カップケーキをあなたに
「だーっ、理奈、てめぇ、サボってンじゃねえぞ!」
ここは、作戦室。並行宇宙の中に浮かぶ、時間の止まった空間である。
今回、初めての作戦タイム。徹の第一声は、私への怒号であった。
ちなみに、作戦中の外見は、作品内のまま。教師姿の徹に、制服姿の私。
その二人が、金髪碧眼のテンプレーナ様といっしょに、ちゃぶ台を囲んで、茶を飲みながらの作戦会議である。
「えっと。サボってない! だって、アヤシイ山岸君をしっかりキープして、しかも黒沢君のそばにいたし」
「いじめイベントは失敗したし、相合傘は、俺一人で段取りつけたぞ」
「いじめイベントは、不可抗力っしょ? 相合傘は、その…部活中でさ」
私は、必死で自己弁護する。
「でも、文化祭の発表パネルが『関ヶ原』って、理奈ちゃん、王道中の王道ね」
ニコニコっと、テンプレーナ様が嬉しそうにそう言った。
「そんなの、勝利条件には全く関係ない場所ですっ!」
徹は、女神にまで抗議する。
「とにかく! 次の「カップケーキ」イベントは、お前の責任で何とかしろよ」
「わ、わかっているよ」
私は、渡された資料を見る。
次は、調理実習で作った「カップケーキ」を、亜美が晴彦に相合傘のお礼としてあげる、というイベントが用意されている。
とはいえ、確定事項なのは、調理実習でカップケーキを作る、ということだけなのだが。
「あやしいのは、山岸君と、幸島先生の他に、誰かいないの?」
テンプレーナ様が首を傾げる。
「今のところ、発見できておりません」
と、私。
「山岸も幸島も、戦士っぽいと思う。カオスの雫って感じじゃない」
徹が慎重な顔でそう言った。
「なんにしても、喧嘩しないで。二人ともしっかりやってね」
テンプレーナ様の声に見送られ、私たちは再び、世界の扉を開けた。
調理室に入って、自分の席について、愕然とした。
原作に調理シーンはなかった。
あれば、きっとカップケーキは完成しなかったに違いない。
グループのメンバーは、私、園原亜美、長月美穂。そして、長月のとりまきで、前回イジメッ子その二だった佐藤玲子。私は、頭が痛くなった。
このグループを決めた家庭科教師、楠千里を、私は危険人物として認定する。
本日のメニューは、ミートソーススパゲッティに、ミモザサラダ。そして、カップケーキ二種というメニューである。
とにかく、カップケーキだけは、意地でも完成させねばなるまい。
楠先生の説明が終わると、私たちは材料の用意を始めた。
突然、ボールに無造作にザーッと水のように小麦粉を注いでいる亜美の姿に、私は愕然とした。
「園原さん! ちょっと、きちんと計量しないと!」
「え? そうなの?」
ヒロインのくせに、ガサツな亜美に驚いていると、長月美穂が卵をガパッと割って、殻がボールにこぼれた。それなのに、お嬢様は気にも留めずに、泡立て器を手に混ぜようとする。
「ちょっと、長月さん、卵の殻、入ったのに気が付いたでしょ? ちゃんと取り除いてよ!」
「何よ、ちょっと、入っただけじゃない」
ムッとする長月。
このお嬢様は、きっとお料理をしたことがないと確信する。
――ダメだ。このままじゃ、絶対、カップケーキは完成できない。
「殻が入ったお菓子を、長月さんは美味しいと思って食べるの? お金持ちは、卵の殻のシャリシャリ感がいいわけ?」
「……」
長月美穂の顔が真っ赤になる。
「園原さんも、長月さんも、お菓子作りをなめないで」
私は、バンっと、調理台を叩く。クラスメイトの注目を集めたものの、気にしてはいられない。
カップケーキを完成させなければ、美味しく作れなければ、イベントは失敗してしまうのだ。
「何よ、お菓子は、愛情でしょ?」
「そ、そうね、一生懸命作るのが大事ね、愛情込めて」
長月と亜美が二人して、私を怯えた顔で見ながら反論する。なぜか気があっている。
「甘いわっ。ケーキはね、化学反応で膨らむのよっ!」
私は、長月からボールを奪い取る。落ちた殻を取り除いた。
「大切なのは、材料の比率。計量を失敗してしまったら、絶対に膨らまないわっ」
私の言葉に、亜美がゴクリ、と唾をのむ。
「それから、メレンゲ。これがモッタリするまでしっかりかき混ぜること!」
私は、ボールを長月に渡す。
こう見えて、生前はケーキ屋で三年もバイトをしていた。
「ケーキを作るときに大切なのは、丁寧な作業と、体力! 愛情が問われるのは、それがきちんとできるかどうかという意味よ」
私の言葉に、二人は粛々と作業を始めた。
「あの……天木さん」
怯えた顔で、佐藤が私を見上げた。
「ニンジン、これでいいですか?」
なぜか丁寧語でまな板のニンジンを指さす。
乱切りっぽいニンジン(断じて、乱切りではない)……えっと。これは、ミートソース用かな? ひょっとしてみじん切りにしたかったとか?
