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闇夜の

3.闇夜の月

 あやが僕の部屋に居候し始めて、約1ヶ月が過ぎようとしていた。考えていたよりも、心配事は少なく、いたって僕は普通の生活をしていた。

 あやは、僕が学校に行っている間はだいたい部屋にいたが、夜、たまに出かけているようだった。

 最も、僕はバイトをしているためほとんど夜はアパートにはおらへんかったけど。こんな風に生活サイクルの違う二人だったけど、お互いを干渉すると言うような事はなく、僕はあやの出かける先や、昼間の行動を聞いたりはせえへんかったし(もちろん気になってはいたけど)、あやも差し障って僕のする事に口出しをするということはなかった。

 ただ、やはり問題というのは生じてくるものである。あやは幽霊のくせに風呂に入る事が好きやった。別に死んでるんやから、体が汚れたりすることはないと思うんやけどと、本人に突っ込んだら、これだけは譲れない、私が一番リラックスできる時間なんだからと、言い返された。あやも僕のおらんときを見計らって、入ってるつもりなんやろうけど、どうしても見込み違いという出来事は起こる。

 運悪く(良く?)あやの風呂の最中に帰ってきたりすると、自制心との戦いとなる。僕のアパートの風呂は、古いせいか声が良く響く。あやが体を洗うシャワーの音や、鼻歌を歌うのが聞こえてきたりすると、一気に妄想が膨らむ。さすがに、あやがおる部屋で一人でするわけにはいかず、僕はトイレにこもる羽目になる。

 彼女でもない女の子と暮らすと、こういうことがやっぱり困るなと、しみじみ思ったりする。

 逆に、あやが来て良かった事も多々あった。あやは意外と家庭的で、居候の身なんだからと、家事全般を引きうけてくれた。最も、あやは食物を何一つ口にする事はなかったし、服もずっとそのままだった。死んでいるんだから、もちろん汗をかくことなんてなかったし、腹も減らないとのことだった。だから、僕のためだけに料理を作り、洗濯をし、掃除をする。これはなかなか気分が良かった。

 でも、僕にはあやが家事を上手にこなす事が意外やった。あやは見た目から判断すると、ええとこのお嬢さんって感じで、家事など全然しそうにないのに。

「なあ。あやは家の手伝いするんが好きやったんか?あやが意外と家事が上手やから感心したわ。」

手際よく古新聞をまとめているあやの背中越しに話し掛けると、

「意外と〜?失礼しちゃう。」と、膨れっ面であやが振り向いた。どうやらまたあやを怒らせてしまったらしい。僕は訳もなくおかしくなって、クックッと笑った。

「また怒ってる。あやはほんまに短気やなあ。初めて会ったときからささいな事で膨れてばっかりや。河豚みたいやな。ぷくーって膨れたほっぺたが河豚そっくりや。」

 僕がそう言って笑うと、あやは例のごとくますます膨れっ面になった。

「もう!拓弥って見た目によらず意地悪よね。誰が河豚よ。ほんとに失礼しちゃうわ。こんなかわいい女の子に向かって。そんなこと言うんだったら、もう家事してあげないから!」

 どうやらあやを本気で怒らせてしまったらしい。あやは再び僕に背中を向けると、新聞を紐で縛り始めた。

「ごめん。でも僕あやのこと褒めたんやで。最近の女の子にしては、ほんまに料理とか掃除とかうまいからなあ。それに感謝かてしてんねんで。いつも家事やってくれて大助かりやし。」

