August Story22
小さな葛藤を抱えながら図書館を訪れる蒼太は、能力者専門の情報屋・奈須琉輝に出くわし───?
蒼太は半ば、地に足が付かないような心地で、閉館間際の図書館を訪れた。
借りた本は、気に入ったページを写真に撮って残したため、返却期限までまだ少しあるが、今日の内に返してしまおうと思ったのだ。
せっかくなら閉館のアナウンスがあるまでここにいようと、目的もなく、書架を歩き回ることにした。返却は、出る直前で良いだろう。
(毒を作った人……)
やはり、思い出すのはメンバーとの会話だ。
その人物は、すぐに調べられた。
殺し屋に武器を提供している男───この町に、いるらしい。
自分がこうして、メンバーとの帰り道を一人外れてここに来たのは、決断のためではないかと、蒼太は、ぼんやりと思った。
(その……犯罪者に会いに行くか、どうか……)
優樹菜の提案に、「僕も行きます」と翼が言ったのを聞いてから、蒼太はずっと迷っていた。
人から話を聞きだす───それは、取調班が担うべき仕事なのではいか、と。
(みんなは……“そんなことないよ”って、言ってくれると思うけど……、なんか……なんだろう……)
心に引っかかって、流れていかないものの正体を、蒼太は探ろうとした。
そして、浮かんだのは、今日の、オフィスでの風景だった。
(……ぼくも、役に立ちたい……。自分にできることがあるなら……やりたい……)
あの時、自分はただ座っているだけで、何もできなかった───蒼太は、それを後悔していた。
それを払拭するために、自分は、動くべきなのではないか───。
「あれー?」
その声に、蒼太は顔を上げた。
そこに立っていた人物と、目が合った。
この季節に似合わない長袖のパーカーを着て、首をタオルで覆っている───蒼太は「あっ……」と、声を上げた。
「後輩くんじゃーん、お久だねー」
奈須琉輝は表情一つ変えずにそう言った。
「あ……お、お久しぶりです……」
こうして町中で会うのは初めてのことだと、蒼太は緊張を感じた。
「本とか読むんだー、偉いねー」
琉輝はいつも通りの飄々とした様子で、蒼太の手元を見下ろした。
「おー、写真集ー?こういうの、好きなのー?」
蒼太は「あっ……」と、絵を描く練習のために使ったということを説明した。
「へーえ、良い趣味持ってるねー」
琉輝は、蒼太の目を見つめたまま、「あー、そうだー」と声を上げた。
「君らに会ったら聞こうと思ってたことあったんだったー」
("君ら"……?)
蒼太は何のことか分からず、首を傾けた。
見つめると、琉輝の目の色が、ほんの僅かに変わった。
「リーさんさ、最近、どうしてるー?」
その問いに、蒼太は「えっ……?」と目を開いた。
(リーさん……?)
誰のことだろう───。
(あ……でも、どこかで聞いたことあるような……)
あれは確か───琉輝の声ではなかっただろうか。
「あー、そっかー」
ポンと、いう音がした。琉輝が手を打ったのだ。
「後輩くんには、話してなかったねー。ほらー、君のおにーちゃん」
蒼太は文字通り、ぽかんとした。
「んー?なにー?後ろに何かいるー?」
そう後ろを振り返った琉輝に、ようやく思考
が追いついてきた蒼太は「あ……!いや……」と慌てて首と手を振った。
「に、兄ちゃんのこと……ですか……?」
「そーそー。自分、リーさんって呼んでるんだー」
そう言われても、蒼太は混乱するばかりだった。
一体、勇人のどこに、"リーさん"の要素があるのか。そして、琉輝は、あだ名で呼べるほどに勇人と親しいのか。
「あー、これね、ちょっとした、深い意味があるんだー。聞いてしまえば、浅いんだけどー、聞くー?」
そう、首を傾けられ、蒼太は流されるように、「あ……」と答えていた。
「お……お願いします……」
「おっけーい。じゃあさー、ここで立ち話は迷惑だろうから、外、出よー」
※
2人は、入り口の横にあるベンチに座った。
「まずねー、言っておくと、リーさんは、自分の命の恩人なんだー」
「命の、恩人……?」
「うんー。リーさんとあの日に出会ってなかったら、自分は、今、ここにいないんじゃないかなー」
琉輝は表情も口調も変えずに「自分ねー」と言った。
「10歳の時に、家出したんだー。ホームレスデビューしたんだよー」
まるで、「明日は雨らしいよ」というくらいの、何気ない口調で、琉輝は言った。
「親がさー」
蒼太が言葉を返せないのを察してか、琉輝は話を続けた。
「親とも呼びたくないくらい最低最悪な奴らで、死なない程度の暴力とか、罵倒は日常茶飯事、家の中は、地獄だったねー」
「それでねー」と、琉輝は視線を上に向けた。
「10歳になって、何が変わったのか知んないけど、"食べさせなくても死なないよ"とかなんとか言い出して、そのせいで、ご飯食べれなくなったんだよねー。それで、1週間経って、気付いたら、家出してたよねー。まあ、どこにも行き場ないし、空腹でフラフラで、どこに行くか考えることもできなかったから、さながら徘徊だねー」
