イレブン!
2010年、南アフリカワールドカップで盛り上がった6月から2か月後、長野県の中学生朝間凌太も中学生活最後の大会に臨もうしていた。ワールドカップに負けじと、暑い、熱い戦いが、緑のフィールドで繰り広げられようとしていた。
朝の5時からうるさくなり続ける目覚まし時計をイライラしながら朝間凌太は止めて起き上がった。顔を洗い、リビングに向かうと母の加奈子が朝食を机に並べ終え、テレビをみていた。「おはよう。もうでるの?」と珍しそうに聞くと、「うん、行ってきます。」と、朝食を食べずに凌太は家を後にした。凌太の入っている中学のクラブチーム「常田FC」は今日最後の大会の初戦を迎えようとしていた。自転車で片道1時間半をかけて学校に向かい、そこからバスに乗り込み、会場へ向かう。朝の早起きでバス内でウトウトする凌太を横目に、小学校からのチームメイト、宮下環が音楽をきいている。最後の大会ともあってか他のチームメイトも緊張が隠せていないメンバーが何人かいた。
「おーい。そんなんでこの先勝てるのかー?」と監督の大場孝弘が笑いながら選手たちに話しかける。自分たちの気も知らないでと言わんばかりに選手達は監督の言うことを無視している。「まあ、気楽にがんばろーや」と大場が言った。
会場に着くと8月の後半というのもあり、とてつもない熱気が会場を包み込んでいる。人工芝のゴムチップが足の裏を刺すかのように熱くなっている。しかし、普段から土のグラウンドで練習している彼らからしたら人工芝のグラウンドというのはこれ以上ない最高の環境である。荷物をおくと30分後ミーティングが始まると、大場が伝えると選手たちは着替えを始めた。
今回の対戦相手は常田FCが一回も勝ったことのない相手である「秋和蹴球団」だ。彼らが到着したのは凌太たちの10分後、丸い頭が揃って歩いてくる。中学生の割に身体が大きい彼らをみて、凌太の一個下の宮本恭平が落胆の声を上げる。「あんなゴツいやつら絶対勝てないよー」というと、凌太が「たしかにやばいな」と笑いながら反応する。笑っていながらも凌太も心の中では相当緊張している。そこへ加奈子が妹の美香をつれて外から見ているのが目に入った。美香が凌太を見つめて大きく手を振ると、凌太も恥ずかしそうに手を振りかえした。
ユニフォームに着替えるとミーティングが始まる。スタメンの発表と戦術の確認を終えると、ウォームアップが始まった。お互いがお互いを意識し合い、夏の熱気と、チーム同士の熱気が混ざり合い、いつもの倍くらい暑く感じられた。
いよいよ試合開始。ホイッスルの高いピーッという音と共に、少年たちの最後の大会が始まった。お互い負ければ終わり、この仲間たちとのサッカーが最後となる。この緊張感の中で、凌太は不思議と落ち着いていた。「周りがよく見える。周りが遅く見える。」今日は調子がいい日だと自分でも感じるくらい身体が軽かった。まずボールを受けると前を走る味方にスルーパスを送る。相手も意表をつかれたのか、反応できずにいた。ボールを受けた西条レイは思い切り得意の右足を振り抜いた。ボールはゴールポストのギリギリをかすめ、ラインの外へ出た。あまりの出来事に監督の大場も唖然としていた。「いける!」誰もが思った。
しかし、現実はそう簡単にはいかなかった。さっきの攻撃により、目が覚めた秋和蹴球団は、キャプテンの松尾浩介を中心にその体格の良さを生かしたパワープレーで常田FCゴールを脅かす。キーパーの大和田がなんとか防ぎ、前半は0対0で折り返した。暑さもあってか、普段より体力の消耗が激しい選手達は、ハーフタイムにベンチへ戻っても何も話すことが出来なかった。
大場は「苦しいだろうけど、ここは踏ん張りどころだ。ここを凌げば絶対チャンスはくるから頑張ろう」と、暑さにやられる選手に水を配りながら励ました。しかしその中で暑さをものともしないような顔で一点を見つめている者がいた。凌太だ。自分でも不思議な感覚で、なぜこんなにサッカーが楽しいのだろう、と自然に笑みがこぼれていた。それをみた宮下が「どうした?気持ち悪いぞ?」と心配そうに話しかけた。「別に。ちょっと楽しいだけだよ」と笑いながら返事をした。後半が始まると秋和の選手達は早速、パワープレーを仕掛けてきた。中学生のうちは体格に差が出るため、なかなかこれを止めることは難しい。前半同様苦戦を強いられながらも必死に常田FCの選手達は守りつづけた。