「ほんとに?」

あやがまだ少し機嫌の悪そうな顔で振り返った。

「ほんまやで。あやが僕の部屋に来てくれてよかったわ。男の一人暮らしなんて、人間らしい生活でけへんからな。」

「なんかうまいこと言ってるわね。でもまあ、そこまで言うのなら許してあげる。はいこれ。まとめてあげたからね。明日は古新聞の日だから、大学行く前に出してよね。」

「はいはい。ありがとさん。ほんまにあやはようできた女や。」

「もういいわよ。そこまで褒めなくて。逆に嫌味だから。」

 そう言ってあやは再びそっぽを向いた。でも僕には分かっていた。あやはもう怒ってない。

 女の子の事にあまり詳しくない僕も、さすがに1ヶ月同じ相手と毎日顔を合わせていれば、自ずとどう接すればよいか分かってくる。

 確かにあやは短気だったけど、後に引きずらないという長所(?)を持っていた。だから、あやが怒ったときには自分が悪くなくてもとりあえず誤る、そしてあやを褒める。そうすればあやの機嫌はすぐ直る。要するにあやは単純や。一言で言えばシンプルという言葉が似合うだろうか。

 僕はあやのそういうところが気に入っていた。分かりやすくていい。何でもはっきり言うし、ときには腹も立つけど、あやの言うことは的を突いている。

 でも、そんなシンプルなあやにも一つ分からないところがあった。時折見せるとても寂しそうな顔。そんな顔をしているときのあやは僕が何を話し掛けても乗ってこんかった。そんな時僕はなぜだか分からないけど、胸が締め付けられる。そしてあやを思いっきり抱きしめてやりたくなる。もしかしたら僕はあやを好きなのかもしれない。でも、あやは幽霊や。あやが人間の女やったら間違いなく僕はあやを好きになっていただろう。そう生きてるときにもっとあやと話せていたら・・・・・。

 こんなことを考えても不毛なことやというのは分かっているんやけど、あやが寂しそうな顔をするたびにこんな思いが心の底から頭をもたげてくる。このままじゃやばいよなあ。僕、幽霊に恋してしまうやんか。叶うわけないのに。あやは僕の事どう思っとるんやろ・・・・・。

 などと、僕がいらん事をごちゃごちゃ考えている間にあやはどこかへ出かけたようだった。部屋を見渡しても姿がない。あーあまた肝心な話がでけへんかった。今日こそはなんであやが家事上手で、どんな生活をしてたんか聞こうと思ったのに、結局聞けずじまいや。

 僕は寝そべってテレビのリモコンを手にとると、電源を入れた。夕方だったのでニュースしか見るものがなく、適当にチャンネルを合わせた。

北朝鮮問題、イラク戦争、政治家の不正、銀行の不正・・・・。いつもとあまり変わらない内容のニュースをアナウンサーが淡々と読み上げていく。なんかニュースも代わり映えせんなあとテレビを眺めていたときだった。

「9月から東京都内で連続して起きている女性の殺害事件に新展開です。今日の午後、犯人が逮捕されました。」

僕はびくっとして、テレビの前に座りなおした。テレビの画面には中年の男の写真が大写しになっている。ずいぶんと太っている。疲れた感じで、無精ひげを生やし、細い目でこちらをにらみ付けているような写真だった。

「逮捕されたのは東京都江東区に住む無職、斎藤昭夫容疑者48歳。警察の調べによりますと、昨晩江東区の公園を散歩していた女性から、誰かに付けられていると通報があり現場に急行した捜査員が被害者ともみ合いになっている斎藤容疑者を発見、傷害罪で現行犯逮捕となりました。斎藤容疑者の持っていた刃渡り20センチの出刃包丁が被害者4人の傷口と一致したこと、その後の家宅捜索で同容疑者のシャツから検出された血液が被害者の一人と一致した事から殺人罪で再逮捕となりました。斎藤容疑者は大筋で容疑を認めているとの事です。動機に関しては現在調査中。分かり次第お伝えいたします。」

