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君の顔が好きだ

作者: わたぼう

 夏の終わりのことだった。長かった夏休みも終わり、カレンダーが九月に変わっても、まだ季節は夏だった。今年は一段と残暑が厳しく、アブラゼミもまだ元気に鳴いている。

 やさしい赤色をしたトンボもそこら中を飛んでいる。僕は大学から自転車を飛ばして帰っていた。

 前かごにはスーパーのビニール袋にくるまれたアイスの箱が一つだけ入っている。彼女の好きなソーダバー六本入り。バニラアイスをソーダでコーティングしたやつ。彼女はこれが二番目に好きだ。ナンバーワンはハーゲンダッツのストロベリー。

 近所のスーパーでも同じものが買えるけれど、彼女はそれを許さない。大学近くのスーパーの方が、二十円も安いからだ。ケチくさいなとも思うけど、そんなことにこだわるところもかわいい。アイスが溶けないうちに、急いで帰る。

 アイスの青い箱には水滴がいくつも浮き出ていて、僕の体からも汗が溢れている。喉もカラカラに渇いていた。けれどアイスが溶けてしまうので、途中休憩なしだ。彼女はアイスが溶けることをこの世の何よりも許さないからだ。憎んでいると言ってもいい。

 深く息を吸い込むと、夏の湿った空気が肺を満たす。

 木々に囲まれた視界がぱっと開ける。

 僕らの住む町が見える。

 景色はどこまでも広い。遠くに高架線を走る銀色の電車が見える。マンションや小さなビルが多く、中途半端な都会だ。

 急激な下り坂の両脇にはコピー&ペーストしたみたいな住宅がいくつも建っている。僕の背後には延々と続く上り坂があって、その先には僕と彼女の通う大学がある。おおよそ自転車で二十分というところだ。

 もう時間的には夕方だというのに、太陽は西の空でまだ煌々と仕事を続けている。

 坂を下りきったところに僕の家がある。周りを背の低い一戸建てに囲まれた、二階建てのアパート。壁は赤いレンガ模様をしていて、二階に上るための階段のすぐ横に住人用のささやかな自転車置き場がある。駐車場はない。築三十年は軽く越えているため、家賃もまあまあ安い。住人には僕のような学生が多い。

 僕はここで彼女と同棲している。かれこれもう二年になるだろうか。一人暮らしのご近所さんがたには申し訳ないと、ほんの少しくらいは思っている。

 お互い、親には内緒の同棲だった。彼女は地方からの上京組で、僕も実家を出て一人暮らし。学生の僕らにとって家賃を削れることは何よりの魅力だったので、これ幸いとばかりに二人でここを借りてしまったのだ。

 彼女との生活は驚きとおかしさの連続で、飽きることがない。大好きな彼女との生活なのだから、当然かもしれないけれど、ケンカもしないし、ほとんど毎日一緒に過ごしている。僕らは順風満帆だ。

 僕が階段脇に自転車を止めていると、矢野さんが二階から下りてきた。大きく口を開けた虎がでかでかとプリントされたTシャツに、いつの時代のものかわからないようなジーンズをはいている。

 大家の矢野さんはやさしいおばちゃんで、二人ともとてもお世話になっている。ある意味では、遠くにいる親よりも親らしい存在の人かもしれない。

「こんにちは。今日も暑いですね」

「せやねー。もう九月やいうのにねー」

 矢野さんは手に短い箒とちりとりを持って、ふうふうと息を吐いている。白髪染めした前髪が汗で額に貼りついている。

「あ、そういえばさっき、園田くんの部屋からなんか大きい音がしとったよ」

「大きい音ですか?」

「なんか、ドシン! って、廊下まで聞こえてきたけど」

「すいません、彼女に言っときます」

 たぶん、彼女がまた趣味に興じているのだろう。彼女の趣味はプロレス技の研究だ。お父さんの影響で小さいときからプロレスを見て育ったため、いまでもオリジナルの技を開発するのが趣味なのだ。その趣味には僕も付き合わされることが多い。技は一人では完成しない。かける相手がいないといけないから、僕は時々彼女に関節をキメられたりする。まあまあ楽しい。

 たまにはそのまま、ふたり裸でプロレスに親しんだりもする。こっちもまあまあ楽しい。

「ええよええよ、どうせこの時間誰もおらんし」

 と矢野さんは気のいい笑顔で言ってくれたが、そういうわけにもいかない。彼女には何度も注意していることなので、僕は今度もまた同じことを彼女に言わなければならない。彼女はその度に拗ねたような表情をするので、なんだかこっちが申し訳ないような気になってくる。それが彼女の手なのだ。今日こそ騙されるものか。

「本当にすみません」

「ええんよ。それよりも、最近この辺で泥棒出るらしいから、気いつけてね」

 矢野さんとはそれで別れた。これからスーパーに買い物に行くらしい。

 階段を上ってすぐの部屋のドアに鍵をさしこんで右に九十度回すと、いつもの解錠音がして、僕は部屋の中に入った。表札には「園田・宮下」と明朝体で書かれている。

「ただいまー」

 靴を脱ぎながらそう言ったが、返事はない。

 僕はくたびれ薄汚れた白いスニーカーを彼女のピンクのミュールの横にきちんと並べて、部屋に上がる。部屋に入ってすぐ、玄関の真横には台所がある。水の張った洗い桶の中に、朝食のときの食器が二人分と、彼女が昼に食べたであろうそうめん用の中くらいのボウル皿が沈んでいる。水面には何匹か小さい羽虫が溺死している。虫もあまりの暑さに生き急いだのかもしれない。

 台所を通り過ぎると、居間として使っている和室と、その奥に寝室に使っている洋室とがある。ともに広さは六畳くらいだ。

 和室に続くふすまは閉まっている。この、台所にふすまがあるというのもインテリア的にどうなんだろうかと何度も思ったけれど、どうでもいいことだと気づいたのでもう気にしない。

「ただいま」

 もう一度言ってふすまを開ける。タンっ、という軽い木の音。洋室の窓ガラスの向こうに、青い空がおぼろげに見えている。

 室内は閉め切られていて熱がこもっている。クーラーも扇風機も動いていないようだ。暑がりな彼女にしては珍しい。

 そこでおかしなことに気がついた。和室の梁から、何か紐のようなものがぶら下がっている。僕の目線よりも少し上に。

 それは、正月に玄関に飾るしめ縄のようでもあったけれど、よく見れば飾り一つないただの荒縄だ。ささくれのようにけばけばとした縄の表面は、見ているだけでなんだか全身にかゆい錯覚を覚える。荒縄は梁に引っ掛けられて、大きな輪っかを作っていた。人間の頭くらいなら通りそうな輪っか。その輪のいちばん下の部分に、赤いものが付着している。

 これはいったいなんだろうか。彼女がまた僕に理解のできない何かを始めたのだろうか。彼女のすることはたいてい意味不明だ。頭をひねりながら和室に入る。と、何かにつまずきそうになった。

 何か大きく重いものが床の上にあった。彼女がまたゴミ置き場から何か拾ってきたのかもしれない。

 足元を見る。そこには、彼女がいた。正確には、彼女の肉体が。もっと正確に言えば、首から下があおむけに横たわっていた。僕は彼女の腰骨の辺りにけつまずきそうになったのだ。

 どう見ても彼女である。

 だが僕の大好きな彼女ではない。

 僕はどうにも冷静だった。そこにあるものが理解できなかったので、取り乱しようがなかったのかもしれない。彼女の肉体。首から下だけ。小さい肩と細い指とCカップの胸と、少し肉がつまめるお腹とエキゾチックな太ももとコンプレックスの太めな足首と。それだけが古くさい畳の上に、昼寝するみたいにあおむけになって、天井を見つめている。顔も目もなく。

 畳が赤黒く汚れている。

 手からアイスの入ったビニール袋が滑り落ちたのもかまわず、彼女の肉体をまたいだ。そうしないと向こう側に行けなかった。部屋の真ん中にちゃぶ台があって、僕の行動を著しく邪魔している。

 僕は彼女のもの言わぬ肉体よりも、彼女の頭を探すことにした。そっちの方が重要だった。和室のどこにも頭だけが見当たらなかった。

 洋室の、僕らがいつも一緒に眠るベッドのそばのフローリングに頭は転がっていた。彼女の頭を持ち上げる。それはスイカくらいの大きさで、しかしずっしりと肩にこたえるくらいに重い。彼女はとても健やかな顔をしていて、僕は思わずそのまま一緒にベッドの上で眠ってしまおうかと思ったほどだ。

 しかし残念なことに、彼女のちぎれた首筋からはわずかに血が滴り、首の中には不気味なほど詰め込まれている肉の真ん中にぽつんと白い骨が見えていた。これでは一緒に眠ることはできそうにない。

 僕はそこで、自分が事態を理解しつつあってもほとんど動揺していないことに気がついた。彼女が首から上と下に別れてしまったというのに、僕ときたら気にしているのは彼女――の首から上――をベッドにのせるとシーツが汚れるなとか、今日の晩御飯の当番は彼女なのに困ったなというごくつまらないことだけだった。

 改めて彼女の顔を見た。まぶたを閉じ、唇も引き結んでいる。いつもの彼女の寝顔となんら変わりはない。僕の好きな彼女の顔だ。

 一日中家にいただろうからノーメイクだったけど、それでも十二分にキュートな顔面をしている。

 僕は彼女の首から上を持ったまま和室に戻って、あの荒縄を確認した。輪っかになった縄の内側には赤いものがついていて、部屋の畳にも同じ色が大量についている。ボロボロの畳は真っ赤なペンキをぶちまけたみたいになっていて、どことなく前衛的だ。あとで矢野さんに謝らないと。

