古文書強奪
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「怖いっ! 怖いよっ! どうしよう、テンプレーナ様!」
ここは並行宇宙の中にある、時間の止まった作戦室。なぜか畳張りで、昭和の臭いがぷんぷんする部屋だ。
金髪碧眼の美女、テンプレーナ様はのほほんと緑茶を口にしている。
「やあねえ、理奈ちゃん。ちょっと口説かれただけで、そんなに怖がってどうするのよ」
「で、でもですね、どうみたって、疾風はおかしいですよ。」
「うん。確かに。カオスの雫が疾風だとしても、今までにないパターンだ。よりによって、『りん』を口説くなんて趣味が悪い」
徹が、首を傾げながらそう言った。
趣味が悪いは余計だと思いつつ、私は息をついた。
「カオスの雫は『疾風』に決まりってことで、さっさと解除しちゃいましょう!」
「しかし、敵の戦士の可能性もあるだろう?」
徹が異を唱える。
「その可能性もあるわねえ」
テンプレーナ様はのんびりとお饅頭に手を伸ばす。
「敵の戦士だったら、『突入しない』のは理解できますが、『りんを口説く』意味がわかりません」
「あら。理奈ちゃん、このまえ玲人くんに相当気に入られていたわよ」
くすくすと、テンプレーナ様は笑う。
「そんなことはないです! それに、敵の戦士だとしたら、それって、つまりは、ほぼ初見の状態で、私が戦士だと見破られているということですか?」
私は不安を感じて、テンプレーナ様を見た。
「うーん。さすがにそれはないと思うのだけどねえ」
徹は、私の姿をジロジロと見た。ちなみに物語がスタートしているので、私の姿は『りん』のものだ。
「……今回、お前、素に近いな」
「うーん。そうかもしれない」
姿見に自分を映してみる。もとが『小説』であって、しかもたいした役柄でもない『りん』に際立った外見特徴はないらしく、しかも年齢もさほど変化がないこともあり、麻生理奈がコスプレしたような姿である。
「でも、私、カオス側に素顔をさらしたことないし」
「そうだよなあ、お前、懇親会とか全く出席しないタイプだからな……」
徹が首を傾げた。
いや、そもそも、顔を秘して戦っているはずの相手と、『懇親会』っておかしくないか?
懇親会は、テンプレーナ側とカオスリーン側の戦士が集まって行われる慰労会のようなものだ。実は定期的に行われている。
ちなみに、徹は『懇親会』にはまめに顔を出して、カオス側と交流しているらしい。お互いの腹の探り合いが、とても楽しいのだそうだ。私にはよくわからない感覚である。徹に言わせれば、こうして地道に交流しておくと、敵の戦士を見破るのに役立つらしい。でも、それって、おたがいさまな気がしなくもない。
「なんにしても、『カオスの雫』の解除はもう少し様子を見ろ」
「様子って……あんなにあからさまに迫られたら、私、困るけど」
私が顔を膨らますと、テンプレーナ様がニコリと笑った。
「あらら。疾風は、理奈のタイプじゃなかった?」
「テンプレーナ様……そもそも八郎と艶の恋愛と、お宝を巡るお話です。忍者が仲間で恋愛するお話じゃありません」
「あら、理奈ちゃん、まじめね」
テンプレーナ様は、そう言って私の顔を見る。
「お話が壊れない程度に、恋愛も楽しんじゃっていいのよ?」
「テンプレーナ様、脱線をそそのかしてどうするのです?」
呆れたように徹が眉を寄せる。
「……わかりました。しばらくは様子を見ます。でも、私、適当なところで抜け忍になりますから」
「うん。理奈ちゃん、頑張ってね」
ご機嫌なテンプレーナ様に背中を押され、私は世界の扉を開いたのだった。
次の場面は、『古文書の強奪』という場面である。古文書が八郎の手を離れ、忍者たちのものになる。そこへ第三勢力もからみ醜い奪い合いがおこって沢山の人間が死ぬ。八郎と光春が『古文書を焼く』という決断に至る理由となるのだ。
