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”ASSASSIN”—異能組織暗殺者取締部—  作者: 深園青葉
第6章
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September Story28

晴美が、嘘の下に隠した真実とは───?

 晴美は、昨日よりも更に憔悴して見えた。


 白いシャツに紺のジーンズという、良い言い方をすればシンプル、さもなければ色味のない服装で、唇には色がなかった。


「晴美さん」


 呼びかけると、晴美は重たそうな目を、ゆっくりと上げた。


「もう一度、お聞きします───あなたが、清道さんを殺害したというのは、本当ですか?」


 晴美は、ほんの僅かに、首を縦に振った。


「……本当です」


 呟くように、晴美は言った。


「私は……夫を殺しました……」


 今にも消え入りそうな───その内に聞こえなくなってしまいそうな声だった。


 翔子は晴美の言葉に頷き、


「私は、そうだと思いません」


 じっと、晴美の目を見つめた。


「え……?」


 晴美が、小さく声を上げた。


「想像でものを言っているわけではありません。捜査を進めた結果、新たに見つかったことがいくつかあります」


 翔子は言った。


「それについて、今日はお聞きしたいんです」


 晴美の瞳に───大きく、緊張の色が浮かんだのを、翔子は見た。


「まず、清道さんのことで、確認したいことがあります」


 翔子はテーブルの上で指を組み合わせた。


「清道さんは酒癖が悪く、2年前から、暴力を振るうようになった───というお話でしたよね?」


 晴美は翔子の視線から逃げるように、強張った瞳を下に向けていた。


「ですけど───その裏付けとなるものが、一向に見つからないんですよ」


 翔子はファイルを開き、中身を取り出した。


「ご自宅───清道さんのお宅を、調べさせていただきました」


 翔子はキッチンのゴミ箱から見つかった、コーヒーやお茶の空き缶を並べた写真を差し出した。


「お酒の缶が、一つも見つからなかったんです」


 翔子は晴美の目を見つめながら言った。


「お酒が缶だけのものではないことは、言わずと知れたことですが、リビングにあった方の食器棚に入っていたワイングラスは、ほとんど使われた痕跡がなく、台所の方には、お酒を飲む用のグラスなどは、一切見当たりませんでした。加えて、冷蔵庫には、お酒が一本も入っていなかった───これらのことから、私は、清道さんは二年の間にお酒をやめた、もしくは、元々、お酒を頻繁に飲む方ではなかったのではいかと予想しました」


「……刑事さん……」


 晴美が口を開いた。


「私が……嘘を吐いているとでも言いたいんですか……?」


 翔子は頷いた。


「ええ、その通りですよ」


 晴美の肩が、ほんの僅かにぴくりと動いたのを、翔子は見た。


「そう思う理由は、他にもあります」


 翔子は晴美の瞳から目を離さなかった。


「清道さんのご遺体を見させていただいたところによると、“清道さんが過度にアルコールを摂取していた”痕跡は、見つからなかったようです」


 晴美の瞳は、焦点が定まらずに忙しなく動いていた。


 淡々と話を進めていた翔子だが、晴美の様子に、数秒間を置いた。


「それからですね」


 翔子は落ち着いた声を作った。


「清道さんは日頃、お酒を飲む人ではなかったという証言をしてくれた人がいます」


 晴美が、ぴくりと、視線を上げた。


「……だ、れ……?」


 晴美は声を漏らした。


「だれ……なんですか……?」


 翔子は、その目を見つめて、息を吸った。


「帆希ちゃんです」


 晴美は、目を見開いて、息を呑んだ。


「帆希、が……?」


 翔子は「はい」と、頷いた。


「帆希ちゃんは、お父さんと、それから、お母さんのことを、私に教えてくれました」


 “お父さんがね……死んじゃったの……”


 “帆希が、2年生の時に……お父さんとお母さんは、別々に暮らすようになって……帆希は、お母さんと一緒に住むことになったから……お父さんとは、会えなくなっちゃってた……”


