September Story14
翔子は、仁堂清道の娘・帆希のもとに向かう。
仁堂帆希に話を聞いてみてほしい───“ASSASSIN”からの指令を実行するのは、翌日のこととなった。
翔子が大岩智と別れたのは、午後5時半。ちょうど、“ASSASSIN”のメンバーから、帰宅する旨の連絡があった。
署に戻り、ここなら集中できるだろうと、翔子は“CO”にやって来た。
今日の捜査結果をまとめた、“ASSASSIN”に送るための資料を作らなければならない。
「先輩」
その声に翔子は顔を上げた。
「お疲れ様です」
やってきた宮下巽は、手にビニール袋を持っていた。
「まだいたの?」
読み直し作業に入った翔子は、時計を見上げた。時刻は午後7時を回ったところだ。
「ちょっと買い物に出てました。はい───これ、差し入れです」
巽はそう言って、テーブル上に菓子パンの包みを置いた。
「わざわざいいのに。奥さん、待ってるんじゃないの?」
問いかけると、巽は「それが」と笑った。
「妻によく、先輩の話をしてるんですけど、"今日は先輩と別行動だった"ってメールしたら、色々問いただされて、"私のことは良いから、田所さんを手伝ってあげて"って言われたんです」
「……優しい奥様ね。ありがとう」
翔子は口元を緩めた。
「先輩、俺にできること、何かありますか?」
巽は翔子の正面に腰を下ろした。
翔子は首を横に振った。
「残念ながら、ないわね。今回の件は、完全に私1人が担当することになっているの」
巽は、翔子の手元の資料をじっと見つめ、
「"ASSASSIN"、ですよね」
と、言った。
翔子は巽の目を見つめた。
「……知ってるの?」
巽は、頷いた。
「課長から、聞きました」
翔子は「そう……」と視線を資料に向けた。署内で今回、しばらく単独行動をする旨を詳細に伝えたのは、刑事課長である船橋だけだった。
「先輩、どんな人物たちなのか、知ってますか?」
巽の問いに、翔子は視線を上げずに、「さあね」と答えた。
「私も今回、初めて関わることになったけど、彼らは依然、素性を明かしてくれないわ」
「やっぱり、そうかぁ……」
巽は声を上げた。
「何?気になるの?」
チラリと目を向けると、巽は「いや」と苦笑した。
「すみません、俺、飛んだ勘違いをしてたなって思って」
「勘違い?」
「はい。俺、課長から話を聞くまで、先輩は“ASSASSIN”のメンバーなんじゃないかって思ってたんです」
「はぁっ?」
翔子は、眉を寄せた。
「何を言ってるの……。私とあなたは、ほぼ四六時中一緒にいるでしょう。私のどこに、"ASSASSIN"のメンバーとして働いている時間があるって言うのよ」
「そうですよね。よく考えればそうだな、とは思うんですけど」
巽は気恥ずかしそうに頭を掻き、
「だけど、やっぱり、考えずにいられなくって。“HCO”のメンバーだった人たちが、今、“ASSASSIN”のメンバーとして活動しているんじゃないか───って」
そう、言った。
資料を握った指に力を込め、翔子は、声に陰りが表れないように、そっと答えた。
「……そんなこと、あるわけないでしょう」
「そうですよね」
巽は笑顔だった。
「思い違いでした。すみません」
翔子はその言葉に、答えることができなかった。
「俺たちの世代じゃ、伝説ですよ、"HCO"は」
巽は言った。
「特に、先輩たち───初期メンバーの皆さんは別格です」
翔子は、小さく苦笑した。
「あなた、私以外のメンバーと出会ったことないじゃないの」
「ですけど、話にはよく聞きますから。話だけ聞くと、存在が幻のような、そんな気がするんです」
「幻……ね」
翔子は、呟いた。
幻───目に見えるが、存在しないもの。
あの日、あの時、あの瞬間、この部屋で過ごした、あのメンバーとの思い出は、幻なのだろうか───翔子は不意に、そんなことを思った。
そう思えるほどに、翔子が“HCO”のメンバーであった日々は、遠くに行ってしまった。
「先輩?」
呼ばれて視線を向けると、巽が首を傾けていた。
「───何でもないわ」
翔子は首を振って答えた。
「あなたは、もういい加減に帰りなさい」
そう告げると、巽は「そうします」と立ち上がった。
「奥様に、よろしくお伝えして?」
「分かりました。じゃあ───お先に失礼します」
「じゃあね、お疲れ様」
巽が出て行った後、翔子は、長い息を吐きだした。
この部屋に1人でいるというのは、こんなにも孤独なのか───不意に、そんな実感が湧いてきた。
※
翔子はステンレスの階段を下った。
晴美宅を尋ねたが、帆希はまだ、帰宅していないようだった。