 彼女はきっと、これで首を吊ったのだろう。チクチクして痛そうなこいつで。いかにも気が利かなさそうなこいつで。

 念のために、彼女の首から上を荒縄の輪っかの中に通してみた。まるで供物を捧げる信者みたいな格好になる。すると思った通りにするりと首から上はその輪っかの中を通り抜けた。ちょうど頭は通るけど、肩はつかえるくらいに輪っかのサイズは調節されていた。

 畳に横たわる彼女の肉体だったものを見る。首から上を小脇に抱えたまましゃがんで、あおむけになった胸に耳を当てる。もちろん、鼓動はない。やわらかい彼女の乳房があるだけ。まだひっそりと温もりがある、ような気がした。

 僕は頭を抱えた。実際、頭は抱えている。

「どうしようか」

「ホント、どうしようかなぁ」

 すぐそばから、そんな緊張感の欠片もない声がして、僕は振り返った。けれど部屋の中には誰もいない。ここは僕と彼女だけの部屋で、セキセイインコのピーちゃんもいなけりゃテレビもダンマリを決め込んでいる。この部屋には気の利かないやつばかりだ。

「ねえ、ちょっと」

 また声がした。どこだ、どこからだ。この部屋には僕以外誰もいないはずなのに。

 僕は勢いよく立ち上がって和室の押入れを思いきり開けた。黄ばんだ障子紙がところどころ破けたふすまが耳障りな音をたてて枠にぶつかる。押入れの中には僕らの衣服が入ったプラスチックの衣装ケースが四つばかり入っているだけだ。

「あ、ゴキブリ」

「え!?」

 僕は思わず後ろに飛び退いた。そのとき脇に抱えていたものを――つまりは彼女の頭を――落っことしてしまった。

 頭は畳にぶつかって、にぶい音をたてる。そのままころころと転がり、やがてちゃぶ台の脚の一本の前で止まった。

「こんにちはぁ」

 偶然にも、ゴキブリはちゃぶ台の真下にいたらしく、彼女がそいつに挨拶をした。ゴキブリは礼儀知らずなやつで挨拶を返さずに台所の方に逃げていった。

 僕はそいつの迷いのない逃走を一部始終目撃した後に、彼女の頭を拾い上げた。

「落とすなんてひどいなぁ。もっと大事に扱ってよ」

 頭が言った。いや、頭ではなく顔が? どこがどう言った?

 僕はくるりと、頭の向きを変えた。彼女の綺麗なうなじから輝くような相貌に向き直る。彼女は、ちょっと拗ねたときによくするように、頬を膨らませていた。

「あ、アイスは?」

 僕は彼女の太もも――僕にとっては魅力的で彼女にとってはそうではない――のすぐ横で黙って、自分の運命に従って溶けているアイスの入ったビニール袋を指差した。

「見えないよ」

 彼女がまたむくれて言うので、僕は彼女にも見えるように頭の向きを変えてあげた。

「……ねぇ、あれ溶けてない?」

 月明かりに照らされた真夜中の池の水面みたいに美しかった彼女のショートの黒髪は、べったりと血で汚れていた。かすかにシャンプーと汗と、血のにおいがする。



「気が利かないんだから」

「ごめんって」

 彼女はそう同じ文句を何度も言って、今日二本目のソーダバーを要求した。僕はその求めに応じてソファから立って、冷凍庫から薄いビニールに入ったアイスを一本取り出して持っていく。ビニールを破いて、再冷凍されて完全に固まった水色の棒アイスを彼女の口元に押しつけた。彼女はそれを咥えると、あとは僕の助けがなくても器用に口だけで咀嚼していく。僕は手を離して、彼女がソーダバーを少しずつ食べ進めていくのを眺める。まるで木の棒を丸のみしているみたいにも見える。よく飽きもせずに何本も食べられるなと感心しながらその光景を見ていた。

 彼女の頭は適当に引っ張ってきたクッションを下に敷いてソファに置いていた。首の断面部がクッションに当たると気持ち悪いだろうなと、なんとかそうならないように考えてみたが、彼女いわく触覚をまったく失っているらしく、それは気にならないそうなのでそのままクッションの上に置いた。触覚はないくせに、いっちょまえにアイスは食べるんだから、都合がいい。

 なんとなく見ていると、彼女がアイスを咥えたまま何かふがふがと言い始めたので、僕はアイスの棒を持って彼女の口から離す。

「どうしたの」

「……頭が痛い」

 小さな眉間にしわが寄っている。

「そりゃ二本も食べればね」

「そもそも園田くんが悪いんじゃない。アイスって溶けたらなんの意味もないんだよ。わかってるの?」

「悪かったって」

 そうは言っても、アイスを買って帰ってきたら君の首がとれてたなんて状況で冷静にアイスを冷凍庫にしまえると思うのか。さらに君が生きていることを知って、僕が叫び声一つ上げなかったことを褒めてほしいくらいだ。驚きのあまり声も出なかっただけだけど。

 そのあとでちゃんとアイスを冷凍庫に入れて凍らせた。彼女はそれすらも待てずに、半分溶けたアイスを飲むように食べた。そして今度はちゃんと凍らせたアイスを蛇がネズミを丸呑みするみたいに器用に食べていく。

 ぷりーず! と彼女が唇を突き出すので、ソーダバーを口に戻す。彼女はそれを吸い込んでいく。

「よくそんなに食べれるよね」

 僕が呆れながら言うと、

「ふぉおだふぉはあふぇんふぁっつふぁふぉくべつ」

 まったく何を言っているのかわからない。ふたたびアイスの棒を彼女の口から離す。溶けたソーダの青いしずくが口元からこぼれたのを指ですくって舐める。

「なんて?」

「ソーダとハーゲンダッツは特別!」

「どうして?」

「ハーゲンダッツは言わずもがなでしょ。アイスの王様だよ」

「まあ、そうかもね」

 僕はクッキー&クリームが好き。

「じゃあソーダは? あんなのただの水じゃん」

「ソーダには何気ない味がついてるの。その薄さがいいんじゃない」

 わかってないなー、と彼女は首を振る――ような仕草をしただけで、実際に首が振れるわけではない。

「何気ない味っていうのは、出せそうでなかなか出せないんだよ。自然体って難しいでしょ」

 そんなものだろうか。自然は自然だと思うけど。人工が人工みたいに。

「アイスを語れない男はつまらないよ」

「アイスソムリエを目指してるわけじゃないし」

 たかだかアイス一つで男の価値を決められたらたまらない。僕は彼女の食べかけのアイスを口に含む。それからちらと横目で見て、

「それで。あれ、どうするの」

「あれ?」

 僕はまだのんきに寝そべっている彼女の肉体を指差した。が、彼女がそっちを向いていないので、側頭部を持って向きを変える。

「ああ、あれ?」

 彼女はフリーマーケットで買ってきた海外のおもちゃを見るような、なんとも気軽な調子で、

「好きにしてくれていいよ」

 と言った。僕がアイスの最後を食べてしまったことに気づいた彼女は顔を真っ赤にして罵詈雑言をぶちまけだしたので、アイスのかわりに僕の人差し指と中指を彼女の口に突っ込んで、裸になったアイスの棒を部屋の隅のごみ箱に投げ捨てる。

「好きにしてくれ、って言われてもなぁ」

 欲しいか欲しくないかで言えば断然欲しいけど、いかんせん置き場所がない。押入れには入らないだろうし、何よりいまは夏だ。まだまだ真夏日が続いているなかで、あんなものの鮮度を保てるかどうか。

「好きでしょ? わたしの体」

「好きだけど……」

 週三ペースで愛したいくらいには、ね。

「だけど?」

「置き場所がないし、いまは夏だ。すぐに腐っちゃうよ」

 まだにおいはしていないが、それも時間の問題だろう。生き物は死んだ瞬間から腐敗が始まる。特に人間は肉がたくさんついている分、より強烈に腐っていく。六十兆個の細胞が死んでいくのだ。彼女の指も胸も太ももも、例外なく。

 生きた人間でさえ腐りやすいのに、死んでたらなおさらだ。

「死体じゃいや?」

 彼女が得意とする猫撫で声。そんなに僕を自分の死体と交わらせたいのだろうか。

 もちろん僕もいやではないし、大好きな彼女の体だから、そういうことに興味がないと言えば嘘になるけど。でもやっぱり気がのらない。マグロの彼女を抱くことに意味はあるのか。

 畳の上であおむけになっている彼女の体。首から上がないこと以外は、何も異常は見当たらない。昼寝をしているみたいに無防備な格好だ。手も足も投げ出されていて、なんとも言えない背徳的な感じがある。ミッフィーがプリントされたTシャツにホットパンツという出で立ち。

「腐っちゃうから、使うなら今日中が限界だと思うけど」

 使う、という他人行儀な言葉が、僕の心にとげのように刺さる。

 僕は別に、彼女の体に惚れたわけではない。そこを勘違いされたら困る。

「やめとくよ」

「いいの?」

 押入れからタオルケットを引っ張り出して彼女の体にかける。このままではあんまりだ。

「たぶん、君の体だからなかなかいい具合だとは思うけど、でもやっぱりそんなのつまらないよ。その中に君はいないわけだし」

 彼女の体をそれこそダッチワイフみたいに扱えばそれはそれで乙なものだろうけど、それじゃあ意味がない。その行為はまったく僕の気持ちを満たしてはくれない。それに、必然的に一連の行為を彼女に見られるわけで。それはさすがに恥ずかしい。

「ふぅん。まあ別に私はどっちでもいいんだけど」

 本当にどっちでもいいような言い方だ。

「冷凍保存しておけるならもらいたいところなんだけどね」

 冷凍マグロならぬ冷凍彼女。ありかな?