ベンチで大場が話した通り、チャンスは突然訪れた。キーパーが相手コーナーキックをキャッチした瞬間、凌太は勢いよく前に走り出した。すかさず大和田が凌太にむかってボールを蹴ると、まるでブラジル代表のロナウジーニョのようなコントロールで、ピタッと凌太の足元にボールが収まった。このカウンターを唯一感じ取っていたのが幼馴染である宮下だった。凌太は相手を1人、2人と、キレのあるドリブルで抜き去り、宮下にパスを出した。キーパーとの一対一、後半残り5分と、決めれば二回戦進出が確定するという場面で、慣れていない芝に足を取られてしまった。相手キーパーがボールを取ると、逆にカウンターを浴びてしまう。完全に油断していた、ディフェンス陣は秋和の攻撃を止めることができずに、失点してしまった。
残り1分、常田FCは果敢に攻め続けたが、無情にも長いホイッスルが鳴り響いた。絶好の決定機を逃した宮下が膝から崩れ落ちてないている。他のメンバーや監督も俯き、涙を流している。その中でもなぜか涼太は涙がでなかった。彼の心のなかでは今までで1番サッカーが楽しかったという満足感が試合に負けた悲壮感を大きく上回っていたのだ。試合が終わり、挨拶を済ませると仲間と一緒に控え室に戻った。宮下はまだ号泣している。「ごめんよぉ。ほんとにごめんよぉ。」ともう涙がこれ以上出ないのではないのかというくらい涙を流し、嗚咽が止まらない。それをみて凌太は、
「お前のせいじゃないよ。みんなほんとに頑張ってくれたよ。」と笑顔で慰めた。大場も涙を流しながら「キャプテンの凌太中心にここまでよく頑張ってくれた。本当にありがとう。ありがとう。」と深く頭を下げた。 これで凌太の最後の大会がおわった。なぜか今になって涙がこみあげてきた。どのくらい泣いたのだろう。それすら覚えていないくらい泣いた。
次の日の朝、凌太は加奈子に起こされ、リビングに降りた。そこにはスーツをきっちりときた、20代後半の髭がよく似合う男が座っていた。男は凌太に握手を求め、「私は横浜桐葉高校の監督の岸田です。たまたま長野に出張して、君の大会を見かけた。君のプレーに未来を感じたんだ。是非うちに来て欲しい。」と頭を下げた。横浜桐葉高校は毎年冬の選手権に出場している、神奈川の名門校の一つだ。これには加奈子も驚きを隠せず、大喜びしていた。「ありがとうございます。でも、少し考えさせてください。」と凌太は答えた。「分かった。決まったら返事をきかせてくれ。」と岸はそう告げて帰っていった。「どうしたの?その高校に入れば、あなたの夢だった選手権に出られるんじゃないの?」と不思議そうに加奈子は聞く。「でもおれはみんなとサッカーがしたい。」と迷ったような顔をして凌太は答えた。
学校へ行くと、宮下が凌太に駆け寄ってきて、「おれ高校県外にいく!今よりもっとレベルが高いところでやりたい!」となにかを決意したような表情で言った。「実は俺も横浜桐葉から話がきてるんだ。」と凌太が言うと、「いけよ!凌太なら絶対そこで活躍できるよ。」と宮下がなぜか自信ありげに答えた。「でも、俺、みんなとやりたいんだ。」と俯きながら答えると、宮下が今までにないくらいの勢いで「ふざけるな!自分の夢曲げてまで一緒にやってほしいなんてこっちは思ってねーよ!」と凌太に怒鳴った。ハッと気づかされた。自分が今までなにを目指してサッカーをしてきたのかを。「目が覚めた。ありがとう。環。」と宮下にお礼をいって家に走って帰った。
「母さん、俺横浜に行くよ。」と告げると、加奈子は嬉しそうに「テッペンとっておいで!」と笑顔で言った。
もう後戻りはできない、そう誓って凌太は未開の地に足を踏み入れた。ここから始まる朝間凌太の物語は誰にも止めることはできない。
年が明けて2011年4月、桜が舞うなかで、意気揚々と横浜桐葉高校の校舎に足を踏み入れた凌太は少し伸びた身長と少しの緊張を持ちながら、大きな声で「全国とるぞ!」さけんだ。周りにはたくさんの人が溢れているが殆どが凌太に注目した。ここから新たな凌太の旅が始まるのであった。