 “けど……ずっと会いたかった……。お母さんが、許してくれなかった……会ったらだめって……怒られた……”


 “お父さんとお母さんは……仲良しだった……。だけど、突然、喧嘩ばっかりするようになっちゃった……”


 実際には、“私”ではなく、“ASSASSIN”の中野葵に向けて伝えられた言葉だ。


 耳にした時の翔子と同じように晴美は目を大きく見開き、そして、


「帆希……」


 と、口元を覆った。


「清道さんが、普段からお酒をたくさん飲む人だったのかという質問に対して、帆希ちゃんは、こう教えてくれました」


“お父さんは……帆希が生まれてから、お酒やめたって……お母さんが言ってた……。お父さんがお酒飲んでるところ、帆希、見たことない……“


「そして最後に、帆希ちゃんは、こう言いました」


 “お父さんのことも……お母さんのことも、大好き……”


 晴美の目の下から、一気に溢れ出したものがあった。


 涙だった。


 翔子は無意識に、首を縦に動かしていた。


 晴美の目から、涙が零れ落ちた。


「晴美さん」


 翔子は呼んだ。


「あなたは、誰かを、庇っていませんか?」


 晴美はぼろぼろと、雨のように落ちてくる雫をそのままに、首を、ふるふると横に振った。


 翔子はその動きを否定した。


「だとしたら、あなたは間違っている」


 翔子は晴美の目を真っすぐに見据えた。


「あなたには、他の誰よりも大切な存在があるはずです」


 晴美の呼吸が、乱れだした。


「あなたが一番、守るべきなのは、誰なんですか?」


 それでも、翔子は言葉を止めなかった。


「あなたがこの世で一番愛しているのは、誰ですか?」


 言葉を止めてはいけないと思った。


「あなたの帰りを待っているのは、誰だと思いますか?」


 全て伝えたいと思った。


「全部───同じ人ですよね」


 翔子は、涙に溢れた晴美を見つめた


「あなたの大切な人───帆希ちゃんのためにも、本当のことを、話してください」


 晴美は息を震わせ、涙を零し、


「わっ……わ、たし……は……」


 と、声を発した。


「……こっ……ころ……ころして、いません……」


 殺してません。


「あの人を……清道を……殺していません……」


 仁堂晴美は、そう、告白した。


 ※


「あの人と別居したのは2年前……そこに、嘘はありません」


 まだ潤んだままの瞳で、晴美は言った。


「ですけど……刑事さん、それから……帆希が言う通り、あの人は、お酒を飲む人ではなくなっていました……。酒癖が悪いこと、それで私に暴力を振っていたというのは……私が考えた嘘です……」


「ごめんなさい……」と、晴美は泣き声を漏らした。


「それは……嘘を吐いたのは……、いえ……別居を決めたのも、嘘を吐いたのも、自分が犯人だと言ったのも……全て、同じ理由です……」


 晴美は目を、深く下げた。


「……私には……あの人の他に……好きな人がいるんです……」


 翔子は、この言葉に驚かなかった。


 既に───知っていることだった。


 千鶴に晴美のスマートフォンを調べてもらって、知ったことだった。


 晴美は頻繁に、ある男性と連絡を取り合い、その男性と、愛し合った仲だった───。


「それが……あの人に知られたのが……、2年前のことでした……」


 晴美の頬を、一粒の涙がつたった。


「あの人は……私のことを叱りました。“帆希のことを考えなかったのか”……と。私を怒鳴りました……。あの時の私は……、“もう1人”に夢中でした……。清道ではなく、その人と一緒になりたいと、本気で思っていました……。……あの人の言う通りでした……。私は、帆希のことを……大切な娘のことを、考えられていなかった……。自分は親として失格だと思いました……。それを夫に突き付けられて、気が動転しました……。ありとあらゆるものを彼にぶつけて、ぶつけ続けて、何が何だか分からなくなって、帆希を連れて家を出ました……」


