八月の話 ~雪女と辛みそラーメン~ その3
「クズハお姉さん、ごめんね、熱かったから、いっぱい水を出してたら、こんなに冷たくなっちゃったの」
まだからだをブルブルふるわせながら、ポン子は番頭のクズハお姉さんにいいわけしました。しかし、クズハお姉さんは苦笑いするだけでした。
「やっぱりそうなっちゃったか。あ、なんでもないわ。こっちの話。でもごめんね、せっかくのお風呂だったのに、ボイラーの不調でこんなことに巻きこんじゃって」
ポン子はあいまいに笑ってから、きららを連れて、逃げるように『出雲の湯』をあとにしました。ポン子は大きなくしゃみをしてから、きららをじろっと見つめました。
「もう、クズハお姉さん絶対あやしんでたわ。あたしとうぶん銭湯にいけないじゃない」
「だって、そんなに冷たくなるなんて、コホコホ、わたしも予想できなかったんだもん」
きららは申し訳なさそうにうつむきます。ポン子はがっくりと肩を落とし、とぼとぼと再び歩きはじめました。
「でも、どうしようかな。銭湯で絶対大丈夫だって思ったのに、これじゃあてが外れちゃったよ」
あごに手を当てながら考えこむポン子ですが、当のきららはというと、あっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろしています。
「ねえねえ、ポン子ちゃん。ここらへんってもしかして、人間の食べ物屋さんなのかな?」
きららにいわれて、ポン子は顔をあげました。目を輝かせているきららに、ポン子はこっくりしました。いつの間にか二人は、出雲町の大通りに出ていたのです。
「うん、そうだよ。この通りにはたくさんおいしいお店が出てるんだよ。あ、そういえばこのへんに……」
ポン子はきららに、ついてくるようにうながしました。あたりをものめずらしそうに見ながらきららがついていくと、ポン子は一軒のお店の前で止まりました。
「きっとここなら、からだの中から温かくなること間違いなしだよ」
そのお店はラーメン屋さんでした。『秘伝の辛みそ、唐辛子パワーでダイエット』と、のぼりに大きく書いています。きららはポン子に連れられて、お店の中に入っていきました。
「うわぁ、女の人が、たくさんいる」
お店の中は、若い女性客でいっぱいでした。みんな汗をふきふき、ずるずるっとラーメンをすすっています。
「そういえばわたし、人間の食べ物を食べるの、初めてだわ」
「それじゃあ、あたしが注文してあげるね」
二人はテーブル席に座りました。手ぬぐいを頭に巻いたお兄さんが、注文をとりにやってきました。
「すみません、あたしはみそラーメンを、この子は、辛みそラーメン、辛みそマシマシで」
「はいよ、みそ一丁、辛みそマシマシ一丁ね」
お兄さんは威勢のいい声で、注文をくりかえします。それにしても、なんと活気のあるお店なのでしょうか。湯気がもうもうとあがり、時おりシャッシャッと、めんの水を切る音が聞こえてきます。それににんにくと辛みその食欲をそそる香りがして、ポン子はごくりとつばを飲みこみました。
「ポン子ちゃん、『からみそらーめん』って、いったいどんな食べ物なの? ほかの人が食べてるような、あの湯気がでてるやつ?」
きららが興味しんしんといった顔でたずねました。ですが、ポン子は二ッと笑って首をふりました。
「来てからのお楽しみだよ。でも、とってもとーってもおいしいの。きっときららちゃんも気に入ると思うよ」
「へぇー、なんだか楽しみ。雪女の里だと、氷がゆとか氷みそ汁とかしか食べたことないから、すごい新鮮だわ」
「……あたし、雪女の里にだけは絶対行かないようにするわ……」
そんなことを話していると、やがて、さっきのお兄さんが、どんぶりを二つ持ってやってきました。
「へい、みそラーメンお待ち。それとこっちは、辛みそラーメン、辛みそマシマシね。食べるときは、この辛みそを少しずつ溶かして食べておくれ」
