September Story7
オフィスで一人、優樹菜が戻ってくるのを待っていた光は、優樹菜に、勇人に対して感じた疑問を、問いかける。
廊下から感じた気配に、光は顔を上げた。
ドアが開くと、「えっ?」という声を上げて、驚いた目の優樹菜が、顔を覗かせた。
「光ちゃん?どうしたの?」
光は「あっ」とテーブルに置いていた数学の教科書を持ち上げて見せた。
「もうすぐテストなので、勉強してました」
───先、帰ってて?
優樹菜の言葉通りにしなかったのは、光一人だけだった。優樹菜がオフィスに戻ってくるまでここにいようと思っていたら、気付けば、1時間近くの時間が経っていた。
「勉強道具、持ってきてたの?」
優樹菜は驚いた目のまま、部屋に入ってきた。
「今日、土曜日なのに」
光は優樹菜に笑顔を向けた。
「帰りに、図書館に寄る予定だったんです」
家よりも静かな場所の方が集中できるから───そう付け足すと、優樹菜の目が和らいだ。
「そっか。たしかに、みんなが帰った後のここなら、図書館と同じくらいの静かさだもんね」
光はその言葉に頷きながら、自分がここに居続けたのはそれだけが理由ではない───そう思った。
教科書を閉じ、光は「ゆきさん」と、優樹菜と向かい合った。
「私、今日の依頼解決で、疑問に思ったことがあるんですけど」
光は言いながら、息を吸い込んだ。
「ゆきさん、矢橋さんに“コマンド”の使い方、説明したことって、ありますか?」
優樹菜は「“コマンド”?」と首を傾けた後で、「ああ」と頷いた。
「あの、機械ね。ううん。チラッと、そういうのがあるよっていうのは話したけど、使い方までは、私も把握できてないから」
光は「なるほど……」と頷いた。
「それが、どうかした?」
尋ねられ光は、「実は……」と、数時間前に見た光景を、優樹菜に話した。
「まさか、標的が2人に増えるとは思ってませんでしたし、“コマンド”があってよかったなとは思うんですけど」
当初追っていた殺し屋の背後に、仲間がいた───その事実よりも光を驚かせたのは、勇人の行動だった。
「それを瞬時に把握して、しかも、初めて扱う機械で、指示をする……」
光は声に出して、「すごいなって、思いました」と、頭に浮かんだままの言葉を言った。
“ASSASSIN”のメンバーになって4ヶ月。今日、初めてまともに顔を合わせたと言って過言ではない勇人の、組織のメンバーとしての姿を、光は知った気がした。
そんな彼のことを良く知っているであろう優樹菜は、「そうなんだ」と、ゆっくりと、数回頷いた。
そして、一度、目を逸らして窓の方を見つめると、「ふふ」と、笑った。
「昔から、なんだよね」
優樹菜は、言った。
「天才肌っていうのか、物分かりがすごい早くて、色んな事知ってたし、常に、新しいこと探してた」
優樹菜は、光と目が合うと、柔らかく、微笑んだ。
「不器用で要領の悪い私とは大違い。だからね、いつも羨ましかった」
優樹菜と勇人───2人がほぼ、生まれてからの付き合いということを、光は以前に、チラリと耳にしたことがあった。
しかし、こうして、優樹菜の口から、勇人との思い出を聞くのは、初めてだった。
「何をしても、私は勝てないんだなって、思ってた。一番悔しいのはね、本人にその自覚がないってこと。私は、いつも素直に伝えられなかったけど、あいつは、私がしたことに対して、何でも褒めたの。私は全然納得してないのに、“すごいね”とか、“頑張ったね”、とかね」
「腹立つでしょ?」と優樹菜に問いかけられ、光は、笑顔を返した。
「だけど」
優樹菜は、ふっと、視線を僅かに下に向けた。
「作文だけは、苦手だったんだよね───あいつ」
「作文?」
「そう」
頷いた後で、優樹菜は「あっ」と声を上げた。
「苦手っていうのは、ちょっと違うのかも。何ていうのかな……」
数秒、考え込む仕草を見せた後、
「小学生の作文って、遠足とか運動会とか学芸会とか、そういう……思い出のことを書くじゃない?」
光は「はい」と頷いた。
「だけど、いつも、一人だけ違ったの」
光はその言葉に、首を傾けた。
「"違った"?」
「こういうことがあって楽しかった、良かった───そういうことは、一切書かれてなくて」
優樹菜は言った。
「何をテーマにした文章でも、“自分はこの時、これを見て、こんなことを思った、あれはどうしてああなってるんだろう、自分はこう思う“っていうのが、原稿3枚くらいにびっしり。さながら、評論文みたいな感じだった」
光はそれを想像し、「へぇ……」と、声を漏らした。
「“それは作文と違う”って、先生からいつも注意されてたし、私から“みんなと同じにしなよ”って言ったこともあったんだけどね」
優樹菜は、呟くように、こう続けた。
「結局、ずっと直さなかった」
光は、優樹菜を見つめた。
優樹菜はゆっくりと、瞬きをしていた。
数秒後、その瞳が上を向き、優樹菜が「あっ」と声を上げた。
「もう、お昼過ぎてるね」
その視線を追うと、時計の針が午後1時を回ったところを示しているところだった。
「光ちゃん、お昼、もう食べた?」
「いえ、まだです」
首を振ると、優樹菜は「じゃあさ」と、明るい目をした。
「帰り、どこか寄って行かない?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん」
「行こう?」と立ち上がった優樹菜の笑顔を見つめて、光は自分の中に、嬉しい気持ちが込み上げてくるのが分かった。
優樹菜と、どこかに遊びに行くのは、これが初めてだ。
光は「はい」と大きく返事をして、勉強道具を片付けた。
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