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第五話 「発条王の驚愕」

「誠に……、世が世であればよかったのにのう。異腹兄(あに)上は善き王となられていたであろうに」

 グロウワットに譲位をすることはできないが、それはエヴァンスランスの偽らざる本心であった。碧い目を三角にして、きりきりと夫の発条を巻かねばならない毎日にならなければ、アンリシャンテも今あるような悪妻にはならなかったかもしれない。

「父上が国王であられたならば、叔父上は今頃何に?」

 先ほどから手にしたままの螺子回しで、手慰みに遊びながらグロウワットは尋ねた。


「ふむ。技師――というのはさすがに冗談として、余は賜姓(ちゅうせい)し、適当な爵位をもらって、技術省の官僚あたりに納まるのが妥当であろうと思っておったよ。今より遥かに国家に貢献していた自信がある」

「おかしなことをおっしゃる。一介の官僚の身でできることで、国王に不可能なことなどないでしょうに」

「それだけの器量の王であれば、のう……。国王なればこその発条仕掛けで、自分の意思では何も為せぬのが今の余であるよ」

「本当にそう、お考えですか?」

「うん。アンリシャンテの尻に敷かれて、到底逆らえるものではないよ。それにリリアゴタールも、別段に私腹を肥やし、悪政を布いておるわけではないしのう……」


 国政をほしいままにする、リリアゴタールは確かに奸臣かもしれないが、彼という宰相がいるおかげで、ニ代続きの頼りない国王の下でも、ヌネイルの施政が上手く立ち行ってきたのも事実である。自分がやらねば誰がやる――と、リリアゴタールはリリアゴタールなりの正義でもって、国家に忠を尽くしてきたと言えなくも無いのだ。



「なるほど、叔父上は、骨の髄まで『発条王』であられるというわけだ」

 それまで右手で弄んでいた螺子回しを、左手に持ち替え逆手に握って、グロウワットはゆらりと立ち上がった。

「グロウワット?」

「無駄話をしてしまいました。(なが)のお(いとま)を申し上げます、発条王陛下。もうあなたに、伺うべきことは何も無い」

 グロウワットは暗く失望をしたような眼差しをして、敢然とそう言い捨てたかと思うと、不審げに鼻眼鏡を外したエヴァンスランスに詰め寄った。

 分解中のカーラの部品を弾き飛ばし下敷きにしながら、首の後ろから肩口に右の前腕を置いて圧し掛かられて、あっという間にエヴァンスランスは、グロウワットに胸から上を作業台へ押し付けられてしまっていた。


「ひっ……!」

 固定された顔の真横に螺子回しを突き立てられて、エヴァンスランスの口から情けない悲鳴が漏れる。

「叫ばれるがいい。もっと大声で。そんな蚊の鳴くような声では、扉の外の近衛の耳には届きませんよ」

 明確な害意を示しながら、その態度とはうらはらに、救助を乞えとグロウワットの声が降る。

「グ、グロウワット……、何故……?」

「理由なんていい! 喚きなさい!!」

 工房内の異変を告げ知らせるかのように声を荒げて、グロウワットはいささかの躊躇も無く、一旦引いた螺子回しを力の限りに振り下ろした。


「うわああああああっ!!」

 突如襲った激しい痛みに、エヴァンスランスは絶叫した。螺子回しの先は、頭を囲むようにして、作業台の上に投げ出されていたエヴァンスランスの右手の甲を――親指と人差し指の骨の間を、天版に縫い止めるように穿っていた。


「――陛下!!」

 工房の前で控えていた近衛たちが、勢いよく扉を破り血相を変えてなだれ込んでくる。グロウワットは予期せぬ凶器を引き抜いてエヴァンスランスから離れると、緊迫する近衛たちに向き直り、彼らを挑発するようにうっすらと笑みながら、血濡れたそれを放り出しつつ諸手を挙げた。


「大公っ……!!」

 落下した螺子回しが、ゴトン、と床を打ったのを合図に、近衛たちはグロウワットに殺到した。エヴァンスランスではなくアンリシャンテに忠誠を誓い、『宰相派』を名乗る彼らの、グロウワットに対する深い不信を物語るような人数であった。



「ううっ……つうっ……!」

 激しい捕り物の音と近衛らの怒声を聞ながら、引き攣れた右手の痛みにのたうち、椅子から転げ落ちたエヴァンスランスは、その時、修理中の大事なカーラの本体を、血まみれの指で引っ掛け道連れにしてしまった。

「陛下!!」


 ――ごめん、ユーラ……。

 床に打ちつけた陶器の顔の一部を砕き、硝子の目玉を片方零して、機械部品を四方八方にぶちまけたカーラが、自分の血潮で赤く染まっているのを眺めながら、途方も無く悲しい気持ちになって、貧血を起こしたエヴァンスランスは無意識の中に逃避した。



*****



 エヴァンスランスが次に意識を取り戻したのは、夜の帳の中だった。

 何の気なしに動かしてしまった、不自由な右手がずきりと痛む。

「あっ痛っ……!」

「ああたっ!!」

「お父様あ」

「とーさま!」

 起き抜けのエヴァンスランスが上げた呻きに、枕元に付き添ってくれていたらしい、アンリシャンテと子供たちが、口々にそう呼びかけながら飛びついて来た。それらをまとめて受け止めながら、エヴァンスランスはぼんやり答えた。