「じゃあどうするの? 捨てる?」

「いや――」

 それは、まずい。いくら彼女がこうして生きている――で、いいのだろうか――と言っても、体だけ見れば首なし死体にしか見えない。そうなれば疑われるのはまず同棲相手の僕だろう。そうすれば確実に彼女にも迷惑がかかる。いや、元はと言えば彼女がしたことなのだが。

 ともかく、彼女に注目が集まることだけは絶対に避けたい。

「――埋めよう」

 僕は考えた中でもっとも現実的な方法を提案した。

「埋める? どこに?」

「そこの山だよ。坂を上ったところの」

「ああ、あそこね」

 大学に行くときにいつも上る急な坂道は小高い山になっていて、その山の一部は企業の所有地になっている。敷地内にはテニスコートや野球のグラウンドが作られているが、未開発で雑木林のまま放置されているところもたくさんある。

「フェンスで覆われてるけど、あれくらいならかんたんに越えられるはずだよ」

 子どもの頃に金網を乗り越えて、友達と遊んだことが何度かあった。それほど広い空間ではないけれど、人目にはつかないので子どもにとっては格好の遊び場だった。けれどずいぶん前に金網が頑丈なものに変えられて、それ以来近づかなくなった。僕らがそこに入っていたことが大人にバレていたような気がして、後ろめたかったのかもしれない。

「でも、それ運べるの?」

 そう言われて、僕は物理的な苦労を考えていなかったことに気がついた。

 テレビやなんかでよく言われていることだけど、意識のない人間は実際の体重よりもずっと重く感じるらしい。ましてやこの肉体は意識どころか命すらないのだ。完全なる肉の塊。彼女だったもの。いまなお彼女であるもの。

「つかぬことを聞くけれど、体重何キロ?」

「女の子に体重聞くかな、ふつう?」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」

 死体に恥じらいも何もないだろう。これから体重は減る一方なんだから別にいいじゃないか。

「……春の健康診断のときは、たしか四十六キロ」

 目が泳いでいる。

「本当のところは?」

「…………四十九キロ」

 ということは、頭の分を差し引いても四十キロ以上はあるってことか。運べなくはないだろうけれど、問題は――。

「フェンス、越えられるかなあ」

 僕は試しに彼女の体を持ち上げてみることにした。とりあえずは、定番の感じで。

「おー、お姫様だっこ?」

「いまさらだけどね」

「生きてるうちはしてくれなかったしね」

 その言い方だとなんか、君が死んでいるみたいで複雑だなあ。

 僕はお姫様だっこしたままちゃぶ台の周りをを一、二周歩いた。いけなくはない。

 この体勢がたぶんいちばん運びやすいだろう。首がない分上半身が安定している。

「よし、これでいこう」

「いつ行くの?」

 とりあえず重いので、彼女の体を下ろしてまたタオルケットをかける。壁にかかった丸い時計を見ると、まだ六時前だった。

「夜中にしよう。いまは危ない」

 洋室の窓を開けると、むわっとした熱気が部屋の中に入ってきた。夏の夕暮れ時は、湿った空気で空の色が歪んで見える。水っぽい橙色の空がゆっくりと藍色に変わっていく。けれど気温はいっこうに下がらず、ずっと昼間みたいだ。

 僕は和室のちゃぶ台の上にあったリモコンでテレビをつけた。音もなく緑色のランプがつき、小さな液晶画面にニュース映像が映し出される。どこかの水族館でアザラシの子どもが生まれたというニュースを、若い女性レポーターが明るい調子で努めてハイテンションに伝えている。

 僕は同じようにクーラーのリモコンにも手を伸ばしたが、

「クーラーはだーめー」

 と彼女に止められた。

「こんなに暑いと脳みそが腐っちゃうよ」

 彼女は汗ひとつかいていなかったが、僕はもう汗だくだった。

「私は体が腐りそうだけど我慢してるんだから、そっちも我慢してよ」

 アイスは好きなくせに冷房は苦手らしく、彼女は真夏でも扇風機にかじりついて涼をとろうとする。この地方の夏は高温多湿で蒸し暑く、止めどない不快感の波が四六時中襲いかかってくる。扇風機もそんな中では気休めにしかならない。

「わかったわかった」

 僕は諦めてクーラーのリモコンをちゃぶ台の上に置いた。扇風機の電源を入れて和室の停滞した空気をかき回し、せめてもの慰めとする。

 彼女は熱心に夕方のニュース番組を見ている。彼女はニュース番組が好きだ。放っておくと一日中でもザッピングしてニュースを見ていることもある。

 彼女は情報を収集することに快感を覚えるらしい。僕にはない感覚なのでなんとも言えないが、楽しいのならそれでいい。彼女が変わらずニュースを見ているということは、まだ彼女の脳細胞は死んでいないということになる、のかもしれないし。

 彼女がテレビに集中している間に僕は僕の仕事をしよう。

「晩ごはん作るよ」

 台所に立って青い無地のエプロンを身につける。一緒に置いてあるピンク色のやつは彼女のだ。

「今日はなに?」

 彼女がこっちを見ずに言う。もちろん彼女はこっちを向くことができない。

「本当なら君が当番のところをかわりに僕が作るので、ありあわせになるけど」

「なんか押しつけがましい」

「それはどうも」

 冷蔵庫を開けると、中はもの悲しいほどに色気がなかった。冷蔵庫の内壁と同じような色の卵が二個とうどんが二玉。それに小さな食べきりサイズの豆腐が二パック。つまりは面白みもなく真っ白だ。それらぜんぶを取り出して、とりあえずできるものをつくる。

 鍋にたっぷりのお湯を沸かしてうどんを湯の中に放り込んだ。沸騰したお湯の中でうどんがへたくそなワルツを踊っている。僕はもう彼女とワルツもタンゴも踊れないっていうのに。クソったれめ。



「いただきます」

「……いただきます」

 ちゃぶ台の上に並んだ皿やお椀を見ながら、彼女はなんとも言えない表情をした。

「なんか全体的に白くない?」

 机の上にはネギとかつお節をのせてつゆをぶっかけただけの冷やしうどんと、しょうがじょうゆをかけただけの冷ややっこ。それにソースをかけた目玉焼きが二つ。見事に白い。白すぎる。あまりに淡白だ。まるで僕らの愛の行為のように淡白だ。

 肉がないし野菜もない。夏バテ促進メニューだ。けれどいまから外に買い物に行くのは気が引けた。日が暮れても気温はまだまだ夏色を残しているし、何より彼女をおいては行けない。もちろん、連れても行けない。こんなときに不用意に外に出るなんてありえない。ただでさえ今夜は大仕事が待っているんだから。

「我慢してよ。僕も君も平等だし、僕はいまある食材でせいいっぱいのことをしたつもりだよ」

 これで冷蔵庫の中はからっきしだ。あとは冷凍庫にソーダバーが何本かあるだけ。あんなに大きな箱がもはや数本のソーダバーを冷やすことにしか使われていないなんて、無駄極まりない。しかし彼女にとってソーダバーは最重要アイテムのひとつだ。蔑ろにはできない。

「別にいいけどさぁ。あしたはお肉が食べたいな。牛肉とは言わないから。暑いし精をつけないとねー」

「前向きに検討するよ」

 上にのったネギごとうどんをつまみあげて彼女の口元に運ぶ。彼女はそれを思いきり啜って口の周りをつゆで汚す。絶対にわざとだろう。

 彼女の口元をふきんで拭いて自分でもうどんを啜る。目玉焼きの半熟の黄身を箸で割って中身がこぼれ出す前に素早く彼女の口に押し込むが、勢いあまって黄身がべったりと彼女の口元につく。ちょっとわざとだった。

 彼女は不服そうな顔をしながらも目玉焼きを飲みこんでいく。豆腐は脆いが食べさせやすく、特に何もなかったが、これでは食べさせているのか汚しているのかわかったもんじゃない。彼女は口の周りを色んなものでべたべたにしながら、それでも食べ続けた。物足りない夕食ではあったが、それでも腹は膨れた。腹が減っては死体も運べない。この世に腹が減ってできることなんてたぶんひとつもない。

 食欲を満たしたところでなんとなく時間をもてあましていると、つい考え事をしてしまって部屋の中がテレビの音だけになる。僕と彼女はソファの上に並んで座り、ニュースを流すテレビや汚れたふすまを眺める。ふすまには低い位置に黒っぽい染みがついている。今朝にはなかったはずの染みだ。

 壁にかかったカレンダーを見ていると、大事なことを思い出した。

「あ、そういえばバイトはどうするの?」

 すっかり忘れていたが、彼女は駅前にある本屋でバイトをしている。こうなってしまった以上、どうするもこうするもないだろうが、沈黙を打破するために聞いてみた。

「何もしてないよ」

「電話とかしなかったの?」

「何も」

 つまり彼女はまだバイト先に在籍しているわけだ。彼女のバイト先はシフト制で二週に一度予定を提出する。

「次いつバイト入ってる?」

「あした。九時から十七時まで」

 ふだんなら日曜日にご苦労さまですと言うところだけど、いまはなんでそんなときに首を吊ったんだと言いたい。けれどそれは言えない。彼女にはいついかなるときも首を吊る権利があるからだ。そして僕にもそれを阻止する権利がある、いや、あったと言うべきか。彼女は首吊りの権利を行使して僕の預かり知らぬところでそれを達成した。僕は権利を行使するチャンスすら与えられずそれを失った。