 晴美はそこで、言葉を止めた。いや───言葉に詰まったようだった。


「2年の間に、清道さんとお会いすることは、やはり───なかったんですか?」


 翔子は質問した。


 晴美は「はい……」と、答えた。


「彼は……“話し合おう”と連絡をくれました……。私は、自分が惨めで仕方なくて、会うことができませんでした……。帆希があの人と会うのも、許すことができませんでした……。それは……、こんな“お母さん”より、優しくて、人として自立した“お父さん”を、帆希は選ぶだろうと……そう思ったからです……。そう思うと……怖くて、寂しくて……いていられなかった……」


 晴美は啜り泣き始めた。


 きっと、帆希との二人暮らしが始まってから、娘が寝静まった後、こうして涙を流していたのだろう───そう、翔子は想像した。


(でもね、晴美さん)


 翔子は心の中で、語り掛けた。


(あなたと同じように、帆希ちゃんも、あなたの見えないところで、たくさんの涙を流してきたと、私は思う)


 翔子はそっと、息を吸い込んだ。


「清道さんを殺害した───そう嘘を吐いたのは、その、“もう一人”の方が、犯人だと思ったから……ですよね?」


 晴美は掌で口元を覆って───頷いた。


「現場に……」


 震えた声だった。


「ネックレス……棺のチャームが付いたネックレスが落ちていたと聞いて……」


「見覚えがあったんです……」と、晴美は言った。


「あの人は、いつも付けていたから……。あの人が清道を殺したんだと思いました……」


 そこからの話は、晴美の“嘘”へと繋がった。


 愛人を庇うため、晴美は自信を犯人に仕立て上げることを決めた───。


「暴力を振われていたっていうのを動機として……、刑事さんが、私を犯人として捕まえてくれるように仕向けようと思いました……」


 けれど、近づくどころか、どんどん遠ざかっているような気がした───そう、晴美は語った。


「時間が経つにつれて……自分がしていることの重さを感じるようになって……気分が悪くなって……、どうしたらいいのか分からなくなって……、もう限界だと思う時がきました……」


 “私の……私の話を、聞いてください……”


 翔子の中に蘇ったのは、晴美の、電話の声だった。


 “私を……、私を……”


 悲痛な声。


 “たすけて……、助けてください……”


 そして、取調室で聞いた、弱々しく懇願するような声。


 “……限界なんです”


 “耐えられない……もう、無理です……”


 “お願いです───私を、今すぐ、逮捕してください”


 あれは全て、晴美の本音だったのだ。


「私は……最低な人間です……」


 晴美は言った。


「夫を捨てて、娘の人生を翻弄しました……。それでも……それなのに……、あの人を愛す自分が、まだいるんです……」


 晴美は「ごめんなさい、ごめんなさい……」と言いながら泣きだした。


 翔子はテーブル上の、一枚の紙に目を落とした。


 そこには、“ASSASSIN”のメンバーが用意した質問がある。


「晴美さん」


 翔子は晴美を見つめた。


「あの日───私が公園で帆希ちゃんに話を聞いていた日のこと、覚えていらっしゃいますか?」


 晴美が、はっとしたような目をした。


「あの時、晴美さんが私と帆希ちゃんを突き放したのは───帆希ちゃんが、ご自身の嘘を暴いてしまうかもしれないと思ったからではないですよね?」


 翔子は「私は」と、言葉を継いだ。


「帆希ちゃんを守るためだった───そう思っています」


 翔子は「最後にはなりますが」と、切り出した。


「人は誰しも、間違いを起こします。それを、なかったことにはできませんが、“やり直す”ことはできます。だから、晴美さん───ご自身の行いに、しっかりと向き合って、尚且つ、真っすぐ前を向いて生きてください」


 翔子は晴美に向かって、口元を微笑ませてみせた。


「帆希ちゃんは、あなたの───お母さんの笑顔を、待っていると思います」

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