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第六話 Home is where you make it.





「……ウォンネスから出るの?」


 姉さんは一体『道化師ピエロ』になにをしようというのか、それならば私はこれからなにをすべきなのか、そもそも『道化師』というのはどういう存在なのか――先のことばかりを考えていたというのに、アルマから告げられたのはそれら全てを遮断するような言葉だった。いや、衝撃の割に冷静な頭で考えてみればなにもおかしいことではない。落ち着いているのはある程度予想できたことだったからだろう。アーチの身体を有するこの男が、アーチが住んでいたこの町で暮らすというのは難しい話なのだ。

 でも、と思わず目を丸くしてアルマを見上げた。どこまでも、いつだってその表情に色はないが、目をそらされた。目は口ほどに物を言う、というのはこの男にはより顕著に出てくるな、と思った。

 香辛料の匂いが漂ってきた。麻婆豆腐は祖父の母国にほど近い国の料理で、久しく食べていなかったというのに食欲さえ今うまく働きはしなかった。そうしたらいいんじゃない、と素直に促すわけにもかなかった。嘘でそういうことを言えるほど私はできた女じゃない。アーチの姿がここにあるのが嬉しい、というエゴがないわけでもないし、『道化師』という存在はまだ、私の中では不安で、曖昧で。

 アルマは私の沈黙をどう受け取ったのか、応じるように口を開いた。


「この体でこの街にいることがどの程度不便であるかというのは、あなたの方がよくご存知かと」

「……それは、もちろんそうだけど。でも、だからって、外に出たとしてまた稼げるかどうかわかんないわよ」

「そうですね。では、出先での職務が決まり次第」

「うちの貴重な職員を手放したくもないんだけど」

「ここに残れとおっしゃるのですか」


 淡々とした静かな口ぶりがマルグリットを追いやってきた。多分、アルマ本人に怒りだとか焦りだとか、そうういうものは一切ない。ないのだけれど非を感じるのは他でもない自分のせいだ。よくもまあポンポンと言葉が出てくる。決して嘘ではないけれど、思ってもなかったことを次々と。アルマが彼らしい記憶や願いも取り戻せていない、その危険性を私はまだ知らないけれど、それでも、せっかく隣に戻ってきたこの体温が、今度は自分の知らないところで壊れてしまうのは。そう思うと拳を自然と握っていた。


「私はこの先、必ずどこかで力を使うことになります。その場合、もしここに残っていたらあなたたちに危害を加えないとは言い切れません。上級の『道化師』はほんのわずかな匂いでも嗅ぎ分けますから」

「……ねえアルマ」

「なんでしょうか」

「『道化師』って、そんなにも危ない、悪い奴なの?」


 姉さんがその魂を集めているという理由が、正義的なものなのか、そうでないのか。

 強くて誰よりも美しくれ、憧れだった女性だ。何年も慕い続けてきた大事なひとだ。いや、その元から飛び出してきたのは自分なのだけれど――それを差置かせてもらって、そんな女性の根底を簡単にねじ曲げられるほどの存在なのだろうか、『道化師』というものは。だってアルマだって悪い人物には見えない、その体がきっとアーチのものでなくたって私はそう思ったはずだ。きっとそうだ。信じたい気持ちが強情に胸を支配する、するのに、ふと浮かぶバーのマスターだった『彼女』の顔に恐怖が走った。

 アルマは、なんというのだろう。ぎゅっと拳をさらに締め込む。

 ふう、と小さく息を吐く音が聞こえた。


「おそらく、ベルベルさんは『道化師』です」

「えっ」

「断定はできませんが、職業は『調教師』かと。生物の意識や生命運動を操作できる能力ですが、彼はその中でもすでに多くの魂を摂取し、能力が大幅に上昇した上級の『道化師』であると思われます」

