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これで章穂の弟の隆臣が来れば、森野塚四丁目のはしっこ軍団が勢揃いするな・・・と思ったら、本当に隆臣がやって来て亮一は思わず遠慮なく吹き出した。
パティシェ修行中の隆臣は朝から晩まで忙しくしているが、好きな仕事をしているからか、いつも機嫌がいい。
兄の章穂は、カギを忘れたらしい弟の頭を軽くはたくと陽一郎の隣をあごで示し、隆臣はカウンターに座りながら陽菜を見つけてにこやかに話しかけた。
隆臣は目敏くシスターズをみつけ、陽菜に残り物のケーキを渡しながらも紙袋から売り物にならなかった焼き菓子を出し、どうやらシスターズにあげるつもりらしい。
・・・ま、つまりは恭子にあげたいんだろうがな。
亮一は元気いっぱいにしゃべる隆臣の姿を見ながら思った。
隆臣が恭子のことを好きだというのは、このカウンター四人組の中では周知の事実のようだが、当の恭子を含めて不思議と他の仲間にはバレていないようだった。
亮一は、チラチラと圭輔たちのテーブルに視線を走らせる隆臣の姿を見守る。
食事をまともにとってないのか、隆臣はコロナビールとビーフシチューを注文したので、得意料理のビーフシチューに火を入れた。
亮一の作るビーフシチューはソレイユの隠れた逸品で、手間隙かけたその味はクチコミで人気もでてきており、手間とボリュームを考えると夜のこの時間に1500円では安いくらいだった。
「はい、オミくん。 とりあえずコロナね。」
「喉渇いてるんだ、陽菜さん、もう一本ちょうだい!」
「えー、もう次の注文? いいお客だねえ、オミくんは!」
陽菜がコロナを持ってきたら飲む前から追加を頼んで陽菜もみんなも笑っている。
隆臣がコロナにライムを押し込んだのを合図に、カウンター四人がまた飲み物を掲げた。
「お疲れ!」
「乾杯!」
四人の声がハモった。
「カナちゃん、久しぶりだね。 相変わらず忙しい?」
おしゃべり好きな隆臣が体をカウンターに投げるような姿勢で奏をのぞきこむと、奏は片手でメガネを直しながら苦笑いした。
「たいして金になんないのになんだか締切に追われてるよ。 オミも早くから夜遅くまで大変だね。 休みもあまりないんだろ?」
奏のセリフに隆臣はコロナ片手に大きな口を開けて笑った。
「まあ、休みもほとんどないし体はキツいけど、憧れのパティシエと一緒の店で働いてるから楽しくて仕方ないよ! なんとか色々技を盗んだり教えてもらったりしたくって、1日24時間でも足りない! 最近、焼き菓子けっこう担当させてもらってるんだ。 ・・・ま、今日はちょっと失敗して怒られたんだけど。」
ポジティブな隆臣らしいセリフに陽一郎が笑い、ガシッと隆臣の肩を組んだ。
「失敗したら安値で引き取るから持って帰ってきたらいいじゃん! ソノとか、ナガセのマドレーヌとか大好きだけど。 オミが焼いたお菓子食べたら賢くなる、って母さんが言ってからけっこう本気にしてる。」
陽一郎のセリフに隆臣も含めて皆がどっと笑った。
圭輔や聡美と同じ高校は地域でも有名な公立の進学校で、いつも学年でひとケタの成績だった隆臣はどこの大学に行くのかと思われていたが、進路として隆臣が選んだのは製菓学校だった。
パティシェになりたい、という隆臣の意見を周囲は驚いて聞いたが意外に両親は冷静に対応し、それを応援した。
製菓学校でも努力をした隆臣は、最近メディアにもよく出るようになった有名パティシェの店に就職し修行の日々を送っている。
「隆臣は元気だよなあ。 あ、もうすぐ園子の誕生日だから、またケーキ注文に行くよ。」
陽一郎には母親の再婚後に産まれた歳の離れた妹と弟がいて、妹の園子が来週9歳になると言った。
「園子ちゃん、9歳かよ、早いなあ。 小学校三年生だっけ? この間まで一緒に三輪車乗ったってのに。」
高校生だった隆臣が園子の三輪車を横取りして強引に乗り回していた姿を思いだし、みんなドッと笑った。
「一緒に三輪車乗ったのに、って、おかしいだろ、そのセリフ!」
章穂が呆れた声を出すと、奏がメガネを外しながらクスクス笑う。
「この間ソノちゃんに会ったけど、精神年齢はソノの方がオミよっか上だな。」
奏が言うと陽一郎が弾けるように笑った。
「失礼だな、カナちゃん!」
隆臣が奏を睨んでそして自分でもおかしかったのか吹き出した。
「蓮司郎は来月7歳。 ってことで来月もケーキ注文するから、よろしくな。 蓮司郎は濃いーい感じのチョコケーキが好きなんだ。」
「わかってるよ。 レンとソノちゃんの好みはもう覚えてる! ソノちゃんにはブルーベリーおまけでたくさん乗せておくよ。」
陽一郎が言って隆臣が笑うと、章穂が陽一郎をのぞきこんだ。
「あ、この間レンに会ったら彼女できた、って、自慢されたぞ! お前はまだ彼女いないのかよ?」
「レンが? ・・・くそっ、ガキが色気づきやがって! 彼女だあ? あいつ、まだ小一だろ!」
章穂のセリフに陽一郎が低い声で唸り、奏が遠慮なく吹き出した。
「兄ちゃんは20代半ばでまだフリーなのにな?」
「うるさい、カナ! カナもケイくんも彼女いないじゃん!」
頭を振りながら叫ぶ陽一郎の姿にみんなが笑う中、隆臣が黙々とシチューを食べて呟いた。
「ビーフシチュー、うまっ! うちの母ちゃん、もう家でビーフシチュー作らないもんね。 オレがリョウくんのが一番美味しいって言ってから、すねて作ってくんないの。」
大きな人参をスプーンに乗せて口に運びながら隆臣が言うと、章穂が吹きだした。
「そうだよ、あの時母ちゃんすねて大変だった、つーの!」
兄弟の内輪話にカウンターがどっと沸いた。
「私も亮一のシチュー大好き!」
陽菜がいつのまにか小さな器にシチューを入れてこっそり食べていた。
「こら、金取るぞ、陽菜!」
「あ、こんなに手伝ってんのに! ちょっとくらいいいじゃない、ケチオーナー!」
二人のやり取りにまたカウンターが笑った。