告白
4.告白
「落ち着いたか?」
まだ青い顔のあやに僕はそっと毛布を掛けてやった。ありがとう、とあやが小さく呟く。
「どや?話せそうか?」
あやは小さく首を縦に振る。そして静かに話し始めた。
「何から話していいのか・・・・。まだ頭の中で整理がつかないんだけど、一つだけ確実なのは、私を殺したのはさっきテレビに映ってた男じゃないって事。私が襲われたとき、夜だったし暗かったからはっきりと顔を見たわけじゃないんだけど、左腕に傷があったのを覚えてる。ニット帽を目深にかぶってたから、顔ははっきり分からなかったけど左腕の大きな傷・・・・・。あれだけははっきりと覚えてるわ。それになんだかどこかで見たような気がするのよ。はっきり思い出せないけど・・・・。」
そこまで話してあやは小さなため息を漏らした。
「本当はね、あのときの事は思い出すのも嫌なの。それなのに誰かに聞いて欲しいなんて矛盾してるよね。でも、幽霊になって一人で彷徨ってる間、苦しくて苦しくてしょうがなかった。私はここに居るのにどうして誰も気付いてくれないの?どうして私の声が聞こえないの?お願いだから私に気づいてって、ずっと心の中で叫んでた。そして解かったの。ああ、死ぬってこういうことなのかな。誰にも気付いてもらえずに存在自体が忘れられていく事なのかなって。そんな事考えてたらすごく悲しくなってきて、なんでか分らないけど拓弥のことを思い出したの。一年前に偶然会ったあの人は私のことを覚えているかしらって。それで気がついたらここに居たの。」
「そうか・・・。」
僕はなんて言うたらええか分らずに一言だけそう言った。そしてそっとあやの手を握った。さっきと同じでその手は冷たい。そして小さく震えている。この手を離してはいけないような気がした。離したらきっとあやは遠くへ行ってしまう。僕の中であやは大きな存在になりつつあった。
僕にだけあやが見えた理由ははっきりとは分らへんけど、きっと僕は忘れていたとはいえ心のどこかであやにもう一度会いたいとずっと思っていたのかもしれない。だからあやが見えたのかもしれへん。僕は自分の中で認めたくなかった感情を今はっきりと認めた。
僕はあやが好きや。あやが幽霊やからあやのことは絶対に好きにならんやろうと頭の堅い自分が決めつけとったけど、今の僕はこの感情を抑えることができん。抗えない。けど、今はその事を言うべきときではないのは分っていたし、言う気もなかった。これ以上あやを混乱させるわけにはいかん。
「なあ、あや。何も一気に話すことはないんや。今夜でなくてもええ。ゆっくりでええんや。無理せんでええんやで。」
僕はできるだけ優しい口調であやをたしなめた。今の僕にはこんな事しか言うてやれん。はっきり言うて僕は気の利く人間ではなかったし、今のあやにできる事はあやの話を聞くことぐらいや。こんな自分に無性に腹がたった。こんなにも無力な自分に。
「大丈夫。少し落ち着いてきたから、全部話すわ。」
さっきまで黙り込んでいたあやが不意に口を開いた。その声はさっきとは違い、少し覇気が戻っていた。顔には乾きかけた涙の筋が光っている。もうあやは泣いていなかった。しっかりとした目で僕を見つめている。僕の動機は再び早くなった。
そしてあやは再び話し始めた。
「あれは9月12日だったわ。忘れもしない。私は家庭教師のバイトを終えてマンションへ帰る途中だった。家へ帰るには二通り道があって、そのうちの一つは近道なんだけど工事中で人通りの少ない道なの。時間も遅かったし、遠回りをして帰ろうかなと思ったんだけど、やっぱり面倒くさいからいつもの道から帰る事にした。それが間違いだったのよ・・・・。家まで半分くらいの距離まできたところだったわ。後ろから誰か付いてきてるのに気づいたの。そのときはもう遅かった。振り向きざまにお腹のところを刺されてた。痛くて、苦しくて、それでも私は犯人のシャツの裾をつかんだの。そいつ・・・・薄ら笑いを浮かべて私を見てた・・・・。逃げもせずによ。ざまあみろって言いたげに・・・。」
そこまで話してあやは下へうつむいて唇を噛み締めた。とても辛い話やった。聞いている僕も、もう聞きたくないと思うような。実際それ以上は聞きたくなかった。けど、話しているあやはもっと辛いんやと思う。それでもあやは話したいって言うたんや。