「わたしは行ってもいいんだけど」

「それはダメだ」

「でしょ?」

 なぜ少し自信ありげなのだろうか。

 彼女はいつも駐輪場に止めてある赤いシティサイクルでバイト先に行く。でも彼女はもう自転車をこぐことはない。ならば僕がこいで彼女を前かごにでも入れていく? バカな。

「電話して。風邪ひいたとかなんでもいいから、とにかく休むって言って」

「いいけど、電話は?」

 そう言われて彼女の携帯電話を探すが、見当たらない。どこにやったのか彼女を見ると、目で寝室の方を示したのでそちらを探せばベッドの上にそれはあった。何気ない雰囲気で置かれているピンク色の折りたたみ式の携帯電話。ふだんなら彼女は、薬指が中指と同じくらい長い華奢なその手でコールナンバーを押すのだが、やっぱりそれも二度とできない。こうやって不自由になってこそ何気ないことの大切さに気づくのかもしれない。いくらなんでも不自由が過ぎるが。

 僕はアドレス帳の中からバイト先の番号を探して発信ボタンを押した。液晶に表示された時刻はまだ七時半で、この時間なら店は開いているはずだ。呼び出し音を確認してから携帯電話を彼女の耳元に差し出した。

 少しの間があって、

「もしもし、店長ですか。おつかれさまです、宮下です」

 と彼女が言った。

「すいません、明日シフト入ってたんですけど、ちょっと風邪ひいちゃったみたいで」

 彼女は下手な咳マネをする。そういうのは逆効果だって僕は小学生のときに学んだけども彼女は過剰なくらいウソの咳を連発する。

「はい、はい、すいません。ありがとうございます、おつかれさまでーす」

 電話はそれだけで終わった。通話終了ボタンを押して携帯電話をちゃぶ台の上に置く。

「大丈夫だった?」

「うん、人は足りてるみたいだから。『お大事に』だって」

 お大事に。そう、その通りだ。これ以上彼女を損なうわけにはいかない。

「あ、辞めるって言った方が良かった?」

「いや、それはまた今度でいいや。何かもっともらしい言い訳を考えなきゃ」

「それもそうだねぇ」

 彼女は何故か上機嫌になって、口笛なんて吹いている。それはメロディというよりもただ空気が抜けていくだけの音だった。

 まだ彼女を運ぶには時間が早すぎるし、かといってすることもない。テレビでも見て気を紛らわせるくらいしか僕にはこの状況でできることが思いつかない。

 彼女に自殺の真相を問い詰めることは、とても恐かった。それに、知らなくてもいいような気さえしていた。彼女は見ての通り、五体不満足どころか体重が九十パーセントほど失われてしまったがそれでも生きている。彼女が生きているならそれでいいじゃないか。

 NHKはゴールデンタイムなのにニュースをやっている。そしてそれは運悪く自殺のニュースだった。場所は遠く離れた東京で、一家四人がマンションの屋上から飛び降りたらしい。いちばん下の子どもはまだ九歳だった。無理心中ではないかとキャスターは沈痛な表情で言った。

「飛び降りなんて怖いことよくするねぇ。すっごく勇気のいることだよ」

 彼女はテレビを見ながら人ごとのように言う。事実人ごとではあるが、彼女がそんなことを言うのは違和感があった。

 自分はどうなの、どうして僕と一緒に心中してくれなかったの。嫌な言葉がつい口をついて出そうになったのを飲み込んだ。テレビの中の家族と彼女はちがう。彼らは死んでしまったけれど、彼女は生きている。そこには大きな隔たりがある。喋り、食べ、笑う彼女が死んでいるとどうして言えよう。

「無理心中って、わたし嫌だな」

 彼女はまだテレビを見ながら言った。彼女は目を閉じない限りテレビから目を離せない。

「どうして?」

「だって、かわいそうでしょ。親は死にたくっても、子どもはそうじゃないかもしれない」

 ニュースはもう次の内容に変わっていた。夜になって窓の外が静かになった気がする。セミの声がしなくなっていることにいまさら気づいた。夏の盛りには夜中でさえ鳴いていたのに。

「巻き添えってヒドイよね。死にたいなら一人で死ななきゃ」

 そう言う彼女の横顔は真剣で、僕は何も言うことができなかった。頭の中を駆け巡る言葉はどれも彼女を責める言葉ばかりだった。一方的に死を選び、失敗した彼女への非難。

 きっとそれは僕の一方的な感情でしかない。そこはお互い手を取り合って生きていく中でも、踏み込んではいけない領域だ。命の選択は自身に許された唯一の聖域で、僕は彼女の選択を奪えるほど独善的にはなれない。僕はきっと英雄には向いていない。

「あ、かわいいー!」

 彼女がひときわ高い声を上げる。見るとテレビにはどこかの動物園で産まれたというトラの赤ちゃんが五匹も映っている。

 今日だけでも、どこかで誰かが死んで、何かが生まれている。そんな当たり前のことを、僕は妙に現実味あるものとして考えた。

「あれだけ小さいともうネコだよねー!」

 テンションが上がっている彼女に僕はそうだねと言いながら、いつもよりもずっと機嫌がよさげな彼女の横顔ばかり見る。上機嫌なのは気のせいではないと思う。

「そういえば、初めてのデートも動物園だったよね」

「そうだったね、覚えてるよ」

「たのしかったよね!」

「くさかった」

 なにそれと言って彼女は笑う。動物園は楽しかった。そんなに大きくもない、町はずれにあるそこは別に珍しい動物がいたわけでもない。ただ、楽しかった。大あくびをするカバや、ヒエラルキーがしっかりした猿山や、勝手に入ってきてフラミンゴの餌を横取りするスズメや、もちろん虎なんかを僕らは見た。動物が別段好きでもない僕がそれを楽しかった思い出としているのは、彼女と一緒だったからだ。そこのベンチで初めて彼女と手を繋いだ。キスはまだ先だ。彼女との思い出の最初の一ページ。

 でももう二度と、彼女と一緒に動物園に行くことはできない。手を繋ぐことも、かなわない。



 時計の針が頂点を回ってから、念のためもう一時間だけ待って、僕は彼女の体を運び出した。終電もとっくに終わったこの時間に、駅からも繁華街からも離れたこの場所に人影はほとんどなくなる。それでも万が一見られてはマズイから、彼女の体をベッドのシーツでくるんで抱え上げた。

 お姫様抱っこは初めてだ。以前に何度か、酔いつぶれた彼女をおんぶして帰ったことがあるけれど、そのときよりもずっと冷たくて、重い。できればもっとちがう機会にこうしたかった。

 彼女の体を抱えて、周囲を慎重に確認してから部屋を出た。階段を下りて道路に出ると、夜中の空気はぬるく頬を撫でていく。街灯の下に誰かが立っていそうな不気味な夜だけど、首なし人間を持っているとこわいものはない。覚悟を決めて僕は、行く手を阻むように立ちはだかる坂道を一歩一歩上っていく。平均よりも細く軽い僕にこのウエイトの荷物はあまりに過分だ。腕の中には彼女の肉体。背中には大きめのリュックサック。それらが僕の筋肉を苛めて、夜中でもまだまだ蒸し暑い大気のせいでもう全身汗びっしょりだ。パンツにまで汗が染み込んでいるのがわかる。今日はやたらに汗をかいている。

 坂を少し上ったところで、周囲に人がいないことをたしかめてから彼女の体をアスファルトに下ろした。車が行きちがえるように道幅が若干広くなっているそこは、僕が小学生の頃に山に入るための入り口だった場所だ。その頃はボロボロの金網が山の斜面とアスファルトの間を仕切っていたが、いまはしっかりとした銀色の金網に変えられている。金網にはこの山を所有している企業の名前と侵入禁止の赤文字が大きく書かれたプレートが掛かっている。

 背中のリュックサックを下ろしてチャックを開ける。中には生首、もとい彼女が入っている。彼女は荒く呼吸している。

「窒息するかと思ったよ!」

 噛みつきそうな勢いで彼女は言う。

「だから家に残ってればよかったのに」

「それはいや!」

 一時前。家を出る寸前に彼女は僕についていくと言いだした。僕は最初それを拒んだが、言い出したら聞かない彼女は連れて行かないと大声で叫ぶぞと僕を脅して、実際にそうしようとしたので、仕方なくリュックサックの中に無理やり押し込むかたちで連れてきた。僕は平たくなっているアスファルトにリュックサックを敷いて、その上に彼女を置いた。目線は道路の左右両側を見られる位置にして、見張りをしてもらうことにした。

 まずは彼女の体をフェンスの向こう側にやらなければ。肩をぐるぐると回して気合を入れる。

 彼女の体を抱え、持ち上げる。ずっしりとのしかかる彼女の体。肉というものは何よりも重いのだ。ここまでで充分に筋肉を苛めていたので、さっきよりも重たく感じる。

「重っ……」

「なんか言った?」

 彼女の後頭部からただならぬ殺気を感じて、僕は口をつぐんだ。

 深く息を吸って、力いっぱい彼女の体を持ち上げる。首から下の全部の筋肉がビキビキと悲鳴を上げる。筋トレなんてロクにやってこなかった二十一年の人生を後悔した。肺に取りこんだ息を吐き出してしまうと力が抜けるので息を止めたまま、どうにか彼女の肩の部分を金網の上に引っ掛け、向こう側に一気に押し込む。力を振り絞って彼女の裸足の裏を押して砲丸投げをするみたいに手を離すと、彼女の体はフェンスの向こう側に落ちて鈍い音を立てた。雑草生い茂る土の上なのでそれほど音もしない。

