逃走
いつもありがとうございます。
テンプレーナ様の戦士は、何人もいるというのに、今回のパートナーも徹であった。
今回送り込まれるのは、映画にもなった「川霧秘宝伝」という時代小説である。
主人公は、剣豪、『川霧八郎』。ある古文書を巡って、父『川霧宗敏』と、敵味方に分かれ、しかも忍者も入り乱れて争奪戦をするというアクションものだ。
政治的な陰謀があったり、川霧八郎は敵のくのいち『艶』と恋に落ちたりとかしながら、最終的には、父を倒し、殿様である『幸川光春』とともに古文書を焼いてしまって終わるというお話である。ちなみに、古文書の内容は、幸川家創始者の残した財宝の秘密が隠されているらしいが、結局、明かされぬままで終わるのだ。
<勝利条件>
エンディングは、除夜の鐘を聞く、年の瀬。
1.古文書を八郎と光春がいっしょに焼く。
2.艶と八郎が結ばれる。
3.秘宝を八郎と光春が手に入れる。
「テンプレーナ様、これって…」
私は勝利条件をみて頭を抱えた。
「条件3の秘宝、手に入れちゃっていいンですか? そういう話じゃないと思うのですが」
「えー、だって、これを読んだとき、お宝、もったいない! って、思ったのよね」
テンプレーナ様がぷうっと頬をふくらます。金髪碧眼美女の女神さまのその仕草は、とても愛らしい。
「条件2も、変です。艶は途中で死ぬのが剣豪もののセオリーですよ」
「悲恋、嫌いだもの」
徹のツッコミに、テンプレーナ様がいやいやをする。
テンプレーナ様は、王道剣豪小説が、どうやら苦手らしい。勝利条件を目指せば目指すほど、ストーリーが王道から外れそうな予感がするのはなぜだろう? テンプレーナ様は、テンプレが好きなのではなく、ハッピーエンド好きの間違いなのではなかろうか。
「女神カオスリーンは、この条件で何も言わないのですか?」
「カオちゃんはね、理奈ちゃんが参加してくれるなら条件は私の好きにしていいって言ってくれたの!」
テンプレーナ様はニコニコと笑う。
「私?」
「そうなの。カオちゃん、理奈ちゃんがイイ!って、言ってきかないの」
「……理奈はカオスの戦士より優秀な『王道クラッシャー』だからな」
ポツリ、と徹が呟く。
「むぅ」
私は言葉に詰まった。言っておくが、私はいつだって全力で勝利を目指しているのだ。
「えっと、理奈ちゃんは、艶ちゃんとおなじ、忍者のくのいちね。徹君は、光春の配下の剣士だから」
テンプレーナ様の指示に、徹が首を傾げた。
「アホ理奈が、女忍者って大丈夫かよ?」
「うるさい。少しは年上を敬いなさい!」
「キャリアは、俺の方が上!」
いつもの言い合いを始める私たちに、テンプレーナ様が扉を指さした。
「はい。二人とも、けんかをやめて。いってらっしゃい」
そして、扉が開かれた。
キラキラとした異空間を乗り越え、気が付くと私はかまどの前にいた。
私の名前は、『りん』。私は、艶と同じ下忍で、現在、八郎が常宿にしている『かもや』という店の下働きをしている。もちろん、『八郎』から、古文書を奪うという密命を受けてのことだ。
事前にもらった資料によれば、この宿で、艶は八郎に接近するも、恋に落ちてしまい、仲間の忍者から、八郎を守るために怪我をする。その後、八郎は艶を抱えて山へと逃走するのである。
現在の季節は秋。師走には、まだ遠い。
不意に鈴の音が通りの方から聞こえてきた。私は、たらいを用意して外に出る。
外には、魚を担いだ三十ぐらいの男が立っていた。りんの上司である『疾風』である。
私は魚を選ぶふりをしながら、疾風のそばに寄った。
「今宵、決行」
短くそれだけを告げる。小さく頷き、私はにこやかに秋刀魚を三匹買い求めた。
