3-9 律義さ
蠣崎の彦は思う。檜山安東は当分揺るがないだろうと。今は檜山の下に従い、雌伏の時を続ける。しっかりと関係強化したうえで、今後あろう隙を窺う。それがいつになるかわからぬが。……歳から考えて息子の代になるかもしれないが。
最北の地に独力で立つのが、季広の夢である。
蠣崎の一行は玉虫に連れられて湊城へ旅立った。そこでは安東茂季と実娘の婚儀がある。今度は湊安東がどれほどの力を持つか、この目で見定めるのだ。
……沖の舟は去り、愛季は胸をなでおろす。能代の港より次第に見えなくなっていく大船。……遠くへ広がる地平線に、夕日が沈まんとする。……辺りに散らばる漁船などこちらへ向けて集まってくる。帰り支度、皆々家へ帰るのだ。
隣の治郎兵衛は愛季に言う。
「相当な食わせ者でしたね。」
”ああ” と相槌を打つ。愛季は目を細くし、海の向こうにある何かを見つめた。
何も見えるはずはないのだが、その何もない何かを見ようとする。そんな無意味な行為。
…………
夜はふける。皆々家に帰り、寝床で休む。
愛季の城へ戻った。寝所の襖を開ける。脇に目をやると、油皿に火がともる。その弱々しい光が部屋を照らすのだが……愛季の他に、人はいない。咲姫がいない。
充分に察しているつもりだが、本当の意味での理解ができているかどうか。
しばらく、その場で立ち尽くした。
立ち尽くすしか出来なかった。
…………
一人の侍女が愛季を呼びに来る。
それも、蝦夷地からやってきた多奈の侍女である。
「多奈様のところへ出向かれてはいかがでしょうか。」
…………
行くべきか、行かぬべきか。
安東を強くするためには、早く後継者を作ることは必須。そんなことはわかっている。誰かに説教される覚えなどない。
つまり、多奈と子供を作ることと同じ。
愛季は首を振る。律儀なこの男は、他の女のことなど考えたくなかった。だが決断したのはこの私だ。
…………
昔を思えば、父の事。父も律儀ゆえ、母の他に側室を持たなかった。……なぜか笑えてきた。
似ているのだ。似すぎているのだ。
これでは蠣崎の彦が言う通り、国を大きく広げることはできないかもしれない。
…………
だが、このようにも思う。
”一番近くの人間を大切にできずして、何を成し遂げることができようや”
そして愛季は多奈の部屋へ出向いた。多奈は愛季の顔を見るなり、今が初夜かと思った。初めて殿は出向いて下さった……。お相手するのが私の役目。そこに愛がなくても、子をなすのが私の勤め。
愛季は用意されてある布団に座す。二人は対面する。壁際にある油皿の灯は、微かに揺れていた。
開口一番、言い放つ。
”すまぬ”




