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第二話 Custom makes all things easy.




 アルマという男の話を鵜呑みにできなかったのは、マルグリットだけではなかった。

 事務所に無事到着し、あれこれあってとりあえずアルマの話をみんなで聴くことになった。聴いたとして、誰もそれを素直には聞かなかっただろう。

 だけど、その場で信じる道をまっすぐ選んだのは、あのわけのわからない現象に、実際に巻き込まれたマルグリットだけだった。





第二話 Custom makes all things easy.





 初めまして。私、【道化師ピエロ】のアルマと申します。職業は【傀儡師パペッター】、願い事はまだ思い出せません。


 アルマ――と呼ぶことにしよう。それがしっくりくるのが不思議だし悲しくてたまらないのは秘密だ――の言葉を思い出してみると、まるでコピーアンドペーストのように話す男だ、とマルグリットはなおさら肩を落とした。

 キンリーによりソファに容疑者めいてまっすぐ座らされながら、最愛の男・アーチの体と声をして、その男は絵空事のような物語をさらさらと話した。


 私たち【道化師】は本来死んだ魂でありますが、ごくまれに神様に選定され【道化師】として再びこの世の地を踏むことが許される場合があり、その際すでにこの世にはない肉体を借りて私たちはここに降ります。しかしこの地に降りることが許されるためには強い『願い事』、つまり未練がなくてはならず、また、具現化した【道化師】はその『願い事』を叶えなければならないという本能を植えつけられます。私たちは降り立ってすぐは神様に与えられた名前と『願い事』を叶えなければならない、という競争心以外の記憶は一切ありません。場合によっては『願い事』の内容さえ曖昧なことがあり、恥ずかしながら、私がその一例なのですが――失礼、話がそれました。私たちが本来の記憶を取り戻すためには他の【道化師】の『願い事』――つまり『【道化師】の心臓』を奪い、摂取する必要があります。その際に有利なように【道化師】には曲芸師ジャグラーから人形師ベントロキズマー調教師トレーナーなど様々な【能力】が与えられるのです。希望を奪われた【道化師】は未練ごと完全に消滅しますので、いわば大博打、ともいいましょうか。私はまだ、ふたつほどしか希望を摂取しておらず、記憶も『願い事』もあやふやなのですけれども、そういうわけです。


 無表情のままそう言ってアルマは、動作だけは恥ずかしそうに頬を掻いたものだった。

 とりあえず、とアルマとともに探偵事務所に帰宅したところ、発狂したのは所長だった。発狂というか、怒り狂ったというか。マルグリットの帰還に喜んだ直後、死んだ男がそこにいたのだから無理はないと思うけれど。その直後から所長と面白そうだと味をしめたビッケルにより尋問が始まった。さあ話は全て済んだがつまりはこういうことなのですよ所長。私もわからないですよ所長。


 きゅっと蛇口をひねり、流れ落ちる湯を止めた。夜も遅いから今夜は事務所にとどまるといい、というキンリー所長の厚意に甘え、まずはシャワーを借りているところだ。安ホテルのシャワーよりあたたまるのが早く、より心地よく感じられた。男物のシャンプーを泡立てて、それが妙にいい香りがするのに気づく。これ所長のだよな。趣味がいいのが逆にびっくりするというかなんというか。

 一通り洗い終え、パジャマを着込み扉を引き開けると、低い「あ」という音がした。目の前にあった胸板に思わず一歩後ずさってしまった。


「驚かせてしまって申し訳ございません。キンリーさんが、お前も入って来いとのことで」


 そう言うアーチ――じゃない、アルマの腕には確かに服がかけられていた。マルグリットは立ち止まってしまっていたが、それが邪魔になっていると自覚するまでに5秒ほどを要してしまい、はっとしてすぐに踏み出した。声は、何もかけられなかった。


「マルグリットさん、というのですね」


 横を通り過ぎるその時に、静かにこちらを向かれた。

 同じ声なのに、彼とは異なった私の呼び名を発した男をそっと見上げると、記憶の中の笑顔が一瞬ぶれて重なって見えた。

 マルグリットだから、じゃあメグさんですね。駄目ですか?だって可愛くてよく似合うと思いますよ……あれ、俺、なにかおかしなことを言いましたか?