「そんな、だってあいつは姉さんとずっと一緒にいたのよ、もう何年も……じゃああいつは姉さんを」

「いえ、それはありません。彼女が作成する薬物の詳細があまりわからないため、これも確信を持てることではないのですが、ベルベルさんは常に能力を使っている風ではありませんでした。実際、エスさんが彼に薬品を使うよう指示したのも、私に能力を使った後のみでしたし」

「あ、あなたなんかひどい目にあったの?!」

「いえ、外傷などはありません」

「……ならいい、いやよくないけど。そうなんだとしたら、姉さんは『道化師』の力を受けないで、自分から……」

「あなたの先ほどの質問にまっとうに答えるならば、私たちにも個体差があります、というところでしょうか」


 再び見上げたグリーンがかった瞳は、少し伏せがちになって感情をより見せなくしているように思えた。でも、そうあない。

 あのボーイのような男の異質な雰囲気は、よく知っている。ミリアンやエス、それ以外にも武器屋や薬物を取り揃える店々の並ぶ、一種違法の地下街。そこの門番としてベルベルと呼ばれる男が立ちはだかっているのは、エスがミリアンの元から独り立ちして数年が経った七年前からずっとだ。そう、七年前。エスが再びミリアンの元に現れた七年前。謎の青年を連れて帰ってきた七年前。姉と慕った人物の成長ぶりに感化され、マルグリットがミリアンの元から飛び出し、キンリーに雇われたのも七年前だ。

 そんな、昔のことか。

 姉さんはベルベルと、もう年々一緒にいるのだろう。

 どうして姉さんは『道化師』に関わっているんだろう。

 それほどまでの存在なのか、『道化師』というものは。

 なぜ、と気になりはするものの、先程よりは幾分か不安が和らいだ。アルマの見せた、多分気配りのおかげだ。彼にはちゃんと、彼らしさがある。アーチだったらきっとこんな落ち着いたまま声なんか掛けてくれない。彼はもっと不器用な人だったから。私はふ、と頰を小さく綻ばせた。アルマの顔が、というより目が少し驚いたように開いた。

 なら私がしたいのは、もう決まったようなものだ。


「アルマ」

「なんでしょうか」

「事務所を離れるのはやっぱりやめたほうがいいわよ」

「……危険を伴いますよ」

「大丈夫、だけど少し……どころじゃないかな、いっぱい協力してほしいことがあるの。その分私もあなたに利益はちゃんと出させるから」

「内容にもよります。伺ってもよろしいですか」

「それよりも先に腹ごなしでいい?」


 神妙なお面持ちをしていたアルマが、足元の少年の存在に気づいてハッとする。手にしていたサンドイッチの入った小さなカゴを差し出すシンに、まだ記憶も何もかも空っぽの青年は律儀にありがとうございます、と呟いてから受け取った。シンはまたキッチンに向かうと、今度は母親と思しき女性から大皿を託されると、こちらに運んできてくれた。いい思い出のある香りだ。


「腹が減っては戦はできぬ、ってね」


 そう言って祖父は山盛りの白米と香辛料の効いた料理を作っては食べさせてくれたものだった。二十年前近くになる思い出でもちゃんと記憶している頭が誇らしかった。

 アルマは聞きなれない言葉だ、と不思議そうにしつつも、静かにパンにかぶりついていた。






第六話 Home is where you make it.





 キンリーの目前にファイルが音を立てて積まれた。割合に重かったのであろう、それらを運んできたマルグリットは手首をぱきりと鳴らしてから上司とまっすぐ目を合わせた。


「……なんだこれ」

「怪奇現象だなんて言われてた新聞記事や資料と、持ち込まれた未解決の仕事です」

「はあ、そういやそんなんもあったな」


 キンリーが山の一番上にあったファイルをいかにも適当にめくっていく。アルマはマルグリットの一歩後ろに立って、おとなしく状況を見守っていた。

 これらは事務所に戻ってきて、マルグリットとアルマが資料室から集めたものだ。こじんまりした探偵事務所にしてはあまりにも豊富な資料たちのせいで、昼過ぎに戻ってきてから作業を終えたのは日がすでに傾いている頃だった。資料を探す間にアルマはマルグリットに『道化師』についての多くを伝え、代わりにマルグリットからは彼女の思いを伝えられた。姉と慕う女性との関係、あの地下街の謎の女性――?――との関係、それから彼女がやりたいことのすべてを。この場ではもうどうしてとは聞かない。それほどまでしっくりと納得させられたので、アルマは自分から口を紡いだ。それは協力したいという意思の表れのつもりでもあった。

