September Story15
a班2日目。
事件関係者の証言に、矛盾が見つかる───。
「何か、このお母さん、ちょっと怖いね」
葵がパソコンの画面を見つめて言った。
「それは分からなくないけど、でも、娘さんのことを思っての行動だとしたら、おかしくない気がしない?」
優樹菜はもう一度、田所翔子から送られてきたメールを読み直した。
「だけど、警察の人って知ってるんだよね?」
葵の眉は、下がったままだ。
「それに、ちょっと前まで、話してた人のこと、いきなり嫌いになったりする?」
「自分の知らないところで、娘さんが事情聴取されることが、嫌だったのかもしれないね」
翼が言った。
「えー、よくわかんない」
葵が困惑の色を顔に浮かべた。
「それだと、何か……」
そこまで言って、葵は続きを誤魔化すように、もごもごと口を動かした。
「それだと、なに?」
優樹菜は、問いかけた。
「いや……、それだと、このお母さんは、帆希ちゃんが、何かマズイことを言うんじゃないかって思ってるみたいだなって……」
葵としては珍しい、大人しい口調だった。
優樹菜は、賛同するのは正解ではないと自覚しながら、「たしかに……」と、頷いてしまった、
そして、もし仮にそうだとするならば───晴美は、何かを隠そうとしているということになる。
(晴美さんは、自分がしてる隠し事を、帆希ちゃんが警察に話してしまうことを、恐れてる……?)
優樹菜は翔子から届いたメールのコピーがされた紙の束を、パラパラと捲った。
(ただ眺めてるだけじゃ、どうにもならない……か)
優樹菜は、顔を上げ、葵と翼、2人に向けて言った。
「一旦、情報整理しよう」
※
「晴美さん、帆希ちゃん、黒島さん、大岩さん───4人のこと、まとめてみよう」
仁堂晴美
・清道の妻
・3年前、清道の酒癖の悪さが原因で暴力をふるわれるようになった
・そのことを誰にも相談できなかった
・2年前、娘の帆希にも手が行きそうになったことがきっかけで、別居を決意
・別居中、清道から連絡はあったが、一度も会おうとはしなかった
・夫の酒癖が悪くなった(酒の量が多くなった)原因は、仕事のストレスによるものだと思っている
・帆希に警察が話を聞かれているのを見て、怒りを爆発させた
仁堂帆希
・清道の娘
・家に帰ると悲しくなる、だから、家には帰りたくないと語る
黒島紗綾
・清道の秘書
・遺体の第一発見者
・事件発生日、清道の自宅に呼ばれていた
・清道は他人から恨まれるような人ではないと語る
優樹菜は資料を読み上げながら、必要な部分を抜き取り、ノートに書き出して行った。
翔子に事情聴取をしてもらった4人の中に、事件に関わった者がいる───そう思ったからではない。
こうすることで、何か新しい発見があるのではないか───そう思ったのだ。
大岩智
・ジニエックス副社長
・清道とは高校からの友人
・20年前、行きつけの居酒屋で清道と再会。清道の夢の話を聞き、会社設立に関わることを決意
・清道とは些細なことで口喧嘩をするなどはあったが、大きな争いは一度もなかった
・清道と晴美は非常に仲が良かったと語る
・2年前から清道は晴美の話をしなくなったと記憶している
・清道は子煩悩な親だったと語る
大岩智の返答をまとめた文章を読んで、優樹菜は「ん……?」と眉を寄せた。
「どうしたの?」
葵に問われ、優樹菜は「これ……」と、紙を持ち上げた。
「“2年前、会社が危機的状況に遭ったなど、仁堂さんの心の負担になるような出来事に心当たりがあるか”っていう、田所さんの質問に対しての、大岩さんの答え」
「───“会社の経営は、順調だったと思う”」
その文を読み上げた翼に、優樹菜は頷いた。
「おかしいと思わない?」
優樹菜は「仁堂晴美」の名を指した。
「晴美さんは、清道さんのお酒の量が増えたのは、経営がうまくいかなくなったストレスによるものだと思う───そう話してるのに、副社長の大岩さんは、“順調だった”って言ってる」
「2人とも、言ってること違う」
葵が大きく目を開いた。
「となると……仁堂さんがストレスを抱えた原因は、他にある……?」
翼の言葉に、優樹菜は、“2年前”という文字を、じっと見つめた。
「……清道さんは、本当に酒癖が悪かったのかな」
「えっ───」
葵が声を上げた。
「それって……、奥さんが嘘を吐いてるっていうこと……?」
優樹菜は葵に目を向けて、「可能性の話ね」と、付け足した。
「何にせよ、根拠が必要だなって思って。清道さんは、既に亡くなっていて、本人の口から、どんな人だったのか、教えてもらえない───だからこそ、慎重に調べないと」
「そうですね」
翼が頷き、すっと目を上げた。
「ちょっと、今更な感じはあるんですけど」
「いいですか?」と翼は、片手を上げた。
「昨日一日の間で、僕なりに事件を考えてみたんですけど、犯人が、殺し屋だと仮定した時、やり方が雑なんじゃないかって思ったんです」
「雑?」
優樹菜と、葵の声が重なる。
「殺し屋と犯罪者を区別する点は、“殺しの精度”であると言われています。殺し屋は、現場から限りなく証拠を消すか───その訓練を日々行い、“自分”という存在が、そこにないように仕向けるんです。今回、殺し屋が関わっているのではないかと判断されたのは、現場に落ちていた、犯人の所有物だとされる品───」
「棺のチャームの付いた、ネックレス……」
優樹菜はテーブル上の資料に目を向けた。そこには、その写真があった。
「自分が組織に所属した殺し屋であること───それが分かるようなものを現場に残して行っているというのが、引っかかるんです」
翼は言った。
「日頃から雑味があるのか、何かを理由に焦っていたのか、もしくは───」
翼は、そこで僅かに目を細めた。
「まだ慣れていない、初心者だったのか」