「覚えました。よろしくお願いします」


 違う。あくまでも、淡々と。静かに男は言った。パタン、と背後で音がするのを聞き届けて、マルグリットは腰を抜かしそうになった。というかよろしくって、何をよろしくしろと。かわりに大きなため息を吐くと、それが呼び鈴でもあったかのように緑色――というよりは金がくすんだ鈍い黒が、結果としてそう見えてしまったような色――の頭がひょいと覗いた。


「マリーちゃんお疲れさまぁ。あったまった?あー、いーにおいする」


 犬のようなスキップで歩み寄ってくるビッケルは、アーチと同年代の青年だが、この仕事においてはマルグリットよりもずっと先輩であった。人懐っこい笑みを浮かべ平気でパーソナルスペースに侵入してきては、マルグリットの肩をぱんと叩いた。そのまますんすんと鼻を寄せてくるのも長年を積めば慣れたもの。


「いいにおい?所長とおんなじシャンプーなんだけど」

「うええ、そうなの?言わないでよ!リンゴみたいでおいしそうだと思ったのに」


 頬を膨らまさんばかりの勢いでビッケルは唇を尖らせる。口ぶりも動作も子供のよう、とは少しちがう、しっかりと存在する芯ごとぐらぐら揺さぶるかのような遊び心を持っている。ビッケルのその性格がマルグリットを普段通りの心持ちにさせてくれた。

 手からすり抜けて勝手に廊下を歩き始めると、ビッケルはどこか嬉しそうにふふ、と鼻を鳴らしてついてきた。


「そうそう、彼、アルマくん?マリーちゃんがシャワーの間にまたいろいろ話してくれたよ」

「なんて言ったの?」


 魚が餌に食いつくように見上げてしまうと、ビッケルにまた笑われた。思わず赤くなる。


「【道化師】ってヤツでも人間みたいに生きなくちゃなんないんだって。『願い事』叶える前に野垂れ死んじゃバカみたいだから、アーチの穴埋めでもいいから働かせてほしいらしいよ」


 しかし、マルグリットは決して喜ばしくない感情を持ってビッゲルを見上げた。彼は細い目をきょとんと、いっぱいに丸くして、どしたの、と首をひねる。

 あたたまった身体は次第に冷えて、落ち着きが一緒に戻ってくる。

 あのマスターも、【道化師】だった。アルマよりも目的も性格もはっきりしていたから、あの飴のような、いわゆる他人の希望とやらをいくつも食べてきたのだろう。きっとあのひとは、あの中の心臓は、女の人だった。私を欲しがった理由はわからないけれど、見えたこともないはずの姿は、あの魂は、本当にもうなくなってしまったのだ。生き返るくらいの思いがあったのに、アルマという男が消してしまったのだ。