私は天を仰いだ。
カップケーキさえ無事なら、あとは失敗しても問題はない。しかし、やはり、どうせ作るなら美味しく作らねば、材料が勿体ない。
「えっと。佐藤さんは、玉ねぎの皮をむいて。材料を切るのは私がするわ。ほら、園原さん、粉を振るうときは、いっぺんに入れない! 長月さん、メレンゲはケーキの命! あなたの腕に、ケーキの成功がかかっているのよっ、頑張って!」
私は、調理の鬼と化した。
佐藤にニンニクを炒めさせ、玉ねぎを切り刻みながら、亜美と長月に目を配る。三人とも料理の超初心者で、目を離すと、信じられない行動を始める。(佐藤は、比較的マトモではあったが)。
なんだかんだで、全ての料理が完成する時には、私は疲労困憊し、オーブンにはいったケーキが焼き上がった時には、亜美と長月が、思わずハイタッチをするという状況になっていた。
「いただきまーす」
私たちは手を合わせて、食事を始める。
ミートソースの絡んだスパゲティは、香しい香りを立て、ミモザサラダは佐藤の努力のおかげで、本当にミモザの花が咲いたかのように美しく盛り付けられている。オレンジとプレーン味のカップケーキはふんわりと膨らみ、甘い香りを立てていた。
「天木さんのおかげで、美味しくできたわ」
ニッコリと亜美が私に笑いかける。
「……本当に良かった。失敗したら大変だった……」
私は、首を振った。これで、徹に怒られずに済む。そう思ったら、ホッとした。
「鬼気迫る感じでしたけど、天木さん、どなたかにケーキを渡すお約束でも?」
長月が、私に問いかける。口調が、とても丁寧になっている。
「え? いや、というよりは……みなさん、どなたかにさし上げるのでしょ?」
私の言葉に、三人はキョトンとした。
「こんなに、一生懸命作ったのですもの。自分で食べたいわ」
と、長月。「私も!」と、佐藤。
「そうねえ、どんな味か、楽しみだし」
ニッコリと笑う、亜美。
「いやいや、ダメでしょ!」
私は焦った。みんなで美味しくいただいてしまっては、イベント大失敗である。
「ケーキ、二つも食べたら太ります! 一個は誰かにあげましょう! 苦労して、美味しく作ったのですよ。ぜひ、第三者の感想も聞きたいではありませんか?」
「でも、味が違うし」
未練がましくそう呟く亜美。
「だったら、今、私達、半分ずつ交換しましょう! 私と長月さんがプレーンを、佐藤さんと園原さんがオレンジを半分にして、みんなで半分ずつ食べれば、解決です!」
私の言葉に、ようやく納得した三人。
食べたカップケーキは、予想以上に絶品だった。
「……これから、私、天木さんを師匠と呼びますね!」
佐藤が、唐突にそう言い、私は面食らった。
「いや、私、ケーキに関しては何もしてないよ?」
実際にケーキを作ったのは、亜美と長月の二人だ。私は監視をしていただけで、手は出していない。そう言うと、亜美と長月は、ぶんぶんと首を振る。いつの間にか息がぴったりだ。
「ねえ、天木さんは、どなたにさし上げるのかしら?」
「へ?」
長月の言葉に、私は絶句する。
「私が誰に渡しても、どうだっていいじゃありませんか?」
「あら、興味があるわ」
亜美が大きな瞳で私を見つめる。
「えっと。うちの父に」
と、私がそう言うと、疑わしそうな三人の目が私に注がれた。
「私より、みなさんはどうするのですか?」
私の言葉に、長月は首を傾げた。
「そうねえ、そう言えば晴彦、甘いものに目がないの。しかも食通だから、感想聞くとしたら、一番よね」
彼女はそう言って、亜美の顔を見た。
「ね、園原さん、二人で晴彦に渡さない? ちょうど味が違うし。私たちの共同作業でつくったものだもの。ぜひ食通の晴彦に感想を聞いておきたいわ」
「ええ、それ、いい考えですね!」
亜美と長月が手を取り合っている。
――え?
