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片思い

6.片思い

 四限目の授業が終わると、僕は足早に大学を後にした。特に佐木に見つからないように。

 今日は色んなことを考えた一日やったなあ。咲子と久しぶりに話し、その後沢渡教授とコーヒーを飲んで、教授の思い出話に付き合った。

 その二つの出来事のお陰で、今日の講義はまったく耳に入ってこなかった。僕の“不毛な片思い”について、延々と自問自答を繰り返していたからや。結局これといった答えは出えへんかったけど、僕は当分この苦しい気持ちを胸に抱えたまま、暮らしていくんやろなと電車に揺られながら考えていた。

 確かに苦しい。けど、なぜか僕は幸せな気分でもあった。僕のこの思いがあやに伝わることは無いけど、別にそれでもよかった。今はあやと一緒にいられることのほうが嬉しいから。今日は電車に乗っている時間がひどく長い時間のように思えた。早くあやに会いたかった。

 今日はバイトもないし、直接アパートに帰れる。電車の窓の外の飛ぶような景色をぼーっと眺めていると、僕の降りる駅を告げるアナウンスが聞こえてきた。

まだ早い時間やったから、電車から降りる人も少なく僕は足早に改札を目指した。ジーンズのお尻のポケットから定期を取り出し、駅員に見せて改札口を通り過ぎると、見慣れた人影がそこに立っていた。

あやだった。僕はかなり驚いて、思わず言葉を発しそうになったけどそれに気づいたあやが唇の前に人差し指を当てて、僕に喋らないようにという合図をした。

「喋っちゃだめだよ。拓弥。私の姿は拓弥以外の人に見えてないから、一人で話してると変な人って思われちゃうよ。」

 そう言ってあやは、茶目っ気たっぷりの笑顔で僕に笑いかけると、お帰り、と言いながら僕のほう

に近づいてきた。

 なんなんやろか。これが以心伝心っていうやつなんかな。あやに早く会いたいと思っていたら、あ

やが駅まで迎えに来てくれている。こんなことは初めてやった。僕は嬉しくて、なんて言っていいか

分からんかった。多分あやのことだから、どこかへ出かけていて、この駅の傍を通ったからついでに

僕を待って一緒に帰ろうとか、多分そういうことだろうとは思うけど、それでも僕は単純に嬉しかっ

た。こんな気持ちは本当に久しぶりや。恥ずかしいけど、小学生のときの初恋みたいな気持ちやった。

 僕はにやける顔を何とか抑えつつ、あやと並んで歩き始めた。あやとは毎日顔をあわせているけど、

こんなふうに並んで外を歩くのは初めてだった。いや、前に会ってるんだったら初めてとちゃうかな。

 手をつなぐ事もできんし、歩きながら楽しく話をするということもできない。それに、ただ駅か

らアパートまでの10分足らずの距離を歩くだけや。はっきり言って、デートなんて呼べる代物でも

あらへん。それでも僕は夢心地やった。

 僕らは肩を並べて、小さな公園の横を通り過ぎ、閑静な住宅街を抜けて急な坂を登った。

夕暮れ時やったけど、周りを歩いている人はおらんかった。坂の上まで来て、あやがふいに僕の服の袖をひっぱった。

「どないしたんや?」

 周りに人がいなかったので、僕は言葉を発した。

「ねえ、ちょっと振り向いてみて。」

 あやに言われたとおり、たった今歩いてきた道を僕は何気なく振り返った。

 僕の眼下には一面オレンジ色の世界が広がっていた。木々も、ビルも、遠くに見える川面も全部オレンジ。それは本当にきれいな光景で、まるで空の上からミニチュアの町を見下ろしているようだった。約2年間大学からの帰宅路となっている道やけど、こんなふうに振り返って街を見下ろしたことは一度もなかったな。僕は何も言わず、ただその幻想的な光景を眺めていた。

「ねえ、きれいでしょう?さっきたまたま散歩してたらこの光景に気づいたの。拓弥はもしかしたら見慣れてる景色かもしれないけど、あんまりきれいだったから、一緒にこの夕焼けを見たいなと思って駅まで迎えに行ったんだ。」