八郎と艶は山深い、幸川光春の別荘に身を寄せている。
私達は、八郎の父である宗敏に命じられ、古文書を奪うべく、別荘に近い農家の廃屋を隠れ家として屋敷の様子を探っていた。
今回、二度目になる襲撃は、ようやく身を起こすことができるようになった艶が、忍びに戻れと言う疾風の説得を拒絶し、やはり疾風にとどめを刺されてしまうという場面で、しかもそれゆえに、忍者部隊の半分以上は怒り狂った八郎に殺傷されてしまうが、疾風は古文書を手に入れて、逃走するのである。
しかし。
艶は、もともと怪我などしていない。そう簡単に致命傷を受けることはないだろう。
条件2を視野に入れれば、艶は生きていても構わない。ようするにこの場面、疾風が古文書を手に入れさえすればいい。大切なのは、話の主筋より、私としては八郎に殺されないようにしなければならない。今回は徹こと八木徹之進も敵とはいえ同席するから何とかなるだろう。
私は編み傘をかぶり三味線を持つ女太夫、いわゆる『鳥追い女』の姿で、屋敷の偵察をしていた。
侵入経路を記憶して、拠点へと戻ろうと山道を急ぐ。不意に、草履の鼻緒がプチンと切れた。
「あちゃー」
私は思わず呻く。鼻緒を挿げ替えることはそれほど難しいことではないのだが、実は、この『鳥追い女』姿というのは、屈むという動作が非常にしにくい格好なのだ。
鳥追い女の格好は、腰を細く見せるためにさらしを何重にも巻く。芸人であるのにもかかわらず、『鳥追い女に投げ銭はやめたほうがいい』というのは、この格好で金を拾うのがたいへんだからなのだ。
「まいったねえ」
私は、ため息をついた。
山道を見回すと、腰が下ろせそうな大岩が視線の先にあった。
足を引きずるようにしながら、岩まで移動し、人がいないのを確認して、草履を蹴り上げた。ひゅるりと草履が回転して、宙を舞い、ポトリと手元に落ちてきた。
「お、私って天才!」
ついそう呟いた時、不意に忍び笑いが背後から聞こえてきた。
「だ、誰?」
思わず、慌てて振り向きながら、三味線を手元へと引き寄せた。
「こりゃあ、失礼をしました。姐さんのような美人が、そのようなことをするなんて、ちょっとびっくりしたものですから」
粋な着流しを着た二枚目が、爽やかな笑顔で登場した。
「鼻緒が切れましたか。私がすげ替えて差し上げましょう」
男は馴れ馴れしくそう言って、私から草履を奪おうとした。
「いや、別に、自分でできるから」
私は、そう言って男の手を叩き落とし、草履の鼻緒の応急処置をした。
「へえ、姐さん、意外と器用ですねえ」
意外とは失礼なやつである。二十一世紀の人間ならともかく、この世界の住人なら当たり前の技術だ。麻生理奈にはむりでも『りん』の身体が覚えている。
「草履は私が履かせてあげますよ」
パッと草履を男はとりあげて、私の足元へと草履をもっていく。拒絶するのも変なので「ありがとう」と言って草履に足の指を通した。
「姐さん、綺麗な足首だね」
男は突然そう言って、私の足首を握る。ひんやりとした男の手が私の足に触れた。
「ふざけないでっ!」
私は、思わず反対の足で男の身体にけりを入れたが、男は瞬間に手を放して、身をひねって私の足をかわした。
そして、すっと、一歩飛びのいて距離を置く。
動きがただものではない。
「気が強いところもいいねえ」
くすっと男は笑う。
「飯でもご一緒しませんか?」
「遠慮します」
「まあ、そう言わずに。うまい飯屋を知っているから」
「こんな田舎に飯屋などあるわけがない」
「……あったら、どうします?」
男は挑戦的な目で、私を見た。
突然、自分が空腹であることに気が付いた。
現在の廃屋では、敵に気付かれないようにするために、火をおこすことが出来ず、食べるのは干し飯に味噌をまぶしただけのものが主である。たまにたくあんや青菜の塩漬けを食べられることもあるが、とにかく塩っ辛いだけの代物だ。