 キンリーはタバコの灰を小さく灰皿に落とした。


「んで、これがどうした。今更引っ張り出してきて稼ぎにし直そうってか」

「この事件にはもしかしたら『道化師』が絡んでるんじゃないかって、思ったんです」


 ピエロ。キンリーの鋭い目に射抜かれてもマルグリットは動揺しない。記事の一つを机の上に開いて見せた。


「例えばこの殺人現場では、得物は見つかっているのに犯人が特定できないままでいます」

「まあよくある話だわな。犯人につながる証拠がねえんだろ、指紋とか」

「私もそう思います。それが『曲芸師ジャグラーには簡単にできるんですよ』」

「ジャグラー?」

「物に触れないで物を操ることができる『道化師』……私、それと遭遇したことがあるんです。その、襲われたといいますか。あっ、その時にアルマが助けてくれて、出会ったっていうのは、言ってなかったんですけど」


 キンリーはぱしん、ぱしんとファイルで机を一定間隔で叩く。怒っているのか、何も考えていないのか。無言ながら、キンリーの目はファイルに落ちることも背後のアルマに移ることもない。まっすぐ、ただただマルグリットを見ていた。マルグリットのような境遇の女性を、彼はどうして雇ったのだろう。


 マルグリットは、東方の国の祖父とこのウォンネスにほど近い西洋の国の祖母を持つクオーターであるという。5歳の頃まではその東洋の日向の国に住んでいたそうだが、そこで戦争が始まった。祖母や両親の生まれ故郷である西洋に逃げてきたものの、祖父は断固として日向の国に残り、窮困に陥った挙句親族は彼女とはぐれた――あるいは彼女を置いて何処かに行ったらしい。そこの詳細は話されなかったし聞かなかったが、その後に出会ったのがミリアンだそうだ。エスも似たような境遇で、彼女より少し前にミリアンに拾われたそうだ。ミリアンという人物は彼女たちを養いながら、厳しく育てた。もうその様は、現在の彼女らを見ればなんとなく想像はつく。しかし彼女が、マルグリットがミリアンに向ける目は、暖かかった。だから、決して悪いものではなかったのだろう。

 そしてマルグリットはミリアンの元で成長して、ある日その元を飛び出しキンリーの事務所の一員となった。その過程は知らない。かいつまんで説明されたからだ。今は必要ない情報だろうと見てアルマはそれで理解した。理解することにした。マルグリットがここまで用意してキンリーを納得させようとしている行動を見れば、言葉でわざわざ聞くまでもないかと思ったのだ。

 そこでマルグリットがちらりとこちらを振り向いてきたので内心を読まれただろうか、と少し驚いた。


「他にも、生き物を操る『調教師トレーナー』や『楽師ミュージシャン』、アルマのような『傀儡師パペッター』などがいるらしいです。聞いた話なので、直接見たわけじゃないんですけど」

「……なんでそんなもんがわざわざ人間に絡んでくる必要がある。それこそ確証ねえだろ、んなもん犯人が用意周到に考えて隠蔽してる方がよっぽど可能性あんだろが。なあ?」


 短くなったタバコが灰皿に押し付けられ、キンリーの声音が上がった。マルグリットの肩が小さく揺れる。アルマはキンリーをじっと見ていた。彼は、何を考えている。糸を伸ばせばそれは一瞬で分かることだろう、でもアルマはそうしなかった。これは、そういう問題ではない。きっとこれが、自分の忘れている人間というものの心だ。

