分からない」


 その日、母親が風呂場から中々出てこないことを心配した私は、風呂場のドア越しに母を呼んだ。しかし、返事はなかった。何度呼んでも、母は応えなかった。私はドアを開けた。母の姿はなかった。浴槽たっぷりに水が張っていた───Jは、そう語った。


 蒼太は、息を呑んだ。自分がこの瞬間、悲痛な目をしていることが、はっきりと分かった。


 Jは蒼太の目を見て、「そうだ……」と呟くように言った。


「母は……浴槽に沈んでいた」


 蒼太は、一体どんな言葉を返していいのか───分からなくなった。


 ただ、こんなにも悲しい話があっていいのかと思うことしかできなかった。


「……私が母を気遣うことができていたら、母が亡くなることはなかったかもしれない───そう思うと、私は自分が許せなくなった」


 Jは感情を押し殺すような声で言った。


 その言葉に、蒼太は首を振ろうとした。


 そんなことはない───そう、言ってあげたいと思った。


 しかし、蒼太は何もできなかった。


 何も、言えなかった。


 そうして、重く苦しい沈黙が何分続いただろう───不意に、Jが視線を上げた。


「辛い話ばかりで、すまない」


 Jは、そっと、頭を下げた。


 そして、ゆっくりとした動作で立ち上がった。


「今日は、ここまでにしよう」


 蒼太は「あっ……」と声を上げた。


 まだ、ここに来てから1時間も経っていないというのに───もう、さようならを言わなくてはいけないのだろうか。


 そう、思った時。


「向こうで、何か売ってるみたいだな」


 Jが視線を遠くに向けて、そう言った。


「えっ……?」


 蒼太は、その視線を追おうとした。


 Jは蒼太を見つめて、僅かに首を傾けた。


「見に行ってみるかい?」


 その誘いに───蒼太は、こくりと頷いた。


 ※


 園内の端にあるイベント広場には、Jが言った通り、フードトラックが停まっていた。


 遠目から眺めてみると、列に並んでいた制服姿の女子高生2人組が店員から商品を受け取る様子が見えた。


(クレープ屋さんだ……)


 蒼太は女子高生が手に掴んだものを見て気が付いた。2人は同じものをそれぞれの手に持ちながら、並んで向こうの道へと歩いていった。


 トラックの横には何人かが列を作っており、この店の人気ぶりを物語っているようであった。


(このトラック、いつも来てるのかな……?)


 知らなかった───と、蒼太は思った。


 この公園を訪れるようになってしばらく経つが、微かにでも、その存在を感じてきていなかった。


(それはたぶん……ぼくがこっちの方には来ないからだと思うけど……)


 常に人が密集しそうな場所を避けて行動している蒼太にとって、"イベント広場"と言う名のこの場所は、この園内で最も距離が遠い場所だった。


(だけど……Jさんは、知ってた……)


 そう思って見上げてみると、目が合った。


「買ってあげようか?」


 そう問われて、蒼太は「えっ?」と目を開いた。


 Jが向いた先には、フードトラックがあり、何のことを指しているのか、明らかだった。


 蒼太は「あっ……」と、首を横に振った。


「いらないのか?」と、Jが首を傾けた。


 重ねて問われて、「え、えっと……」と蒼太は迷った。


(買ってもらうの申し訳ないけど……)


 でも……と思った時、蒼太は胃が微かに音を立てて疼くのを感じた。


 その音が聴こえたのだろう。


 見上げると、Jは「わかった」と頷いた。


 その目は、微かに笑っていた。


(クレープ食べるの……いつ振りだろう……?)