 彼女を殺してまで叶えたい願いって、なんなんだろう。

 アーチの体の中の魂は、どんなひとなんだろう。

 マルグリットはビッケルの袖を小さく掴む。ぐいぐいと引いて歩き出した。ちょっとお、と笑う声がするのをそのままにしてまっすぐ進んだ。

 そうだ。

 彼はアルマだ。

 アーチはもういないのだ。

 だからもう、アーチのことなど。





 と、思うのは簡単である。思うまでは。


「おめえ、アルマ。ここがどういう職場か言ってみろ」

「はい、探偵事務所です」

「じゃあお前の得意なことを言ってみろ」

「はい、縛ることと無理強いをさせることです」

「よーし。お前なら危ねえ犯人でもなんら問題ねえな、合格!」

「ありがとうございます」

「アルマくんおめっとー」


 ぱちぱちぱち。乾いた拍手につられてマルグリットも手を叩いたが、どうしても顔を見ることができずにいた。

 アーチの声ですごいこといったぞコイツ。縛るのか。アーチがか。そうか。

 自分の真横に座る男に太腿が触れそうになるのが恥ずかしくてたまらなかったし、むしろここにいることすら恥ずかしく思えてきてマルグリットは頭を抱えた。


「おいマルグリット、分かったか」

「はい……」

「お前も前線メンバーなんだからな、コイツと一緒に働くんだぞ、いいな」

「へい……」

「分かったらしゃんとしろ!!!」

「はい!!」


 ばっと顔を挙げたら、その横の、上の方からじっと視線が刺さるのが否応なしにわかって、また顔を手で覆うことになった。瞬きを繰り返すアルマの体越しに、頬杖をついたビッケルが笑う。


「アルマくんにここの空き部屋貸すからさ、案内してあげてね、マリーちゃん」


 にやにやと言われてはもう声も出なかった。

 命令も任命もしたものの、状況を理解できていないのには変わらない。叫んだ喉を調整するようにキンリーが咳き込むのも、ビッケルが笑うのも、マルグリットの見えない顔もすべて、アルマは瞬きの下で見ているだけだった。

 しかしふと、疑問符が浮かぶ。

 このビルにまだ空き部屋があったのか?

 その答えは、すぐそこにあった。


 


「ここは、アーチさんのお部屋だったんですね」


 場所を移動して、事務所のあるビルの三階。ベッドのシーツを張り直しているマルグリットの小さな背に声がかけられた。数十秒前にベッドメイキング程度ならわかります、手伝います、と言われたのを全力で断ったぶりの言葉なのでやや警戒していたが、アルマは本当に表情ひとつ変わらない顔でこちらを見ていた。なんだか拍子抜けしてしまった。

 

「……そうだけど」

「アーチさんの穴埋め、とは言いましたが、私はあくまでもアルマですので、なにもここまで同じ待遇でなくとも」

「別にあなたをアーチ扱いしてるわけじゃないわよ」


 一番上の掛け布団を浮かせるようにして置けば終了だ。それまではアルマに背中を向けていても何のことはなかったが、これからはどうすることもできない。渋りつつも向き直れば、またもマルグリットが突き放したに等しい対応をしてしまった男とまっすぐ目が合う。


「……ここで働くにしても、あんた、家もないでしょ」

「まあ、そうですね」

「アーチがもういないんだから、もともとここは空き部屋なのよ。ちゃんとお金払えばどこで住むにしても一緒でしょ」

「そうですが……」

「それに、アーチは戦闘なんてこれっぽっちもできない木偶の坊だったのよ。どー考えてもあんたとは一緒にできない」


 まるで自分に言い聞かせるようにマルグリットは強く言う。出来上がったばかりのベッドに横から腰を下ろした。するとアルマはベッドの短辺の側に座って、そうですか、と小さくつぶやきを漏らす。

 ここでアーチだったら、無遠慮に真隣に座るんだけどなあ。長い幅を持て余したマルグリットは、自分の両側に手をついて男を見上げた。

 【道化師】だとかなんだとかは、やっぱりよくわからない。だけどこの一週間で、少なくとも当初に比べたら、アーチについては落ち着いて考えられるようになった。


 あの電車の運転手は、事故の次の日に逮捕された。意識を失ったのだと証言する彼が運転していた電車は、機械任せの踏み切りの判断が混乱するほどのスピードで加速し続け、踏み切りが降りきる前に踏み切りを通過した。その時、踏み切りの中には車が1台と、1人の女がいた。前者がどうなったかはよく知らないが、後者はマルグリット――まあつまりは、自分、だった。

 そのはずだったんだけどなあ。

 見たこともない形相で飛び出してきた相棒は、マルグリットの肩を突き放して身代わりになった。衝撃のあとに知覚を刺激したのは、遅れて鳴り響いた踏み切りのベルだった。その死体は、見ていない。怖かったから。とんでもない惨状だったそうだから。周りの人に聞いただけだ。その遺体はあまりにひどい状態だったから、火葬されて、もうこの世にはないはずだった。


