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森野塚四丁目恋愛事情  作者: mayuki
木元円の場合
85/308

-5-

「え、円? 酔ってんのか、お前? 藤代さん、もしかして円かなり飲みました?」

「ああ、筒井さん。 調子に乗って勧め過ぎたかも、ごめん。」

筒井と藤代の声がなんだか遠くに聞こえて円は筒井を見た。

心配そうな筒井の顔に円は苦笑いする。

「あー、よく飲んだ。」


藤代と話をしていたら両親の離婚を思いだし、さらに孝誠に対する思いまで掘り起こされて軽く立腹したのにも関わらず、気付けば円は藤代に孝誠のことを話していた。

信じられないほどハイスペックな幼なじみのお兄ちゃんであったこと。

初恋だったこと。

好きだと自覚した時にはもう恋人がいて、それでもずっと想いが消えなかったこと。

付き合った男性もつい孝誠と比べてしまい、うまく続かなかったこと。

婚約の時に感じた胸の痛み。

自分の気持ちに向き合ってくれた孝誠への感謝とそれでも募る想い。

「大事な妹」でなく「大事な人」と言われたことへの安堵と同時に何故か消えない敗北感。

何度か話がループしながらも円は泣くことなく感情を吐き出した。

藤代は相づちを打ちながら穏やかに円を見つめていた。

「木元さん、そのコウちゃんに対する想いが本当の恋愛感情か憧憬の域だったかなんて、もう全然関係ないよ。」

円が想いを吐き出し終えて文字通り一息ついたところで藤代が優しい声で言った。

円はまだのぼせた顔で藤代を見る。

視線が出会ったのを確認して、藤代が続けた。

「木元さんはコウちゃんが好き。 それだけだよ。」

藤代のセリフはシンプルだったが、円はきょとんと黙ったままで藤代を見た。

「それだけ?」

「そう、それだけで十分。 木元さんは真っ直ぐにコウちゃんが好きだった。 今も好きだ。 それがすべて。 カッコいいよ、素敵な時間だったんだな。 過去形にすることなんてない、これからも好きでいたらいい。」

藤代が笑った。

・・・憧れであったにしろ、ずっとコウちゃんが好きだった。

素敵な時間過ごしたんだ、私。

そして、無理に忘れようとしなくても、コウちゃんのこと好きでいいんだ。

たった一言でつかえがストンと落ちた気がした。

赤ワインを一口含むと円がフッと笑った。

「藤代さん、カウンセラーみたい。 元気でてきた。 それって、経験者は語る、ってやつ?」

軽く振ったつもりが藤代は真面目な顔で答えた。

「そうだな、一部は経験者が語ったな。」

素直な反応に円が一瞬引いたあとでぐいっと顔をのぞきこんだ。

「え、どこ? どの辺が語った? これからも好きでいたらいいあたり?」

一気に酔いの醒めたような円に藤代が吹き出した。

「オッサンの離婚話なんて聞いてもつまんないだろうよ。」

円は真剣に詰め寄った。

「つまんなくない。 藤代さんのこと、もっと教えて。」

ストレートなセリフを流すことなく、藤代はゆっくり話始めた。

職場の先輩と若くして結婚したこと。

直ぐに男の子を授かったけれど奥さんは妊娠中悪阻がひどく入院したことからなかなか二人目に踏み出せず、結局一人っ子になったこと。

感情を隠すのが下手な奥さんがいつからか喜怒哀楽を見せなくなったこと。

おかしいと気づきながらも、なんとか毎日過ごしていることに甘んじ、会話を持たなかったこと。

だんだん小さなことでいさかいが増え、当時小学生だった息子に冷却期間を置いてくれ、と懇願されたこと。

家庭を知った後の独り身の侘しさ。

息子への変わらぬ愛情と、別れてから気づく、自らの愚行と別れた妻の求めていた家族像。

「夫婦も結局他人なんだ。 黙っていたら伝わるなんて都合のいいもんなんてない。 今ならもう少しうまくやれるな、と思う。 復縁なんて絶対しないけどな。」

藤代が笑った。

「まだ奥さんのこと、好きなんだ。」

遠慮なく円が呟くとぐいっと顔を近づけて藤代が囁いた。

「好き、はそう簡単には消えない。 別れたとはいえ、全力で好きだったやつだからな。」

円はこの人に全力で愛されたのに別れるなんてもったいないことしたな、と元妻に想いを馳せて思わず顔をしかめた。

「藤代さんもカッコいいね。 こんないい人と別れたなんて、奥さん早まったな!」

円がグラスを空けて笑った。

「向こうはさんざん我慢した感丸出しだけど・・・って、ごめん、木元さん、聞き上手だな。 赤裸々に話してしまった。」

聞き上手とは言われたことがなかった円が吹き出した。

「人の話聞かないって怒られたことはあるけど、聞き上手って初めて言われた。」

空いたグラスに気づいた藤代がワインリストを渡してくれたが、円はリストを押し返して笑った。

「藤代さんが飲んでるやつ!」

明るい声に藤代も残ったワインを空けた。

「お互いの素敵な恋愛を称えつつ、また前を向いて歩けるよう願って。 乾杯だ!」

届いたバローロのグラスをカチリと会わせた。

「乾杯!」

長年の想いを口にすることで自分の感情に折り合いがついた円はなんだか一気に酔いが回るのを覚えた。

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