 あやはそう言って、僕のほうをみてにっこりと笑った。あやの顔もオレンジ色に染まっていた。自分では見えないけど、多分僕の顔も・・・。いや、僕の顔はオレンジというより真っ赤だったと思う。心臓の鼓動がどんどんと早くなるのを感じた。なんだかこのまま帰りたくない気分やった。

「あのな、あや。僕・・・・」

 ふいに胸の奥から思いがあふれ出そうになって、僕は必死でそれをこらえた。

「うん?どうしたの?」

「・・・。いやなんでもない。もう少し散歩して帰ろうか。せっかくの夕焼けやし。」

 僕は言葉を濁して、あやの少し前を照れくさい気持ちで歩いた。

「待ってよ。何よ、言いたいことがあるんなら言いなさいよ、気になるじゃない。」

 少し小走りであやが僕に追いついてきて、口を尖らせて文句を言った。

「ほんまになんでもないんや。気にせんといてくれ。今日は色々あったから、後であやに聞いてもらおうと思ってな。帰ったら話すわ。」

「そう?分かったわ。」

 あやはなんだか納得がいかないというように首を横へひねるような仕草をしてみせたが、すぐに何事もなかったかのように僕の横で鼻歌を歌いながら歩き出した。あやが僕の部屋にやってきたときに僕が買ってきたあのアルバムCDの中の一曲だった。夕暮れをテーマにした曲や。

 あやの歌はあまりうまいとは言えなかったけど、自分なりにその曲をマスターしているようだった。

 昨日はあんなに泣いてたのに、もうすっかり元気になっている。ほんま女はよう分からん。

「今日はえらい、あやご機嫌やん。なんかええことでもあったんか?」

 少しだけ前を歩いているあやの背中ごしに僕は声をかけた。

「別に。特にいいことなんてないわよ。でも人間誰しもきれいな景色を見たら、気分がよくなるものじゃない?ほら、今流行のマイナスイオン効果ってやつよ。きっと。」

「マイナスイオン効果ねえ。なんか違う気がするんやけど・・・。誰もがきれいな景色見たからって、機嫌よくなれるもんでもないと思うけどなあ。それに夕焼けって寂しいイメージがないか?」

 僕が笑ってあやに意見すると、あやはいつものごとくほっぺたをぷーっと膨らまして、

「もう、せっかくきれいなものを見せてあげたのになんでそういうこと言うのよ。きれいなものに感じ入ることができない人は、きっとかわいそうな心の持ち主なのよ。それに、私は夕焼けが寂しいだなんて思わない。優しい、あったかい、帰りたいって思うわ。」

「帰りたいってどこに?」

「分かんないけど、そういう感じがするってこと。もう意地悪ね。拓弥は情緒がないんだから。」

 あやはそう言うと、本当に怒ってしまったのかそれきり喋らなくなった。僕らの横を自転車に乗った男の子が通り過ぎていった。あやの長い髪が僕のすぐ横で揺れている。本当にこの娘は幽霊なんだろうか。こうやって僕らは並んで歩いているのに。

 僕はふいに気持ちが抑えられなくって、あやの手をぎゅっと握った。いや、握ったつもりだったけど、その手は虚しく宙をかいた。

ああやっぱり。そんなこと分かってるはずやのに・・・・。何しとるんやろ僕・・・・。こんな虚しさの再確認して、何になるんや・・・・。

 それまで鮮やかに見えていたオレンジが、急にすすけて味気ない色のように思えた。さっきまで僕の心を満たしていた幸福感はどこかに消えて、代わりに悲壮感が僕の心を支配し始めている。

 あやが歌の続きを歌っているようだったが、僕には遠いところから聞こえているようで、頭の片隅でぼーっとその歌を聞いていた。

 なんで僕幽霊なんか好きになったんやろ・・・・・。前に失敗したから、今度こそは普通の恋愛したかったのに。それなのに、好きになった相手は幽霊。ほんまにどうしようもない。

「どうしたのぼーっとして。」

 ふいにあやが話し掛けてきた。

「なんか、心ここにあらずって感じだよ。何か悩み事でもあるの?」

「い、いや、なんでもない。ちょっと考え事しとっただけや。」

 突然あやに話しかけられて、僕はたじろいだ。

「何考えてたの?悩みがあるんなら、私が相談にのってあげようか?昨日、私の話聞いてもらったから、何でも相談に乗るよ。こう見えてもけっこう友達の相談とか受けてたんだから。」

