古文書奪還
いつもありがとうございます。
多少、流血があります。
「美味い」
私は、思わず唸る。
今日は贅沢をして、かき揚げそばである。
さっくり揚がったえびのかき揚げと、芳醇なかつおだしの香り。
蕎麦は、つなぎの少ない八割。癖になる味である。
「りん、お前、緊張感、ないな」
廉次が呆れたようにそう言った。
「美味しいものを食べる時に、余計なことは考えない主義なの」
そもそも、ここに誘ったのは、廉次の方である。今日は、頭である疾風が、主である川霧宗敏に報告に出かけているので、私達、下忍は暇なのだ。それでも、一応、偵察という建前で外出しているので、私は鳥追い女、廉次は旅の商人風の格好をしている。
古文書が半分に破れてしまったので、原作と違い完全に古文書強奪に成功しているとは言えないが、一応、地図は手に入れているから、現在は八郎側よりこちら側の方が宝に近いと言っていい。
この後の展開としては、八郎側が、川霧宗敏の屋敷で『古文書奪還』することになっている。
その場面で、疾風は八郎に斬られて死亡。忍者はほぼ壊滅。物語は、忍者と八郎のものから、父宗敏と八郎という親子対決へと様相を変えていくのだ。
しかし、である。
物語のきっかけとなる艶と八郎の逃避行は、たいした障害もなく成功し、艶は未だに生きている。作戦室で徹に聞いたところでは、八郎とともに幸川の屋敷で仲睦まじくやっているらしい。
嫉妬に狂うハズの疾風は、特にこだわることもなく、興味はまったくないようで私達下忍に、艶の処分をせまったりはしていない。さらに、前回壊滅寸前に陥るハズだった我ら忍者部隊は、ほぼ全員ピンピンしている。
もはや、物語がどこに向かっているのか、予想が付かない。
それに。事あるごとに、疾風が私に言い寄ろうとする。目が本気で恐い。二人きりになってしまったら、何かされそうで考えるだけで恐ろしい。絶対に疾風が『カオスの雫』だと思うのに、徹とテンプレーナ様は、未だに確証なし、と、解除を許可してくれない。
徹の話では、この蕎麦屋の主人である『山城辰之進』という男は、幸川の部下なのだそうだ。
そして、この店の出資者はなんと、幸川光春らしい。幸川は山城の蕎麦に魅せられ、古文書をそっちのけで、蕎麦屋の出店をすすめたらしい。
つまり。徹の主張によれば、ここの親父である山城こそ、『カオスの雫』ではないか、というのだ。幸川を惑わし、物語を混沌へと導いている。
一理、ある。
しかし、それでは疾風の行動の説明が付かない。敵の戦士だとしても、「りん」という完全な脇役に入れ込む理由が理解できない。
「今日は、頭がいないから、ホッとするわ」
つい、本音が漏れた。
「しかし、あれだけ惚れられたら、女冥利に尽きるだろ?」
廉次が苦笑する。
「何をトチ狂っちゃったのかねえ、お頭は」
私は首を振った。
「りんが、イイ女だからだろ?」
いくぶん甘い声で、廉次がそう言った。ちょっと、ドキリとする。
廉次は、疾風からさりげなく私を守ってくれているようなところがあるように思えて、そんな風に言われると、意識してしまう。予定された物語のなかの出来事ではあるが、かりそめとはいえ肉体を与えられ五感をともなった体験である。心が動いてしまうことだってあるのだ。
「それで? 何か話があるってことでしょ?」
私は、そばつゆを飲み干した。
わざわざ隠れ家から連れ出したということは、人に聞かれたくないことだろう。
「……俺と一緒に、抜けない?」
「え?」
私は、驚いて机の向かい側に座っている廉次の顔を見た。意図がわからない。
もちろん、忍びを抜けるという予定は私の中にあって、いつ抜けようかとは、ずっと思案していたところではある。
「このままここにいれば、お前、確実にお頭の女になっちまうぞ」