 マルグリットは紫煙の混じった、決して有益ではない空気を一つ飲み込んでから、小さく、だがはっきりと言葉にした。


「……それが、『願い事』だから、だと思います」


 『道化師』となってしまう魂は元来強い願い――いわば未練を持つ者たち。自然と死に行った人間の多くはその死を受け入れ、全てを手放す事だろう。では死を受け入れない者たちは一体どんな人生、どんな人生の終わりを経験したのだろう。

 アルマは目を細めた。自分はまだ『道化師』としてはあまりにもひよっこで、まだ自分の『願い事』や生涯さえ思い出せない中途半端だ。だがそれでも自分は人間よりもはるかに『道化師』に近く、また、『道化師』その者であった。だから、見たこともない彼彼女らの痛みくらいは、わかる。

 それがたとえ復讐心や人間に望まれない凶悪な者であったとしても。

 そして、それを知った人間が抱えた『願い事』。


「――少しだけでいいんです、外の国に、いろんなところに行かせてください。『道化師』のことをもっと知りたいんです、私の大事な人が、いっぱい関わってることだから」

 

 それが彼女の思いだった。人間というものは、なんとも不思議だ。いやこの場合不思議であるのは彼女自身か。なぜ、どうしてここまで『自分たち』に関わってくるのかが理解できなかった。

 ――否、否。わかっているとも。

 ずくり、と存在を主張するように揺れた心臓が痛む。

 ああ知っている、彼女のこの行動の起因の確かな一つが自分、あるいは自分の体であることを。彼女の自分を見る目に、毎回一瞬の迷いがあることを。それを解消してやりたいとは思う、いくら『道化師』でも人間の本能を完全に失ったわけじゃない、食欲もあれば睡眠欲も性欲もあるのだから。ただそれらに勝る願望の欲が付随されているとしても、そんな『自分』が彼女のためにできることを考えたら、これしかなかったのだ。

 アルマは一歩を踏み出し、マルグリットの隣で頭を下げた。


「『道化師』の能力は『道化師』を呼びかねないため、この事務所にとどまっているのは危険という判断を私がしていたのです。それをマルグリットさんが、外部に出れば私も飢えないであろうと提案してくれたのです」

「ちょっ、そういう話はいいんだって!言わないでって言った!」

「……そうでしたか?」

「『道化師』云々は所長たちに関係ないんだし、巻き込まなくていいんだし、いいの!あっ所長、あのですね、外にも名前が売れたらきっと大忙しになりますから!ね!もっと所員増やすとか気張ってもいいんですからね!」


 袖をグイグイと引っ張ってくるマルグリットになじられたが、ゆるく首をかしげるだけにしておく。ああ知っていたとも、しかし言わなくていいこととは思えなかったのだ。なぜ?それは、わからない。なんとなく、彼には、キンリーにはマルグリットに関わることは、きちんと話しておきたいと思ったのだ。

 眉間の皺はまだ深いまま、しかしキンリーのため息が少しやわらかくなったような気がした。


「そうかよ。移動費とか宿泊費はどうすんだ」

「へっ」

「色気ねえ声出すんじゃねえ。滞在費は、まさか考えてねえわけじゃねえだろうな」

「……ちょ、貯金崩します」

「二人分足りるのか」

「あります」

「わかった、食う分の金くらいなら少しは援助してやる。ただし逐一連絡は入れろ」


 それはマルグリットが何よりも今望んでいた回答だったに違いない。


「――っあ、ありがとうございます!!」


 彼女は見るからに声音を明るく輝かせて、長い髪を揺らし頭を下げた。その様にホッとして、しかし笑えないでいると不意にキンリーと目線があった。こちらを見上げてきたのだ。なんだろう、と思うものの興奮した様のマルグリットに腕を引かれ、その場をすぐに立ち去ることになった。


 こうしてマルグリットという人間の女性とともに、自分は『道化師』をめぐる事件を求め旅することとなった。

 自分の本名も記憶も、まだ何もわからないままだというのに。






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