October Story7
出会ったばかりのJに対し、蒼太は、不思議な感情を抱き始め───?
「私は、73年前、この町に生まれた」
Jはそう語りだした。
「当時のこの町は、今よりもずっと田舎で、私の家は農家だった。小さい乾拭き屋根の家で、父と母と、兄と姉と妹との6人家族だった。家は決して裕福ではなかったが、それでも、家族みんな、仲良く暮らしていたんだ」
蒼太はその言葉をメモに記した。
「特に、父と母は、目に見えない強い糸のようなもので結ばれているような気が、私にはしていた。父は母を愛していたし、母は父を愛していた。父と母は、本当に素晴らしい人たちだった。そんな2人が互いに愛し合い続けていること───これこそが、幸せの形なのだろうと、幼いながらに感じていた」
蒼太はペンを動かす手を止めて、頷いた。
(Jさんが今、73歳ってことは……お父さんとお母さんは、もう、亡くなってる……のかな……?)
蒼太は、それを言葉にして確認することは、しなかった。
「家族との思い出は、楽しいものばかりだ」
Jは、すっと視線を上に向けた。
「一番の思い出は、12歳の誕生日の日だ。家族6人茶の間に揃って、テーブルを囲んで、すき焼きを食べた。すき焼きは、特別な日───年に数回しか食べられない料理だった。6人で下らない話をして笑い合いながら、野菜一つも残さずに食べきった」
Jが見つめた先には、青空があった。
「……それが、家族6人でした最後の食事だった」
蒼太は、Jの横顔を見つめたまま、声を出すことも、息を呑むこともできなかった。
「次の日、父が倒れたんだ」
Jは空に向かって言った。
「急病だった。畑で倒れていたらしい。母が気付いた時には、息をしていなかった」
蒼太は、自分が悲痛な目をしていることが分かった。
Jが蒼太を向いた。
「悲しい話で、済まない」
Jは言った。
「……だが、これが、私の人生なんだ。先に言っておくべきだったかもしれない───私が歩んできた道は、暗いものなんだ」
それは────心の何処かで理解していたような気が、蒼太にはした。
いや───実際は、理解したつもりなだけだったのかもしれない。
「第一の話は、この辺りにしておこうか」
Jは蒼太を気遣うように言った。
「他に何か質問があれば答えるが───これで、絵は、描けそうかい?」
蒼太はノートに目を落とした。
書かれた文字は、「誕生日に食べたすき焼き」で終わっている。
「……大丈夫、です……」
蒼太はJの目を見つめて、頷いた。
Jは微かに頷き返してくれた。そうすると、帽子のつばで、虚ろな目が隠れてしまった。
ゆっくりと、Jの目が蒼太にむけて戻ってきた。
「どうだい?1人で描いた方が、集中できそうか?」
蒼太は「あっ……」と声を上げた。
Jがこの場を去るという日没まで、まだ少しあるが、その時間内に描き終えられる自信は、蒼太になかった。
「あ、あの……明後日会うときまで……待っててもらっても、いいですか……?」
控えめに問いかけると、Jは「ああ、全く構わんよ」と答えた。
蒼太はほっとして、「ありがとうございます……」と頭を下げた。
そうして視線を上げると、Jが首を傾けていた。
「不思議な子だな、君は」
Jは言った。
「えっ……?」
思いがけない言葉に、蒼太は驚いた。
「絵を描いてほしいとお願いしているのは、私の方だというのに。私に礼をする必要など、ないんだぞ」
言われて、蒼太は戸惑った。
(そんなこと……ないと思うけど……)
むしろ、自分の方こそ、礼を言ってもらえるようなことは、まだ、何もできていない。
蒼太の反応を見て、Jは───ふっと、微かに笑った。
「優しい子だな」
その言葉とともに、Jは立ち上がった。
「今日は、ここまでだな。出口まで、一緒に行こう」
※
並木道を歩きながら、蒼太はJの横顔を見上げた。
(おじいさんだけど……腰曲がったりしてない……)
歩くスピードも、ゆっくりではなく、程よい速さだった。
(普段からこうやっと歩いたりしてるのかな……?)
蒼太が疑問を考えた時、Jが蒼太を向いた。
「家は、どの辺だい?」
「あっ……ええと……姫森神社っていう、神社の近くです……」
蒼太はいつも家の場所を尋ねられた時に使う決まり文句を用いた。
「姫森神社、か」
Jは葵の祖父が神主をつとめる神社の名を口にした。
「この時間に帰って、お家の人は、いるのか?」
蒼太は首を横に振って答えた。
「お父さんは……仕事で、まだ帰ってないと思います……」
そう告げると、Jが僅かに驚いたような目を見せた。
「お母さんは、いないのか?」
この反応には、蒼太の方が、驚いてしまった。
「は、はい……」と頷くと、Jは「そうか……」と答えた。
そして、そこから少し間があり、
「兄弟は、いないのかい?」
と、静かな声でJが問いかけてきた。
蒼太は「あっ……」と、答に迷った。
「えっと……」
今は一緒に暮らしていないけど……と、素直に答えてもいいだろうか。
(いや……そこまで詳しく話さなくても、大丈夫……かな……)
何せ、自分とJは出会ったばかりの関係なのだから。
「お兄ちゃんが1人、います……」
蒼太はこの答に対し、Jは「そうか」と、あの頷きを見せるのではないかと思った。
しかし───実際には違った。
「仲は、良いのか?」
そう問いかけられた。
蒼太は思わず、きょとんとしてしまったが、見つめたJの目が真剣なことに気が付いた。
「す、すごい仲良しっていうわけじゃないけど……、でも、悪いわけじゃなくて……、その……」
蒼太は目を泳がせた。
どういう言葉を用いれば、自分が勇人に対して思っていることが伝わるのか───自分の中にあるはずの答を探した。
「常に一緒にいたり、毎日言葉を交わすわけではないけど、特別な存在」
蒼太は、はっとしてJの目を見つめた。
「そんな感じか?」
Jは確認するように、問いかけてきた。
蒼太は、頷いた。
まさに、その通りだと思った。
Jは「そうなんだな」と答えて、視線を前に向けた。
その視線を追うと、並木道が終わりに向かっているのが分かった。
蒼太は、そのことに、寂しさを感じている自分に気が付いた。
Jさんと、もっと話していたい───蒼太は、この瞬間、確かに、そう思った。
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