怪盗サラマンダー、見参!
いつもありがとうございます。
束の間の休息時間が終わり、私は勤務に戻ることになった。部屋の掃除を装って、高城の部屋へと向かい、真奈さんと打ち合わせをすることにした。私の勤務のシフトとイベントの兼ね合い的に、パーティ前に会えるとしたらここの五分程度だから、とても重要である。結局的には、いっしょにいたものの安村こと徹とは何の話もしていない。
私は掃除道具を手に、高城の部屋をノックした。
「どうぞ」
高城の許可を得て、私は頭を下げながら入室する。高城の船室は、一等船室で、個室である。ちなみ朱美たちは特別室だ。船室というのは、ホテルとかに比べれば、どうしても狭いものだが、それでも一等船室には、ベッドに執務用のテーブルなどが置かれていて、快適な空間となっている。
「どうでしたか? 真奈さん?」
私の問いに、執務用の机に腰を掛けた真奈さんは首を振った。
「あのね……朱美さん、雪野さんと仲良くなっちゃって、岩村と三人でカフェしたのよ」
「三人?」
雪野さんは、マネージャーを投げ飛ばした時点で、『カオスの雫』もしくは『戦士』であることが予想されている。朱美と友情をはぐくむというのは、岩村幸彦との恋愛阻止。つまりは、栗山朱美探偵助手コース封じであろう。
「国広は?」
真奈さんは首をすくめた。
「来たわよ。でも、全然、朱美さんラブって感じじゃないの。女好きっぽくて、嫌味な奴には違いなかったけど」
どうやら国広は、真奈さんに言い寄ったらしい。
「……こっちも、なぜか、船長が来てしまって。梨田の聞き込みは普通に行われたとは思いますが」
私の言葉に、真奈さんはふうっと息をつく。
「マークは、雪野、国広、そして船長の岸田かな。次のシーンは誕生パーティでしょ?」
「はい。サラマンダー梨田が、一端はシリウスの瞳を手にするというシーンです」
私の言葉に、真奈さんが頷いた。
「私たちとしては、完全阻止して梨田を捕まえても構わないけれど、それは、やっぱり原作を知っているからやりたくはないわね。この部分は、カオス側は手を出さないと思うし……見守るしかないわね」
「了解です」
私が頷くと、真奈さんがニヤリと笑った。
「さっきちらりと廊下で見たけど、徹くんが、ご機嫌ななめそうだったわよ?」
「機嫌のよい徹に会ったことはありませんが」
私がそういうと、『ふーん』と真奈さんが私の顔をしげしげとみた。なんだかいごこちが悪い。
「あの……徹との打ち合わせは真奈さんに任せます。私、仕事がありますので」
「了解。理奈ちゃんって罪作りねえ」
何故か、くすくすと笑う真奈さんにペコリと頭を下げて。私は、『勤務』に戻ることにした。
パーティ会場は、音楽会に使われた大きなホールである。
私は、紳士淑女が使用するテーブルに白く美しいテーブルクロスをセッティングしていく。ステージでは楽団が楽器をチューニング中のため、ちょっと騒々しい。ステージ横には、青磁の大きな花瓶が置かれている。
ちなみに、その花瓶は非常に重要な花瓶なのだ。
次の場面は『怪盗サラマンダー、見参!』である。
誕生パーティの最中に、停電が起きる。その後、ほんのわずかな時間で灯りは点灯するのだが、朱美の姿が消えていて、大騒ぎになるのだ。実は、朱美は薬を嗅がされて、シリウスの瞳を奪われ、会場の外の廊下で倒れているところを岩村に発見される。その後、会場にいた全員の身体検査が行われても、宝石は発見できない。朱美が会場の外で発見されたこともあり、犯人が会場外に持ち去ったと、ストーリーが一時、『ミスリード』される。実は、宝石は、くだんの花瓶の中に放り込まれているのだ。
花瓶には豪華な花が活けられて、しかもかなり人目につく位置に置かれていたことが返って盲点になるというトリックシーンである。『トリック』をわかっていて、『引っかからないといけない』というのは、なかなか難しいところでだ。