琉輝は、ふぅーっと、空に向かって息を吐き出した。
「歩き疲れて、たまたま目についた公園入って、滑り台の下───ほら、ゾウとか、動物の形したやつあるじゃーん?確か、あれもゾウだったと思うけど、まあ、なんでもいいやー。そこでうずくまって、"ここで死ぬんだなー"って思ってたんだよねー。そうしたら、相席さんが現れてー」
「相席さん……?」
「そー、それがリーさん───君のおにーちゃん」
琉輝は頷いた。
「まあー、自分より、ずっと健康そうで、普通の家庭で育ってきたような感じで、しかも歳上だしさー、最初は警戒したよねー。"君、迷子?"とか言われて、家に連れ戻されたら溜まったもんじゃないよー、みたいな」
琉輝は「でもねー」と、再び、空を見上げた。
「目が合って、最初に言われたのが、"お腹空いてない?"だったから、ほんとびっくりしたよねー。出会って数秒のはずなのに、何でわかるんだろーこの人ーって」
琉輝は視線を動かして、真っ直ぐに、蒼太を見据えた。
「それで、食べ物買ってきてくれたんだよー、菓子パン。自分の食べかけじゃなんだからって言って」
蒼太は、目を見開いた。
(それって……)
「家出中だったんだろうねー、自分と同じで」
その答を、琉輝が言った。
「だから、お金そんな持ってなかったんだろうし、食べ物だって、考えて用意してたんだろうと思うよー。それなのに、見ず知らずの奴に新しいの買ってくれてさー」
琉輝は「ほんとに」と、視線を僅かに下に向けた。
「嬉しかったよねー。こんなに良い人がいるんだったら、生きててもいいかなって思えるくらい、ありがたかった」
蒼太は琉輝を見つめた。
その表情に、変化はない。しかし、声は、僅かに柔らかくなっていた。
「でさー、“リーさん”っていうのはー」
琉輝が目を上げたのに、蒼太は「は、はい……」と、相槌を打った。そうだ、自分はそれを聞きに来たのだと、今、思い出した。
「その時に、名前を聞かなかったからっていう理由で、勝手に付けたんだー。通りすがりに、食べ物くれたおにーさんだから、略して、リーさん」
「な……なるほど……」
「あー、後輩くーん」
琉輝が声を上げた。
「いまいちよくわかんないなーとか思ったでしょー?」
図星を突かれ、蒼太は「へっ……?」と、目を丸くした。
「あっ、いや……そんなことは……」
慌てて首を振ると、琉輝はじっと、蒼太の目を見つめてきた。
「覚えてるかなー?初めて会った時、お菓子あげたことー」
唐突に話題が変わり、蒼太は「えっ……?」と、固まった。
(お菓子……?)
そう考えて、「あっ……」と、思い当たるものが見つかった。
(あれは、確か……5月の……)
翼に連れられ、琉輝の家を訪れた時のことだ。
「その時さー、びっくりしたよねー。君がリーさんの弟だって出てきてー」
琉輝は「自分がびっくりするってことは、相当なびっくりってことだよー」と言った。
蒼太は「そういうことか……」と、納得を感じた。
(あの時……能力でぼくのことを見て……たしかに、びっくりしてた……)
そして、お菓子を袋ごとくれたのだ。
「自分の話はこんなところかなー」
琉輝は体操をするように、腕を上に上げ、横に広げて下ろした。そして、その腕をぶらぶらと動かし、「てなわけで」と言った。
「最近のリーさん事情、教えてもらえると嬉しいなー」
蒼太はゆらゆらと揺れている琉輝の指先を見つめた。
この人にとって、兄ちゃんは恩人なんだ───そう思った。
“ASSASSIN”に繋がっているのなら、当然、今の勇人のことも知っているのだろうが、2人に、深い繋がりはない───そんな気がした。
(だけど……琉輝さんはずっと、兄ちゃんに、“ありがとう”って思ってるし……、兄ちゃんの幸せを願ってる……)
蒼太は息を吸い込んだ。
「兄ちゃんは……最近、みんなのところにいることが、増えた気がします」
蒼太は答えた。
「学校にも、ちゃんと通ってるみたいだし……来月くらいから、班の仕事もしてくれるんじゃないかって、みんなで話してます」
言い終えると、琉輝は「そっかー」と、短く言って頷いた。
「良い傾向だねー」
そして、勢いを付けるように身体を後ろに倒すと、「よいしょー」と気の抜けた声で立ち上がった。
「ありがとねー、後輩くーん」
「あっ……こちらこそ……ありがとうございます……」
出会いも別れも唐突だと、蒼太は頭を下げた。
琉輝は、数歩進んだところで振り返った。
「君ー、見た目によらず、強い子なんだねー」
「えっ……?」
蒼太は目を開いた。
「もっと、自分に自信もっていいと思うよー」
その言葉を残し、「じゃあねー」と、琉輝は手を振りながら去って行った。
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