僕はあやの手をぎゅっと握った。その手はまた震えている。一呼吸おいてあやが再び口を開いた。
「その後のことはあんまり覚えてない・・・・。だんだん意識が遠のいて、目の前が真っ暗になってきて・・・・・。気が付いたときには病院のベッドで寝てる自分を見下ろしてた。丁度脈が切れたところみたいで、先生や看護士が必死に心臓マッサージとか電気ショックとか与えてた。テレビのドラマとかではそういう場面を見た事あったけど、まさか自分がそうされてるところを見るなんて夢にも思ってなかったから、すごく動揺したわ。しばらくはパニック状態だった。そのまま病室を飛び出して、病院の屋上で月を見てた。この状況を受け入れるのにすごく時間がかかったわ。私が誰かに刺されて死んだなんて全部ウソ。だって私はここに居るじゃない。ここでこうやって月を見てる。私が死んだのなら、ここにこうして存在してるのは一体誰?ずっとそんなことを考えてた。それでやっと一つの考えに行き着いたの。もしかして私は幽霊になったんじゃないんだろうかって。」
「それから?」
やっとあやの話す口調に落ち着きが出てきた。僕は少し安心してあやの手を握っていた力をそっと緩めた。
「これ以上ここにいても仕方ないなって思って、取りあえず自分が幽霊になってる事を確かめようと思ったの。取りあえず友達のところに行ってみたわ。大声で話しかけてみたり、目の前で手を振ってみたり・・・・。でも気づいてもらえなかった。その後も知り合いの家は全部っていうくらい行ったわ。でも、私に気づいてくれる人は誰一人としていなかった。その後は生ける屍っていうのかな、そんな感じだったよ。なんでかなあ。そのときにふっと拓弥のことを思い出したの。それから一年前の記憶の糸を必死に手繰り寄せてここに辿り着いたの。あの人にも私は見えないかも知れないけど、駄目で元々だから行ってみようって。そして今に至るわけ。」
そこまで話し終えて、あやは少し元気を取り戻したようやった。
「ようがんばったな、あや。話すんしんどかったやろ。話してくれてありがとう。今夜はここまででええよ。ほんまはもっと聞きたいことあるけど、ゆっくりでええんや。時間はいっぱいあるしな。ほんまありがとな。」
そういってあやに微笑みかけた僕はギョッとしてしまった。あやが大粒の涙を流していたから。え!?なんや?僕、泣かすようなこと言うたっけ?何泣いとんねん!
「なんや?僕泣かすようなこと言うたか?大丈夫か、あや。」
僕は焦って必死にあやをなだめようとしたけど、あやが泣きやむ様子は無い。僕は困り果ててしまった。
すると、あやがしゃくり上げながらなにか言っている。
「ん?なんや?」
「あ・・っり・・・がっと・・・う。」
涙交じりのその声はありがとうと聞こえた。何でお礼言われてんのやろ僕。なんもしてへんのに。
「なんでありがとうなんやあや。僕なんもしてへんで。あやの話聞いとっただけや。」
僕はどうしていいのか分らずにおろおろした。こんな状況に遭遇する事は滅多にないからなあ・・・。
あやは鼻をグズグズとすすって、必死で嗚咽を抑えているようだった。そしてやっとこさ口を開いた。
「何もしてないなんてそんなことないよ。私、死んでから今まで誰にもこの事話してなくって、さっきも言ったけど、苦しくて苦しくて仕方なかったの。誰かに聞いて欲しくて、でも私の声は誰にも届かなくて、辛くてどうしようもなかった。みんなもう私のことなんか忘れたのかなって・・・・。私の生きてた証って何もないのかなあって。だから誰かにこの事を話すなんてあきらめてたの。でも今、拓弥に話して自分の辛い事を他人に話すのが、こんなに嬉しいことだなんて思いもしなかったよ。これはね、嬉しくて泣いてるんだよ。当たり前のことがこんなにも嬉しいなんて思いもしなかった・・・。だから、今自分でも驚いてるの。」
あやは泣きながら必死で言葉を繋げた。そんなあやが僕は愛しくてしょうがなかった。今すぐ抱きしめてやりたいと思った。でも僕にはそんな勇気はない。さっきはとっさにあやを抱きしめたけど、抱きしめようと思ったらできない。きっとここで抱きしめたら、僕は後戻りできんようになってし