ちなみに、大きなホールはほぼ三分割されていると言っていい。
まず、一段高くなっているステージは楽団が配置されている。時折は、雪野が歌ったり、船長も歌ったりするらしい。よくわからないが、嘘か、本当か、豪華客船の船長というのは、そういうことも必要なのらしい。船は誰が管理しているのだろうと、若干不安になるが。
そして、テーブルの置かれた立食ゾーン。もちろん、椅子も用意されていて座ることも可能である。基本、バイキング形式なので、私達従業員は、常に料理のうれゆきをチェックし、キッチンと連動していかねばならない。正直、忙しくなることがわかっているので、私は本筋に介入するのはほぼ無理で、おそらくこの立食ゾーンとキッチンの往復に追われるであろう。
最後に、ステージに近いスペースにはダンススペース。貴族じゃあるまいし、とは、思うものの、朱美が複数の男性とダンスを踊るのは、原作通り。財閥お嬢は、盆踊りしかほぼ知らない一般日本人とは違うらしい。もちろん、お相手をする婚約者候補の男性陣も同じだ。
私は整えたテーブルに、食器やグラスを用意する。ステージ近くでは、装飾担当者Aが、花を活けている。花瓶は深くて、どっしりしているため、活けるお花の量も豪華だ。
天井には、きらびやかなシャンデリア。映画のような風景である。
全てが順調に、執り行われ、パーティが始まる時間はあっという間にやってきた。
料理は、オードブルのみ先に並べて、後のものは、会の進行とともに、出していくということになっている。開始三十分前になると、招待されたお客たちが着飾った衣装で会場に入ってきた。ちなみに、野城と梨田も当然、末席ではあるが招待されている。その辺の手回しのよさは、さすが、サラマンダーだ。
やがて、楽団がゆったりとした音楽を奏で始め、ステージ横で船長が栗山保と談笑している。安村、そして家庭教師の高城も、フォーマルウエアを身にまとい、近くに控えている。
「浅田さん、乾杯用のシャンパン、持ってきて」
「はい」
ウエイターAに言われて、私は慌てて従業員通路へと向かう。
高城こと真奈さんの黒い素敵なドレスが少々羨ましい。パーティは、お客として楽しむ方が断然いい。裏方従業員は、戦争のような状態であるにもかかわらず、それを表面に出してはならない。カリスマ能力なんぞ要らなかったから、私もお客側になりたかったなあと、つい思う。
私は、ワゴンを運び、それを会場の入り口に置く。ここは、比較的死角になっていて、お客様から見えにくい。
「紳士淑女の皆さま、本日は、栗山朱美さまの誕生日パーティにお集まりいただき、ありがとうございます」
岸田の声が柔らかく会場に響いた。ざわついていた会場が、しんと静まり返った。
「朱美さま、ご入場です」
楽団が音楽を奏で、扉が開けられる音がした。
「まあ!」と、会場から感嘆の声が上がる。良く見えないけれど、朱美が入場したらしい。
「浅田君、お願い」
ウエイターAの指示で、私は、美しい液体を注がれたシャンパングラスをのせたお盆を持って、招待客に配っていく。朱美は、ブルーのノースリーブのドレスをまとっていた。大きくあいた胸元に、美しいシリウスの瞳が輝いている。長い黒髪を丁寧に結い上げている。普段の朱美は清楚なお嬢様という感じだが、今日は大人の色香を漂わせていた。
私は横目で朱美の姿を確認しながら、お客にシャンパングラスを渡していく。
停電があるのは、乾杯の音頭があった直後。停電時間は十五分程度。船室用のバッテリーヒューズがとぶのが原因だったはずだ。
「今日は、私の為にお集まりいただき、本当にありがとうございます」
