September Story12
捜査指揮2日目───b班の初日。
慣れない作業と、いつもとは違う班での動きに、蒼太は緊張を感じていた。
「……と、まあ、そこに書いてある通り、私たちは昨日、2つのことを田所さんに調べてもらって、奥さんの晴美さん、秘書の黒島さんから見た、仁堂さんの人柄を知ることができた」
電話越しにいても、優樹菜の声はハキハキとしていた。
「特に今日、“ここまでやって”っていうのは、私の方から言わないから、3人で話し合って決めてほしい。じゃあ、任せるね」
蒼太はこくりと頷いた。
そして、ここで通話は終わりだろう───と思い、優樹菜からの別れの挨拶を待とうとした時。
「任せる、じゃねぇよ」
という声が、それを遮った。
「中途半端に置いてきやがって」
蒼太は驚いて、勇人を見た。
「……は?」
優樹菜の、怒りを込めた声が、室内を一瞬にして凍りつかせた。
「何?文句なら、ちょっとくらい動いてから言ってよ。そっちこそ、ちゃんとやってよ。途中で抜け出したりしたらぶっ飛ばすから」
恐ろしすぎる一言の後、ブチリ、という音で、電話は終わった。
蒼太はいつの間には止まっていた息を、一気に吐きだした。
優樹菜から電話があって安心した数分前が、嘘のようだ。
休み明けの月曜日。
学校が終わり次第、班員3人が集まることになった今日、蒼太が資料室に着いた直後に、光がやって来た。
そして2人で室内に置いてあった資料を眺めていたタイミングで、蒼太の携帯電話に、優樹菜から着信があった。
「矢橋くん、来てる?」と問いかけられたところで、勇人は姿を現した。
蒼太は安心した。これで優樹菜が勇人に対して怒ることが避けられた───そう思った。
(まさか……ここで喧嘩になると思ってなかったけど……)
「蒼太くん」
光に呼ばれ、蒼太は視線を上げた。
「蒼太くんは、何か気になること、ある?」
問われて、蒼太は「え……えっと……」と、動揺した。
(ど、どうしよう……。そこまで考えられてなかった……)
目を泳がすと、光が「私は」と言った。
「仁堂さんの人間関係について、もっと詳しく知りたいなって思った。ご友人とか、ご親戚とか、仁堂さんのこと、どう思ってたのか、聞いてみたい」
「あ……」
蒼太は、「そう……ですね……」と、ぎこちない頷きを返し、「何も思いついてなかったくせに……」と、心の中で自分を悔やんだ。
(けど……こうして、ぼくの意見引き出してくれて……自分の意見も教えてくれるのは、ありがたい……)
光は蒼太の控えめな性格を理解して、そうしてくれているのだろう。
蒼太は、やっぱりこの人は、優しい人だ───と、光の横顔を見つめた。
光は資料を見つめていたが、不意に、視線を上げ、
「勇人、くんは」
と、勇人を見つめた。
「何か、ありますか?」
蒼太は、目を開いた。
光が勇人に話しかけたのが、意外だったのだ。
一昨日、初めて解決班の仕事として顔を合わせた2人が、自然に言葉を交わせるほど親しくなったとは、とてもではないが思えなかった。
それに加え、蒼太は光に対して、「どちらかと言えば大人しい方」という印象を持っていた。
しかし、どうやらそれは、単なる蒼太の“イメージ”だったようだ。
光に問われた勇人の目は、テーブル上───資料の方を向いていた。
数秒経ってから、勇人は「好きにしろよ」と、言った。
「わかりました」
光は動じない様子で頷き、「じゃあ」と、蒼太を見た。
「田所さんにメール、送ろうか。蒼太くん、パソコン、得意?」
「あっ……いや」
蒼太は、ぶんぶんと首を振った。
「全然……得意じゃないです……」
正面に勇人がいることを感じながら、蒼太は以前に、パソコンにログインできず、勇人に手助けして貰ったことを思い出した。
「そっか、じゃあ、私がやるね」
光は、そう言って微笑んだ。
パソコンの電源を起動させた光を見つめながら、蒼太は、この班の中心を担うことになるのは彼女なのではないか───と、思った。
※
夕方4時半。翔子は海が見える広場の淵に立っていた。
翔子はメールの画面を見つめながら、あることを察した。
昨日と、送り主が変わっている───。
だからと言って、どうこうと言うことはないのだが、“ASSASSIN”はどうやら、交代で動いているらしい。
メールがあったのは、20分前の4時10分。
被害者の交友関係を、もっと詳しく知りたい───その指令は、翔子にとって、半ば用意が整っていたものだった。
飯岡から、「"ASSASSIN"の指揮にそって動け。その他に余計な動きはするな」と忠告を受けていたが、待ってばかりで何もしないということを、翔子は自分自身で許せなかった。
仁堂清道の周辺にいた人物たち───特に会社関係者の連絡先については、もう既に独自に調べて入手済みだった。
でもなければ、こんなに早く約束を取り付けられなかっただろう。
待ち合わせの時間まで、後10分だ。
そう思って、スマートフォンを握った手を下ろした時───電話が鳴った。
「はい、田所」
翔子は、電話に出た。
「もしもしー?班長?」
その、明るい声に、翔子は溜息を吐いた。
「何よ、この忙しい時に」