 僕は一仕事終えてその場にしゃがみこんだ。深呼吸を繰り返し、体に酸素を取り込む。全身の筋肉が軽く痙攣を起こしているけれど、まだこれは作業の第一段階にすぎない。

「異常ありませーん」

 彼女は目玉をぎょろぎょろと左右に動かしている。僕は彼女の前に立って彼女が鎮座しているリュックを指差す。

「ごめん、もう一回それに入ってもらっていいかな」

 彼女は口をへの字に曲げて思いっきり嫌そうな顔をした。けれど構っている暇はないので、彼女をリュックサックに押し込む。

「ぎゃー人でなしー」

 リュックのチャックを閉めて、どこか楽しそうにわめく彼女に蓋をして背負う。痛む肩や腰に鞭を打ちながら金網に手をかける。以前のボロボロのやつよりかはずいぶん上りやすい。小学生のころみたいに体はしなやかでないので、網目の間に慎重に手足を引っ掛ける。

 フェンスの内側に降り立つと懐かしい感じがした。久しぶりに入った山の中は何一つとして変わっていなかった。小学生のときに遊んだ風景とはずいぶん変化しているのだろうけれど、そのちがいはわからなかった。僕は足元に転がる彼女の体を持ち上げてちょっとした斜面を上る。地面は黒く湿った土に覆われ雑草がそこかしこに生い茂っている。崩れやすい土の斜面を上れば、そこは僕らの家の居間よりも広い開けた空間になっている。ここ以外はどこも傾斜があって、端から見下ろせばところどころ木が生えた、斜度のきつい崖になっている。子どもの頃はここさえも上ったものだ。いまはもう無理だろう。

 僕は彼女の体を広場の真ん中に横たえて、リュックを地面に下ろしてチャックを開けた。

「ご開帳ー」

 もう一度閉めようとして彼女がわめき始めたので、仕方なくリュックから彼女を出し、またリュックを地面に敷いて彼女をのせる。崖の方に彼女を向かせる。この向こうに町明かりが見えるはずだが、うっそうと茂る木々が邪魔をして、葉の合間から並び立った人家の明かりをほんの少ししか見ることができない。それでも彼女はその天然のブラインドの隙間から観察するようにそちらを見る。それしか彼女にはできない。そういえばこんなことになってしまったが、彼女は睡眠を必要とするのだろうか。いつもならもうとっくに眠っている時間だった。

「それじゃあ、一旦家に戻って道具を取ってくるから」

「私を置いてくの?」

 意外にも不安そうな声だ。

「君を担いでたら道具を持ってこれないでしょ」

「私が野犬にでも襲われたらどうするの!」

「大丈夫。ここはタヌキも出ないから」

「本当に?」

「イタチなら出るけどね」

「かーじーらーれーるー」

 バカなことを言っている暇はないので、僕は彼女一人を山の中に残して一旦下山した。フェンスをよじ上り道路に戻るときも、道具を持ってまた山の中に入るときも誰かに見られていないか周囲を警戒したが、こんなのは気休め程度にしかならないこともわかっている。ぼんやりとした街灯がぽつぽつとあるだけの坂道は、闇に染まる場所の方が多い。誰かがいても気づかないだろう。けれど他にどうしようもないのだ。世の中にはどうしようもないことがそこここにある。

 ふたたび広場に戻る。広場は周囲を木々に囲まれているが、真上は何も遮るものがなく、夜空がのぞいている。都会の真ん中よりもほんの少しは星が輝いている気がする。小学校の理科で習った、夏の大三角形くらいしか星座はわからない。僕は天文や神話とは無縁の少年だった。

「お待たせ。星がきれいだよ」

 彼女の後頭部に声をかける。返事はない。肩に担いで持ってきたシャベルを土の上に置いて、額の汗を首にかけたタオルでぬぐった。

「もしもし? 聞いてる?」

 しかし、彼女からの返事はない。梢が震えている。ざわざわと気味の悪い音が広場を包んでいる。

 何故だか、嫌な予感がする。鼓動が速くなる。暑さとは無関係の不快な汗が背中を伝う。喉から何か重たいものがせり上がってきそうな感覚は、同時に胸の真ん中に石でも詰まっているような感覚でもある。

 僕は棒のようになった足を懸命に動かして、彼女の前に出た。すぐ後ろは崖だ。僕はシャベルと一緒に持ってきた懐中電燈のスイッチを入れた。そこには――。

「…………」

 口をへの字に曲げて片眉を吊り上げた彼女のおでこに、緑色の光沢あざやかなカナブンが一匹へばりついていた。つける場所を間違えたブローチに見えなくもない。彼女はしかめっ面のまま固まっている。僕はカナブンをつかんで崖の方に放り投げた。カナブンはそのままどこかに飛んでいった。

「だいじょうぶ?」

「私、樹液でも出てる?」

 彼女の小さなおでこをハンカチで気休め程度に拭いて、彼女とリュックサックを広間の端の大きな木の根元に移動させた。そこは闇の中で、目をこらせばようやく彼女の瞳の輝きが少しわかる。そこからは広場が一望できる。特等席だ。

 僕の体は節々が痛んでいたが、ここでやめるわけにはいかなかった。彼女との生活を続けるためには中途半端で投げ出すわけにはいかない。シャベルを手にとって、地面に突き立てた。土は思いのほか柔らかく、かんたんに掘り進めることができた。それでも人間の体一つ埋めるためにはかなり深く幅広く掘らなければならない。地面を掘りながらときどき額の汗をタオルで拭って、ついでに懐中電灯で彼女を照らす。すると彼女は「ぎゃあ!」と言っておおげさにまぶしがるので、それがおもしろくて少し元気が出た。

 作業を始めてどれぐらい経っただろう。穴が完成したときには腕も足もしびれきっていた。汗がだらだらと全身から流れている。穴はよくある墓穴みたいに長方形にした。

 シャベルをそこらに放って、彼女の両足首をつかんだ。彼女は白のTシャツにホットパンツという格好で、シャツの胸のところには耳が赤く染まったミッフィーがちょこんと座っている。ミッフィーとホットパンツって、なんだかちぐはぐな風に思える。それがまたセクシーだ。

 彼女の体を穴の手前までずるずると引きずってきてから、彼女を見た。闇の中にいるはずの彼女の目は猫の目みたいにきらりと光っている。僕は彼女に目で問いかけたつもりだった。彼女の体をどうするか、決定権は彼女にある。それは僕には決められないことだ。

 たとえばもし僕と彼女が逆の立場ならどうだろう。僕はきっと彼女に委ねるはずだ。彼女になら何をされてもかまわない。肉体は僕のものでありながら、文字通り僕との繋がりは断たれてしまったのだから、大切ではあるが重要ではない。それよりも僕は目の前の彼女を大事にしたいと思うだろう。さすがに、彼女が僕と同じ気持ちだと確信してるわけじゃないけれど。

「いいよ、埋めちゃって」

 彼女は軽い口調でそう言った。それでも僕はなんだか決心がつかないような気持ちだった。彼女が決定したことなら、僕はそれに従うことが最善で当然のはずなのに。彼女は僕の所有物ではない。もう昨日になってしまった夕方。彼女は僕に「好きにしていいよ」と言った。僕はそれを断った。その時点で所有権は彼女に返還されたわけだ。彼女の肉体は一昨日までのものとはちがい、物質としてそこに存在している。そこに熱はないのだ。もう二度と彼女の手を握れないことを残念に思う。彼女と抱き合えないことを寂しく思う。思って思って、さようならだ。

「服は? 脱がそうか?」

「きゃーん、園田くんのドスケベー」

 彼女はいやいやと首を振る――ような仕草をして馬鹿馬鹿しい声を上げる。なにをいまさら、裸くらいで。僕らお互いのことをもっと深くまで知っているのに。

「これ、大事なもの?」

 血で汚れたシャツをつまみながら訊ねる。彼女の何枚かある夏用の普段着のうちのひとつだ。耳から血にまみれたミッフィー。なかなか斬新なデザインだ。

「別に。そのまま埋めちゃって」

「本当にいいの?」

 念を押すようにもう一度訊ねる。

「いいよ。着れない服に意味はないから」

 彼女はさっぱりと答える。僕はそれ以上何も訊ねずに、彼女の体を穴の中に落とした。ごろんと落ちた彼女の体はうつぶせで、血まみれミッフィーは見えない。彼女の小さい肩や細い手首が、少しお肉のつきすぎた腰やキュートなお尻がそこにある。服は着ているのに裸足だった。どうせならお気に入りの靴も一緒に埋めてしまった方が良かっただろうか。

 僕はしばらくうつぶせになった体を見つめていたけれど、それは僕がするべきことではないと思って猫の目をした彼女の元へ行って持ち上げて、一緒に穴の中を覗き込んだ。自分の後ろ姿を見て、

