奔ったメロス
純朴な青年メロスは山間の小さな村で羊飼いを営んでいた。
そんなメロスが溺愛する妹の結婚式のために、村から十里も離れたシラクスの都へと買い物にやってきた日のことだった。
あの華が咲き誇るシラクスの都が、お母さんが必死にドライフラワーだと言い張るカレクサの都になっていたのだ。
活気溢れていたこの美しき都に一体なにがあったのか?
メロスは親友の石工職人セリヌンティウスに尋ねた。
「王が、人の心を信じられなくなったのだ。今日だけで六人の罪無き人々が殺された……」
メロスはその話を聞いて憤怒した。
メロスはその話を聞いて激昂した。
メロスはその話を聞いて激怒した。
そして腹立ち紛れに親友セリヌンティウスを殴った。
二度、三度、彼が意識を失うまで殴り続けた。
「あきれた王だ、生かしておけない」
親友(?)セリヌンティウスの懐から妹への結婚祝い金を頂戴し、妹の幸せな結婚式のために必要となる品々を買い揃えた。
そして、セリヌンティウスの祝い金で馬を一頭調達し、その上に簀巻きにしたセリヌンティウスと祝いの品々を乗せてこっそりとシラクスの都を後にした。
シラクスから離れると、妹の待つ村へと帰るためメロスは馬を走らせた。
メロスは無学な男であったが知恵は回った。
メロスは無学な男であったが羊飼いであった。
メロスは無学な男であったがために文字が書けなかった。
そこで親友であり、少しは学識あるセリヌンティウスを故郷の村に連れて帰ってきたのだ。
石工職人は文字を彫る事もあるので、石工のセリヌンティウスは文字を書けたのだ。
そしてメロスは彼にシラクスの都で購入したペンとインク壺を持たせてこう書かせた。
「我が名はメロス! 残忍にして暗愚なる暴君ディオニス王に死をもたらす正義の刃なり!! メロスの刃は必ず貴様の首に届く!! メロスの刃が奔る日を怯えながら待つが良い、邪悪なる王ディオニスよ! フハハハハハハハ!!」
メロスは羊飼いであったため、羊皮紙には事欠かなかった。
メロスは羊飼いであったため、羊の性質についてはよく知っていた。
メロスは羊飼いであったため、無学ではあったが賢者であった。
古来、賢者や聖人はなぜか羊飼いであることが多いのは羊と人がよく似て居るからなのだろう。
地上の教会も言っている。「迷える子羊達よ」と、成人をとっくの昔に超えた中年男性に対しても。
我々は何歳になれば成長した羊扱いされるのでしょう?
そんな与太話はさておきメロスは走った、馬の力を借りて。
村からシラクスの都へ十里の距離を走った。
馬に『メロス号』と名付けてまで走った。
メロス号は頑張った。流石は馬だ、人間の三倍は速い。
なんとかシラクスの都の門が閉る夕暮れ時までに飛び込んでメロスは夜を待った。
深夜過ぎ、彼は一晩をかけて百枚の羊皮紙をシラクスの都の壁中に貼り付けてまわった。
そして朝一番の鶏の声とともにメロス号に乗って飛び出したメロス。
メロス号の頑張りにより、なんとか妹の結婚式にも間に合った。
青痣残る親友セリヌンティウスは憮然とした態度ながらも、メロスの妹には罪が無いと思い結婚式の宴を共に祝った。
その夜、羊飼いのメロスとセリヌンティウスは飲み比べをして互いに酔いつぶれたのだった。
そして、そんな妹の結婚式の宴のさなかでもメロスはやはり走っていた。
暴君ディオニスに敢然と立ち向かう英雄メロスの噂話がシラクスの都の中で走っていた。
風の噂は疑心暗鬼の暴君ディオニス王の耳にも届き、人間不信の王は怒り狂った。
「反逆者、メロスを捕らえよ!!」
ディオニス王は全ての兵に命じてシラクス中のメロスというメロスを捕らえさせた。
その数は百人以上、シラクスの都においてメロスという名はありふれた名前だったのだ。
そして、こんな反逆者が二度と出ないようにとこの百人以上のメロスを十字架に磔にして、全市民を呼び寄せての一大公開処刑の宴を開いたのだ。
そのあまりにも残忍な血の宴を暴君ディオニス王は高見から見物、いや、監視していた。
全てのメロスの死を見逃がすまいと血眼になって見詰めていた。
疑心暗鬼、人間不信、常軌を逸した狂人の目である。
そのメロスの家族は平民だった。
そのメロスの家族は兵士だった。
そのメロスの家族は貴族だった。
あるメロスに兵士の槍の先が向けられた時、槍の穂先の前に居たのは自分の父親のメロスであった。
あるメロスに兵士の槍の先が向けられた時、槍の穂先の前に居たのは自分の子供のメロスであった。
あるメロスに兵士の槍の先が向けられた時、槍の穂先の前に居たのは自分の友人のメロスであった。
柔らかな人の腹部に向けられた処刑用の槍の穂先が細かく揺れた。
それは彼等の槍の扱いが未熟だからではなく、手が震えたのだ。心が震えたのだ。
誰が自らの父を、子を、友人を殺せるだろう?
