September Story6
新たな依頼の話を聞いた後、前日と同じ場所に向かった蒼太は、再び、あの少女と出会う───。
蒼太は並木道を歩いていた。
本拠地から帰宅し、それから家にいても、何にも手が付かず、目的もないまま外に出た。そして、気付くと、この場所に来ていた。
歩きながら頭の中に浮かび続けていたのは、捜査指揮の依頼のことではなく、あの───少女のことだった。
"植物好きなの?"
そう、初対面であるはずの自分に問いかけてきた少女。
(あれは……)
風が吹き、蒼太の足元を揺らしていった。
(気まぐれ、だったのかな……?)
ただ、"なんとなく"話しかけてみたかったから───それを理由に、少女は自分に近づいてきたのだろうか。
蒼太は、足を止めた。
昨日、写真を撮ろうとした木が、そこにあった。
蒼太は、ほぼ無意識に、その幹に、手を触れた。
冷たい───。
"植物はいいよね"
"ただそこにあるように見えて、でも、ちゃんと息をしている。生きようとしている。私たちを生かしてくれている"
"なのに、私たちは、私たち人間は、彼らを殺す。平気な顔をして、当然のように思って、罪悪感何て微塵も感じずに。それって、何よりの重罪"
"そう思わない?"
蒼太は、前方を向いた。
そこに、少女が立っていた。
昨日と変わらぬ格好で、昨日と同じ場所から蒼太を見つめていた。
「こんにちは」
少女は微笑を浮かべていた。
「また会ったね」
そう言って、少女は一歩、踏み出した。
蒼太は思わず、身を引いた。
「そんなに怖がらないで」
少女は言った。
「私はただ、君とお話したいだけだから」
蒼太の前で立ち止まると、少女はあの、幻想的な色のコントラストを浮かべた瞳で、蒼太を見つめてきた。
「今日も、この木を見に来たの?」
問われて、蒼太は答えることができなかった。
少女は「へぇ」と頷いた。
「違うんだ」
まるで蒼太の心を見透かすように言うと、少女は視線を上に向け、
「今日、天気いいね〜」
と、不意に、口調を変えた。
「風もあって涼しくて、お散歩日和って感じ」
まるで、ずっと前からの知り合いに語りかけるような、そんな声だった。
前からの知り合い───そんなはずは、ないと言うのに。
「あっ……あの……」
蒼太は、声を出した。
少女の目が、自分へと向いた。
「……ぼ……ぼくのこと……知ってるんですか……?」
風が吹いた。
少女の、髪の毛が、揺れる。
「どうだろう」
少女はニコリとした。
「知ってるといえば知ってるかもしれない。知らないといえば知らないかもしれない」
蒼太は返す言葉が分からず、口を噤むしかなくなった。
「君は?」
少女が僅かに首を傾けた。
「君は、私のこと、知ってるの?」
不意を突かれ、蒼太は「え……?」と動揺した。
「し……しらない、です……」
首を横に振ると、
「そっか」
少女は、ふっと笑った。
「ざーんねん」
無邪気に言ったその表情は───とても、大人びていた。
「私、この場所好きなんだよねー」
少女は周りに視線を動かしながら、「落ち着くから」と付け足した。
「じゃ、じゃあ……」
蒼太は、声を振り絞った。
「ここには……よく、来るんですか……?」
「んー」
少女は視線を上に向けた。
「でも、これからは、しばらく来なくなるかな」
「えっ……?」
思いがけない言葉に、蒼太は目を開いた。
「今は、大丈夫な時だから来てる」
少女は言った。
「だけど、もう少しで大丈夫じゃなくなる」
蒼太は「どういう……」と、声を発した。
しかし、続く言葉は、声にならなかった。
「私が私だと思っている私が、影になってしまう」
少女の視線を追うと、青い空を流れる、白い雲があった。
「私が私じゃないと思ってる私が、"私"を閉じ込めてしまう」
まるで、本の一文のような言葉だった。
「ああ、ごめん」
少女は蒼太の目を見て、にっこりと笑った。
「今のは、独り言。忘れて?」
「じゃあ」と、少女は身を翻し、半身を振り返らせた。
「また会えるといいね」
そう、影のある笑みを浮かべ、少女は、手を後ろで組みながら、駆けていった。
タッタッタッタッ。
その音を聞きながら、蒼太は立ち尽くした。
───忘れて?
そう言った声と笑顔が、脳に貼り付いて離れなかった。
不意に、太腿に振動を感じ、蒼太は呪縛から解放されたかのように、ビクリと体を揺らした。
スマートフォンが通知を受け取ったと気付くまで、数秒かかった。
ポケットから取り出すのに、地面に落としそうになりながら、蒼太は携帯電話の電源を付けた、
受信したのは、優樹菜からのメッセージだった。
メンバー6人の、グループチャットへ送られてきたらしい。
蒼太は、それを開いた。
"社長の提案で、班を作ることになった"
"各班3人。班員は、私が決めた"
"明日から日替わりで動くことになるから、各自、確認お願い"
その言葉に従うがまま、蒼太は、画面を見つめた。
a班 優樹菜、葵、翼
b班 光、勇人、蒼太
※
「おかえりなさいませ、お嬢様」
柊寿樹は、深々と頭を下げた。
「ただいま~」
主は無気力な声で言うと、寿樹の前を通り過ぎて行った。
「今日は、どちらまで?」
「んー?適当に、町中ぶらぶらしてただけ~」
どすりとソファに腰を下ろすと、靴のまま寝そべってしまう───いつもの、主の行動だった。
「何か食べられますか?」
寿樹は膝をついて、主と目を合わせた。
「オムレツが食べたい」
主は言った。
「中には何も入れなくていい。卵だけの、オムレツ」
「かしこまりました」
寿樹は頭を下げ、キッチンに向かった。
オムレツ───主の好物だ。
今日は何か、特別なことでもあったのだろうか。寿樹は、バケットの中にある卵を手に取った。
「おいしい」
スプーンを口から出すと、主は、言った。
寿樹はグラスに水を注いで、差し出した。
そうして、主が食事をする様子を、立ったまま見つめる。
「ごちそうさま」
その言葉を合図に、寿樹は、食器の後片付けを始めた。
「今日ね」
その声に、寿樹は手を止めて、主を見つめた。
「男の子に、会ったの」
主の目は、白いテーブルクロスに向いていた。
「昨日出会ったばかりの、男の子」
息を吐くように、主は言葉を紡いでいた。
「だけど、やっぱり、初めて会ったような気がしなかった。はじめましてだけど、はじめましてじゃなかった。私は、あの子のこと知ってる。あの子は私のこと、知らなかった」
寿樹はその、不思議な言葉に耳を傾けた。
「知っててほしかったな」
そう言った主の瞳から、
「悲しい」
一粒、涙が浮かび、零れ落ちた。
寿樹はハンカチを取り出し、そっと、陶器のように白く、人形のように小さな頬を拭った。
テーブルの上にある蝋燭の炎が、赤く揺らめいている。
主は小さな呼吸を繰り返しながら、ただじっと、その色を見つめていた。
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