まう。
僕はそっとあやの頭をなでた。今の僕にはそれが精一杯やった。あやが泣き止んで日課の風呂に入っている間、僕は冷蔵庫に冷やしてあったビールを飲んだ。なんだか無性に呑みたい気分やったから。
その夜飲んだビールは何故だかとても苦かった。あやが一緒に呑めたらよかったんやろうけど、幽霊のあやはそうもいかない。その苦味はいつまでも舌の上に残っているようで、歯を磨いてもなかなか取れなかった。
あやはというと、ずっと胸に溜め込んでいたものを僕に話してすっきりしたのか、泣き疲れたのか風呂から上がるなり、ちょっと早いけど私、もう寝るわ。と言って、僕のベッドに潜り込むとさっさと寝てしまった。しゃあないなあほな僕も寝るか。とベッドの隣に布団をしいた。
部屋の電気を消してそっとあやの寝顔を覗き込む。目の周りの泣き後が痛々しい。でも、その寝顔は安心感に満ちていた。僕は少しほっとして、あやの髪をなでると自分の寝床へ入った。
その夜、僕はなかなか寝付けんかった。あやはなんで泣くほど嬉しかったんやろ…・。僕は、ほんま話を聞いただけやのに…・。そのことがずっと不思議で、ない頭で色々考えた。
生きているときには何でもなかったことが、死んでしまったあやには当たり前ではなくなってたんや。無くしてから、その大切さに気付くというのはよく言われることやけど、そういう感じなのかなあ…・。いや、あやのはそんなもんじゃない。もっと複雑で僕なんかには到底理解でけへん感情や。そう生きている僕には。
だいたい、生きるってなんなんやろ。なんで人間は生きてんねやろ…。どうしてこの世に生まれてくるんやろ…。自分の生きた証を残すためか?
人生楽しまな損て言うけど、今の僕は人生楽しんどるんやろか?今の大学えらんだ理由やって、これといった夢があるわけじゃない。ただ、自分の学力に見合ったところを適当に選んだだけや。別にこれといってやりたいこともないし、これからの時代大学ぐらいは出とかんと就職するときに苦労する。そういうつまらん理由や。
そんなことをごちゃごちゃ考えていたら、結局、自分がなんのために生きているのかよう分らんようになってきた。でも、一つ言えることはあやが僕のところに来てから、つまらなかった僕の日常が一変したという事だ。幽霊と暮らすなんて一生でなかなか体験できることではない。常識では考えられない事を僕は今やってるんや。
そう思うと、“生きる”ということはそういうことの繰り返しかもしれないと思った。色んな出来事を体験して色んな人に出会い、そこから自分なりの“生きる”という答えを見つけていく・・・・。
僕が死ぬときには、あーいい人生だった。面白かったなあ。って思って死ねるんかな。それとも、なんも無かった人生やった。やっと終わりかって思って死ぬんかな・・・・。どっちかっていうと、もちろん前者のほうがいいけど、どう終わるかは僕次第やな。
でもあやは、そんな答えを見つける前に名前も分からない赤の他人によって生きることを辞めさせられてしまった。そして幽霊になった。どうして自分が殺されなければならなかったのかも解らず、それを話そうにも周りの人間には自分の存在さえ気づいてもらえない。そして、やっと僕という存在を見つけたんや。当たり前のことがこんなにも嬉しい・・・。あやの言ったことがようやく頭と心で消化できた気がした。
これからもあやの話を聞いてやりたい。どんなに辛い事だって聞いてやる。それが僕にできる、あやを喜ばせることなら僕はどんな話だって聞く。
床の上からベッドを見上げると、あやはこちらに背を向けて眠っていた。その背中に「お休み。」と、そっと声をかけて僕も寝る事にした。徐々に睡魔が襲ってきて、眠りに落ちていくのが分かる。
今夜あやの告白を聞いて、僕は自分の中で認めまいとしていた気持ちをはっきりと認めた。
あやが好きということ。これから僕の恋がどうなるかはわかれへんけど、一つ言えることは、僕は女運が悪いということや。前の恋愛は彼女の浮気であかんようになって、新しく恋した相手は幽霊・・・・。とにかく今日は寝よう・・・。これからどうするかは明日考えればいい・・・。
僕の意識はだんだんと闇の中へ沈んでいった。