山に登りたい令嬢、登らせたくない山男
何だか思い付いたので書いてみた。
辺鄙な田舎の山、登山道の入り口にある寂れた小屋の前に、全く不似合いな者が来ていた。
「わたくし、この山を登りたいのですわ」
小屋の主、山男は怪訝な顔をして、訪問者に言った。
「は?何言ってるんですかお嬢さん。そんな格好で、この山登れる訳ないでしょう」
訪問者の格好は、今から茶会にでも出るのか、といったドレス姿の女性だった。盛装とまでは行かずとも、その格好で山は登れまい、という出で立ちであった。
「でも、わたくしはこの山を登らなくてはいけないのですわ」
しかし、女性は自信満々で、胸を反らして山男に言い放った。山男は、その横柄とも取れる態度に怯むことなく、静かに告げた。
「登れませんよ。どこの御貴族様か知らないが、お付きの人もしっかりしてもらわんと困りますな」
「付き人などおりませんことよ。わたくしは馬車でひとりで来ましたもの」
女性の言い分に、山男は溜息をついた。
「そこいらにあんたの護衛っぽい気配がするし、そもそも馭者付の馬車で来た時点でひとりじゃないんだが」
気取られたことに対してか、一瞬その気配に動揺が走ったように感じたが、山男は当然のように無視した。
「なんにしても、無理なものは無理ですわ」
「そこをなんとか、登りたいのですわ」
痛いところを突かれたのか、女性、どうやら貴族令嬢のようだが、今度は微妙に頼み事をするように、両手を前で組むと、上目遣いで山男を見詰めた。『お・ね・が・い』とか言い出しそうな、そんな雰囲気である。山男は、しかし動じない。
「…そんな可愛い顔してお願いしても無理。駄目なものは駄目」
「なんでですの、ケチですわね。女ひとりくらい入れても減るもんじゃなし」
突然口調が変わる令嬢であった。が、その様子に呆れたのか、山男は特に返事もしない。
「な、なんですの?」
「…いや、こっちの深読みだわ。そんなこと、ひとりで男の前に来て言わない方が良いぞ」
「何故ですの?」
「大人になれば分かるだろ」
呆れたように言う山男に対し、子供扱いに納得行かない様子の令嬢は、顔を赤くしながら言った。
「せ、成人はしておりますわ!」
「ああ、面倒臭ぇな、おい、連れて帰れよ従者」
「だからひとりで来たと言ってるでしょう!」
「へぇ」
声を張り上げる令嬢に対して、面倒そうな雰囲気を隠そうともしない山男であったが、突然彼女の腕を掴んだ。
「!な、何を!」
「山に入ったら、野生の凶暴な熊やら狼やらがいるんだぜ、俺くらいにあっさり捕まってビビってるようじゃ、一刻経たないうちに食われちまうぞ」
突然腕を取られたことに驚いたのか、山男の言葉が図星だったのか、顔を赤くした令嬢だったが、何とか取り繕おうとしたようだ。
「だ、大丈夫ですわ!わたくし、こう見えても護身術を嗜んでおりましてよ」
「じゃあ、俺から逃げられるかい?」
山男に煽られた令嬢は、教えて貰った護身術を披露しようとするが、きっちり掴まれた腕は痛くはないにもかかわらず、びくともしない。
「ん、ん!ちょっと、手を離しなさい」
令嬢にそう言われた山男は、何とも言えずその場で佇むしかなかった。
しばらくして、思考が戻ってきたのか、山男が口を開いた。
「ふーーー、もういいや」
その言葉を根負けしたと捉えたのか、令嬢が喜色一面、山男に問いかけた。
「で、では山に」
「んなもん、ダメに決まってるだろ」
呆れたような顔で即答され、令嬢の表情は一気に反転した。
「どうしてですの!」
「いや、これで入って良いって言う山男が居たら、間違いなく喰われるぜお嬢さん」
「熊や狼なら大丈夫ですわ」
「違うよ、山男に喰われるんだよ」
山男がそう言った途端、背後でざわっと人の気配が動いた。問い詰めから一転、何を言ってるか分からないと、令嬢の表情には浮かんでいたが、はっと何かに気付いたように、恐る恐る口を開いた。
「あ、あなた、人肉を食すの?」
これまた明後日の方向にきたもんだ、と山男は思ったが、もう面倒になっていた。
「…そうそう、そういうこと」
「今凄く投げ遣りになりましたわね!からかいましたわね!」
「いーや、俺は割と乗り気だが…」
左手で令嬢の顎をクイッと上げて、顔を覗き込む。
「な、何を」
至近距離から見詰められて流石に恥ずかしいのか、頬を染めるその様は、何とも劣情を誘う。何だかんだ言って育ちも良ければ素材も良い、そそる女だ。何も知らなさそうなこいつに女の悦びを色々と教えてやるのも一興だと山男は思った。が、後ろの殺気が増していくのを感じてやめた。
「冗談ですよ」
山男は、令嬢の顎のラインを指でなぞると、離れた。その仕草の妙な色気に、令嬢は顔を真っ赤に染めた。
「は、は、破廉恥な」
「はは、可愛いもんだ」
「子供扱いして!」
羞恥の表情から一転、プンスカ怒っている令嬢の顔を見ながら、なおも後ろで膨れあがる殺気を感じ、山男は溜息をつきたくなった。殺気を振りまくくらいなら、さっさと連れて帰れよ、と言いたい。忠誠心か、はたまたそれ以外の感情か、どうでも良いが、鬱陶しいことこの上ない。
「で、何でそんなに山登りしたいんですか?」
山男が改めて聞くと、令嬢はちょっと期待したような顔で見返してきた。
「答えれば登らせてくださいます?」
「いや、ダメだけど」
「何故ですの!その答えは違いますわ!」
「あーもう面倒臭えな、そんな格好で山に入られて、うっかり怪我でもされたら迷惑するんですよ。分かりましたか?」
令嬢の剣幕に、山男が投げ遣りに答えると、我が意を得たりと彼女はまくし立てた。
「格好ですのね、この格好がいけないとおっしゃるのね?」
「はあ、まあ格好だけじゃないんだけど、少なくともその格好はダメですね」
山男の言葉に、令嬢はドレスコードが何たらとまた明後日な方向にぶつぶつ言っていたが、気を取り直したようだ。
「分かりましたわ、今日のところは止めておきます」
「明日のところも、明後日のところも止めてもらえるとありがたいんだが」
ついうっかり漏らしてしまった山男であったが、令嬢は落ち着いていた。
「そういう訳にはいきませんわ、わたくし、この山を登らなくてはならないのです」
真剣そうな表情の令嬢を前に、山男は困惑した。
「お嬢さん、…山、間違えてないですかい?」
「何故ですの?」
「この山には、お宝も珍しい薬草もありはしませんけど」
「分かっておりますわ」
「じゃあ、何で」
「何でも良いではないですか、ただ」
令嬢は、天使と見紛うような微笑みを見せた。
「登らせてくれたら、教えて差し上げても良くてよ」
「…ダメですよ、お嬢さん」
「んもう、ケチですわね!」
そう言うと、令嬢は小屋へ向かう。
「お茶をして帰りますわ、いつものをお願い」
「…へいへい、分かりましたよ」
何故か嬉しそうな令嬢に、山男も満更では無いと思った。
そして、もう何度目になるかも分からないくらい重ねた、ふたりのティータイムが始まる。
結局、令嬢は喰われるのだろうか?(おい