晴美に、「帆希ちゃんに話を聞きたい」と持ち出したところ、「何のために?」といささか怪訝そうな顔をされたが、"ASSASSIN"からの指示であることを明かすことはできなかった。
時刻は午後3時。
引っ越しの影響で、帆希の通学距離は、約2倍に伸びたそうだ。
"ASSASSIN"の指令を実行するためにここまで来たが、帆希の心境や体調のことを思うと、今日は、ここでこのまま待つよりも、引き返した方が良いような気がしてきた。
翔子はスマートフォンを取り出し、"ASSASSIN"に帆希に話を聞くことは、明日以降に持ち込む旨の連絡をし、その場を去ることにした。
東市は、県内きっての都会の町であり、特に、警察署が所在する周辺は、さながら"近代都市"と呼ばれるほどだった。
しかし、晴美宅があるアパート周辺は、小さな住宅が立ち並ぶ、どこか、のどかな雰囲気が残っており、翔子はその間を歩いた。
しばらく進むと、交差点に出た。
信号を挟んだ斜め向かいに、児童公園があるのが見えた。
滑り台と、ブランコと、鉄棒と、砂場と、ベンチくらいしかない、小さな公園だ。
翔子はブランコに、1人の女の子が座っているのを見た。
俯いたまま、小さな手で鎖を掴んでいる───仁堂帆希だと、すぐに分かった。
「こんにちは」
そっと歩み寄ると、仁堂帆希は顔を上げた。
目が合った瞬間に、「あっ……」という目を、帆希はした。
「ここには、よく、遊びに来るの?」
翔子は地面にしゃがみ込み、帆希と目線を合わせた。
帆希は、ほんの僅かに、こくりと頷いた。
「いつも、何をして遊ぶの?」
問いかけると、数秒の間の後、「ブランコ……」と帆希は言った。
「そう」
翔子は微笑んだ。
「ブランコが、好きなのね」
帆希は「うん……」と答えた。
翔子は視線を動かして、帆希の足元に赤色のランドセルがあることに気が付いた。
「これは───わんちゃん?」
翔子は、ランドセルに付けられたキーホルダーに手を触れた。
茶色く、耳の垂れた犬のマスコットが付いている。
「トイプードル」
帆希が言った。
「ママが、作ってくれたの」
フェルト生地でできた犬の顔には、確かに、手作りの跡があった。
「そう。帆希ちゃんのお母さんは、器用なのね」
そう言うと、帆希は嬉しそうに、「うん」と頷いた。
翔子は犬の顔を裏返してみた。
そこには、ピンク色の糸で、「HOMARE」と縫われていた。
「"帆希"ちゃんって、可愛い名前よね」
そう告げると、帆希は、はにかむような笑顔を見せた。
「刑事さんは」
帆希は明るい瞳でで、翔子を見つめてきた。
「何ていう名前なの?」
「私は、翔子」
「じゃあ、"翔子お姉さん"って、呼んでもいい?」
その言葉に、翔子は、思わず苦笑した。
「もう、お姉さんじゃなくて、とっくにおばさんよ」
「そうなの?」
帆希は、キョトンとした。
「そうよ。そうは見えないって、よく言われるけどね」
冗談を言ってみせると、帆希は「あははっ」と、無邪気に笑った。
翔子は、その笑顔を見て、ほっと息を吐き出した。
「帆希ちゃん、今日は、久しぶりの学校だったんだってね。お母さんから、聞いたわ」
すると───帆希の目が、暗くなった。
「……お家……、帰りたくない……」
目を伏せて、消え入りそうな声で、帆希は言った。
翔子は、その目を覗き込み、
「それは、どうして?」
と、問いかけた。
「……悲しく……なるから……」
帆希は答えた。
「学校にいる時は……みんなといるから、忘れられる……。でも……帰ったら……、思い出しちゃう……」
帆希の声は、微かに震えていた。
「それは……」
翔子は、帆希の小さな背に、手を触れた。
「お父さんのこと?」
「帆希!」
問いかけた瞬間、叫ぶような声がした。
目を向けると、こちらに駆けて来る女性の姿が見えた。
仁堂晴美だった。
翔子は立ち上がり、「お母さん───」と呼びかけた。
しかし、続けるはずだった言葉は、
「やめてくださいっ!」
という晴美の怒鳴り声によって、遮られた。
「何を考えてるんですか!?この子に、帆希に、勝手に近付かないでください!」
突然の剣幕に驚いたのは、翔子だけではなかった。
帆希も、びっくりしたように、大きく目を見開いていた。
「帆希、何か聞かれたの?」
帆希は「え……えっ……」と動揺を見せた。
「もう、帰ってください」
晴美の血走ったような目が、翔子に向けられる。
「ほら、帆希、帰るよ」
晴美は帆希の腕を掴み、ブランコから立ち上がらせた。
帆希は慌てた様子でランドセルを持ち上げ、引きずられるように去っていった。
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