本気か、冗談か、わからない表情で廉次はそう言った。
「……それは、困る」
物語的には、りんが疾風の女になろうがなるまいが、全く影響はない。しかし、疾風がりんにのぼせあがって任務を二の次に考えている現状は、問題だと思う。
それに。物語の問題は置いておいておくとして、私は疾風に対して恋愛感情があるかと問われれば、全くない。むしろ、苦手である。
――しかし、疾風が怖いからって、抜け忍になったら、徹に怒られそうだしなあ……。
「廉次は、どうして抜けたいの?」
私は正面の廉次の顔を見る。脇役にしては二枚目だと思う。
廉次は私の顔を見つめたまま、そっと手を伸ばし、私の手に重ねた。
胸が高鳴る。今まで、数々の世界で戦ってきたが、こんなことは初めてだ。正直、残念なことに、生きていた間だってなかった。片思いはしても、告白すらしたことはなかった私である。
「俺は……」
「あれ? りんちゃんじゃないか」
廉次が口を開きかけたその時、私の背をなれなれしく遊び人風の二枚目が叩いた。
「光さん」
遊び人の光さんこと、光二郎である。
光二郎は、強引に私の隣の椅子に腰を下ろす。しかも、至近距離だ。私は机の上に置いていた手を引いて、椅子を光二郎から少し離した。
「廉次さん、抜け駆けはいけませんゼ」
ニヤニヤと笑って、蕎麦を注文する。どうでもいいけど、話の途中だし、光二郎狙いらしいお運びのお姉さんに睨まれるし、遠慮願いたいなあと、私は思う。
「光さん、私、廉次と話をしていたのだけど」
「いいよ、じゃあ、続けて」
続けてと言われて続けられる話ではない。
「俺、帰るわ」
廉次はそう言って、立ち上がった。
私も帰ろうと腰を浮かしかけると、腕をスッと引かれ、座らされた。
「りんちゃん、廉次さんとどういう関係?」
忍者仲間……とは、言えない。
「同郷なの」
とっさに、そう言った。
同じ忍びの村の出身だからこそ、同じ忍者集団にいるのだ。嘘は言っていない。
「へえ、それだけ?」
「それだけとは?」
私は首をすくめ、質問で返す。下手に突っ込まれて、忍びだってバレても困る。
「男女の仲なの?」
「ち、ちがう、けど」
私は動揺した。先ほど、ドキリとしたことを自覚したばかりだからだ。
しかし、思わず泳いだ視線の先に、私は疾風の姿を捕えた。見つかるといろいろ面倒である。
「ごめん。光さん。私、急用が出来た」
「え?」
有無を言わさぬ速度で私は立ちあがり、慌てて店を後にした。
ちらりと店に目を向けた時、光二郎が不思議そうに、首を傾げているのが見えた。
疾風が予定より早く宗敏の屋敷から戻ってきた。
古文書のことで、八郎側に動きがあったからという理由で私達は宗敏の屋敷へと呼び寄せられることになった。
宗敏の屋敷は、街中にあるので、食い物に困ることはない。やっとひもじい生活から脱出できるのは有難いが、あの蕎麦屋から遠くなるのは、なんとなく残念だった。
幸川光春をとりこにしたという蕎麦に、私もすっかり魅了されてしまっていたようである。
そして。廉次がどんな意図で抜け忍になろうと誘ってくれたのかわからないまま、私達は宗敏の屋敷へと入った。
ここでは、さすがに鳥追い女の格好では目立つので、私はまた、下働きの女の格好に戻る。廉次をはじめ男の忍者たちは、それぞれ侍姿や、下男など、おもいおもいの格好に扮していた。
疾風は、侍姿で、宗敏のおそば近くに詰めており、私は、ホッと一息をつく。
近侍の侍姿では、台所にそうそうはやってはこれない。
もちろん、宗敏の近辺を世話をするおなご衆もいるのだが、私にはそのような場所は無理なので、基本、台所まわりの仕事とその周辺の警備である。
――ええと。原作通りならば、今夜、八郎側の襲撃があるのよね?