ステージの上では、朱美の挨拶が始まっている。私は、お客全員にグラスを渡すべく、くるくると会場を動き回った。
ストーリーの監視というよりは、完全にウエイトレスモードである。
「それでは、朱美さまのお誕生日を祝して、乾杯!」
乾杯の音頭をとったのは、顧問弁護士の安村。
「乾杯!」
招待客たちが乾杯の言葉を唱和して、グラスを掲げた。
その時。
ホールのシャンデリアの灯りがパッと消えた。もちろん壁際の間接照明も一斉に消え、辺りは暗闇に包まれた。
演出のひとつと思った観客が沈黙したのは、ほんの数秒。
「な、なに?」
招待客が騒めき始める。
私は、従業員に支給されているネックレス式のLEDライトを手にした。
「落ち着いてください!」
船長の岸田の大きな声がホールに響き渡った。
シンッ、と会場が静まり返る。
「乗客の皆さまは、私語を慎み、従業員の指示に従って下さい!」
暗闇に怯えた人々が、その声に落ち着きを取り戻したのが、はっきりとわかった。
――すごい。
よくわからないが、さすが船長である。非常事態が起きた時、パニック状態に陥ることが一番危険だ。
私は、ある種の感動を感じながら、招待客を安全な場所へ移動させていく。
おそらく、この間に、サラマンダーの手によって、朱美はさらわれて、宝石が奪われ、くだんの花瓶へと投入されているはずだが、それを確認する術はない。
会場のダンススペースのあたりから、聞き覚えの男の怒声が聞こえてきた。足を踏んだ、踏まないで、もめているようだ。
私は、小さな明かりを頼りに声の方へと向かう。声の主は、思ったとおり、国広聡であった。
「どうかなさいましたか?」
私は、ライトで国広と、国広に手を掴まれたウエイトレスCを照らす。
「この女が! 俺の足を踏みやがった!」
ウエイトレスCは青ざめた顔で震えている。
「それは、どうも失礼をいたしました。しかし、現在は緊急時。改めて謝罪は致しますので、お気持ちはお察しいたしますが、彼女を離していただけませんか?」
国広は、私と彼女を見比べるかのように頭を動かした。
「君が、この女の代わりに、『お詫び』をしてくれるというのだな?」
国広はそう言って、ウエイトレスCの手を離したかと思うと、私の身体に手を伸ばした。
その時、船が突風にあおられたらしく、大きく揺れた。
国広聡の身体にのしかかられた浅田は、思わずもがいて、おぼつかない足元のまま、国広を突き飛ばした。
ガシャーン!
何かが割れた音がホールに響き渡る。
「キャー!」
近くにいた人間の悲鳴と、男の呻き声、そして、何かが転がる音がした。
私は、自分の突き飛ばした国広の身体が、くだんの花瓶に突入していったのを見た。
なすすべもなく、国広は花瓶もろとも床に倒れ、水と花を飛び散らせながら、花瓶は大きな音を立てて砕けた。
――やばいっ!
LEDライトに照らされた、小さな灯に、きらりと光る何かがあった。
――シリウスの瞳!
私はとっさに、暗闇の中で、それを拾い上げてしまった。
――今、見つかるのはマズイ。でも!
このまま、私が持っているわけにもいかない。私はハンカチで、宝石を拭いた。
――南無さん!
私は、咄嗟にハンカチごと天井に向かって投げた。大きなシャンデリアの一部がカチャリと音がする。
その時、パッと照明が付いた。
ひらひらと、私の目の前をハンカチが舞い落ちてきたのを、私は慌てて捕まえた。
幸いなことに、突然の明かりに気を取られて、誰の目にも止まらなかったようだ。
私は、辺りを見回して、被害状況を確認する。
私の目の前に、男が倒れている。
私は慌てて、低い呻き声を上げている国広にかけよった。幸い、外傷はそれほどないように見える。床は、花瓶の水で濡れ、花と花瓶の破片が散乱していた。
そして、床に飛びちった破片の先で、戸惑いの表情を浮かべたサラマンダー梨田の姿があった。