恋愛相談
8 恋愛相談
「あのちょっと忘れ物したみたいで・・・・。見に来たんですけど、僕の勘違いやったみたいです。野尻さんはどないしたんですか?コンビニのバイトに行ったんとちゃうんですか?」
僕はそこまで出かかっていた涙を必死にこらえ、何事もなかったかのようにきわめて普通の態度を取り繕った。
「ああ、実はな、さっきここのバイトが終わったときにコンビニのバイト友達から電話がかかってきてさ、なんかシフトを代わってほしいって言うんだよ。今日代わりに出るから、明日と代わってくれってさ。まったく勝手な話だよなあ。で、今日はこの後、急きょ暇になったってわけだ。」
野尻さんはそう言って肩をすくめてみせた。
「そういえば津森、なんか俺に相談があるって言ってなかったか?コンビニのバイトは無くなったし、こんな時間でもよかったらこれから居酒屋でも行くか?」
どうやら野尻さんは、僕の相談の話を覚えてくれていたようだ。
「でも、こんな時間やし・・・。明日も大学あるんやないですか?僕は2限からやからええけど・・・。」
僕が少し申し訳なそうに口ごもると、野尻さんは相変わらずの人のいい笑顔で笑いながら言った。
「そんことは気にするな。俺も仕事終りに一杯やりたいと思ってたところなんだ。付き合ってくれよ。」
そう言って僕の肩をポンとたたいた。僕はなんだか申し訳ないという気持ちとやっぱり野尻さんにこの苦しい胸の内を聞いてほしいという気持ちがごちゃまぜになっていたけど、せっかく気を使ってくれた野尻さんに悪いと思い、行こうかという気になった。
もちろん、あやの行方が心の大部分を占めていたけど、今の僕にはどこをどうやって探せばいいか分からなかったし、どうすればいいのか皆目見当もつかなかった。
「分かりました。ほなお願いします。」
僕はそう言って、ちょっと自転車取ってきます。と、野尻さんに言うてから路地裏へ放り出したままの自転車を起こして、野尻さんのところまで押して行った。思いっきり放り出したせいか、自転車の籠が少しへしゃげていた。
姉ちゃんになんか言われそうやな。この自転車は姉のお古だった。
僕がのろのろと自転車を押して行くと、野尻さんは煙草を一服しているところだった。野尻さんが煙草を吸っているところを初めて見たような気がする。
「すいません。お待たせしました。」
「おう、じゃあ行くか。」
野尻さんは吸っていた煙草を携帯灰皿に押し潰し、それをズボンのポケットへ入れると僕と並んで歩き始めた。
「野尻さんって、煙草吸うてましたっけ?」
僕はなんとなく話のネタとして聞いてみた。
「珍しいか?普段はあんまり吸わないからな。たまに無性に吸いたくなるときがあるんだよ。別にヘビースモーカーってわけじゃないんだけどな。今は吸いたい時期かな。」
「そういうもんですか。僕は煙草吸うたことないからよう分かりませんけど、美味しいですか?」
「あんまり美味しいもんじゃないけどな。何となく落ち着くというか、気分転換みたいなもんだ。煙草吸うのにそんなに特別な理由なんてないさ。」
野尻さんはそう言って、お前も吸ってみるか?と僕に煙草の箱を見せた。僕はどんなものか興味はあったけど、遠慮しときます。と、丁重にお断りした。煙を吸うんってなんか変な感じや。
その後も僕らは取り留めのない会話をして、24時間営業の居酒屋へ入った。
平日の深夜にも関わらず店内はわりと混んでいた。僕らはカウンターの端のほうに空いている席を見つけると、そこへ腰かけた。
とりあえずビールと枝豆を注文する。野尻さんはよっぽど喉が渇いていたのかビールが運ばれてくるなり一気に飲みほした。
「で、お前の悩み事ってなんなんだ?今夜はとことん聞いてやるぞ。」
相談にのって下さいと言ったものの・・・・。いったい何から話せばいいんやろう。自分から言い出したことやのに、あやが出て行ったことを少し冷静に受け止められだした僕は、あのときのどん底まで落ち込んだときに後先考えず野尻さんに悩み事相談を申し出たことを後悔し始めていた。
やっぱりあやのことは人には言ったらあかんような気がする・・・・。それが誰であってもや。現に僕はこの夜のことを後に死ぬほど後悔することになる。
でも、バイトで疲れてるところを僕のためにこうして時間を作ってくれたんや。それにやっぱり誰かに聞いてもらって自分の気持ちをすっきりさせたいというのもあった。
「あの・・・。誰にも言わんって約束してもらえますか?ものすごい個人的なことなんで・・・。」