 そう言って、あやは心配そうに僕の顔を覗き込んだ。あやのきれいな顔がすぐそこにある。そんなささいなことでも僕はどきどきしてしまう。まさか本人に相談できる訳がない。僕はあやのことが好きなんやけど、あやは幽霊やしどうしたらええんかな?なんて、そんなんいえるか。

「ほんまに何でもないんや。大丈夫だから。」

「大丈夫じゃないでしょ。さっきの拓弥すごく怖い顔してた。なんか思い詰めてたみたいだったよ。私、拓弥の力になりたいの。私のこと見えるの拓弥だけだし、幽霊の私に拓弥は部屋にいてもいいよって言ってくれた。昨日も言ったけど、私ほんとに嬉しかったの。だから、そのお礼じゃないけど、この夕焼け一緒に見たいなって、拓弥に見せてあげたいなって思ったの。」

 あやの表情は真剣だった。ほんまに僕の事心配してるみたいや。でも、これを言ってしまえばあやは僕の部屋から出て行ってしまうかもしれへん。それだけは絶対に嫌や。あやが居らんようになるやなんて、考えられへん。

「ほんまになんでもないんや。レポートのことで教授に呼び出しくらってな。再提出になったんや。それで、どうしたもんかなーと。」

 僕はとっさに嘘をついた。すると、とたんにあやの表情が曇った。

「それって、私の手伝ったやつよね?どこが駄目だったの?自分ではよくできたと思ったんだけど。ねえ、どこが駄目だって言われたの?」

「あ、いや、うん。どこって、そんなにひどく怒られたわけじゃないから。あやの手伝ってくれたところは大丈夫やってんけど、その、僕のまとめたとこがな・・・その・・・・。」

 あかん。僕は嘘をつくんが苦手なんや。まさかあやがこんなに追求してくるなんて思いもせんかった。佐木みたいに簡単にはいかんな。どなんしよう。嘘ばれたかな。

 恐る恐るあやの表情を伺うと、案の定眉間にしわが刻まれ始めている。

「ねえ、なんで嘘つくの。そんなに私のこと信用できない?そんなに言いたくないんなら言わなくたっていいわよ。でも、なんで嘘つくの?私、嘘つかれるの大嫌いだし、嘘つく人も大嫌いなの。もういいわ。私もう少し散歩して帰るから、拓弥は先に帰ってよ。」

 そう言ってあやは僕にくるりと背をむけると、アパートとは逆方向に歩き出した。

「なあ、あや待てや。どこ行くねん!もう暗なるで。帰ろうや。嘘ついたことやったら謝るから。なあ!」

 どんどんと遠くなるあやの背中に向かって僕は呼びかけたけど、あやはそれを無視してどんどんと歩いていく。買い物帰りのおばさんが僕のことを妙なものを見る目つきで見て通りすぎた。

 なんやねんほんま・・・・・。人の気も知らんと。僕はだんだんと腹が立ってきて、あやをおいかけようとはせず、アパートへの道をずんずんと歩いた。

 嘘ついたんはぼくが悪かったかもしれへんけど、人には言いたくない事の一つや二つあるもんやんか・・・・・。それぐらい解かれよ。なんやねんあいつ・・・・。

 心の中でぼやきながら歩いていると、いつのまにかアパートに着いていた。二階の端の僕の部屋の灯りはついていない。当然のことながらあやは帰っていないらしい。

 僕は腹の立つのと、虚しいのとの半々の気持ちで階段を乱暴に上がった。ほんま腹立つ。なんであれぐらいのことであんなに怒るんや。たいしたことやないやんか。僕ら付き合ってるわけでもないし。

 部屋の前に着いて、僕はイライラしながらバッグの中の鍵を探したけどなかなか見つかれへん。ほんますべてにイライラする。

 ようやく鍵を見つけると、僕は玄関のドアを開けた。ふっといい匂いが鼻をくすぐる。今日はカレーか・・・・。うまそうな匂いやな。あやが作っといてくれたんやな・・・・。カレーの匂いで僕の怒りは少し治まって、なんで僕もそこまで怒る必要があったんかと冷静になってきた。