 僕は、夢中でビデオの録画ボタンを押した。それをあやに見せていいのかどうか分からなかったけど、取りあえず押した。


 それと、ほぼ同時だっただろうか。台所のほうでガチャンと何かの割れる音がした。

 僕が恐る恐る振り向くと、あやが呆然と立っていた。

「なんや。あや帰ってたんか。気配がないのになんか割れる音したからびっくりしたわ。どうした?グラスかなんか割ったんか?」

 僕はつとめて普通に話し掛けたが、あやは何も言い返さず殺人事件のことを伝え終わったテレビの画面をひたすら睨んでいた。画面は天気予報へと変わっている。

「あーあ僕のグラス粉々やん。新しいやつ買わんとあかんなあ。ほら、片付けたるからあやは風呂にでも入ってこいや。今日は日課の風呂はまだやろ?」

 僕はあやの足元に散らばったガラスの破片を拾いながらさりげなくテレビのチャンネルを変えた。あやはまだテレビの画面を睨んだままだ。僕は割れたグラスをビニール袋に入れると、掃除機を押入れから出した。

「ほら、そこ掃除機かけるからあやは向こう行っとけ。」

 掃除機のプラグをコンセントに差込み、僕は黙って掃除機のスイッチを入れた。ブオーッという掃除機の音だけが部屋に響き渡る。その音は重苦しく、僕の心をいっそう暗くさせた。

 あやになんて言っていいか分からなかった。犯人捕まったんやて。よかったなあ。違う、こんな風に無責任な言い方あかん。確かによかったかも知れんけど、こんな言い方はあかん。僕には、あやにかける言葉がどうしても思い浮かばんかった。

 「違う。」

 それまで押し黙ったままテレビの画面を睨んでいたあやが、沈黙を破るように口を開いた。

 僕はびくっとして、掃除機のスイッチを切るとあやのほうへ振り向いた。その顔はこわばって、紙のように青白い。

 「どういうことや?さっきテレビに映ってたやつがあやを殺した犯人と違うんか?」

 僕は恐る恐るあやに話し掛けた。

 「違うわ。さっきテレビに映ってた男じゃない。あんなに太ってなかったもの。それにもっと若かったような気がする・・・・・。それに、それに・・・・。」

 それだけ言うとあやはその場にへなへなと座り込んでしまった。

 「大丈夫か?あや!」

 ぼくは掃除機を放り出してあやの肩を抱いたが、その腕は虚しくあやの体をすり抜けた。あやはよっぽどショックだったようだ。実態を作るのも忘れてたぐらいやから。が、しばらくすると僕の腕の中に柔らかい肌の感触が感じ取れるようになった。あやは小刻みに震えていた。カチカチと歯を鳴らして、まるで暗闇に怯える子供のように。

初めて抱いたあやの体はぞっとするほど冷たく、それは生きた人間の体温ではなかった。それでも僕はしっかりとあやを抱きしめた。抱きしめたところから自分の体温が奪われていくのが分かる。

それは不思議な感覚で、肌と肌の触れたところから僕の体温とあやの体温が溶け合って交じり合い、僕のものでもない、あやのものでもない、二人とはまた別の熱を作り出していくようだった。

 あやは僕に抱きしめられたままじっとしている。どうやら震えは治まったようだ。そしてゆっくりと顔を上げて、弱々しく口を開いた。それは普段のあやからは想像もできないような、か細く儚い声やった。油断すると聞き逃してしまいそうな。

「拓弥・・・・・。聞いてくれる?あなたに話してどうこうなるって事じゃないのは、分かってるの。でも、聞いて欲しいのよ・・・・。幽霊になってから誰にも気付いてもらえずにいたから・・・・。ほんとは誰かに聞いて欲しかったの。だからずっと一人で彷徨ってた。お願い・・・・」

 あやの瞳は涙で濡れていた。それを見た僕の心の中ではこれから聞くであろうあやの話への大きな不安が渦巻いていたけど、それとは別にざわざわと僕の心を騒がせる妙な感情も芽生えていた。

 あやの顔を真正面から見つめる。その顔はとてもきれいで、憂いに満ち、僕の心をより一層ざわつかせた。

「ええで。あやの話全部聞いたる。僕が聞いたるから。」

 窓の外はいつのまにか夜の帳が下りてきて、薄暗くなっていた。満月から少し欠けた月だけが晩秋の空に不気味な光を放っている。僕の心臓は今までにないくらい早く脈打っていた。


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