誰が自らの父を、子を、友人を槍で刺し殺せるというのだろう?
誰が自らの父を、子を、友人を槍で刺し殺せと命じる王に従うと言うのだろう?
そして兵士の一人が叫んだ!!
「暴君ディオニス!! 私に自らの父を殺させようと言う貴様こそが邪悪な罪人だ!! 貴様こそ十字架に磔になって死ぬがいい!!」
彼が投げた槍は惜しくもディオニスには届かなかったが、他のものにはちゃんと届いた。
人の心には、人の勇気には、人々の怒りにはちゃんとその槍は届いた。
人の心の中にある良心、義憤にはちゃんと届いた。
「メロスを助けろぉぉぉぉぉ!!」
市民の中の誰かが叫んだ!!
その声は全市民の心に届いた!!
全市民が一丸となり十字架に磔となった無実のメロス達を助けようと走った!!
「反逆者どもを殺せぇぇぇぇぇ!!」
ディオニス王は叫んだ!!
だが、その声は誰の心にも届かなかった。
兵士一人一人の家族がその市民達の中には混じっていたのだ。
十字架に磔となったメロス達の傍に居た兵士達は槍を捨てた。
そして、家族に刃を向けられるものかと兵士達は槍を捨てた。
兵士達も市民達と協力して無実のメロス達を十字架の磔から解き放っていった。
その暴動はある男に好機をもたらした。
ディオニス王の近衛部隊を勤める者の家族の中にもメロスは居たのだ。
それは甥ではあったが、助けられるものなら助けたい甥っ子の可愛い十歳のメロス。
彼はディオニス王に勢いよく飛びつくと首に剣を付きつけて捕らえた。
「あのメロス達の中には俺の家族のメロスも居るんだ! 皆、邪魔をしないでくれ!!」
貴族の子弟による近衛部隊は王に忠誠を誓った身だ。
だが、彼等もまたディオニス王の常軌を逸した命令には辟易としていた。
何よりも今、義憤に燃えている全市民の中には彼等の家族も含まれていた。
近衛部隊の誰も彼もが喜んでディオニス王の手足を掴んで縛り上げ、英雄メロスのために用意された十字架に磔にした。
それからディオニス王が十字架に磔にされ、もがき苦しむ姿を全民衆に見せつけて義憤は果たされたのだと喧伝して暴動を治めた。
その無様な王の姿に対して市民達、兵士達、貴族達から揃って歓声が沸きあがる!!
身分の貴賎を問わず、誰も彼もが花咲くシラクスの都を愛していたし、このシラクスの都を枯れ果てさせた暴君を憎んでも居た。
こうしてメロス達の一大公開処刑の宴はディオニス王の公開処刑へと変わったのだった。
「貴様等! こんなことをして許されると思って居るのか!! 神が、神が許さんぞぉぉぉぉ!!」
ディオニス王の生命を神が許しても、もはやシラクスの全民衆が許さなかった。
百以上の無実のメロス達のために用意されていた二百本以上の槍を全身で受け止めて、最後にはディオニスなのか何なのか解らないトゲトゲとしたものへと成り果てた。
これでもまだディオニス王が生きていたならば、それは神が許した証拠になるのだろう。
そしてもちろん、神は許さなかった……。
一方その頃、羊飼いのメロスは親友である筈のセリヌンティウスにあの日のことで殴り返されていた。
メロスはそれを甘んじて受け入れつつも、そこはやはり古代の男、途中からは殴り返し始めての大喧嘩になった。
「都で暮らしているモヤシ野郎が、毎日羊を追っている山男に勝てると思うなよ!?」
「はんっ!? シラクスの都にはパンクラチオンを教える学校があるんだよ! ただの筋肉馬鹿が勝てると思うなよ!?」
羊飼いメロスの筋力が勝るか、石工セリヌンティウスのパンクラチオンの技が勝るか、強敵と書いて友と読む死闘が始まった。
妹の結婚式が無事に終わってから、その後、何だかんだで友情を取り戻すのには時間がかかった。
羊飼いのメロスが何だかんだと理由をつけてセリヌンティウスを帰さなかったのだ。
だが、最後は男同士の親友同士。
堅い握手と言う名の握力比べをして別れを告げた。
メロスの村から十里の道程を三日かけて戻ったセリヌンティウスは活気が溢れ花咲くシラクスの都の様子に驚いた。
そこでセリヌンティウスは道行く明るい顔をしたシラクスの都の住人に問いかけた。
「一体、このシラクスの都に何があったんだ?」
住人は笑顔で答えた。
「メロスの刃が奔ったんだ!!」
ディオニス王「真の友情を見てボク改心したよ!!」
被害者遺族達「うるせぇ、死ね」