十月の話 ~肩こりのろくろ首~ その2
「あーあ、せっかく一番風呂には入れると思ったのに、ウサミがとろとろしてるからよ」
「リンコ先生だって、お気に入りのタオルがないって、ずっとバタバタ探しまわってたじゃないですか。だから遅くなったんですよ」
その声を聞いて、ポン子の顔が青くなりました。
――そうだった、リンコ先生とウサミさん、この時間に入りにくるっていってたわ――
おそるおそるむつみさんの顔をのぞきこむと、細い目を大きく見開いています。ぎょっとしてあとずさるポン子に、むつみさんがたずねました。
「まさかポン子ちゃん、あなた、あの女がここに来るって知ってて、あたしを連れてきたんじゃないだろうね」
そのはくりょくに、ポン子はぶんぶんっと首をふります。ですが――
「あら、ポン子ちゃんもきてたのね」
リンコ先生とウサミさんが、手をふりながらポン子のほうへやってきたのです。むつみさんがギロッとポン子をにらみつけます。
「ち、違うの、別に、リンコ先生に会わせようと思って来たんじゃないの」
ぶるぶるふるえるポン子のそばに、リンコ先生がやってきました。つり目をさらにつりあげています。
「……どうしてあんたがここに?」
「この子に連れてこられただけよ」
お風呂につかっているはずなのに、なんだか背すじが寒くなります。気づかれないように逃げようとするポン子の手を、リンコ先生とむつみさんが、がしっとつかみました。
「ひゃっ!」
「ポン子ちゃん、どこに行くつもり? そんな早くあがっちゃだめよ。ゆっくりからだを温めていかなくっちゃ」
「そうよ。あたしの肩、もんでた途中でしょ。ほら、ちゃんと最後までもんでいきなさい」
無表情の二人に引き止められ、ポン子は逃げるに逃げられなくなってしまいました。
「じゃあわたし先に髪洗ってきます、ヒャッ」
さっさと逃げようとするウサミさんも、リンコ先生にがっしり手をつかまれました。
「……で、いったいどういうことなの?」
リンコ先生がポン子にすごみます。ポン子は口をパクパクさせるだけで、声が出せません。そんなリンコ先生をバカにしたように、むつみさんがいいました。
「そんな小さな子に、ああ怖い。やっぱり化けぎつねってのは、怖い妖怪だわ」
「なにがいいたいのよ?」
リンコ先生がまゆをつりあげます。むつみさんはわざとらしく笑って続けました。
「別に、ただ、そんな怖い顔ばっかりしてるから、顔にしわができてるんじゃないの」
「ふんっ、そういうあんたは、ずいぶん肩がこってるみたいね。もう年だものね」
今度はむつみさんが、目をむきました。歯ぎしりしながら、低い声で答えました。
「でも、うちのだんなはしわくちゃなおばさんぎつねより、あたしのほうが好みだったみたいだけど」
ウサミさんがキャッと悲鳴をあげて、顔をゆがめました。リンコ先生の手が、ウサミさんのうでをぎりぎりと強くにぎりしめていたのです。
「クロガネのことは、別にもうなんとも思っちゃいないわ。あんたこそ、ずいぶん昔のことにこだわってるみたいだけど。もしかして、サルタヒコのこと、まだ根に持ってるの?」
むつみさんは、それにはなにも答えませんでした。おにのような顔で、リンコ先生をにらみつけるだけでした。
「リンコ先生、クロガネってだれですか?」
ウサミさんが長い耳をぴくぴくさせて、リンコ先生にたずねました。よくこんな空気の中で質問できるなと、ポン子はあきれ顔でウサミさんを見つめます。リンコ先生は興味なさそうに答えました。
「この女のだんなのことよ。一本だたらのクロガネっていえば、出雲のお山で三本の指に入るほどの妖力の持ち主よ」
「一本だたらのおじさんって、そんなすごい妖怪だったんだ」
ポン子が目をまるくします。むつみさんは得意そうにうなずきました。
「妖力だけじゃないわ。出雲のお山で一番男前だったんだから」
「よくいうわ。サルタヒコのほうがいい男だっていってたくせに」
むつみさんはみけんにしわを寄せて、リンコ先生をねめつけました。
「だから今いったじゃない、出雲のお山で一番だって。サルタヒコ様は流れ者のてんぐだったんだから」
「てんぐって、羽の生えた、鼻の長いあのてんぐですか?」
てんぐは妖怪たちにとってあこがれのスターなのです。ものすごい妖力を持ち、山から山へ旅をして暮らしているといいます。
「そう、てんぐよ。とてつもない力を持っていたわ。サルタヒコ様が来たときは、出雲のお山じゅうが大騒ぎだったのよ」
「でも、サルタヒコは他の女には目もくれず、わたしのことだけを見ていたわ。まあ、わたしは別に興味もなかったんだけど。でも、むつみは違ったのよね」
今度はリンコ先生が得意げに笑いました。
「サルタヒコ様は、あんたの女医としての力が欲しかっただけよ。そうじゃなければ、だれがあんたみたいな化けぎつねなんか」
くやしそうにむつみさんは首をふりました。
「とにかくあたしは、クロガネと夫婦になったんだから、そんな昔のことはどうでもいいのよ。それに、サルタヒコ様とは今もつながっているんだから」
リンコ先生の長い髪から、きつねの耳がぴょこんっと現れました。
「あんた、今なんていった?」
リンコ先生がむつみさんにせまります。むつみさんはハッと口を押さえました。
「まさかサルタヒコのやつ、またなにか企んでるんじゃないでしょうね?」
「べ、別に、なにも」
言葉とはうらはらに、むつみさんの目が泳いでいます。リンコ先生はしばらくむつみさんをじっと見つめていましたが、やがてふうっとため息をつきました。
「ならいいわ。でもむつみ、あんたのためを思っていうけど、あいつとはもうかかわっちゃだめよ。クロガネにも伝えておいてね」
リンコ先生がフフッと笑いました。さっきまでのわざとらしい笑いではなく、自然とした笑い顔でした。
「まあ、こうして会うのも久しぶりなんだし、いいわ。あんた、肩こりがひどいんでしょ。お風呂からあがったら、わたしがマッサージしてあげるわ。それに、特製のシップもね」
リンコ先生にいわれて、むつみさんは目をぱちくりさせました。
「あんた、あたしのことが嫌いじゃないの?」
「いったでしょ、わたしはもうなんとも思っちゃいないのよ。今はこの町で、人間や、たまに来る妖怪のお客さん相手に、役に立てればいいって、そう思ってるだけよ」
リンコ先生はポン子の頭をポンポンッとたたきました。
「ポン子ちゃん、顔真っ赤になってるわよ。ほら、早くあがりなさい。お風呂はじっくり温まるのが大事だけど、のぼせすぎもいけないのよ」
リンコ先生がざぶんとお湯から出て行くのを、ポン子もきつねにつままれたような顔で見ていました。