「思ってたより悪くないかもね、私の後ろ姿」

 と彼女は言った。

「とても素敵だよ」

 僕も合わせるように言った。

「バイバイ、私のからだ」

 そうして彼女はもうなんの未練もないように言うのだ。

「埋めちゃって」

 僕はまた彼女をあの広場を見渡せる木の根元に置いて、シャベルを握ってさっき彫った土を穴の中に戻していく。だんだんと土が覆いかぶさっていく彼女の体はどこか自然だ。まるでそうあるべき場所に帰っていくような。シャツの白さがすっかり見えなくなり、彼女が気にしていた太ももも土に埋まる。地面には土が掘り返された跡だけが残った。掘るより埋める方がずっと楽チンだ。そしてその地面にはもう彼女の体の面影などない。

 すべての作業が終わっても夜はまだまだ続きそうで、どこかで鈴虫が合唱している。

「帰ろっか」

「うん、帰ろう」

「帰ってシャワー浴びたいなー。髪の毛が額に貼りついちゃって気持ち悪いよ」

「僕が洗ってあげるよ」

「ホント? ありがと!」

 そんな何気ない会話をして、僕は彼女をリュックサックの中に押し込んだ。彼女はまたふざけた悲鳴を上げて、僕がチャックを閉めるともう何も言わなくなる。懐中電灯をズボンのポケットに入れて、シャベルを持って坂道を下る。深夜の住宅地は静かで聞こえるものは虫の鳴き声だけ。空を見上げれば、今夜も月が綺麗だ。これからのことを考えるには、今夜は静かすぎる。



 彼女が首から上だけになってしまってから何日かを過ごしてみて気づいたことがいくつかある。まず彼女の性格が少し変わってきていることだ。以前の彼女はどちらかと言えば物静かで、あまり余計な言葉は喋らなかったり、ちょっとしたことなら仕草やボディランゲージで考えていることを伝えようとしていた。それに不満があったわけではない。彼女の伝えたいことを僕はきちんと汲みとっていたし、僕らはそうしてなかなか上手くやってきたはずだ。

 ところが彼女はあの日以来、ずいぶんと表情が豊かになった。よく笑い、よく喋り、まるで子どものように明るくふるまった。おはようからおやすみまで彼女は喋りっぱなしだった。前は全然言わなかった冗談も思いついた端から言っているようだった。それはたしかに僕らの生活に変化をもたらした。家の中がずいぶんと明るくなった。彼女は僕に何かを伝えたくてうずうずしているように、それは少々過剰なくらいでもあった。こんな風な彼女も良いな、なんて僕は思った。そんな表情と言葉はこれまでしてきた仕草やボディランゲージの代わりなんだということはすぐにわかった。自分を偽っている節はこれっぽっちも感じられなかったので、彼女は元来こういう面を持っていたのだろう。これまで知らなかった彼女をまた知ることができて僕は嬉しかった。

 彼女のことは誰にも知られるわけにはいかないので、僕は彼女を軟禁しなければならなかった。これはそんなに難しいことじゃなかった。彼女は一人ではもうどこにも行くことができないので、四六時中見張っている必要もないし、彼女もあまり外出したいとは思っていないようだった。毎日朝と夜に寝室の窓から外を眺める。そこでだけ彼女は外を知ることができる。リュックサックに彼女を入れて散歩に行くことも考えたが、万が一職務質問でもされれば一巻の終わりだ。そんな結末は僕も彼女も望んではいなかったので、散歩はやめにした。そのかわり彼女の食べたいものを僕はなるべく作った。料理当番は必然的に僕オンリーなわけで、授業との兼ね合いもあって毎日とはいかないけれど、温かいものを彼女に食べてほしかった。僕はバイトをしていないので三食彼女と一緒に食べることができる。彼女とお昼ご飯を食べるために午前の授業はみんなサボった。眠たいだけの授業よりも彼女優先に決まっている。

 彼女の好物で僕が作れるものはほとんど作った。僕が作れなかったものは料理本を見てなんとかしたし、彼女から教えてもらったりもした。僕たちの食卓はこの数日素晴らしく彩られていた。湯気が立ち上る料理の数々を見て彼女は目を輝かせていた。僕はそんな彼女を見て顔がほころぶのを隠さなかった。

 彼女の娯楽は食べることとテレビを見ることくらいしかない。それが原因かどうかはわからないが、彼女はよく食べた。以前も女の子にしては食べる方だったと思うけれど、それにしてもよく食べた。食べまくった。過食といっても良いくらいだ。三合炊きの炊飯器が一回の晩ごはんで空になったときはさすがにちょっと引いた。いっぺんに口の中に唐揚げとご飯を詰め込み過ぎてハムスターみたいに頬が膨れているときはちょっと笑った。それを見て笑った僕に対して怒った彼女はちょっとかわいかった。文句を言おうと口を開いてご飯粒を飛ばすのはちょっと汚かった。

 彼女は箸も持てないので僕が食べさせてあげるわけだけど、小さな口をアーンと開ける彼女に料理を食べさせていると、僕たちに子どもができたらこんな風なのかなとも思った。彼女が子どもを好きかどうかはわからない。それでもそういう未来はありえた可能性のひとつだった。

 その想像はそこで打ち切った。それはきっと幸せな光景で、ありえない未来だ。そんなことは考えるべきではないと僕が僕に言うので、おとなしく従うことにする。叶うはずのない想像は、切れ味鋭く心を傷つける。

 彼女は本屋でバイトをしていたけれど、まだそこを辞められずにいた。あれからも、シフトが入っている前日になって欠勤の電話を入れていた。理由は毎回体調不良で、それもあながち間違っちゃいないなと僕は電話を彼女の耳に宛がいながら思う。それを毎回信じるアルバイト先の店長も良い人なんだろうなと思う。思うだけで罪悪感はない。罪悪を感じるほど、僕はその人を知らない。

 大学の講義についても彼女はまったく出席できずにいた。板書を写すことはおろか席に着くことすらままならない。僕と彼女で履修している授業がすべてかぶっているわけではなかったけれど、かぶっているもので出席がゆるいものについては僕が彼女のかわりに出席票に名前を書くことも提案した。彼女はそれを断った。彼女はどうやらそういうことが嫌いだったらしい。真面目な彼女は大学に入って初めて、一週間丸々授業を休んだ。僕も彼女に付き合って休むつもりだったけれど、彼女はそれを許さなかった。食事の都合があるから午前中は仕方ないにしても、午後は出なさいと口酸っぱく言われて、不本意ではあるけれど午後から講義に出た。もちろん講義の内容なんてなにひとつ頭に入ってはこない。僕の頭の中は彼女に支配されている。講義が終われば僕は夕飯の買い出しをして家にすっ飛んで帰った。そうすると西日が差す居間では、彼女がテレビを見ている。僕が家を出たときとまったく同じ体勢で。

 首から上だけになった彼女が、ぼんやりとした目つきでテレビを見ている。玄関扉が開く音で僕に気づいても、視線をこちらに向けることもできない。彼女はテレビ画面を見つめながら言う。

「おかえりなさーい」

 僕はオレンジに染まるふたりの秘密の空間を目に焼きつけながら言う。

「ただいま」

 そうして夜が更けていく。ご飯を食べて、テレビを見て、お風呂に入って眠る。彼女は僕と一緒にベッドに入るが、特に睡眠を必要とはしていないらしい。寝息を立てていても、二、三時間経てば起きている気配を感じることがあった。そんなとき僕は眠っているフリをする。彼女が一緒に夜更かしすることを望んでいない気がしたから。月明かりに照らされた彼女の面差しをまぶたの裏に思い浮かべながら夢の世界へ沈んでいく。

 毎晩ベッドで並んで眠るとき、僕は雑木林の中に思いをはせる。小さな山の広場、湿った地面の下に埋まる彼女の体を思う。彼女のうつくしい体が微生物に分解されていく様を思い浮かべながら、目の前で静かな寝息を立てている彼女を見て、それでも幸せだなと感じる。それはいけないことだろうか。

 僕は彼女の顔に一目惚れしたんだから、何も問題はないはずだ。

 夜は僕に様々な空想をさせて、夜ごとにちがう色の不安を目の前にちらつかせる。夜に共通していることはいつも例外なく静かだということだけだ。

 たとえ体を失ったとしても。彼女は僕の前にこうしている。それだけでいいじゃないか。僕らの生活は少しばかり変化してしまったけれど、これからも続いていく。

 それでも、彼女にこれからどうしたいかなんて訊けない。それを訊いてしまったらすべてが終わってしまう気がする。

 彼女との生活が終わってしまう。それだけは絶対に嫌だ。



 僕らの生活に大きな変化が訪れてから十日あまり経った夕方。僕は大学の講義を終えてからキャンパス近くのスーパーで食材を買って、自転車で下り坂を急いでいた。授業の終わりに学生通りの店に少し寄り道をしていたので、スーパーを出る頃にはもう七時を回っていた。彼女はきっと怒っているだろう。腹を空かして機嫌が悪くなった彼女は、それはそれでかわいい。以前ならそんなことでは怒ったりわめいたりしなかったが、このところの性格の変化で彼女は自分の欲望に素直になっている気がする。食事くらいしか楽しみがないのでそれも仕方ないのかもしれない。

 十月になって日暮れもいくぶん早くなってきている。夕日はもう西の地平線の向こうに沈んでいるし、セミの鳴き声もほとんど聞こえなくなった。長かった夏がいよいよ終わろうとしている。

 今年の夏は色々と印象的なことがあった。でもこれから生きていくうちに、鮮烈だったものは色褪せてなんでもない思い出になるだろう。彼女とはそういう関係でありたい。死が二人を別つまで、なんて。ちょっと夢を見すぎだろうか。