 確かにあやは怒り過ぎのような気もするけど、僕も嘘ついたんはあかんかったな。あやはほんまに僕の力になろうとしてくれとったのに、そんなあやの気持ちも考えんと曖昧な言葉でごまかしたんは僕が悪い。もう少し真剣に、今は言われへんけどいつか言うって言えばよかった。いつかは分からんけど・・・。あやが帰ってきたら素直に謝ろう。けんかはやっぱりいいもんやない。

 腹が減った僕はとりあえず夕食を食べる事にした。鍋にはカレーと、ご飯も炊けてる。冷蔵庫を覗くと、サラダが作ってあった。僕の好きなポテトサラダや。

 ご飯とカレーを皿によそって、テーブルに置いて「いたただきます。」と小さく呟くと、僕はカレーをほうばった。

 うまい。大げさかもしれへんけど、今まで食べたカレーの中で一番おいしいような気がする。好きな娘が作ってくれたからかな・・・・。あやが目の前におってくれたらもっとおいしかったのに。

 僕は少し寂しい気持ちで一人カレーを食べた。おいしかったけど食欲はなく、一杯だけにしておいた。あやの帰ってくる気配はなかった。

 僕が夕食の片付けをすまし、テレビを見て、今日の講義のレポートをまとめる頃になってもあやは帰ってこんかった。僕は何気なく時計に目をやった。もう9時か。どこ行ったんやろ。

 ふいに僕の胸に不安が湧き上がってきた。まさかあやは、もうここへは帰ってこんつもりなんやないやろか・・・・。すぐに怒るあやの事やから、すっかり僕に怒ってしまってここには帰りたくなくなったら・・・・。それは嫌や。まだ僕はほとんどあやのこと知らんのに。ずっと一緒に暮らせないことなんか知っとる。僕の気持ちを伝えることができんのもしょうがない。

 でも今はまだ一緒にいたいんや。もっと一緒に色んなことがしたい。馬鹿な話で笑ったり、音楽聞いたり・・・・。あやがここにおってくれるだけでいいんや。僕はそれだけで嬉しいから。

 そんなことを考えると、いてもたっても居られなくなって僕は部屋の鍵を手にとると勢いよく玄関のドアを開けた。まではよかったが、危うくひっくり返りそうになり玄関にどすんと尻餅をついた。

 なんで僕がそんなに驚いたのかというと、ドアの前にあやが座っていたからや。もちろん勢いよく開けたドアはあやに当たることはなく、あやの体を素通りしただけやったけど。

「ずいぶん急いでるみたいね。どこ行くの?」

 いつもにも増してぶすっとしたしかめっ面の顔であやが僕に話しかけた。僕は尻餅をついた尻をさすりながら立ち上がると、やっとの思いで口を開いた。

「あやが帰ってこうへんから心配して探しに行こうか思て。なんや帰って来てるんやったら、さっさと入ってきたらええやないか。いつからここにおったんや?」

 あやはすっと立ち上がると、僕の言葉を無視して部屋に入っていった。どうやらまだ怒っているらしい。そして、僕に背を向けてベッドへ潜り込んだ。ふて寝かいな。ほんまかなわんわ。

「なあ、あや。僕が悪かったわ。ごめんな。あやは僕のこと心配してくれて親切に僕の悩みを聞いてくれようとしたのに、嘘でごまかすようなまねしてごめん。聞いとるんか?」

 あやからはなんの返事もない。黙ったままや。

「僕とは話したないん?ほな黙ったままでいいから聞いててくれ。僕にかていいたないことの一つや二つはあんねん。それはあやにも分かるやろ?いつか言えたらいうから。な?」

 相変わらずあやは黙ったままやった。今は何言うてもあかん気がする。いったん引くとするか。

「あやはもう寝るんか?カレーごちそう様。おいしかったで。ほな僕レポートの続きしんとあかんから。おやすみ。」

 僕は黙ったままのあやの背中に話しかけると、さっき書きかけだったレポートの続きに取りかった。あやがこんな状態やから、今日はあやに手伝ってもらうわけにもいかん。こりゃ夜中までかかりそうやな。まあ明日になったらあやの機嫌も直っとるやろ。さあがんばろ。今日は二つ仕上げんとあかん。締め切りは明日や。

 僕は気合を入れ直すと、三度レポートに取り掛かった。



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