 ベンチに座りながら、蒼太は考えた。


 小さい頃、母に連れられて遊園地に行った以来かもしれない。まだ小さかった蒼太は、1つを1人で食べきることができなかったため、母と2人で1つを食べた思い出があった。


「いただきます……」 


 蒼太はJに頭を下げて、クレープを口に運んだ。


「美味しいか?」


 Jに尋ねられて、蒼太は頷いた。


 本当に、美味しかった。久しぶりに食べるからこそ、余計に味わい深く感じるのかもしれないと思った。


 蒼太が食べ終えるまで、Jはじっと座っていた。


「ありがとうございます……」


 食べ終えて礼を言うと、Jは「構わん」と首を振った。


 そして、チラリと蒼太が隣に置いた鞄に目をやった。


「今日は、幾分か軽そうだね」


「あっ……今日は……教科書を使う授業が少なかったから……」


 Jは納得したように頷き、蒼太の目を見つめてきた。


「学校は、楽しいか?」


 そう問われて、蒼太は「えっと……」と、学校での生活を思い浮かべた。


「友達に会えるから……楽しいです」


 友達───葵のことだ。


 Jは「そうか」と目を柔らかくさせた。


「勉強は、好きな方か?」


 その問いに、蒼太は「嫌いではないけど……」と言葉を返した。


「好きっていうわけでも、ないです……」


 すると、Jが笑った。「ははは」と声を上げて笑った。


 蒼太は、僅かに驚いた。


「Jさんって、こんな風に笑うんだ……」───そう思った。


「そうだよな。大概は、そうだ」


 Jはそう言って頷いた。


 そして、直後に、目を真っ直ぐなものに変えた。


「だけれど、勉強は、頑張っておいた方がいい。損することなんて何もない。知識というものは、いくつ持っていてもいいからな」


 それは、蒼太のことを諭すような口調だった。


(Jさんも……勉強、好きじゃなかったのかな……?)


 蒼太の頭に、そんな問いが浮かんできた。


 勉強をあまりしてこなかった自分を悔やんで、アドバイスしてあげよう───そう、思ったのだろうか。そんな気が、蒼太にはした。


 前を向いたJの横顔を見つめて、蒼太はふと、こんなことを思った。


(そう言えば……Jさんって……)


 "私は、もう先が長くない。けれど、後世に遺すものを何も持ち合わせていないんだ。何かないかと考えて、自分の人生を絵に残したいと思った"───初めて話した日、Jが言った言葉だ。


("誰に"……絵を残したいって、思ってるんだろう……?)


「あっ、あの……、J、さん……?」


 呼びかけると、Jが視線を向けた。


「Jさんって……一人暮らし、なんですか……?」

 

そう問いかけると、Jは、頷いた。


「そうだ。一人で暮らしている」


「じゃ、じゃあ……」


 続けて、蒼太が問いかける前に、


「誰に絵を残したいのか───か?」


 先に、Jが言った。


 蒼太は、その目にはっとした。


 Jは、あの───悲しそうな目をしていた。


「あっ……いや……あの……無理して言わなくても……」


「大丈夫です……」と言おうとした声は、Jの呟きによって遮られた。


「……息子だ」


 Jは池の方に目を向けて言った。


「私の、息子なんだ」


 蒼太は、その横顔を見つめた。


(息子……)


 そんな、身近な存在を口にする顔付きを、Jはしていなかった。


 これ以上、踏み込んではいけない───蒼太は、口を閉ざした。


 そうすると、2人の間に、長い沈黙が訪れることになった。


 蒼太は、Jが話し出すのを待った。


 Jは、視線を下に向けている。


 蒼太は、空を見つめた。


 "2週間中、私は、日没まで、ここにいる"───そう、Jは言っていた。


 日没まで、後どのくらい時間があるのだろうか───。


「すまない」


 その声に、蒼太は顔を向けた。


「日没までまだ少しあるが、今日は、ここまでだ。私はこの後、用事があってね」


 Jの目は、蒼太を見つめていた。


「今日は、ありがとう」


 Jは立ち上がって、頭を下げた。その手には、丸めた画用紙が握られていた。


「あっ……いえ……」


 蒼太は首を横に振った。


「ぼくの方も……ありがとうございました……」


 そう告げると、Jは、「ああ」と頷いて、目元を柔らかくさせた。


「じゃあ、またな、蒼太くん」


 そう言って、Jはシルクハットのつばを抑えた。


 蒼太は「さようなら……」と答えて、Jが歩いていく姿を見送ることにした。


 Jは振り向くことなく、向こうの道へと歩いていった。

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