少年の頃
月は柔らかい光を放つ。
空を見上げれば、幾千もの星々がそこにある。少しばかりの明るさは、ヒバの森をかすかに照らす。
そのような夜、少年は川に浮かぶ小舟にいた。ただ前を向いて、進む方を見つめている。後ろの従者は、櫂を握っている。だがその太い棒を持っても、水面に逆らおうとはしない。少年がさせないのだ。この川の流れに身を任せれば、いずれ大きな川へと交わり、果ては海へつながる。
わざと粗雑な衣を着ているし、遠くからは積荷を運んでいるぐらいにしか見えないはずだ。
……と思っていたのだが、川岸の砂利を踏みつける音が聞こえてくる。少年は ”ちっ、次郎兵衛か。” と舌打ちし、わざと顔が視野に入らぬように目を閉じた。
川岸の男は、小舟に向かって叫ぶ。”若” と大声で、少年を呼ぶ。少年は無視するつもりでいたが、何度も言われるので、こうなると他の誰かが気づきかねない。
小舟は男の元へ近づく。下りれるまでに近づくと、男は静かに手招きをした。少年がそっぽを向くと、水面の変化とともに月影が揺らいでいる様が見えた。
次郎兵衛は、少年へ諭すように語りかける。
「若……港へ行こうとなさったのですか。」
その通りだ。この川を下れば大流の米代川につながる。夜のうちに能代の港へ着くだろう。次郎兵衛は続けた。
「大殿は用あって蝦夷ヶ島へ行くのです。それに同じ船に若も乗っていては、何かあったら誰が家を継ぐのですか。」
面を伏しつつも何か言おうとしたが、怒号が飛ぶのが落ちなのでやめた。”弟がいるではないか” と話したが最後、次期当主たる自覚が足りないと責められるだろう。
次郎兵衛は ”ふう” と一息おき、少年の顔が見えるように膝をついた。次郎兵衛は、強く責めすぎたかなと後悔した。少年の顔を見ると、……今にも泣きそうだ。たった12歳の小童に、次期当主の自覚をしてもらうのは無理な話。それよりも独断ではあるが……蝦夷へ行きたいという一心で舟に乗った行動力を評価すべきか。
とりあえず、きっと鬼のように険しくなっているであろう己の顔を直した。落ち着いた口調で言う。
「皆にはこのことを伏せておきます。さっ、城へ戻りましょう。ほら、櫂漕ぎも帰れ帰れ。」
少年は次郎兵衛に手を握られ、その場を去る。小舟もただ一人を乗せ、どこかへ消えた。
ふと空を見上げた。月はさらなる高みへと上がらんとしている。
安東愛季、小さき頃の一コマである。
天文十九年(1550)
”東公ノ嶋渡リ”もしくは”夷狄商船往還法度”。
安東愛季父の舜季は北海道へ渡航し、蠣崎アイヌ間の和睦を仲介した。