穏やかな商売用の笑みを浮かべているものの、疾風の目は鋭い印象を持っている。ちなみに、この疾風、艶に横恋慕するという役どころである。そして、艶の致命傷を与える役どころなのだ。
しかし、艶が死ぬのは、原作通りである。テンプレーナ様の意図は別として、こいつが艶を切ることを私は止める必要はない。ただし、条件2にこだわるならば、「致命傷」は避けたいところではある。
私は台所へ戻り、野菜の下ごしらえを始めると、同じくこの宿に潜入している忍び仲間の廉次が、ふらりとやってきた。廉次は主として、表での客引きが仕事である。
廉次の名は資料にはない。私と同じく疾風の配下のその他大勢の一人だ。
「こんなところで、油を売っていると、奥様にしかられますよ」
私は、言いながら、手にした鈴を落とす。鈴はチリンと音を立てて土間に転がった。
廉次はそれを拾い上げ、「落ちたぞ」と私の手のひらに載せる。瞬間、目と目が合う。
あれ? と、思う。これは、『決行は今夜』という暗号による伝言の場面であるが……廉次の顔に既視感を感じた。
廉次の方も、私の顔を怪訝そうに見る。
――ひょっとして、敵の戦士?
味方の戦士でなければ、見分けはつかないことになっているはずである。私は、気を取り直して、そのまま台所仕事に戻る。
廉次は、私の顔をチロチロ見てから自分の仕事へと戻っていった。
今回は、徹と私は、物語上は敵味方である。しかも、私は主人公に壊滅させられる忍者集団である。正直、壊滅させられるのは嫌だが、かといって、八郎に勝ってしまっては本末転倒である。
ただ、物語の中で死亡してしまうと、もはや介入は許されない。それに、怪我したり、死んだりすれば、やっぱり苦しいし痛い。いくら美しい物語に貢献できたとしても、正直に言えば回避したい。できれば、適当なところで、抜け忍になって、自由行動が出来るようになれればいいなあ、などと思っている。
「りんちゃん」
不意に、声をかけられ、振り返ると艶が野菜を持って立っていた。
睫が長い。宿の下働きの女にしては、見栄えが良すぎる。まあ、主人公が恋に落ちる大事な役どころであるから当たり前だ。
私は、先ほどと同じように鈴を手から落とす。チリンと音をたてた鈴を、艶は拾い上げて、青ざめた顔をする。
「落ちたよ……」
震える声で、艶は私に鈴を拾い上げて渡す。
――そんなに震えたら、誰だって気がつくって。
思わず突っ込みたくなる気持ちを抑えて、わたしは、素知らぬ顔をする。
「……今晩は、とても良い大根が手に入ったのよ」
棒読みのように、艶はそう言って、肩を落とす。
私は気が付かないふりをしながら、彼女から野菜を受け取り、台所仕事を始めたのだった。
闇夜である。
宿屋の主人が施錠をして、寝所に戻っていったのを確認して、私は忍び装束に着替えて、ゆっくりと裏口へと向かう。
『りん』は、忍者であるから、足音を消して歩くことが可能だ。(実際の麻生理奈は絶対無理だけど)裏の木戸のかんぬきを開けると、『疾風』と数人の忍びが待っていた。
私は無言で、裏口から中庭を抜けて、八郎が泊まっている部屋へと案内した。
部屋には灯りがまだ、灯されていた。
「お頭」
廉次が、植え込みに隠れたまま、小さく呼んだ。
「艶が、八郎の酒の相手をしています。もうしばらくお待ちを」
疾風が頷く。
障子に男と女の影が映る。
そう。この場面は、艶が八郎に薬を盛ろうとして失敗し、しかし、八郎は艶を問い詰めずに、その胸に抱きしめるのである。そして、それを障子ごしに見ていた疾風が激怒して、突進するところだ。
さて。ほっそりとした女の影に、たくましい男の手がのびて。
二人が抱き合ったのが障子ごしにわかった。
私は身構え、疾風の顔を見る。彼は動かない。なぜか、私の顔をじっと見ている。
――え?