(初心者……)
優樹菜は、翼の話を聞いて、事件の見方が僅かに変わったような───そんな気がした。
「刑事さんは、どう思ってるんだろうね」
葵が言った。
刑事さん───田所翔子のことだ。
「たしかに……どう思ってるのか、聞いてみたい……」
優樹菜は右手を頬に運んだ。
(だけど……電話は禁止されてるし……、メールで個人的な会話をするわけにもいかない……)
今回の依頼者───飯岡茂がメールのやり取りをチェックする可能性について、優樹菜は母から聞かされていた。
(何とか知られないように、田所さんと連絡を取れる手段、ないかな……)
そう考えて、優樹菜は「あっ──」と、思った。
「私、警察署、行って来る」
立ち上がると、葵が「えっ?」と驚いた目をした。
「いきなり、どうしたの?」
「それは、後で話す。できるものなのか、不確かなところがあるから」
優樹菜は荷物を持ち上げ、ドア越しに2人を振り返った。
「じゃあ、後はよろしく」
この言葉で足りるだろう───と、優樹菜はドアに向かって駆けだした。
※
翔子のスマートフォンに、中野舞香から電話が来たのは、午後5時のことだった。
「はい?」
呼びかけると、「もしもし?」と、舞香のものではない───少女の声がした。
「突然、すみません」
少女は言った。
「中野舞香の娘の、中野優樹菜です」
翔子は驚いた。
今、捜査指揮を取っているはずの“ASSASSIN”のメンバーが、自分に電話をしてきた───。
「東署の、田所です」
翔子は挨拶を返した。
「今、母の携帯から掛けてるんですけど」
少女───中野優樹菜は言った。
翔子はその言葉に、「なるほど……」と思った。舞香の携帯電話から連絡をすれば、もし、”ASSASSIN“の正体を追う飯岡が翔子に対し、「着信履歴を見せろ」と言って来たとしても、疑われるようなことは防げるだろう───そう、”ASSASSIN“は考えたのだ。
「事件のことで、少しお伺いしたことがあって───今って、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ」
翔子は頷いた。今は、帆希と出会った児童公園から離れ、人気のない道を歩いているところだった。
「田所さんは」
初めて言葉を交わすとは思えないほど、しっかりとした口調を、中野舞香の娘は見せた。
「今回の事件の犯人像について、どんなものを想像されていますか?」
その質問に、翔子は足を止めた。道の端に寄り、「そうね……」と答える。
「少し───厳しいような言い方に聞こえてしまうかもしれないけれど、良いかしら」
少しの間の後、「はい」と返事があった。
「正直、はっきりとしたものは、何も浮かんでいないの。───それはね現場に行くことができていないから」
翔子は言った。
「あなたたちが、それを指揮しない理由は、“現場にほとんど証拠が残っていない”───その記述があったから、じゃないかしら?」
問いかけると、図星を突かれたような、微かな息遣いが聞こえた。
「はい……、その通りです」
「証拠という証拠は、棺のチャームの付いたネックレスくらい、という話だったわよね」
「はい」
「それはね」
翔子は息を吸い込んだ。
「その時点───それが見つかった時点で、捜査が打ち切りになったから。殺し屋が関わった可能性が出て来て、専門の捜査官が動く必要が出て来たからなの」
翔子は「確かに」と言葉を繋げた。
「関係者に聞き込みをすることも、大事な捜査。けれど、事件捜査において欠かしてはならないのは、現場に行くこと。現場に行かせてもらえないと、分かるものも、分からない」
それは、翔子が“ASSASSIN”に伝えたいと思っていたことだった。
「“証拠がほとんど残っていない───ならば、ほんの僅かに残された証拠を探すまで。───私は、そう思う」
そう告げると、「なるほど……」と、呟くような声が返って来た。
「じゃあ……、現場に行くこと、お願いしてもいいですか?」
その言葉に、翔子は「ええ」と、頷いた。
「メールにして、送ってくれない?そうしたら、動くことができるわ」
「わかりました」
直後、優樹菜は「あっ、でも」と声を上げた。
「もう、時間が時間なので、明日以降にした方が、いいでよね?」
翔子は腕時計を見て、「そうね」と答えた。5時10分───“ASSASSIN”メンバーの帰宅時間に近かった。
「明日、私が現場にいる状態で指揮を執ってもらった方がスムーズかもしれないわね」
「そうですね。そうしたら、明日、お願いします」
優樹菜は言った。
「それと、さっき、資料を見直していて、矛盾点が見つかったんですけど───」
そう、優樹菜が語り出したのは、「仁堂清道は、本当に酒癖が悪かったのか。晴美が言っていた清道のストレスの原因は、会社の経営悪化によるものというのは本当なのか」という、実際に話を聞きにいった翔子にとって、疑問点だった部分の話だった。
「ここについても、確かめていただきたいんです」
「ええ、分かったわ」
「すみません───よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ」
翔子は、微笑んだ。
「話せて、良かったわ」
「私も、です」
その、嬉しそうな声は、舞香に、よく似ていた。
「では、失礼します」
「はい。また何かあれば、連絡してね」
電話はそこで終わった。
翔子は鞄に携帯電話をしまい込み、後ろを振り返って、目を細めた。
通話の途中───背後の物陰で、誰かがこちらを見ているような気配を感じたのだ。
5mほど先にある電信柱をじっと見つめ、その先に人の気配を感じ取ろうとしたが、それらしきものは、すでになくなっているようだった。
よろしければ、評価・ブックマーク登録、感想など、よろしくお願いいたします!