僕が話しにくそうに口ごもると、野尻さんは、分かったよ。誰にも言わないって約束する。と、言ってくれた。
「僕、実は今好きな女の子がおるんですけど、悩み事っていうのはその子のことなんです。」
僕はそう言うと野尻さんの顔をちらりと見た。案の定というか、思った通りというか、ものすごく以外そうな表情だった。僕そんなに女の子に興味なさそうに見えるんかな。
「へええ、そうか。以外だったよ。でも俺嬉しいよ。咲子ちゃんと別れてから、お前全然恋愛する気なかっただろ?すっかり女性不審になったのかと思っててさ。津森さあ、気付いてないかもしれないけど、けっこう女の子に人気あるんだぜ。そうだよなー。失恋の痛手を癒すのはやっぱり新しい恋だよ。」
野尻さんは本当に嬉しそうにそう言うと、2杯めのビールを注文した。
僕が女の子に人気あるって?そんなん嘘や。
「野尻さん、別に励まそうとしてくれんでもええです。僕は自分がモテへんってことぐらい分かってるつもりですから。」
「そんなことはないぞ?ほらバイトのS女子大の沙織ちゃんいるだろ。あの子津森のことかっこいいって言ってたぞ。」
「ああ、こないだ入ってきたばっかりの・・・。僕ああいう派手な子はちょっと・・・。それより本題に戻ってええですか?」
「ああ悪かった。話がだいぶ逸れたな。で、どんな子なんだ津森の好きな子って。」
さてどういうふうに話そう。とりあえず、あやが幽霊やってことは言えんから、適当に話を作るしかない。
「あの・・・話せば 長くなるんですけど、ずっと前に1回会ったことのある子なんです。それが最近になって偶然再会して、それから何度か会ううちに少しずつ好きになってきて・・・。それがこないだ喧嘩して、その後手紙を残して僕の前から姿を消したんです。僕のことを好きだっていう手紙を残して・・・・・。」
そこまで言って僕は俯いてしまった。誰かに聞いてもらうことで気持ちが楽になるだろうと思っていたけど、その逆やった。改めて口に出して野尻さんに話したことで、認めたくない現実が重く心に圧し掛かってきた。そうや、あやはもう僕のところにはおらん。もう会えんかもしれん。
なんで誰かに聞いて欲しいなんて思ったんやろ。聞いてもらってどうなるもんでもないのに・・・・。
野尻さんも黙ったままやった。僕の落ち込みようをみて、なんて言っていいか分からんのやろう。
周りの客のがやがやという声だけがきこえてくる。長い沈黙を破って野尻さんが口を開いた。
「なあ津森、俺はその子がどんな子なのか全然分からないし、二人がどんな会い方をしてたかも分からないけど、その子はきっとまたお前のところに帰って来ると思うぞ。気休めでこんなこと言ってるんじゃない。その子はお前に好きって告白していなくなったんだろ?何度も会ってたぐらいだから、向こうもお前の気持ちを薄々は気づいてたはずだ。自分がいなくなってお前が困るってことは分かっていただろう。向こうもお前もお互いを必要としてる。だからきっとまた帰って来るさ。信じて待っててやれ。お前の好きになった子だ。信じるに値する相手だろ?」
野尻さんは静かにそう言った。
そうや。手紙にはきっと帰って来ると書いてあった。僕が信じなくてどうする。はっきり言って、あやのことは分からないことのほうが多い。けど、分かってることも多い。単純で、短気で率直で真面目で・・・・。あやが嘘をついたことはない。あやがおらんようになった今、探す場所も分からない僕にできることは待つことしかない。ただ闇雲に探しても焦る気持ちが大きくなるだけや。
そんな単純なことになんで僕は気付けへんかったんやろう。
今夜、野尻さんに話して本当によかったと思った。不安な気持ちが消えたといえば嘘になる。けど、あやの手紙に書いてあることを信じてみようと思えるようになってきた。僕は顔を上げると、野尻さんの方へ向きなおった。
「野尻さん、ありがとうございます。僕、誰かにそういうふうに言うて欲しかったんやと思います。彼女の行方ばっかり気になって、信じることができんかった。僕待ってみます。彼女が帰って来るの。」
そうか。と、野尻さんは安心した顔で言うと、今運ばれてきたばかりのビールを一口飲んだ。
「それにしてもそこまで津森を夢中にさせる女の子ってどんな子なんだ?気になるなあ。教えてくれよ。俺には聞く権利あるだろ?」
野尻さんから助言を得たことで、僕の心は少し軽くなっていた。野尻さんになら話してもええかな。