偵察という建前で拠点から出ても、団子屋一つ見つからず、山道で見つけたアケビが一番のご馳走という、超貧しい食生活が二週間も続いているのだ。『りん』は、平気でも、『理奈』には、なかなかに耐えがたい生活である。
男衆は、川で魚を取ったりして、それなりに山生活を楽しんでいるようだが、外出時に許されているこの「鳥追い女」の格好では、魚を捕まえることも難しい。
そういえば、廉次がくれた塩焼きしたヤマメは美味かった。疾風のくれた握り飯も美味かったが、何しろどちらも冷めていて、ここのところ、温かいものを食べていない。
「何が食べられるの?」
「かけそば」
男がニヤリと嗤った。
「行くわ」
使命も忘れ、私は思わずそう応えた。
本拠地にしている廃屋からそれほど遠くない場所にあるその民家は、豪農の屋敷を改造したもののようであった。
鶏が走り回る庭をとおりすぎ、私は男に案内されるままに、ついていくと、おおきな暖簾がかかっている入り口を見つけた。『やまみち』という店名らしい。
「こんなところにお店が本当にあるの?」
「意外と、大人気でね。行列が出来ることもありますよ」
男は得意げにそう言って、暖簾をくぐる。
店内は、どこから湧いたのか、人であふれていた。
「大将、かけそば、ふたつね」
男は、台所の方へとこえをかけ、私の椅子をひいてくれた。
どうも調子が狂う。この時代の日本男児は女の椅子をひいたりはしないはずだ。女子供を守るという点では同じだが、騎士と武士では、女性の扱い方が全く違うもののはずだ。
私は男の顔をまじまじと見る。二枚目だ。
――敵の戦士なのかな?
「ん? 何?」
男は私の視線に気が付いて、ニッコリ笑った。
「えっと。いや、本当にお店があってびっくりしました」
男の優しげな瞳に、ちょっと胸がドキリとして、思わず下を向いた。
「ああ、最近、できたばかりだからね」
「なるほど。しかし、こんな山の中によくお客が来ますね」
私は思わず首を傾げた。
「最近、このへん、旅人やら芸人やら、虚無僧が多くてねえ。私みたいな遊び人も多いし」
くっくっと、男は笑った。
――うーん。ようするに、古文書を巡って、方々から人が集まっているってコトかしら?
「光ちゃん、お蕎麦ふたつ、お待ちっ」
お運びのお姉さんが、愛想よくおそばを運んできた。
彼女は、さりげなく私を睨みつけながら、そばを男の前に置いていく。
「どうぞ、姐さん」
「ありがとう」
私は、香しい出汁のかおりにうっとりとしながら、箸に手を伸ばす。
一口、麺を口にする。
「うわっ」
思わず声が漏れる。
そば粉だけで打ったものだ。熟練の技で作られた麺は、口にするとそばの香りが広がった。思わず、夢中でそばをすする。
「美味しいでしょう?」
男は得意げだ。
「はい。今まで食べた中で一番おいしいです」
思わず涙が出そうなくらいだ。
「りん?」
名を呼ばれ、振り向くと、廉次がいた。
「おや、廉次さんの知り合いかい? へえ、りんちゃんって言うの?」
ニヤッと、男は笑った。
「私の名は、光二郎。遊び人の光さんと呼んでくれ」
貴様は遠山金四郎か? と、つい突っ込みたくなったが、ぐっとこらえた。
町方のお奉行様が出てくるお話ではないはずである。
「光二郎さん、美味しい店を教えていただき、ありがとうございました」
私は、深々と頭を下げる。
「違うよ、りんちゃん、光二郎じゃなくて、光さん」
ニッコリ笑いながら光二郎は私に顔を近づける。思わず身体をのけぞってさけた。
「やめろ、光さん。りんに手を出すな」
廉次がスッと間に入ってくれた。
「ふむ。残念。この店、私の知人の店だからまたおいで」
ニヤリと笑い、どこまで本気かわからない光二郎はそう言って、立ち上がった。
「そのうち、りんちゃん、お座敷に呼んじゃおうかな」
くすり、とそう言って、光二郎は台所に声をかけて出て行った。
「お座敷?」