辛みそラーメンは、ポン子のみそラーメンと違って、スープの真ん中に、真っ赤な辛みそがこんもりと乗っけられています。
「うわ、すごい。見てるだけで汗をかきそう」
「えっ、ホント? じゃあこれを食べたら、コホンッ、温かくなるかしら?」
きららはさっそく、なれないはしを使って(さっきポン子に使いかたを教わったのです)、辛みそをスープに溶かしていきます。
「ちょ、ちょっと待って、そんなに溶かしたら、さすがに辛すぎるんじゃ」
「えっ、そうなの?」
きららはきょとんとしています。
「ちょっとその辛みそ、なめてみてもいい?」
ポン子は辛みそをはしの先につけて、おそるおそるなめてみました。
「ひゃっ、か、辛い! 水、水!」
あわてて水を飲みほすポン子を見て、きららはアハハと笑いました。
「ポン子ちゃん、面白い。じゃあわたしも」
はしでめんをつかみ、きららはずるずるっとめんをすすりました。きららが目をぱちくりさせました。
「大丈夫? やっぱり辛すぎたんじゃ」
ポン子が心配そうにたずねます。きららは答えず、ずるる、ずる、ずる、と、一心不乱にめんをすすっていきます。
「きららちゃん?」
「ポン子ちゃん、これ、すっごくおいしい!」
それだけいうと、きららはまためんを、ずるずるっとすすっていきます。ほっと胸をなでおろすと、ポン子も同じようにめんをすすっていきました。
「でも、ホントに辛くないの?」
「うーん、わかんない。雪女の里じゃ、こんな食べ物食べたことないし、初めての味だから、辛いかどうかわかんないよ」
ポン子は首をひねりました。
「そんなものなのかな……」
めんをずるずるっとすすりこんで、きららが顔をあげました。額を手でぬぐって、あっと声をあげます。
「汗が出てる」
「うん。きららちゃん、汗だくになってるよ。からだの調子はどんな感じ? だいぶんよくなってきたんじゃない?」
ポン子にいわれて、きららは首をこくりとしました。
「なんだかぽかぽかするわ。それに、せきっぽくなくなったし。人間の食べ物ってすごいのね」
感動するきららに、ポン子はちゃかすようにささやきました。
「それにここのラーメンは、ダイエットにも効果があるんだよ。……あれ、きららちゃん?」
きららの顔が、だんだんと赤く染まっていきました。反対に、お店の中はどんどん寒くなっていきます。
「えっ、うそ、変化してるのにどうして?」
あわてるポン子に、きららが泣きそうな顔でまくしたてました。
「どうして太ったって知ってるのよ!」
いつの間にかきららの髪の毛が、先端のほうから白銀に戻ってきていました。手に持っているはしも、パキパキと凍りはじめています。
「ちょっと待って、ごめんよ、あやまるから、だから落ち着いて! きららちゃんの力が強すぎて、変化がとけてきちゃってるから」
気がつけばまわりのお客さんたちも、いきなり店内が寒くなったので、なにごとかとまわりをきょろきょろしています。なんとか落ち着かせようとするポン子に、きららは怖い顔でせまりました。
「ポン子ちゃん、このことみんなには絶対内緒だからね!」
「わかってる、わかってるから落ち着いてよ!」
ポン子にいわれて、ようやくきららは落ち着いたようです。寒さがやわらぎ、再び店内に活気が戻ってきました。
「はぁ、よかった。でも、ほっとしたら、おなかすいちゃった。あたし、ぎょうざも頼もうかな」
「ポン子ちゃん、食べすぎじゃない? 太っちゃうよ」
「……きららちゃんにはいわれたくないよ」
ポン子はじと目で、きららのことを見つめました。
「こんなこと、本当はいいにくいんだけど」
きららと町に行ってから、一週間ほどたったある日のことです。ポン子のからだをじっと見ながら、クルルがぽつりといいました。
「……ポン子ちゃん、最近太ったんじゃない?」
ポン子はハッと、おなかのあたりをさわりました。ぽんぽこたぬきのように、おなかがふっくらしてきています。
――あのラーメン屋さん、どこだっけ――