八郎の率いる侍が数名と、忍者が数名。今夜、闇に紛れてやってくる。
「りんさん、今日は親方様が、こちらのお酒をみんなにふるまってあげてほしいとおっしゃってくださったの」
女中頭の『おはな』が私に声をかけてきた。この『おはな』、幸川光春の手の者である。豊満で女性らしい柔らかそうな体形だが、足さばきが、ただものではない。もう少し、『普通』に歩かないと、気が付かないふりをするこちらがたいへんである。考えてほしいものだ……言えることではないが。
おはなは、竹筒にはいったお酒を私によこした。露骨にアヤシイ。アヤシイが、このアヤシイ酒を警備の者たちが飲んだところを『襲撃される』のだから、気が付かないふりをしなくてはならない。しかも、自分も飲んだふりをしなければいけない。
――あーメンドクサイ。
ついそう思いながら、私は、親方様の「ご厚意」を有難くみなに分配した。
当然、酒を飲んだ人間は、強い睡魔に襲われて、ぱたりぱたりと、倒れるように眠りこける。私は、台所で、眠りこけたふりをして、『おはな』が裏の扉を開けに行ったのを、息を潜めて見守った。
ほどなく。
裏から、何人かの人間が、侵入して、ゆっくりと宗敏の寝室のある奥座敷の方へと移動していく気配を感じた。
私は、そろり、と、台所を抜け出し、彼奴等の後をつける。
警備の者はすべて寝ていると思っているせいであろう。ほとんど警戒していないようだった。
先行している忍者のうち、ひとりは艶だとわかった。相変わらず、すらりとした体をしていて、忍者にしておくにはもったいない美人である。
艶は、この屋敷に勤めていたことがあるから、道案内としてはうってつけであろう。
足音を消してついていく男たちの中に、私は徹を見つけた。
今回は、敵、味方に分かれているため、物語の中では徹と接触することができず、作戦室でしか情報交換が出来ない。非常に、もどかしい。
カオスの雫の件もそうだが、どの条件を目指すべきなのか、全くと言っていいほど決まっていない。
こうして、すぐそばにいても、そばにいることすら伝えられない。
音もなく、障子戸が開けられ、外がさっと明るくなった。
艶は手際よく、座敷に侵入したようだった。
部屋に灯りは灯っているが、疾風以外のこちら側の人間は眠っているはずだ。
そう。原作では、くそまじめな疾風だけは、酒を口にすることはなく、襲撃にひとりで対抗するのである。
原作通りならば、ここで疾風は死ぬ。
正直、苦手な相手ではあったが、あそこまで好意をみせつけられると、多少の情はわく。
だが、だからといって、彼を救うのは私の仕事に反する行為だ。それに、死んでほしいとは思わないが、積極的に手を出し助けたいというほど、好きな訳ではない。
私は、侵入者たちを遠巻きに見つめていた。
すらり、と障子戸が開いた気配に疾風は跳ね起きた。
隣の部屋で寝ているはずの宗敏は、何の気配も感じぬのかまったく目を覚まさないようだ。
風がないのに、空気が揺れる。
外に詰めているはずの仲間の気配も感じない。ただ、足音を消した、ただならぬ侵入者の気配だけをビリビリと肌に感じた。
座敷で宗敏の手文庫を探る気配に、疾風は抜刀して部屋に飛び込んだ。
「艶?」
行燈の光に照らされているくのいちに、見覚えがあった。
すらりとした、しなやかな体をした美しい女。
仲間を捨て、敵へと寝返った艶であった。
「お頭……」
艶は手文庫の中にあった古文書を胸に抱いていた。
「艶、下がれ」
抜刀した八郎が疾風と対峙する。
後ろにさがった艶を、他の忍び達が守るように隠した。
疾風は、その忍びの中に、くのいち姿の『おはな』を見つけた。
「てめえ」
孤立無援のこの状況を、その女が作り出したことを理解する。
しかし。間合いを詰めた疾風の両足の腱をさっと八郎の刀が斬った。
「ぐっ!」
血が障子を濡らした。
立つことがかなわなくなり、疾風は倒れた。
「古文書は返してもらうぞ」
八郎のその言葉を、疾風は薄れていく意識の中で聞いていた。
八郎たちが立ち去ったのを確認し、私は、そっと部屋をのぞいた。
行燈の光がわずかに揺れて、血臭がしていた。
「廉次?」
見れば、廉次が、疾風の足を布で縛っている。
「りんか? 手伝え。まだ、助かる」
私は、廉次が抑えているのと反対の足を布で抑える。出血がひどい。
助けることは、物語に反している。しかし、たとえこれが物語だとしても、命がこぼれ落ちるように消えていくのは嫌だった。
私と廉次は、疾風の手当てに夢中になった。今、この瞬間に、こうして『起きて』いることがお互い戦士である証拠だと気が付いても、手当てを止める理由にはならなかった。