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帰省【破滅派別冊「再会」掲載作品】

作者: 高野 真

 どれだけ周りの街並みが変わっても、この一角は変わらない。いや、変えようがないのだ、と私は思いました。

 四条烏丸交差点から北へ一本目、そこから左へ折れて二本目の筋を曲がったところが、鍾馗鉾町でした。オフィスビルやマンションに囲まれるようにして、この辺りには古い京町家が息をひそめて生き残っているのです。

 近年とみに増えた外国人観光客であれば写真の一枚でも撮るのでしょうが、私はこの町が好きではありませんでした。いえ、より正確に言うなら、この町にあるあの家が、好きではなかったのです。長い間近寄ることさえためらわれたあの家とは、おじいちゃんの家でした。

 

 もっとも、昔からそうだったわけではありません。

 おじいちゃんが元気で居た頃は、毎週末のように遊びに来ていた記憶があります。しかし、おじいちゃんが亡くなってしばらく経つと、ぱったりと足が遠のいてしまったのです。

 もちろん、おばあちゃんが嫌いだったわけでもなく、部活動や遊びに手一杯だったわけでもありません。今となってはそのきっかけすら定かではありません。

 そののち、おばあちゃんが認知症になってしまうともう、だめでした。思春期ならではの面倒な感情のせいもあるのでしょうが、何かと理由をつけては家そのものを避けるようになりました。そして、東京の大学へ進学することになったのをこれ幸いに、おじいちゃんとの楽しかった思い出にも封をして、京都という街そのものから逃げ出したのです。

 

 そんな私がふたたびこの町を訪れることになったのは、おばあちゃんが亡くなったからでした。おばあちゃんが施設に入り住む人を失った家は手入れも追いつかず、残しておくだけでもお金がかかる、それならいっそ売ってしまおうという話になったのです。

 家は無遠慮に取り壊され、ちいさなワンルームマンションか、あるいはコインパーキングになってしまうことでしょう。あれだけあの家を避けていた私もさすがに名残惜しく、残した家財の整理も兼ねて東京から帰ってきたのです。

 

 家の前に立つと、私が大学進学の報告に来た十年前とまったく変わっていないようでした。

 あのときにも、昔と変わってないなぁと思った記憶がありますから、もしかするともっと前から何も変化していないのかもしれません。

 規則正しい織り目を見せる糸屋格子と、陽に灼けてパンケーキのようになった塗壁。

 二階はその塗壁に口を開けただけの虫籠窓で、覆いかぶさるようにかけられた屋根は、古びた瓦がモザイク画のような表情を見せました。

 全てが過去のまま止まってしまったかのような中で、くたびれた犬走りに置かれた真っ赤な消火バケツに張られた水だけが、ご近所の手によるものかそこだけ真新しく清浄に見えました。


 先ほどまであれほどかしましかった蝉の鳴き声が、ぴたりと止まりました。

 私はがらがらと引き戸を開けると、風雨に晒されすっかりくすんだ表札をくぐりました。暗い翳を落とした土間はしっとりと涼しく、久しく風を通していなかったせいか埃とかびの匂いがかすかに感じられます。

 京町家らしく間口が狭く奥に細長いこの家は、土間がそのまま廊下代わりの通り庭となって裏手までまっすぐ抜けていて、部屋は通り庭に沿うように、東から西へ一直線に連なっています。

 いちばん手前の、通りに面した部屋が応接間にしていた和洋折衷の店の間で、その先が狭いながらも居間にしていた中の間、一番奥がおばあちゃんの寝室だった奥の間です。私は店の間への上がり口にあった沓脱ぎ石に、ヒールをそっと揃えて置きました。


 下半分にガラスが嵌めこまれた障子を滑らせると、一気に子供の頃へ引き戻されたかのような感覚にとらわれました。置いてある家具どころか、空気まで昔そのままのようです。

 おじいちゃんと一緒にころころと転げまわった赤絨毯に、七五三の日におめかしして写真を撮ってもらった藤の椅子。ふすまの向こうの中の間には、おじいちゃんと一緒に「まんまんちゃん、あん」と手を合わせた神棚があって、みんなでご飯を囲んだちゃぶ台もそのまま残っていました。

 奥の間に入ると、ガラス戸の先には緑色濃い前栽があって、楓も南天も、おじいちゃんがせっせと手入れをしていた苔も、かつてと変わらぬ姿を見せていました。この家で変わってしまったのは、私だけだったのです。


 ぴし。みしみし。


 床の間に掛けてあるお軸はかわせみを題にしたもので、いたずらをして叱られた記憶がありました。それを懲りもせず触っていると不意に天井から物音がしたものですから、私は少しだけ驚きました。

 二階にはふた間だけあって、ここ奥の間の真上はおじいちゃんが書斎にしていた部屋があったはずです。


 みしみしみし。すとん。どすん。


 やはり二階から音がします。もちろん、そこに誰も居るはずはありません。そもそもこの家はおばあちゃんが施設に入った七年前から無人なのです。

 けれども、私の耳は確かに感じているのです。ちょうど、書きものをしていたおじいちゃんが何か資料の探し物でもしているような、そんな音がしているのです。

 おじいちゃんは十五年前に亡くなっています。お葬式にも出たし、お墓参りもしています。けれども何故か、書斎に行けばおじいちゃんに会える、そんな確信めいたものが、私の中に芽生えました。


 とん、とん、とん。


 二階へとつながる階段は、通り庭の途中にしつらえられた台所の、おくどさんの脇にありました。古い階段ですから、傾斜もきつく、手すりもありません。代々の家人が昇り降りしてつるつるに磨かれた階段を、すべり落ちないように気をつけながら、一段、また一段とのぼっていきます。階段を進むごとに、おじいちゃんへの思いが募ります。


 裏庭から射し込む西日が、くすんだ障子紙に書斎の様子をモノトーンで描き出します。

 動くものなど何もないはずなのに、ゆらりゆらりと誰かが動くさまは、むかし何かで見た影絵劇を思い出させました。そういえば、影絵劇はもともとシャーマンの降霊術のひとつであったと聞いたことがあります。いまこうして、誰もいない書斎の前でうごめく影を目にしているのも、決して不思議なことではないのかもしれません。


 ―――。


 ささくれだった桟に手をかけて、私はひと思いに障子を開きました。そこには、



※続きは、破滅派別冊「再会」にてお楽しみください。

 こちらからお買い求めいただくことができます。

 https://minico.me/





(平成29年4月13日脱稿)

(破滅派別冊「再会」平成29年5月発売号掲載)

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