いつの間にそんなに仲良くなったのだろう。と、いうより、なんかイベントの意味が違う気がする。
「師匠、今度の実習は、シュークリームですって。またよろしくお願いします」
すっかり舎弟と化した佐藤が、私に向かって頭を下げた。
放課後。
「晴彦、ちょっと」
常盤晴彦は、部活へ向かう途中の廊下で長月美穂に呼び止められた。
振り返ると、長月といっしょに、園原亜美がにっこりと笑って立っている。
その組み合わせを不思議に思い、首を傾げる。
「常盤くん、私達、二人で作ったの。ぜひ感想聞かせて」
二人の少女が、それぞれ違う味のカップケーキを差し出す。
「……まさか、どっちが美味しいとか決めろと?」
長月は、ぷっと噴き出した。
「あら、別に、純粋に味つけが違うだけよ? どっちを選んでも、私たち二人に優劣がつくわけじゃないわ」
「本当に、ふたりでつくったの。だから安心して」
園原亜美の笑顔に、常盤は戸惑う。
「できれば、レポートにして感想聞かせてね」
長月はそう言ってにっこり笑う。
「レポート?」
「そう。晴彦の鋭い味覚に期待して、食べてもらうのだから」
「う、うん。わかったよ」
常盤晴彦は、カップケーキを受けとりながら首を傾げた。
――レポートって何?
ご機嫌で去っていく二人の美少女の後ろ姿を茫然と常盤晴彦は眺めていた。
「一応、成功、だよね?」
物陰に隠れて様子を見ていた私は、隣りの矢野の顔を見あげた。
「……成功、か?」
矢野は、首を傾げる。
「なんか、ロマンスの欠片もなかった気がするが」
「カップケーキ、作るだけで、大変だったンだよ……」
私はがっくりと肩を落とす。
あまりに必死だったせいで、クラスメイトの私を見る目が変わってしまった。
佐藤にいたっては、勝手に舎弟になっているし。
「あ、いたいた。天木さん、矢野先生、部活の時間ですよ」
黒沢が、私たちを目ざとく見つけ、教室へと引っ張っていく。
いつから『戦国史研究部』はそんなに活動熱心になったのだろう?
「やあ、天木さん」
教室には四人の男。うち一人は、山岸である。
「関ヶ原って、天木さんはどこに注目するといいと思う?」
「は?」
黒沢が、にこやかに質問する。突然、そんなこと言われても困る。
「えっと。毛利、かな?」
「やっぱり、小早川だろうが」
矢野が突っ込む。いや、別に、どっちでもいい。私は、成り行きでここにいるだけで、本当に歴女ってわけじゃない。人並みの知識しかないから突っ込まれると困るのだ。
「ねえ、そう言えば、天木さんカップケーキ、誰にあげるの?」
「は?」
突然、山岸がにっこり笑った。そうか。同じクラスだから、私がひとつ持ち帰ったことを、誰かに聞いたのだろう。
「えっと? 今、それ、関係ある?」
私がそう言うと、部員AからCまで、しかも黒沢までが、首を振る。
「食べたいの?」
全員がコクコクと首を振った。
「しかたないなあ」
私は、かばんから、カップケーキを取り出した。
「一個しかないけど」
「ありがとう!」
一つのケーキをなぜか矢野まで加わり、男六人が奪い合う。
飢えた池の鯉のような醜さである。
「やっぱり、部に、女の子がいるっていいよね」
ぽつり、と黒沢が、カップケーキの欠片をかじりながらそう言った。
次回は、「婚約破棄」イベントです。サブタイトルだけはテンプレです!
なんか……テンプレからどんどん外れていく気がする。