ここは、突入する場面だ。
「お頭?」
私は戸惑う。疾風が、敵の戦士やカオスの雫の可能性は、皆無ではない。ここで突入しなければ、たぶん、八郎と艶は簡単に結ばれてしまう。まあ、ここで、終わればそれでもいいけど、まだ除夜の鐘は聞こえない。
――ええい、仕方ない。
私は、一人、障子戸に突進し、ピシャリ、と引き戸を開けた。
逞しい男の胸に抱かれた艶がそこにいた。
「古文書を渡しな!」
私は、悪人らしく忍び刀を抜いてそう言った。
ざっと、八郎の剣が鞘から抜かれ、きらりと光ったと思うと、私の頬を剣先が引き裂いた。カシーンと、金属が響く音がした。
疾風が私の前に割って入り、八郎の剣を受けていた。
八郎の剣は鋭い。疾風は、その名に相応しい俊敏さで剣先をかわす。
気が付くと私は廉次に腕を引かれ、思いっきり後ろに庇われた形になっていた。
艶は仲間の忍びの刺すような視線を感じながらも、八郎の腕に抱かれていた。
今なら、引き返すことが可能である、とわかっていたものの、八郎を欺いたり、刃を向けたりなど、もはやできないことは自分でよくわかっていた。
「艶、逃げるぞ」
八郎の言葉に、艶は頷く。
二人は刃を避けながら、闇の中を走った。
ボン、と艶の投げた煙玉が、忍び達の行く手を遮った。
私たちは、ひたすらに八郎たちの後を追う。
私としては早いうちに見失いたいところではある。しかし、二人とも無傷であるのにもかかわらず、忍びの足に勝てないらしい。
前方に橋が見えてきた。ひらりと、二人がそこから飛び降りると、都合よく、船がそこにいた。
船頭に立っているのは、八木徹之進だ。徹である。
私たちは、追跡を諦め、橋の上から闇の中へと消えていく二人の乗った船を見送る。
とりあえず、艶と八郎の逃走が無事に済んで、ホッとすると、頬の傷がジンと痛み始めた。
「無茶をするな、りん」
疾風は、そう言って私の頬に手拭いをあてる。
「なぜ、あのような真似をした?」
疾風の鋭い目に睨みつけられて、私はヒヤリとする。
「艶が……裏切ったと思ったので」
しかし。本当は疾風が飛び込むところなのに、なぜ飛び込まなかったのか。
「お前が真面目なのは知っているが……何かあったらどうする?」
「何かとは?」
りんは、忍びである。しかも命など吹けば飛ぶような下忍であり、使命のためなら命を賭すことくらい当たり前なのだ。
そこに二十一世紀的な価値観はない。
「お前を失いたくはないのだ。もう、無理はするな」
疾風は、鋭い目つきで私を見つめてそう言った。
――なんか、口説かれてないか、これ?
私は、思わず、周りの忍びその壱に目をやると、そっと目を伏せられた。
「お頭、それでこれからどうします?」
廉次が私の横から口を出すと、疾風の顔が鬱陶しそうに歪んだ。
「大方、幸川光春の息のかかった場所に隠れるに違いない。しらみつぶしでさぐるしかあるまいて」
疾風はそう言いながら、私の肩を抱こうとする。
――どういうことよ?
のびてくる腕をよけて、忍びその弐の方へと移動すると、その弐が困ったように私を見た。
見れば、疾風がスゴイ目でその弐を睨んでいる。
――絶対何か間違っている!
私は、首を振った。
「お頭、私、それでは幸川の屋敷にさぐりに行ってきます」
返事を聞かずに、私はその場を逃げることにした。