「どうかなさいましたか」


 無意識のうちに自分の肩を掴んでいて、それと同時にアルマの視線に気づく。ちゃんとあの緑色の目をしている目だった。マルグリットは手をふっと降ろした。


「あなた達が使う体って、お墓から持ってくるとかじゃないんだ」


 マルグリットは児童向けの絵本から純文学、またファンタジー物語まで、本を読むのがわりあい好きだった。浪費する対象の大半は書物ではないだろうか。マルグリットを戦闘担当のメンバーだと紹介された後輩・アーチはその事実に面白いほど驚いたものだった。それはともかくとして、多々の本の中には、死人の魂が死体に憑依して、なんていう物語もあった覚えがある。

 アルマのまばたきの回数が多くなった気がした。


「……お墓ですか?」

「そう。そんでなんか、こう、ゾンビみたいな」

「……マルグリットさんは、大人なのか子供なのか、時折わからなくなりますね」

「バカ言わないで、もう25よ」


 はぐらかされたような気がしてむっとしたが、アルマは単に驚いただけらしく、すぐに言葉を続けてくれた。表情が一切変わらないからわからないのだ。


「そう、ですね……【道化師】の魂が棲む体は、もうこの世に存在しない体であることが基本です」


 丁寧に説明を始めてくれたというのに、マルグリットの指先は勝手に震えた。


「たとえば、随分と昔の人物のものであったり、火葬されたり、埋葬後長い時間が経ち風化した体などは魂が天に昇るように、体という別の区分で天に昇ります。その中から完全にランダムに体と魂が選出されるそうなので、そうですね……あのバーのマスターを覚えていますか」

「……あの女の人?」

「中の魂ですね。はい、魂は女性でした。ですが、体は男性でした。あのように店を経営していたところから鑑みますと、彼女は少なからずその方向の知識があったのだと思います。あの体がいつ亡くなったものかはわかりませんが、もしもともとあの酒場を経営していた人物だったとするならば、運がいいとも言えますね」

「はあ……」


 なら、アーチの体と魂も別々に天国にいったということで。体は、こいつがもらってしまって。


「なら、アーチもどっかで【道化師】になってたりするのかな」


 なんでもない独り言のつもりだった。しかし、アルマは今までで一番目を丸くし、間を置く。それから勝手に例のごとく手をポンと打って、マルグリットさんは、と続けた。


「本当に私をアーチさんだと思っていないことがわかりました」

「まあね」

「私は特に運が良かった。キンリーさんからアーチさんのことをいくつか伺いました」

「……」

「亡くなられたばかりの体でありましたから、まだその社会性は生きている状況でした。そして私は運良くあなたに出会えた」

「うん」


 アーチの顔をして、男はマルグリットを追い詰める。この男はアーチじゃないことを証明するように。当人にそのつもりは一切ないんだろうけれど、だからこそタチが悪い。ここで逆上したってそれは逆上にしかならないし、誰も得をしないことにエネルギーを使うのは御免だった。だから静かに拳を握っているだけだった。


「あなたが、アーチさんを大切に思っていることもわかりました」

「ん?」


 しかし、思わず声に出してしまってからマルグリットはアルマを見た。感情は見えない男なのにこっちの思いはわかるのか不思議だなあとぼけっとしていたのは束の間、一気に顔に熱が這い上がってくる。

 こいつは何を言っているんだ?

 見上げた目が、心なしか細まった気がする。

 アーチの顔を、している。

 

「……ああ、まあ、そりゃあ」


 好きだった男が、そこにいる。

 だけど彼は彼じゃなくて、だから、その。彼は彼を知らないし、だから、だから。

 マルグリットは男におとなしく眺められながら、頭の中だけはこれまでにない勢いで回転していた。回転しすぎて、もう何を考えているのかわからなかったんだけれど。


「……そりゃあ、私は、アーチの彼女だったんだから」


 そう言えばどうなるとか、考えて言ったわけではなかった。

 ただ、妙に納得したような男の表情に――やっぱり見た目は一切変わらないんだけど――、マルグリットが覚えたのはどきりと揺れる恋心と、それより重い塊だった。






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