October Story3
公園で絵を描く蒼太は、前日に見掛けた風変わりな老人から、声を掛けられ───?
彼は、木々間に作られた道を一人で歩いていた。
若いカップル、ジョギング中の男性───すれ違う人々は皆、彼のことを物珍しそうな目で見つめてきた。
その理由に自覚がある彼は、貼りつくような視線をもろともせずに歩き続けた。
気付けば、並木道は終わりを迎えた。
先に、塀に囲まれた、大きな池が見える。
彼は池に向かって歩いた。
塀越しに覗き込むと、昨日降った雨の影響か、水はどんよりと濁っていた。
ここに、この中に、生き物は住んでいるだろうか。
水中に住む者たちは、何を考えて生きているのだろうか。
そう考えた時、遠くから人の気配を感じて、彼は顔を向けた。
向こうの道から歩いてくる小さな姿が見えた。
少年だった。
おそらく、小学高学年くらいだろう。水色のパーカーに、七分丈のズボンを履いている。
前方にあったベンチに目を向けると、そこに腰を下ろした。
リュックを下ろし、中からスケッチブックを取り出す。
白い髪に、水色の瞳。
少年は開いたスケッチブックを見つめている。
彼は、じっと、その姿を見つめた。
("絵描きの少年"……か)
少年は、スケッチブックに真剣な眼差しを向けている。
その姿を見て、彼は思った。
"あの子"も、何かに夢中になる時は、いつも、あんな目をしていた───。
───その時。
彼の頭の中に、ある考えが降ってきた。
彼は、無意識の内に、歩き出した。
少年に向かって。
少年に、話しかけるために───。
※
足音に、蒼太は画用紙から顔を上げた。
そして、目を大きく見開くことになった。
つばの広い帽子。黒いコート。灰色のスーツ。
(昨日のおじいさんだ……)
老人は、真っ直ぐに、こちらに向かって歩いてきている。
気のせいだろうか───自分のことを見つめているような気がして、蒼太は老人から目を離せなくなった。
老人はゆっくりとした足取りで、蒼太に近付いてきた。
そして、ベンチの側で立ち止まった。
蒼太は、老人を見上げた。
話しかけられるのだろうか───と思った時、老人は体の向きを変えて、ベンチの空いているスペースに腰を下ろした。
ほっとした直後、蒼太は居心地の悪さを感じることになった。
絵を描き始めようと思っていたのだが、隣に知らない人がいる状態でやりたくないと思ってしまったのだ。
(でも……他の場所に移動したら、"人嫌いな子どもだな"って思われるかもしれないし……)
それは嫌だ───と、蒼太は思った。
だとすれば、今は我慢するしかない。
蒼太はそれなりに時間が経つのを待つことにした。立ち上がっても不自然ではないタイミングを探せばいいのだ。もしかしたらその間に老人がこの場を避るかもしれない。
蒼太はそれまでの間、過去に自分が描いた絵をそれとなしに眺めることにした。
パラパラと捲って、最初に「あっ……」と思ったのは、海の絵だった。
水色の空に、青い海。蒼太がこの町で一番好きな景色だ。
ページを捲る内、描きかけの絵に辿り着いた。
目の前にある───この公園の、池の絵だ。
そして、続くページには、昨日ここで描いたばかりの、黒い帽子の絵があった。
(描いてる内に思い出せるかなって思ったんだけど……)
結局、何も思い浮かばなかった。
秋の涼しい風が、辺りを流れた。
(あっ……)
不意に、蒼太の頭に、思い出された言葉があった。
("シルクハット"……)
「絵を描くのが、好きなのかい」
すぐ側で、しわがれた声がした。
蒼太は驚きのあまり、ビクッとその場で飛び上がった。
隣の老人が、じっと蒼太を見つめていた。
「絵を描くのが、好きなのかい」
同じ質問を繰り返され、蒼太は目を見開いたまま、おどおどと、頷いた。
「そうか」と、老人は答えた。
そして、老人は視線を僅かに下に向けた。
「少し、見せてもらっても構わないか」
蒼太は、その視線を追った。
そこには、スケッチブックがある。
「え……?あっ……え、ええと……」
蒼太は動揺した。
老人は蒼太を見続けている。
蒼太はあたふたと「あ……ちょ、ちょっと……」と返事をし、シルクハットが描かれたページをおぼつかない手付きで剥した。
「どうぞ……」という意味を込めて、蒼太は恐る恐る、老人にスケッチブックを差し出した。
老人はゆったりとした手付きでそれを掴んだ。
老人がスケッチブックを捲っている間、蒼太は胸がドキドキするのを感じた。
老人は一枚一枚をじっくりと眺め、やがて、丁寧な手付きで表紙を閉じた。
「どうもありがとう」
その言葉とともに、蒼太の手にスケッチブックは返された。
目が合うと、老人は「上手だな」と言った。
蒼太は首を振って謙遜した後で、「ありがとうございます……」と礼をした。
老人は、微かに咳払いをすると、
「この町の子だね?」
と、静かに言った。
その、分かっていながら確認するかのような問いに、蒼太はいささか意表を突かれるがまま、「は……はい……」と、頷いた。
「そうか。ここには、良く来るのかい?」
「あっ……ええと……はい……」
老人は、今度は、「そうか」とは言わなかった。
「ここで、絵を描く練習をしているんだな」
そう、僅かに柔らかみを帯びた声で言った。
蒼太はこくんと首を動かして、老人を見つめた。
痩せこけた頬と首には、くっきりと皺が刻まれている。瞼はどんよりと下がり、目は虚だ。帽子の下から覗く白髪は薄い。
(こうして近くで見ると……結構なおじいちゃんだ……)
具体的に何歳くらいなのかは、蒼太には判断できなかった。一方で、自分よりずっと年上なのだという実感が、じんわりと湧いてきた。
老人はすっと首を動かし、向こうを向いた。
蒼太はその横顔を見つめて、首を傾けた。
(子どもが、好きなのかな……?)
だからこうして自分に声を掛けてきた───ということなのだろうか。
風変わりな老人は、長く、息を吐き出した。
その吐息は、重くて、疲労の色を秘めているように、蒼太の耳に届いた。
老人が、再び蒼太を向いた。
「将来は、絵描きか?」
またも唐突な問いに、蒼太は思わず「へっ……?」と声を上げた。
「あっ……えっと……、その……、が……画家になりたいなって思ってます……」
そう答える声は、言葉が進むにつれて小さくなった。
老人は、頷いた。その後で「そうか」と言った。
("絵描き"と"画家"って、同じ意味か……)
蒼太は同じ意味を重複してしまった自分に気が付いた。突然の問いに、焦ってしまったのだ。
老人は体の向きを変えて、蒼太と向き合うような体制になった。
間近に目が合い、蒼太はドキリとした、
「会ったばかりでこんなことを言うのはどうかと自分でも思うが」
老人は、皺の入った薄い唇を動かした。
「そんな君に、頼みたいことがある」
("そんな君に"……?)
蒼太が首を傾けると、老人はすっと、僅かに───悲しい目をした。
そして、こう言った。
「私の人生を、絵にしてくれないか?」
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