「すごい気が強いんですよ。短気というか・・・・。でもそれが一緒にいてすごく楽しくて。自分の感情にすごく素直な子なんです。それに僕にはもったいないような美人です。」
なんか照れる。でも全部ほんとのことやから。
「へえ。気の強い美人かあ。なんか俺の元カノに似てるなあ。すごかったぜ。ちょっと他の女の子と遊びに行っただけでビンタされたことあるなあ。それにしてもまた咲子ちゃんとはま逆だな。あの子大人しい感じの大和撫子だったろ。」
野尻さんが意外そうな顔で僕を見た。
そういえば野尻さんの過去の恋愛話を聞くのは初めてかもしれない。そういえば野尻さんのプライベートはあんまり聞いたことがないような気がするな。いつも聞いてもらうばっかりやから。
それにしてもビンタか。すごい女の子だな。なんかあやもやりそうな感じがするけど。
「ビンタはちょっとすごいですね。なかなかないですよ。でも、その子もそういうことしそうな感じです。全然僕のタイプとちゃうのに、好きになったんですよ。咲子はモロに僕の好みでしたけど。ほんまこればっかりは分かりませんね。」
「そうだな。」
僕と野尻さんは顔を見合わせると、ははっと笑った。さっきまでうじうじと悩んでいた心が嘘のように晴れていた。やっぱり野尻さんに相談してよかった。
それから僕らは何回かビールの追加を注文して、何品かつまみも追加した。その後はお互いの大学のこと、将来のこと、バイト先の正社員への愚痴などなど・・・。とりとめもない話に花を咲かせた。
そんな話をしているうち、ふとあることが気になったので野尻さんに聞いてようと思った。聞いてもどうなるもんでもないのは分かっていたけど。
「野尻さんはA学院大学ですよね。2年の西野あやって子知ってますか?」
僕はなんとなく聞いてみた、つもりやった。野尻さんの反応は少し異常やった。
”西野あや”の名前を聞いた瞬間に野尻さんの笑顔は凍りついた。そして急にそれまで見たこともないような怖い顔になった。明らかに動揺している感じや。
「あの野尻さん?どないしたんですか?西野あやのこと知ってるんですか?」
僕は恐る恐る聞いてみた。聞いたらあかんような気がしたけど、聞かんとあかんような気もしていた。
「ああ、名前ぐらいは知ってるよ。連続通り魔事件の犠牲者の子だろ?新聞見たけど綺麗な子だよな。俺は全然しらないけど。可哀想にな。」
そう言った野尻さんの表情はいつもの野尻さんと同じだった。間違いない。野尻さんはあやを知ってる。なんでこんな見え透いた嘘をつくんや。
「それにしても、なんで今その子のことを聞くんだ?津森の知り合いかなんかなのか?」
「いや、気にせんといて下さい。こないだ古新聞まとめてたら、たまたまその子の記事が目について・・・。A学院大学って書いてあったからもしかしたら野尻さん知ってるかと思って・・・。
ただの興味本位です。すいません。不謹慎ですよね。」
僕は精一杯の言い訳をした。僕にしては上出来な言い訳だと思う。
「そうか。びっくりしたよ。そんなこと聞かれるとは思ってなかったから。」
野尻さんもそれ以上は深く聞いてはこんかった。
「そろそろ出るか。津森も明日、いやもう今日か。早いだろ。」
そう言って野尻さんが壁に掛っている時計の方へ眼をやった。時計の針はもうすぐ4時を指そうとしていた。いつの間にかこんな時間や。今から家に帰っても2時間ぐらいしか寝られへんな。
「そうですね。出ましょうか。」
そう言って僕たちは席を立った。お勘定は野尻さんの奢りだった。
僕は野尻さんにお礼を言うと、夜明けの街を自転車を押しながらわざとゆっくり歩いた。
また僕の頭の中では色んなことがぐるぐる回っていた。あやがいなくなったことを野尻さんからアドバイスをもらったことで、乗り越えられたのにまた僕の中には新たな疑問が湧き上がってきていた。
なぜ野尻さんはあやの名前を聞いただけであんなに動揺したのか。あれは絶対にあやを知っている感じやった。それなのに嘘をついたんはなんでや?
野尻さんの気が強くて美人の元彼女・・・・・。もしかしてあややないんやろうか・・・?
ホテルの裏口で見かけたあやに似た女の子・・・・。やっぱりあれはあやで、もしかしてあやは僕に会いに来たんやなくて野尻さんに会いに来ていた・・・?
僕の考えは一つの答えを導き出した。あやはきっと帰って来る。そうしたら気になること全部聞いてやるんや。絶対や。もう同じ後悔はせえへん。