私は思わず首を傾げる。鳥追い女は芸人である。お座敷に呼ぶことは可能ではあるけれど。そこそこお値段のかかるお遊びである。
「あの人、何者なの?」
「さあ? はっきりとはわからない。ただ、この店の主人の蕎麦にえらく入れ込んでいるらしい」
「うん。確かに美味しかったわ」
私は納得する。
「ところで、お前、何故、アイツと一緒だったンだよ?」
「別に……山道で声をかけられた」
「それで、ホイホイ、ついてきたのか?」
廉次の眉が寄っている。まあ、偵察任務の途中で、不謹慎だったとは思う。
「だって、蕎麦が食べられるってきいたら、我慢できなかった」
ぶっと、廉次が笑った。
「面白いなあ、お前」
再び、廉次の顔に既視感を感じて、私は彼の顔を見る。どこかで見た様な、なんとなく美形っぽい廉次の顔。
どこで見たのだろう、と逡巡していると、「りん、先に出ろ」と、小声で廉次が囁いた。
よく見ると、疾風が、店内に入ってきて、お運びのお姉さんとお話をしている。
「お頭に、お前と一緒のところを見られると、後が面倒だ」
廉次に促され、私は店をこっそり出た。最近、忍者仲間は、私を腫れもののように扱う。私と話すと、疾風の機嫌がとても悪くなるのだそうな。
何にしても、もうすぐ『古文書強奪』である。うまくいったら、そこで抜け忍になろう、私はそう決めて、隠れ家へと帰ることにした。
その夜。私達は、忍び装束に身を包み、光春の屋敷へと侵入した。
広い屋敷の奥に灯りが灯されている。私はそっと床下に侵入した。男が会話しているのが聞こえた。
人数は気配からして、三人ほどだ。
「して、この場所は特定できそうなのでしょうか?」
「おそらくは、山吹邑のあたりかと」
「なんとしても、手に入れたい」
宝の話であろうか? 八郎たちは、古文書の解読に入ったということなのかもしれない。よく考えたら、伏せっているハズの艶は無傷でピンピンしているのだ。この屋敷にいる理由は、身を潜めるという意味だけで、養生する必要はないから、八郎が看病する必要もないのだ。前向きに? 宝探しに目が向いたとしても何の不思議もない。
私は聞こえてくる会話の断片を記憶した。
不意に、ざくりっと、頭上から刃が降ってきた。
間一髪で、刃をよけた私は、床下の大地に身体を押し付けて息を潜める。
さらにザクザクと刃が次々に突き立てられる。
――うっ、死ぬかも。
背筋に冷たいものが走る。逃げたいが、動いたらさらに気配を気取られる。
「何奴っ!」
不意に、頭上で金属の交わる音がした。複数の人間の剣戟の音だ。
「りん、早く来いっ!」
廉次の声が聞こえ、私はそちらへと、這いつくばるように逃げ出した。
忍び達は、ひらりと天井から舞い降りて、八郎たちが広げていた古文書をさっと奪い取った。
咄嗟に伸ばした八郎と疾風との間で古文書は、ふたつに裂ける。
「なっ」
そこにいたすべての人間が息をのんだ。
古文書が裂けた途端、はらりと一枚の地図が舞ったのだ。
ふんわりとそれが火鉢の上に覆いかぶさろうとする。
「マズイっ!」
八木徹之進が咄嗟に火鉢と地図の間に刀を差しいれ、地図をさらに宙へと舞上げた。
フワフワと浮かんだその紙は、隙間風に飛ばされて、中庭に舞い落ちる。
「頭!」
男が疾風を呼んだ。男の傍に、くのいちが地図を手にしていた。
「ひけっ!」
疾風が命ずると、忍び達は八郎たちの鋭い剣先を逃れ、闇の中へと消えていった。
床から這い出た私の頭にひらりと紙が舞い降りた。よくわからないまま、それを握りしめる。
私は、状況がよくわからないまま、廉次に先導されながら、闇の中を駆け抜けた。
――しまった。こんなものを持っていたら、簡単に抜け忍になれないじゃないか。
手にしたものが地図であることに気が付いて、私は憂鬱な気分のまま、隠れ家への道を急いだのだった。
快調に脱線しかかっております。
割と、真面目に書いているはずなんだけど……