 そのうち下り坂は山に沿う道に入っていた。アパートまではもうすぐだ。なるべく飛ばして坂を下りていると、道沿いの街灯に光が灯った。坂はゆるい弧を描いている。白いマンションを過ぎ、公園も過ぎて右手にテニスコートが見える。そのままスピードを緩めることなく坂を下りていると、山に入るスポットの前を通り過ぎる。そこは少し道幅が広くなっていて、白いガードレールが山側にあって街灯が一つだけ立っている。

 その街灯の下に誰かが立っていた。

 すぐに振り返っても、そこには誰もいなかった。見間違いだろうか。一瞬だったので顔までは見えなかった。

 引き返してたしかめようかとも思ったけれど、彼女が夕食を待ちわびているだろうからそのまま止まることなく坂を下りた。

 アパートに着いて階段横に自転車を止めようとして、見覚えのない自転車があることに気がついた。よくあるタイプのママチャリで車体は青色をしている。住人の誰かが新しく買い替えたのだろうか。それにしては錆が目立つ。ただでさえ狭い自転車置き場が窮屈になっていて自転車を止めるのに苦労した。

 前かごのビニール袋を手にとると中でアイスクリームががさがさと揺れた。総菜のパックの上に、彼女がいちばん好きなハーゲンダッツの小さなカップが二つ。高くてなかなか手を出せないけれど、今日は僕のポケットマネーで買ってきた。今日は僕と彼女が同棲を始めた日だから、贈りものだって用意してある。ズボンのポケットの中にかたい感触がある。

 彼女の喜ぶ顔が目に浮かぶ。幸せを予感しながら階段の一段目に足をかけたとき、二階の部屋のドアが開いた。階段を上ってすぐの部屋。僕と彼女の部屋。そこから男が出てきた。知らない男だった。僕と歳はそう変わらないような若い男だ。濃い茶色の短髪に無精ひげ、黒いTシャツにジーパン。なんだか粗野な印象だ。

 見知らぬ男と半開きになった扉を見て、全身が総毛立つのを感じた。悪い予感が体の中を駆け巡る。

 男は困惑した様子で部屋の中を凝視していたけれど、階段を上ってきた僕に気がつくとますます顔を青ざめさせて身をひるがえし階段を駆け下りようとした。すれちがいざま僕はとっさにその肩をつかんだ。ほとんど無意識に体が動いた。

 ――この男をこのまま帰してはいけない――

 男は僕の手を振り払おうとして体をひねり、そのままあっと声を出す間もなく、空を仰ぎながら落ちていった。足を滑らせて男は階段をまっさかさまに転がっていく。男が地面に後頭部を打ちつけた瞬間、何かが砕ける嫌な音がした。男は虚ろに目を開き僕を見ていた。耳からは赤いものが垂れている。僕はそれをなすすべもなく見ていた。

 階段を一段一段慎重に下りて、男を見下ろすように立つ。男の口元に手を当てると、まだ息がある。それだけをたしかめて、僕は部屋に戻った。台所にビニール袋を置いてふすまを開けると、思った通り部屋の中はひどい惨状だった。

 部屋の中は荒らされていた。居間のありとあらゆるものが散乱していた。引き出しも押入れも開け放たれている。昼過ぎに僕が部屋を出たときにはこんな風ではなかった。あの男がやったんだろう。

 彼女の姿を探した。テレビの前のソファに彼女の姿はなかった。僕は名前を呼んだ。

「はーい」

 返事はちゃぶ台の下から聞こえた。のぞきこむと彼女がこっちを見て笑っていた。

「よかった。どこに行ったかと心配したよ」

「私からはずっと見えてたよ」

「だいじょうぶだった? ケガとかしてない?」

 彼女を持ち上げて訊いた。僕は彼女を縦に横にぐるぐると回しながらおかしなところがないか調べたが、特に変わったところは見当たらなかった。

「うん。びっくりしたけど、あの人が勝手に驚いてソファにつまづいて、その衝撃で転がっちゃっただけだから」

「よかった。本当によかった……」

 僕は溢れかけた涙を袖で拭う。

「ねぇ、あの人だれ? 園田くんのお友達?」

「ちがうよ。たぶん、矢野さんが言ってた泥棒だと思う」

 彼女の髪についたほこりを払いながら言う。人の家に無断で入るやつなんて泥棒以外になんて呼べばいいんだろう。

「へえ、泥棒さんなんだ、初めて見たよ」

 彼女をソファの定位置に置いて、寝室に入る。

 寝室はきれいなままだった。男はここまで入ってこなかったらしい。僕と彼女の聖域が踏み荒らされなかったことにホッとした。

「ごめん、またここに入ってもらっていいかな」

 僕は大きめのリュックサックをちゃぶ台の上に置いた。先日、彼女の体を埋めたときに使ったのと同じやつだ。彼女は息苦しいからと、これに入るのを嫌がった。

 しかし今日は何かを察したのか、おとなしく入ることを承諾してくれた。彼女をリュックの中に押し込み、チャックを閉じて背負う。テレビのスイッチを切って部屋の電気も消した。和室のふすまを閉めて台所にちょっと寄り道をして部屋を出た。鍵をきちんと閉めて階段を下りる。階段の下ではまだ男が意識朦朧として天を仰いでいる。

 男の体をまたぐように立つと、膝を曲げて男の体の上に座り込んだ。ビニール袋を地面に置く。そして手に持った包丁でゆっくりと男の首を突き刺した。振り下ろすのではなく、おそるおそるでもなく、ただ静かに確実に刺しこんでいく。刃は首の薄皮を突き破ると血管を切り裂いて血を滴らせた。血は泥沼から湧き出る泡のようにゆるゆると切り口から流れ出て、男の首をつたいながら土の上に落ちる。刃が肉をえぐり骨に当たるほど深く食い込むと血はますます溢れたが、ごぼごぼと肌の上に湧き出て落ちていくだけで噴水のように舞い上がったりはしない。ぬるぬると粘ついた血に手が赤く染まる。

 ――意外と地味なものだな――

 男がショックで意識を取り戻して目を見開いた。咄嗟に包丁を握る反対の手で男の口をふさいだ。男は懇願するように首を弱々しく振る。怯えた目で訴えかけてきたが、僕の気持ちは何一つとして変わらない。

 ――この男をこのまま帰してはいけない。見られたからには殺さないと――

 そうやって一分、二分と男の口をふさいでいると、男の瞳から生気が薄れていくのが手に取るようにわかった。まぶたは力なくゆるみ、手に当たっていた吐息は途切れ、顔からあたたかみが失われていくのが見てとれた。

 口をふさいでいた手をどけて、男の首に深々と刺していた包丁を引き抜いて放り捨ててから僕は立ち上がった。そのとき背後で短い悲鳴が上がった。振り返ると矢野さんが立っていて、僕を見ながら両手を口に当てている。声を上げたのがマズイと思ったのか、矢野さんは呼吸さえ止めて立ちつくしている。その手は小刻みに震えている。

 僕は一歩歩み出た。手を差し伸べようとしたが、その手が赤く染まっているのに気がついて、ズボンの裾で拭ったがあまりとれてくれない。汚れをとるのをあきらめて、深々と頭を下げた。

「どうもお世話になりました」

 見ると、矢野さんは僕を見ているのかどうかよくわからない目つきをしていた。僕は矢野さんに背を向けてアパートの敷地を出た。空が藍色に染まりつつある。住宅街には家に帰る人々の姿がある。人々は僕の手を訝しそうに見ては歩みを止めずに通り過ぎていく。視線を気にせずに坂を上っていく。目指すはあの山だ。背中のリュックサックがガサガサと揺れている。彼女が空腹に腹を立てているのだろうか。

 金網を乗り越えて山の中に入る。広場の真ん中でリュックサックを下ろしてチャックを開けると彼女が恨めしそうな視線を僕に寄越した。

「君は私をイジめて楽しいのかな?」

「ごめんごめん。とりあえずごはんにしよう」

 彼女の横に腰を下ろして、ビニールの中から小さなカップを二つ取り出す。スプーンは家から持ってきた銀色のやつが一つだけ。二つのふたを開けてアイスにスプーンを突き立てる。アイスはほどほどに溶けていて食べごろだ。

「ほら、アーン」

「それがごはん?」

「いやなら食べなくてもいいよ」

「食べるに決まってるじゃーん」

 小さな口でストロベリーのアイスをスプーンごと飲み込むように食べる彼女。名残惜しいのか意地汚いのか、スプーンからなかなか口を離そうとしないので、むりやり引っ張った。歯にスプーンが当たってきれいな音がする。

「溶けすぎ、減点」

 いつから減点法を採用したのだろう。十月とはいえまだ暑いんだからアイスが溶けるのは仕方のないことだろうに。

「いらないなら――」

「アーン」

 口を大きく開けて二口目を要求する彼女。カナブンくらいなら入りそうだったので辺りを探したが、手頃なやつがいなかったのでアイスを舌の上に運ぶ。彼女に食べさす合間に僕も少しだけ食べて、二つのカップは空になった。腹は満たされなくても、彼女の笑顔で心は満たされた。ストロベリーとクッキー&クリームの二つをほとんど一人で摂取した彼女は満足げに不満を口にした。