「……うん、おはよう」


「『おはよう』じゃございませんでしょう、ああたっ!! まったくああたときたら、なかなかお目覚めになって下さらなくて、あたくしたちがどれだけ心配をしていたと……」

 そこで言葉を途切らせて、ぼろぼろと泣き出してしまったアンリシャンテを、

「母様、泣かないで」

 と王太子が、自分も赤い目を擦りながら、小さな手で慰めるように撫でている。

 ああ、アンリシャンテにも、こんなにも可愛いところが残っていたんじゃないかとか、もう既に我が息子は、自分よりもよっぽど紳士なようだとか、包帯を巻かれた右手の小指の端を、ユーラファミアに軽く握られながらエヴァンスランスはぼんやり思う。


「お父様、お怪我痛い?」

 遠慮がちに薬指にも指先を伸ばしながら、ユーラファミアが不安げに尋ねてきた。枕に頭を預けた顔をそちらに傾けて、エヴァンスランスは微笑する。

「うん、ちょっとね……。そうだユーラ、お父様ユーラに謝らないといけない。ひどい失敗をしちゃってね、カーラはお風邪どころじゃなくなってしまった。もうお父様には直せないかもしれない」

「知ってる。お父様と一緒に、カーラもお怪我しちゃったから、有名な自鳴琴(オルゴール)人形のお医者様に、お任せしましょうねってお母様が……。それに悪いのは、お父様じゃなくてロウ従兄(にい)様。ロウ従兄様嫌い。お父様を殺そうとしたから嫌い!!」


 瞳に涙の粒をきらめかせ、くしゃりと顔を歪ませた、ユーラファミアの激しい物言いに、エヴァンスランスは胸が締め付けられる心地がした。自分はそしてグロウワットは、この幼い姫に何ということを言わせてしまっているのだろう――。


「ユーラ……、グロウワットはお父様を殺す気ではなかったよ。そんなつもりじゃなかったんだよ」

「それではどういうつもりだったと? あんな螺子回し一本で、ああたにこんな深い傷を負わせて! 一体どれだけの恨みつらみを溜めていたのかと、考えただけでもぞっとします! もしも刺さりどころが悪ければ、ああたは今どうなっていたことか……!!」

「おまえ……」

 痛む右手は極力使わぬようにしつつ、エヴァンスランスは寝台に熱っぽい身体を起して妻子を抱き寄せた。自分を案ずる涙にくれる家族を宥めながら、もの悲しい気持ちでエヴァンスランスは、こんな温もりを失くして久しい、孤独なグロウワットに思いを馳せた。


 当事者であればこそエヴァンスランスは感じるのだ。もしもグロウワットに殺意があったとするならば、『刺さりどころ』は本当に悪かったのではないだろうか? 思い切り急所を外した一撃だけに止まらず、たとえ近衛が来ようとおかまいなしに、自分は何度も何度もめった刺しにされ、半死半生になっていたのではないだろうか? と――。



 からくり時計が正時を告げた。いつの間にか子供はお休みの時刻になっている。妻子の気持ちがある程度まで落ち着いたのを見定めると、エヴァンスランスは泣き疲れて瞼を落した子供たちを自室へと下がらせた。主君を迎えに上がった各々の乳母たちに、今夜は添い寝をしてやるようにと言い含めて。



*****



 一人、国王の寝室に居残ったアンリシャンテを、改めてしっかりと抱き締めてから、エヴァンスランスは子供たちの前ではできない質問をした。

「どういうつもりだったかは、直接本人に問い質してみないと。どこに拘禁しておるのか、グロウワットは?」

「ベンジーニ塔におりますわ」

「ベンジーニ塔……?」

 アンリシャンテが、どんな事情があっても許すまじと言いたげな表情で、憎々しげに答えた場所の名に、エヴァンスランスは愕然とした。

 折しも昼間のグロウワットとの語らいで、エヴァンスランスが話に上らせていたそこは、この国で最も堅固な牢。収監された者たちに、一生の幽閉もしくは死刑を約束する、恩赦とは無縁の監獄だ。グロウワットは大公の身で、国王を襲撃した大罪人であり、彼が余生を送れる場所は、最早ベンジーニ塔しかありえないのかもしれないが――。


「……誰が入れたのか?」

 それが、自分が眠っている間に行われていたという事実に、エヴァンスランスの身も声もわなわなと震えた。多くを諦め、受容して、流れ流されてきたエヴァンスランスであったが、アンリシャンテにも、リリアゴタールにも、そこまでの増長を許すわけにはゆかなかった。

「王族の断罪は、国王だけが持つ権限のはず! いくら余が『発条王』とてそれだけは譲れぬ! 余の許諾も無しに、誰がグロウワットをベンジーニ塔へ投獄した!?」


「誰でもございませんわ、ああた」

「誰、でもない……?」

 予想外に矛先を逸らされて、わけがわからないという顔をした夫に向けて、アンリシャンテは俄かには信じられないような説明をしてのけた。

「ええ、そうです。強いて言うなら本人でしょうか。自身の裁きは自身で行う、他の牢に繋がれてやる気はないと、グロウワットは自ら入ってしまったのですから」

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