「それを思っての電話だよ。姉さんから聞いたけど、今、大変なんだって?」
電話の主は、南川警察署の警察官───"HCO"の元メンバー、水澤彰人だった。
「大変じゃない仕事はないわ。もうすぐ、人と会う約束があるの。なるべく、手短にして」
「いやぁ、俺に手伝えることなんかないかなって思ったんだけどさ」
彰人は言った。“HCO”時代から、何も変わらない、少年のような口調だ。
「ほら、飯岡さんて、俺に対して、"興味ゼロっ"て感じじゃん?だから、好き勝手動いても、そんなに問題ないんじゃないかと思ってさ」
「問題あるわよ。あなた、自分の仕事はどうするのよ」
「俺のことはいいよ。班長が困ってるんだったら、そっちを優先しないと。俺たち、みんなその気持ちだけど、姉さんと亮さんは、自由が利かないだろ?だったら、俺が行こうかなって」
翔子は、再び息を吐きだした。
「水澤」
翔子は久しぶりに、彰人のことを呼んだ。
「あなたは、自分の仕事に集中しなさい。今回のことは全て、私に任せなさい。私を誰だと思っているの。あなたたちに心配されるほど、弱くはないわ」
そう告げると、彰人は「はははっ」と笑った。
「流石だね、班長」
「そろそろ切るわよ。時間だから」
「ん、わかった。けど、本当に困ったら、いつでも呼んでくださいよ。すぐに駆け付けるんで」
「ありがとう、じゃあね」
翔子は電話を切った。
「あの……」
そのタイミングで、男性の声がした。
「田所さん、でしょうか?」
翔子は振り返って、男性を見た。
黒に近い灰色の髪に、薄い紫色の瞳をしている───写真で見た通りの人だ。
「“ジニエックス”、副社長の、大岩です」
大岩 智は深々と、頭を下げた。
※
本拠地にいると、時間が経つのが早い───蒼太は時計の針が動くのを見つめながら、そう思った。
(学校にいる間は長く感じるのに……どうしてだろう……)
只今の時刻は午後4時50分。
蒼太がいつも帰る5時半まで、後40分だった。
(後、一時間もいられない……)
指令の内容がどうなったのかは、次の日に持ち越せばいいという話になっていたのだが、だとしても、残りの40分を無駄にするわけにはいかない。
資料室は、静かだった。
時計の針が動く音が、嫌に耳についた。
(元々……この3人が、そんなに喋らないからかもしれないけど……)
蒼太は、こんな時でもなければ、この沈黙も気にならないだろうと思った。
(何か話さないと……進まない……)
光は資料を黙読している。
勇人は蒼太と同じで、特に何もしていない。
(けど……兄ちゃんは、何か考えてそう……)
蒼太はそっと、勇人の様子を伺った。
(ぼくも、考えないと……)
そう思うも、蒼太の頭の中には、事件以外のことが浮かんでしまった。
(この班を考えたのは……、優樹菜さん……)
6人を2つに分ける───その組み合わせは、いくつかあるだろう。
その中で、優樹菜は何故、この分け方をしたのだろうか。
(優樹菜さんのことだから……きっと、何か意味はあるんだろうけど……)
優樹菜は、自分に何を期待して、勇人と光、2人と班を組ませることを決めたのだろうか───その答は、今の蒼太に、分かりそうになかった。
時計を見上げると、ちょうど、4時59分から5時に針が動くのが見えた。
(後30分……)
そう思った時、自分のものではない、息を吐く音がした。
「見えてるもんだけ見たところで進まねえぞ」
勇人のその言葉に、光が視線を上げた。
「見えてる、もの……?」
光が問いかけても、勇人が答えることはなかった。
蒼太は資料を見下ろした。
“中途半端に置いてきやがって”───不意に、優樹菜に向けられた、勇人の声が蘇った。
(中途半端……)
蒼太はテーブルに置かれた、田所翔子からのメールの返信が印刷された紙を手に取った。
“被害者は酒癖の悪さから、日常的に、妻である晴美さんに暴力を振っていた。2年前、娘の帆希ちゃんにも手を上げかけたことから、別居が始まった”
(これは……奥さんの、言葉……)
そう思って、蒼太は「あっ……」と声を上げた。
「どうかした?」
光が蒼太の手元を覗き込んだ。
「あの……これ……」
蒼太は、“娘の帆希ちゃん”という部分を指さした。
「この子の目から見たら、どうだったのかなって、思って……」
蒼太は「もしかしたら……」と言いかけて、ただの想像でものを言いかけている自分に気付いたが、光の目が真っすぐに自分を向いているのを見て、「もしかしたら」と、言い直した。
「ちょっと違う部分があったり……奥さんが、嘘を吐いてる可能性も、あるのかなって……」
「あっ───」
光の目が、大きくなった。
「たしかに……、そうだね」
光は頷いた直後、「送ってみよう」と、キーボードに手を触れた。
蒼太は、ふぅ……と、息を吐きだし、肩を下ろした。
(見えてるものだけ見たところで進まない……)
蒼太はその言葉の意味が少しだけ、分かったような気がした。
勇人に視線を向けると、勇人はちょうど、その場に立ち上がったところだった。
「あっ……」
「兄ちゃん……」と呼びかけた時には、ドアが開いて、勇人の姿は廊下の方にあった。
よろしければ、評価・ブックマーク登録、感想など、よろしくお願いいたします!