「おかわり」

「もうないよ。安売りしてなかったからこれが限界です」

「ケーチー」

「それに二つも食べたからカロリーがヤバヤバだよ」

 それを聞いて彼女は目をぎゅっとつむり鼻をふくらませ唇を突き出す。どういう表情だそれは。幸いにすぐに元の顔に戻ってくれた。

「で、なんでハーゲンダッツ? 高いのに」

「だって今日は記念日だから」

「記念? なんの?」

 本気で言ってるのだろうか。いやいやまさかな。まさかまさか。

「僕たちの交際の……」

 彼女はしばし思案するように目線を下げ、やがて口をポカンと開けて、

「あっ、そうだっけ!」

 なんだろう。この敗北感は。こういうのって、ふつうは女の子の方が覚えてるもんなんじゃないのだろうか。

「いやはは、失敬失敬」

 彼女はそうやって照れ臭そうに笑う。手があれば頭でもポリポリと掻きそうな感じで。

「そうかー。もう二年になるんだねぇ」

「一年の十月からだからね」

「早いねぇ。あっという間だったねぇ」

「すぐ一緒に住んじゃったから、蜜月とかなかったしね」

「我ながら思いきったことをしたもんですな」

 思い出を反芻するような口調で彼女は言う。

「君は決断が早いから」

「拓海くんが居心地良かったからだよ」

 ……そういうことを、さらっと言う。そんなのってない。

「なんていうの? 癒し系ってやつ? 安心感があるというか――」

 しみじみと言う彼女を持ち上げて、あぐらをかいた膝の上にのせた。

「お、おお?」

 彼女は戸惑うような声を出した。おそらく顔はもっと驚いているだろう。

 膝の上にのせた彼女はやっぱり軽い。かつて抱きあったときよりも、酔った彼女をおぶったときよりもずっとずっと。あの頃の面影なんて微塵も感じないくらいに。

「ど、どうしたの?」

 やさしい声。君はいつだってやさしい。本当は、僕はもっともっと君のことを考えるべきだったのに。君が黙ってそばにいることに甘えていた。いまさらそんなことを思っても仕方ないのに、僕はそんなことばかり考えている。

「だまってたら、わかんないよ。……ねぇ、どうしたの?」

「……ごめん」

 僕はきちんと切り揃えられた彼女の黒髪を撫でながらそう言うのでせいいっぱいだった。こうやって言葉を紡ぐことだって僕は上手くできない。

「ごめん」

「なんで謝るの」

「ごめん、僕がぜんぶ悪いんだ」

「だからなんで」

 彼女の声は一転して厳しい。意味もわからず謝られるのって気分のいいものじゃない。

「君がこんな風になってしまったのも、僕が――」

「なに言ってんの」

 彼女に遮られて、僕は少し戸惑った。それはきっと、彼女がこれまで聞いたことのないような決然とした声をしていたからだろう。

「顔、こっちに向かせて」

 言われるままに彼女を持ち上げて、正面から向き合う。彼女の目は怒りに満ちている。

「わたしがなんで怒ってるかわかる?」

「……僕のせいで君がこんなことになったから」

「ちがう。わたし、拓海くんのそういうとこだいっきらい」

 はっきりと彼女は言い放った。彼女に嫌いと言われたのは初めてだ。あまりの衝撃に、僕は言葉を忘れてしまった。

「なんでも自分のせいだと思って、勝手に思いちがいして、あげくにごめんごめんって、わたしの意思とかは無視なの? ふざけないでよ」

 彼女は本気で、冷静に怒っている。こんな彼女はいままで見たことがない。そもそもこうなる以前の彼女はとてもおとなしく物静かで、自己主張なんてほとんどしない人だったから、まるで人が変わったみたいだ。

「拓海くんのせいでわたしがこうなったと思ってるなら、それは思い上がりだよ。わたしはわたしの意思で行動したんだから」

「……うん」

 それはつまり、彼女に明確な、自殺の意思があったということ。

「それで拓海くんが引け目を感じるのはなんか、ちがう気がする。拓海くんにそんな風に自分を責めてほしくない」

 彼女の耳が真っ赤になっていることに気がついた。そのうえ目元はうるんでいる。どうして怒っている側の彼女がそんな風になっているのか、僕にはまるで理解できなかった。

「わたし、結局失敗したけど、甲斐甲斐しくお世話してもらうのも悪くないかなぁっ、とか思ってた。家に一人でいるのはすごく退屈だけど、いままでよりも帰りが待ち遠しくなった」

「……うん」

「別に拓海くんのことが本当に嫌いになったわけじゃないし、何か深刻な理由があったわけでもないと、思う。ただなんとなく、ちょっと疲れちゃって。勢いあまっただけなんだと、思う」

 彼女は僕を諭すような口調で静々と語る。そういうところが、やっぱりやさしいんだ。ぜんぶ僕のせいにして、思っていることも思っていないこともぶちまけてくれてもいいのに、彼女はそうしない。

「ねえ」

「……なに」

「僕のこと、好き?」

 僕は思わずそう訊いていた。明確な言葉が欲しかった。聞かなくてもわかることでも、面と向かって言ってほしかった。

「……そんなこと、いまになって聞く?」

 彼女は呆れている。機先を制するために僕から言う。

「僕は好きだよ」

 僕の心は水をたっぷりと吸ったスポンジのように潤っている。もう充分すぎるくらい彼女の言葉で満たされているけれど、それでもまだ彼女の言葉を求めている。いやしく、いやらしく。

「……好き、です」

 ささやくようにやさしい声。

 その言葉で一息つけたような気がした。心のうちにずっと溜まっていた罪悪感のようなものが少し軽くなった気がする。

 ふたたび彼女を膝の上にのせた。彼女の肌は温かい。彼女の肌はやわらかい。

 僕はズボンのポケットから正方形の白い箱を取り出す。中には紺色の絨毯のようにやわらかい質感の小さな箱が入っていて、開けると小さなリングが窪みにすっぽりと納まっている。

「……これは?」

「お祝いの、プレゼント。前から用意してたんだけど……」

 シルバーのリングにピンクサファイアの小さな石がついている。慣れないジュエリーショップで、ついてきてもらった友達と一緒にはずかしい思いをして買った。男同士で行くのにあんなに場違いな場所はない。

 彼女は複雑な表情を浮かべる。悲しいような、嬉しいような、ない交ぜの表情を。

「本当は指輪だったんだけど、君にはもう、ね……。だから君に似合うように加工してもらってたのを今日もらってきたんだ」

「こんなの……」

「黙ってて」

 僕が言うと彼女は口をつぐんだ。今度は僕が君に伝える番だ。

 彼女の髪をかきあげるとかわいい耳があらわになる。小さな耳たぶにそれをつける。

「やっぱり、ちょっと大きすぎるね」

 彼女の右の耳たぶにぶら下がったそれは、たしかにイヤリングにしては大きすぎる。しかも片方だけなので不格好だ。

「やっぱり外そうか」

 僕が伸ばした手を、彼女の言葉が制する。

「いい。ありがとう、大事にするから」

 そう言う彼女の頬に手を当てると、あたたかなしずくが指に触れた。しずくは少しずつ僕の指に沿って流れ落ちていく。そのささやかな感触を僕はちゃんと感じる。

 遅すぎたこともたくさんあった。取り返しのつかないことをたくさんしてきた。物事に遅すぎるなんてことはないというけれど、やっぱり遅すぎてどうしようもなくなってしまうことがある。彼女に伝えるべきこと、伝えたいこと、したいことがまだまだたくさんあったけれど、僕らにもう時間は残されていない。

「僕は大変なことをしてしまったんだ。本当なら君を連れて逃げたいけれど、それはできそうにもない」

 男を殺したことに後悔はなかった。あれは必要な行為だった。

 僕にもう少し身勝手なところがあれば、彼女と一緒にどこへなりと逃げることができただろう。無計画に目をつぶり、ただ一時の感情で逃避行という甘い響きに思いをはせることができたなら。たとえそれが数日、数時間の出来事だったとしても、幸せなことだろう。

 しかし僕の頭の中はこんなときだっていうのに嫌になるほど冷たくて、そんなことがとうてい無理だってことを知っている。

「だから僕は、君をここに置いていく」

 君の体が眠っているこの場所に。

 いま思えば、さっき街灯の下に立っていたのは君だったんじゃないかと思う。突如として自分を失った君の体が戸惑って、君を求めて立っていたのではないだろうか。もしかしたら僕に恨みごとのひとつでも言いたかったのかもしれない。

 都合のいい、僕の妄想。でもいまだけは、そんな風に考えることも許してほしい。

 どうせこれが最後なんだから。

 手のひら越しに彼女が震えているのがわかる。彼女の泣き顔を僕は見たことがない。これはその千載一遇のチャンスではないだろうか。そんな風に考える僕がいるけれど、やっぱりいくらなんでも無粋だと思って、顔をのぞきこむのはやめた。それに、いま涙を見れば僕もこらえているものが溢れてしまいそうだった。

「大好きだよ」

 そう言うことで、僕は別れの言葉をもう言わなくてもよくなった。

 知らず、手に力がこもる。彼女の頬に赤い血がつくことがわかっていながら、僕はそれを抑えることができなかった。

 彼女がうなずいたような気がした。たぶんそれは気のせいだろう。

 大きくぽっかりと開いた空には丸い月が浮かんでいる。夜風は肌寒く僕らを包む。

 月の光に照らされた僕らだけの秘密の空間。

 あの彼方の地平線に浮かんでくる朝日を、彼女はここから一人で見る。彼女が見る朝日を僕が見ることはない。

 どうか僕以外の誰にも見つかりませんように、願う。


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